ウル・インテス最後の日 対マスティマ・ウンヴリエル戦

ウル・インテス最後の日 対マスティマ・ウンヴリエル戦

 いずこかの世界ウル・インテス、その最後の日。

 交差させた両手の先に十本の蒼く燃える神剣しんけん顕現けんげんさせたマスティマ・ウンヴリエルは、下方の空にたたずむ黒衣の人馬、ダークスレイヤーと対峙していた。

「ダークスレイヤーよ、この無限世界イスターナルの法の執行者たる我々の務めを妨害する罪深さを理解しているか? 貴様は……!」

 闇が閃いて雷のように黒い剣閃が伸び来たり、ウンヴリエルは四本の蒼い剣でそれを止めた。

「……貴様!」

 人馬の周囲に黒炎こくえんが舞い、神々を呪う怨嗟えんさうめきが空に響き始める。ダークスレイヤーはその恐ろしい呪詛じゅその闇の中心にあり不敵に笑った。

「お前らのお題目などどうでもいい。言いたい事があれば好きなだけほざきながら戦え」

 ダークスレイヤーの姿が黒い炎に包まれ、今や闇の中に赤い熾火おきびのように二つの眼が燃え光っている。

「星屑をもって地を均し、汚れし大地を焼き清めて界央セトラの地にかえさん!」

 ウンヴリエルは両手と翼で印を結び、赤い空に無数の星の光、堕ちてくる隕石が現れた。

 ダークスレイヤーはちらりと『二つの世界樹の都』に目をやる。古き民、翼の民、月の民たちの歌と術式による障壁はこの都を隕石から守っていたが、天を埋め尽くすほどのそれには耐えられそうになかった。

 一方で、ふもとの町々の人々の退避は済んでおり、二つの世界樹の都そのものを異なる世界に飛ばす術式はいつでも発動できる状態になっていた。

 ダークスレイヤーは大声で叫ぶ。

「ウル・インテスの民たち、界央セトラの地は今や力と序列に腐り、多くの力なき者たちが不要として踏みにじられている有様だ。たとえそれが神の言葉だとして不条理に従うな。このようなけものことわりに満ちた世界から、彼らの条理の届かない世界へと旅立つのだ! 早く行け!」

 しかし、無数の隕石はそれよりも早く世界樹の都に降り注ぐ事をウンヴリエルは確信していた。

(無駄な事を)

 両者に世界樹の都から人々の絶望と希望と祈りの気持ちが伝わってくる。

 ダークスレイヤーは魔剣ネザーメアを水平に構えた。その剣身に刻まれた『永劫回帰獄碑文ネザーメア・テスタメント』は幾つかの異なる文言を忙しく浮かび上がらせては消え、やがて固定された一つをダークスレイヤーはなぞり、詠唱する。

──我らは不滅。傲慢なる者どもの宿命は形ばかりの我らを滅ぼし、やがて永劫の罪と復讐を背負う。我らは破壊の神となりて暗黒の天と共に在り、全てを蹂躙して滅ぼさん。

「出でよ、レイジス・スルト! 盾として堅塞けんさいの如くあり、全てを消し飛ばせ!」

 永劫回帰獄ネザーメア碑文ひもんの文言から何かを読み取ったウンヴリエルの顔に驚愕が現れる。

「その碑文ひもん……まさか、あの話は事実だと……!」

 二つの世界樹の都の前に巨大な黒い炎が舞い上がり、やがてそれは世界樹さえ凌ぐ大きさとなり、次第に暗黒騎士のような巨神の姿を取った。

 その姿は、例えるなら三本の角飾りを持つ重装の騎士であり、黒紫の金属の甲冑には怨嗟えんさの炎の燃え走る彫金装飾エングレーヴが美しく、それらは風を送られた火のように、または人々の呼吸や想念のように明滅を繰り返している。

 その顔には額と両目の三つの眼があり、それらは焼けた鉄のように赤く光り、激しい怒りを思い起こさせる何かが燃えている。

「馬鹿な……」

 マスティマ・ウンヴリエルは絶句した。

──かつて八十億の天使プラエトの軍勢、その三分の一を一瞬で消し飛ばしたとされる暗黒の破壊神、レイジス・スルト。

 その堂々たる姿と怒り、そして溢れる力に、マスティマ・ウンヴリエルはその冷静さを崩した。

「あり得ない、これは何かの欺瞞ぎまんだ! 天使プラエトたちはその旧態をとがめられても従わなかったゆえに追放されたはず! 『アスギミリアの敗北』が事実であるはずが……」

「お前たちの側ではそんな話になっているのか。おめでたい話だな」

 ダークスレイヤーはあざけるように笑った。

 世界樹の都からは絶望なのか驚きなのか分からない声が無数に上がっている。

 巨神は天を見上げると、重い声が直接全ての者の心に響いた。

──我らの敵を認む。

 続いて、地響きと共に世界樹の都以外の大地が暗黒の地平へと変わる。

──因果地平いんがちへい、展開。

 巨神は重々しく進み出て何も持たない両腕を交差させた。その全身に小さな半球状の砲口が無数に現れる。

 迫りくる空を埋め尽くすほどの隕石に対して、世界樹の都から様々な声が上がったが、薄緑の光に包まれて世界樹の都は消え、その直後、巨神の全身から針鼠のように黒紫の火線が放たれ、天の全ての隕石が粉々に爆散した。

