後編・彼らが恐れるのは、あなただけ……

後編・彼らが恐れるのは、あなただけ……

 空を満たす翼ある巨大な人の姿をした存在、光体こうたいとして光の巨人の姿を取ったマスティマ・ダキエルとルギエルは、両手から双方向に伸びた二対四刃の光の剣を持ち、それぞれが光球のように密な剣閃を放ち続け、対して、あまりに小さい点のような黒い人馬を殲滅せんめつせんとしていた。

 しかし、小さな黒い人馬は雷光の瀑布ばくふのような雷の斬撃と、薄暗く伸びる黒い剣閃けんせんで互角以上に渡り合っている。特に黒い剣閃は巨人たちの光の剣に当たるたびにこの世のものならざるうなりを上げ、むしろ巨人たちの光の剣の輝きは次第に衰えていた。

──神よりたまわりしこの権能けんのう光剣こうけんが斬り負けると……!

 斬り合いが十数合を超える頃には光の巨人の双剣は鈍く凍った霜のように陰り、さらにその次の刃の打ち合いで斬り折られた。

──あり得ない! 剣が!

「驚いている場合か」

 ダークスレイヤーの呆れが漂う声とともに、マスティマ・ルギエルだった光の巨人は大上段から伸展する黒炎の斬撃によって真っ二つにされ、その炎の中に吸い込まれるように消えた。

──ルギエル!

 気を取られたダキエルの右目に薄暗い刃が刺さり、驚いた動作を取りきらぬ前にその首がねられ、同じく黒炎こくえんに吸い込まれる。

──あり得ぬ! このような……!

 絶対的な力の象徴そのものだった光の巨人は、わずかな光の粉を残滓として永劫回帰獄の炎に呑まれて消え去った。

「……黒炎に呑まれ、永劫回帰獄ネザーメアで時の終わりまで戦うがいい」

 ダークスレイヤーは壊滅かいめつした灰色の世界と、哀しげに澄んだ青い空のはざまで静かに呟いた。

 残るは動揺を隠せないマスティマと、髑髏どくろを多く取り入れた装飾の黄金の玉座に座すマスティマ・ガリエルだった。ダークスレイヤーは黒い雷と化してガリエルの正面に瞬時に移動し、怨嗟えんさの火の粉漂う黒炎の波動で残りのマスティマたちを焼き尽くす。

「けりをつけるか、髑髏頭どくろあたま

 マスティマ・ガリエルのかぶとの奥の眼は静かなもので、落ち着いた重々しい声が聞こえてくる。

「ここまで我が想像の通りよ。やはり隠れし神々と聖魔王イスラウスは、我らに限定的な情報を意図的に伝えておったな。もしかしたら既に絶対者は絶対者でなくなっているのかもしれぬ。貴様の存在がそれを証明するだろう」

「……ほう」

 ガリエルは大剣を手に、ゆっくりと立ち上がった。

「であれば、状況は貴様と隠れし神々の対立に限らず、ある程度割拠かっきょしているのやも知れぬ」

 ダークスレイヤーの眼が細められた。

「何か知っているような事を言うのだな」

「それを知るべくおれはここに来た。これより先は力で会話せん! まわしきダークスレイヤーよ、おれを殺してみるがいい! 地上で存分に斬り合おうぞ!」

 ガリエルは玉座と共に降下し始め、ダークスレイヤーも同じ速度で降りた。

「戻るがいい、アクリシオス」

 三眼有角の見事な黒馬は炎と化して消える。やがて二人の超絶の戦士は焼け焦げた地上に降り立った。

「かつて……」

 ガリエルは言いつつ、大剣の柄を放す。大剣は根元までが水に沈み込むように地面に突き刺さり、激しい地鳴りが起き始めた。

 ガリエルは続けた。

無限世界イスターナルの更新、即ち時の終わりが近づくにあたり、『界央セトラの試練』に選ばれた者たちの中、その試練にそむいた者がいた。その者は各世界に一つずつ隠された『界滅かいめつの武器』さえ手にしておりながら、ひたすらそむく道を選んだという。……それは、全ての権威を破壊する『魔戦斧ラヴレス』を持つ貴様の事だ、ダークスレイヤー!」

