告者と、殺す者

告者こくしゃと、殺す者

──我らの時代は終わり、黄金の幟旗のぼりばたが戦女神の髪の如くたなびいたサーラナルクの都は崩れ、不穏なる鋼の時代が始まり、戦乱の絶えることはなくなった。最後に都を後にするものは心せよ。我ら以外の告者こくしゃは神をかたる者ゆえ殺すべし。火の雨の降らぬことを。

──滅んだ神々の都サーラナルクの門に刻まれた言葉。

 崩れ去った黄金の都の大門に背を向けて幾星霜いくせいそうか? 男は永い旅を続けた。その旅は豊かな森と湿原を歩む事もあれば、人ならざる蜘蛛の美女の多い街もあり、しばしば血と火薬と腐臭に満ちた地獄もあり、時にはいつまでも何もなく凍てついた暗闇の事もあった。かつてはその移ろう景色に表情を変えていた男は、いつしかいかなる景色にも表情を変える事はなくなり、あてどない旅を続け、そして人々に何かを告げんとする多くの者を殺した。世界が偽りに満ちればやがて火の雨が降り、神々の時代が完全に終わると男は聞いており、このような告者こくしゃを殺し続ける旅こそが男の目的だった。

 命乞いをするもの、申し開きをするもの、顔も違えば声も体格も違う。しかし男にとっていつもそれらの者たちは同じものが姿を変えたように見えていた。人々の為だと叫び、そして男に問答無用で殺され、うち棄てられる者たち。王であった者、皇帝であった者、何らかの教祖であった者、大商人であった者……。しかし男には全て同じ者であり、殺し方が違う程度に過ぎなかった。

 この者たちの言葉を聞いていた少なくない人々は驚き、嘆いたが、しかしまたすぐ別の告者を見出して話を聞き、男はその告者を殺し続けて、やがて静かになった場を去る。そんな旅が永遠に等しく続いていた。

 いつしか男の見慣れた星座が夜空に一つも見いだせなくなった頃、ある時男は虚しさに気付いてため息を漏らした。おのれの旅にほとんど意味がなく、同様にこの世界にも意味がない。何という虚しさかと男がそう考えた時、突如として暗くなった空から火の雨が降り注いで世界を燃やし始めた。彼方の多くの街々で人々の悲鳴が上がり、世界を燃やす煙で空はさらに暗くなってゆく。世界を焼くほのおは嵐のような大風まで呼び始めた。

 男は旅の始まりを思い出した。賑やかだった黄金の廃都、あれはいずこであったかと思いめぐらす。さらに長い時と共に歩んで思い出されたのは神々の都サーラナルク、しかし黄金の幟旗のぼりばたを意味するその都の神々は遠い昔に死するか旅立ち、現在の不吉なはがねの時代が始まったはずで、男の虚しさに柔らかな手で暖かい何かをもたらしてくれるような女神たちはもういなかった。

 やむなく男は人ならざる蜘蛛くもの美女多い砂漠の街、ナト・ナトの都を思い出し、再び歩まんとした。と、激しい砂嵐と共に色とりどりの長い幟旗のぼりばた舞う、枯れ木の様に複雑怪奇な塔の多いナト・ナトの都が現れ、禍々まがまがしくも美しい緑の銀の大城門が音もなく開くと、長い手足に赤い目をした背の高い女たちが妖艶に微笑んで男を迎えた。特に見目好く威厳のある、黒と黄金の衣装の女が進み出る。

──あなたこそはかつてサーラナルクを後にした最後の男神おとこがみでありましょう。私たち蜘蛛くもの女は永く、偽りの告者こくしゃを殺す方を望んでおりました。

 男は束の間逡巡しゅんじゅんしたが、天照あまてらす光のような女神たちはもうおらず、暗い地下深くの大粒の宝石のような蜘蛛くもの女たちが、今の自分に得られる最上の女たちであることをあきらめと共に悟ると、もはや欲望を隠さない笑みを浮かべて蜘蛛くもの女を眺めた。