 すさまじい衝撃波と音、閃光と熱波が世界を揺るがす。

 巨神はその轟音の中、遥かな天の隕石を見上げると、次は左手に黒い大炎だいえんまとわせた。やがて、渦巻く炎は巨大な丸盾となる。

──殲滅者せんめつしゃたて

 巨神は盾を天の隕石に向かって構えた。

──傲慢ごうまんなる者どもの権能けんのう、これを全て殲滅せんめつする。

 丸盾には鋼色はがねいろに光るくぼんだ四つの砲口があり、その砲口の先に青白い光が燃え始めた。

 この光を見て、マスティマ・ウンヴリエルはさらに驚愕する。

「その光、聖魔王イスラウス様配下の十六の超国家でさえ未だ手にしていない技術のものだ。何故それを破壊神が……」

 丸盾より先の空間全てが白い光に包まれた。放たれた白い光は天をぎ、赤かった空に星々の瞬く大きな亀裂が出来ている。あれほどに天を満たしていた無数の隕石は既に跡形もなかった。

 嵐のような突風と、焼けた岩が火の粉のように舞う空の下、巨神は幻影のように消える。

「……次はお前の番だ」

 ダークスレイヤーは人馬共に全身を黒い炎でおおい、それが不吉な巨鳥のような形となってウンヴリエルに迫りくる。

 ウンヴリエルは界央セトラの地の天使プラエトたちがささやいていた不吉な噂を思い出していた。

──あれは時の終わりを告げる黒い鳥かもしれない。

──我々は神々の秩序を破壊する黒い鳥を見た。

「あってはならない、そのような事は!」

 マスティマ・ウンヴリエルの展開された翼に、無数の眼が開いた。

「邪悪なる者よ、調停者ちょうていしゃの眼は真贋しんがんを見極む。その欺瞞ぎまんを暴き、天の裁きの火によって焼き尽くされるのだ!」

 無数の目から放たれる清浄なる光が黒炎の鳥を射抜き、ダークスレイヤーの動きが止まった。

「神なる戒を罰をもって示さん! 蒼き十戒の剣よ、罰となりてこの者を裁け!」

 黒い炎が散り、黒馬に乗ったダークスレイヤーの姿が現れる。そこにマスティマ・ウンヴリエルの蒼い炎の剣が襲い掛かり、ダークスレイヤーの身体を貫いた。その顔は見えない。

「貴様の亡骸なきがらはこのまま天に吊るし、首はねて聖魔王様の裁可さいかを仰ごう」

 黒い炎の本質も何もなく、ただの幻影に等しいものと判断したマスティマ・ウンヴリエルは、白い光の剣を顕現けんげんさせてダークスレイヤーに向かう。

 しかし。

 男の押し殺した笑い声に気づいて、マスティマ・ウンヴリエルは目をむいた。

 ダークスレイヤーの肩は小刻みに震えており、やがてゆっくりとその顔を上げる。口からわずかに血が垂れていたが、聖なる青い剣の炎はこの男を全く燃やしていなかった。

「……駄目なものだ」

(……何が?)

「長い年月を戦い、悟りを得てなお戦うと、時に全てが虚しく感じる。……そんな事ないのにな。しかしひどい事をする。魂さえ永遠の責め苦で燃やす神罰の剣を十本、久しぶりに痛みを感じるが、それが虚しさを少しは和らげる」

 ダークスレイヤーは言いながら黒い魔剣ネザーメアを腰の鎖に絡めて吊るし、右手に黒い炎を纏わせた。優美な内外の曲線の刃を持つ黒い斧が現れる。

──破壊者の魔戦斧ませんぷラヴレス。

 ダークスレイヤーはこの斧を両手で構えると深く息を吸い、獣のように吠えた。

──ダークスレイヤーの獣叫じゅうきょう

 それだけで天使プラエトたちの羽根を散らすとされる恐ろしい叫びは空気を震わせ、蒼い炎の剣もまた粉々に粉砕された。その欠片が飛び散り、幾つかがマスティマ・ウンヴリエルの身体に小さな傷をつける。

「……何だ」

 ウンヴリエルの心に、得体の知れない感情が沸き上がる。

「何なのだ貴様は!」

「しゃべるな。何を聞こうがぶち殺したくなる。簡単に殺すべきではないのに」

 ダークスレイヤーの全身から黒炎が吹き出し、火の粉が舞い始めた。

「お前らは自分の目や鼻や耳の山を見た事があるか? 愛する世界がゴミのように消される様子を見た事はあるか? 最後まで誇りを失わなかった女たちの魂を、全てなかったように消されたことはあるか?」

 黒衣の男の眼は熾火おきびのように燃え光った。

「何だ? 何を言っている? 何を?」

「全能者ぶりやがって。知らない事さえ恥ずべき罪と知れ!」

 ダークスレイヤーの全身が黒い炎に包まれ、再び黒炎の巨鳥となった。マスティマ・ウンヴリエルは敬意も対話も何もない純粋な激しい怒りの対象になっている事が理解できず、ひたすら距離を取ろうとする。