「ああ、何が言いたいか分かった。お前はつまり……」

 ガリエルはしゃがんで大剣の柄を持ち引き抜く。連動するように世界は大きく震え、無数の火柱と共に魔物たちと、半壊した闘技場のような建物が現われた。

「おれもまた試練を受け、我が世界の『界滅かいめつの武器』を手にした者だ。おれは絶対者となるべく貴様を殺さん。我が剣ヴェギシグは王者の剣なり。我が敵は獄界ごくかいに送られ、魔物としておれに仕える定めなのだ!」

 半壊した闘技場の観客席に現れた魔物たちが人ならざる声を上げ、一斉に襲い掛かってくる。

「無駄な事を……アストラよ悪を払え!」

 ダークスレイヤーは左手の双剣の力を開放した。双剣は無数の雷の柱となって魔物たちを撃ち殺し始める。

「おれに数は意味をなさない。……やり合うか」

「望む所よ!」

 ダークスレイヤーは左手に優美にして、内外に湾曲する刃を持つ黒い魔戦斧を呼び出した。

──破壊者の魔戦斧ラヴレス。

 大上段から地を割る勢いで振り下ろされた大剣ヴェギシグを、ダークスレイヤーは魔剣と魔戦斧を交差させて受け止めた。見た目とは異なる大質量の金属同士がぶつかる重い音が世界に響く。

 走り去るように魔剣を引き抜き、流れるように横薙ぎを仕掛けるガリエル。

「忌まわしきダークスレイヤーよ、相まみえて貴様を殺したかったのだ!」

「男に追いかけられる趣味はないな」

 天地をも断ちかねない勢いのガリエルの斬撃。ダークスレイヤーは再び魔剣と魔戦斧を縦にして受け止めんとしたが、それは擬勢ぎせいであり、ガリエルは大剣をひねって鋭い突きに変え、そのまま体当たりに持ち込む。ダークスレイヤーの頬にさっと傷が走ったが、ダークスレイヤーもまた体当たりに応じ、ぎりぎりと重くきしる激しい鍔迫つばぜり合いとなった。

「神の秩序が即ち力なら……」

 ガリエルの声は余裕に満ちていた。

「力を持つ者は自由にして、全ての敵を倒せば真の王になるはずだ! 忌まわしき罪人よ、罪の火に灰燼かいじんと化せい!」

 ガリエルの全身から激しい紅蓮の劫火が竜巻のように吹き出した。周囲にも無数の火柱が上がり魔物たちが姿を現す。

「かつて、おれは王だった。世界の全てをこの手に収めた。暴虐ぼうぎゃく豪奢ごうしゃを尽くし、人々はおれを現人神あらひとがみとした。やがて仕えていた神々の時代は終わり、おれは新たなる神となった。その後、隠れし神々より見いだされ、神の悪徒あくととして神敵しんてきを討ち破り続けた」

 ぎしぎしと噛み合った武器がきしむ中、ガリエルの話は続く。ダークスレイヤーは劫火ごうかに包まれ、ガリエルからその表情は見えていないものの、無事では済まないであろうと思われた。

「戦いと暴虐ぼうぎゃくは続き、多くの世界の強者を殺し、財宝と美女や女神を我がものとした。しかしある時、荒唐無稽な話を聞いた。そのすさまじい暴れぶりから獣のように恐れられ、隠れし神々でさえその者を懐柔すべく選りすぐりの女神を三十柱も与えたというのに、一切手をつけずになおそむき戦い続ける者。……おれはいつからかその者と戦いたくなった。まさに貴様の事なのだ、ダークスレイヤーよ!」

 ダークスレイヤーを包んでいた紅蓮の罪の火はしかし、湧き上がった黒炎に払われた。火傷一つ負わない闇の戦士の眼は、ガリエルには理解できない静謐せいひつさが漂っている。