──私こそは蜘蛛くもの都の女王。告者こくしゃを殺す方、神々の呪いにより女ばかりの我らに、もっとも得難いものを下さいませ。

 こうして告者こくしゃを殺し続けた男は蜘蛛くもの女王と共に、移ろいゆく夜空より美しい蜘蛛くも織物おりもので飾られた暗い寝所へと姿を消してしまった。火の雨と嵐は止まったが空は暗いままであり、蜘蛛くもの女たちは各街々で人の統治者となった。蜘蛛くもの女たちは才ある者には仕事を与えたが、無い者は食い物として家畜の如くに扱い、さらに劣る者たちは蜘蛛くもの女たちが好む果実をつける奇怪な食人樹しょくじんじゅの餌とされた。

 陰惨いんさんにして恐ろしい時代が始まって数十年の月日が流れた。長い間寝所に姿を消していた蜘蛛くもの女王と、かつて告者こくしゃを殺して回った男はようやく寝所から姿を現すと、仲睦まじい二人は蜘蛛くもの都の玉座を前にし、蜘蛛の女王はこの都にしばらくぶりに王が現れた事を宣言した。男もまた、最後の神たる自らこそが真の告者こくしゃ、真の言葉を伝える者であると宣言した。

 こうして男が玉座に就いた時、一条の黒い雷が落ちて、三眼有角さんめゆうかくの黒馬に乗った戦士が突如として男の前に降臨し、黒い炎まとう大剣を振り上げては振りおろし、男を頭蓋から玉座ごと叩き割った。

「偽りの告者こくしゃを殺した」

 黒衣の男は無造作につぶやくと馬首を返してその場を去らんとし、黒い巨馬の重い蹄の音が響く。夫を殺された蜘蛛の女王の赤い目は一瞬燃え上がりそうな様子を見せたが、しかし人外の賢さにより悲鳴を上げず、素早く黒い人馬の前にひざまずくと、人の女の手を蜘蛛の鋭い手に変えて自らの胸を突き刺し、赤く輝く心臓を取り出して捧げた。

──この度の事は私一人の過ち。心臓を捧げて罪を償いますゆえ、我ら美しき蜘蛛の女を殺さぬようにお願いいたします。告者こくしゃを殺す黒きお方。あなたの前には我らはただの従順な女に過ぎませぬ。

 はたして、黒衣の男は馬を降りるとその赤く輝く心臓を受け取り、蜘蛛の女王は微笑む。

──私は古き蜘蛛ゆえすぐには死にませぬ。しかしもうじき死ぬでしょう。その心臓を握りつぶすなり、生ける宝石とするなり、お好きなように。

 しかし、男はその心臓を素早く蜘蛛の女王の胸に押し込み、再び馬に乗った。

──これはいかなる沙汰でありましょうや?

「お前の腹にはすでに子がいる。子は無垢なるもの。それを殺す道理はない」

 それだけ言うと、黒い人馬は稲妻と化して消え去ってしまい、蜘蛛の女王は涙ながらに平伏した。

──この過ちと大恩は忘れず、我ら蜘蛛の一族からも必ずあなた様に寄り添う女を出してみせましょう。

 こうして、蜘蛛の都ナト・ナトは砂嵐と共にいずこかへと消え、そこには二つに割られた玉座と男の遺骸だけが捨て置かれた。神々の古き時代が終わり、やがて黄金の都サーラナルクの残骸もすべて失われてしまい、人々は大いに苦労しつつも自力で歩み、少しずつ栄えて大きな街も造られるようになったが、あの黄金の都も奇怪な蜘蛛の都も名前まで全て忘れ去られてしまい、いつしか、とある砂漠に割られた玉座と呼ばれる二つの石くれを残すのみとなった。

──砂漠で奇怪にして美しい女だらけの街に迷い込んだら諦めるがいい。蜘蛛の都ナト・ナトの大城門は蜘蛛の大あごに等しく、一度入れば何者も、おそらく余でさえも出てくることはかなわないのだから。

──砂漠王ラーハンの覚書きより。

初稿2025.02.20

コメント

  1. 千里望 より:

    面白いです!
    ファンタジーが嫌いな私にも読みやすく、わかりやすい物語です。
    なんて言うか……私はあまり感想を書くのが上手くないのですが、ナト・ナトの女王に宿った子供が産まれたらどうなるのか?続きがあったら読みたいと思いました。

    • kadas より:

      ありがとうございます!
      この広大な物語世界は全て繋がりがありますので、蜘蛛の女王の子についてもどこかで語られるかもしれません。