 しかし、その翼の一枚に赤熱する鎖が巻き付いた。

「やめろ、来るな! 我々が何を? 我々は世界を導く絶対者のはず! 貴様は何を言っている? やめろ!」

 しかし、この言葉はダークスレイヤーをさらに怒らせた。爆発的な火の粉と黒炎が舞い上がる。

「このいぬが! 絶対者を名乗るくせに、こんな時は知らんふりだと! お前らは皆そうだ!」

「来るな!」

 マスティマ・ウンヴリエルは翼から全てを無に帰す神の蒼い光、蒼蓮華光そうれんかこうを放った。それは『隠れし神々』の持つ知性と滅びの権能けんのうだった。光の当たった空間も大地も灰色の虚無の粉となって消える。

 しかし、黒衣の男には通じなかった。正確には、束の間その身を焼いて肉が飛び、骨が露出しても、男は止まらなかった。男の頬の肉がそげ、右の口から頬に掛けて骸骨のように骨だけとなったが、男は血泡を吹いて食いしばり、その肉体が再生する。

 男は戦斧をくわえて歯を食いしばると、ぎりりときしむ音がし、焼けただれて骨の露出した腕で魔剣ネザーメアを両手で前方に構えた。その眼に燃える怒りと殺意は、マスティマ・ウンヴリエルの心さえ恐怖に染めつつあった。

「なぜだ、なぜ我々をそれほどまでに! なぜ!」

 マスティマ・ウンヴリエルはひときわ巨大な隕石を自分のはるか後方に呼び出した。ダークスレイヤーがそれでひるむか追跡をやめることを期待していたが、黒炎の鳥は構わずに進んでくる。

「やめろ! 貴様も死ぬのだぞ!」

 機械のような翼と、蒼い炎を纏う翼で身を包もうとするも、その翼に赤熱した鎖が巻き付き、鎖鋸くさりのこと化して焼き切られる。マスティマはその激痛に叫んだが、ダークスレイヤーの魔剣ネザーメアの切っ先が迫っていた。たまらずに両手を重ねて蒼い炎を噴出させるが、少しずつその剣の切っ先が迫っている。

「天の石が迫っているのだぞ! 貴様も無事では済まぬ! 退くのだ! 剣を退け!」

「……死まで」

 ダークスレイヤーの眼がより激しい怒りに燃えた。

「死まで俺から奪った貴様らが何を言う!」

「やめろ!」

 遂に、魔剣ネザーメアはマスティマ・ウンヴリエルの両手を貫通し、その胸に切っ先が食い込み始めた。

「このような事が! 我々は絶対者のはず! この無限世界イスターナルを監視し、導く者のはず!」

 さらに爆発的にダークスレイヤーの炎は噴出し、マスティマ・ウンヴリエルの背は隕石に激突した。刹那せつな、魔剣ネザーメアがその胸と心臓にあたる器官を貫き、黒炎が隕石を割る。二人は灼熱の岩塊の中を進み、魔剣がウンヴリエルの胸に根元まで刺さったあたりで隕石を抜けた。

 『蒼き翼の調停者』マスティマ・ウンヴリエルの権能が衰え始め、赤かった終末の空がその蒼さを取り戻しつつあった。

「ああ……隠れし神々よ……聖魔王よ……私は、絶対者であり……調停者ではなかったのですか? ……これほどの怒りを我々に向ける者がおり……この末路。この者は必ず……あなた方に恐るべき……災い……を……」

 ダークスレイヤーは魔剣を左手に持ち替え、くわえていた魔戦斧ラヴレスでマスティマの首をねた。剣を下に向けた事により、マスティマ・ウンヴリエルの胴体は蒼いきらめきの尾を引きながら地上に落ちていく。

 すかさずマスティマ・ウンヴリエルの首を鎖でからめ取ると、その髪の毛を掴んで地上に向けた。

「貴様ら傲慢ごうまんな絶対者どものもたらしたものが、この何もない荒れた大地だ」

 しかし、マスティマ・ウンヴリエルの首はもう何も答えなかった。

 ダークスレイヤーは蒼くなり始めた空の彼方、界央セトラの地のほうを見て呟いた。

「……待っているがいい」

 しばらくして、男は深く息をつき、二つの世界樹の都のあった場所を見て優しく笑った。

息災そくさいでな……」

 こうして、人知れぬ激しい戦いが終わり、『蒼き翼の調停者』マスティマ・ウンヴリエルは行方知れずとなった。界央セトラの地はまた一柱の絶対者を失ったが、この戦いの目撃者はどこにもいなかった。

──界央セトラの地にはいくつか秘された禁忌きんきの言い伝えがある。いつか全ての時の終わりが訪れる時、既存の世界を破壊する『終焉しゅうえんの黒き鳥』が現れるとされている。しかし、この伝説は語る事さえ許されていないとされている

──賢者フェルネーリ著『ダークスレイヤー』より。

first draft:2022.02.14

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