「一つ聞く」

 黒い炎が燃え上がり、別格の力がガリエルを弾き飛ばした。

「何をだ」

 呼応するように数体の魔物が襲い掛かったが、全て魔剣と魔戦斧に切り払われ、臓物ぞうもつを飛ばしつつ転がる。

「お前はそのために、この世界をここまで焼いたのか?」

「あえて言うならそうだが、もともと理由など必要なかろう? 強者こそは自由なり!」

 構え直すガリエルに対し、ダークスレイヤーは一瞬激しい黒炎を巻き上げ、炎が収まったのちは両手の武器をだらりと構えた。しかし、構えと言うにはあまりに脱力したその姿勢が、ガリエルの魂を身体から押し出すような冷たい圧を感じさせた。

 久しく忘れていた悪寒と冷たい汗を感じたガリエルは、自らの反応が恐怖であると気付いた。

「何だ、この差は? おれが今更恐怖を……?」

「そろそろ死ね」

 次の瞬間に、ガリエルは足元にめり込んだダークスレイヤーの魔戦斧を見た。ガリエルは左肩から右太腿みぎふとももまでを甲冑かっちゅうごと斬り降ろされた。甲冑の切り口から炎が噴き出す。

「馬……鹿な……!」

「下らない。……そんなに戦いたければ、永劫回帰獄ネザーメアの戦士となればいい」

「やめろ!」

 ダークスレイヤーの魔剣ネザーメアが、ガリエルの心臓を甲冑ごと深く刺し貫いた。

「ああ……!」

 呆然としたガリエルの眼には次第に、黒く焼け焦げて灰の舞い続ける別の世界が見えてくる。

「ああ、これが……! おれの……!」

 ガリエルの手から大剣ヴェギシグが離れ、重い音を立てて倒れ小石が散る。しかし素早い何者かがその大剣を拾い上げ、ガリエルの首をねた。

「我が世界の仇を!」

 悲しみと怒り、そして涙で曇る目をしたヴァルミスだった。

 転がったガリエルの首が心にも直接響く声で笑う。

「ははは! そうか、おれは貴様の側となるか! よかろうダークスレイヤー、貴様の戦いを永劫回帰獄ネザーメアの戦士として見届けるぞ!」

 マスティマ・ガリエルの全身は黒い炎と化し、やがて全て魔剣に吸い込まれて消えた。魔物たちもすべて消え、闘技場のような建物も幻のように消える。しかし、ダークスレイヤーはヴァルミスの悲鳴に気付いて目を向けた。

「ああ、熱い! 消えないわ! 私の格では扱えない炎なのね……!」

 ヴァルミスの両手が大剣ヴェギシグから発生した炎で燃え始めていた。

「おいヴァルミス、なんという無茶を! あいつらの『つみの火』は女神をけがしてしまう!」

 武器を消したダークスレイヤーは直前までの恐ろしさは消え、慌てて気丈な女神に駆け寄る。しかしヴァルミスの全身はわずかの間に炎に包まれ、女神の悲痛な叫びが響いた。

「ああ……!」

「くそっ、奴らを倒したというのに!」

 ダークスレイヤーは黒炎に揺らぐマントでその炎をはたくが、炎は一向におさまらない。しかし、近くに霧が渦巻いて『白い女』の長女シルウェスティナが現れると、柔和な声で語った。

「マスティマたちの『罪の火』ですね。神さえ焼いてしまいますが、黒きお方、あなたの炎ならこれを浄化して吹き飛ばせます。ヴァルミスさんには私の生命の力が宿っていますから、それで死はまぬがれるでしょう」

「しかし、それでは……」

「大丈夫です。私の力の影響が強い今なら、あなたに触れても闇に堕ちませんよ。抱きしめて炎を追い払ってあげてくださいな」

「……仕方ない。ヴァルミス、気をしっかり持て」

「はい!」

 炎に包まれてなお気丈に返事をする炎赤えんせきの女神をダークスレイヤーは強めに抱きしめ、束の間黒炎を呼び出した。

「しっかりしろ、ヴァルミス」

 二人を包むように黒い炎の輪が上昇し、赤い『罪の火』が追いやられ、消える。

「……はあ!」

 詰まっていた息を吸うような声とともに、驚いた眼をしたヴァルミスが黒衣の男を見上げた。

「あなたにこのように触れる日が来るなんて……!」

「ヴァルミス、髪の色が……」

 ダークスレイヤーの指摘に気付いて、ヴァルミスは自分の長い髪を手に取り驚くと、次は深紅しんく姿身すがたみを呼び出して自分の髪の色や姿を確認した。ヴァルミスの炎のように赤く長い髪は今やそのほとんどが黒髪に変わり、前後左右に四房の炎赤の髪が混じった独特なものに変わっている。

「……ふーん、私の部分も残っているけど、これはあれかしら? あなたの色に染められた、という表現がふさわしいかしら?」

 意思のある宝石のように揺らめく瞳は楽し気で、悪戯っぽい笑みを浮かべたその表情に、ダークスレイヤーはかつてのこの女神の陽気さと気安さを思い出した。

「君はそういう性格だったな、そういえば」

「あら嬉しくなさそうね? 世界は焼かれ、多くの人や神々たちが殺され、私もまた死にかけた。でも、滅びには至らず、希望はある。また火は赤々と……いいえ、もしかしたら闇の如く燃え、今度こそすべてを正しい方向に導くのかもしれないわ」

「素晴らしく前向きな考えだが、そろそろ離れてだな……」

 黒衣の男はこの女神に触れていた手を放したが、女神はその手を放さない。

「偉大な戦士が小さな事を言うものではないわ。隠れし神々の道化パロガ様は、私たちを触れ得ざる存在にしてしまったまま。あなたは知らなかったでしょうからこの際話しておくけど、私たちに男性として接することができるのは、あなただけなのよ?」

「何だって? あいつを殺したのに?」

「どういうわけか、そうなのよ。……それに女神おんながみと言えど、つまるところは神の前に女ですもの。これほど悲しい出来事があった時に唯一触れられる、しかも憎からず思っている男の人が現われたのに、転びそうな心を支えるなと?」

 ヴァルミスは少しわざとらしく気弱な言い方をしたが、それを黒衣の男はさえぎった。

「わかった。わかったよ……仕方ない」

 くすくすと優し気に笑う声に気づいて、ダークスレイヤーは白い女シルウェスティナを見やった。白いこぶしで口元を隠して笑っていた彼女は、ダークスレイヤーの視線に気づくと笑いをやめたが、それでも目がわずかに笑っている。

「シルウェスティナ、まさか君は色々とわかっていて……」

「それは穿うがち過ぎですが、運命などしばしばそのようなものではないでしょうか? あのままではヴァルミスさんが失われてしまいます。その方が良かったですか?」

「いや、良くは無いが……」

「なら、仕方がありませんよ」

 微笑む白い女に対してダークスレイヤーは黙ったが、どこか納得いかないといった表情をしていた。非常に高位の存在である『白い女』の考えはこの黒衣の男でさえも計りかねるが、邪心から最も遠い存在でもあるため疑念の持ちようがなかった。

「ヴァルミス、おれはそろそろ行かなくてはならない」

「そうだったわね」

 男の声の調子から色々と察したヴァルミスは、今度は大人しく離れた。笑顔は真顔になり、失われた世界の者とは思えぬ気丈さで黒衣の男に言葉をかける。

「再会できて本当に嬉しかったわ。そしてありがとう。残された人々と共に、また世界を豊かにするつもりよ。では……ご武運を!」

 静かに、しかし強い言霊と思いを込めて、女神ヴァルミスは男の武運を願う。

「ああ、達者でな。シルウェスティナ、君も」

「ええ、また声をかけますね、黒いお方」

 『白い女』シルウェスティナも微笑む。

 ダークスレイヤーは三眼有角の黒馬アクリシオスを呼び出してまたがると、やがて人馬共に黒い稲妻と化して虚空へと消えた。

「ヴァルミスさん」

 白い女シルウェスティナは、虚空を見つめるヴァルミスに向き直った。

「この世界を焼いたマスティマたちの炎は厄介な性質のものです。世界の再生は容易ではありません。しかしこの後、巨大な星船ほしぶねに乗った『船の民』がこの世界に訪れるはずですから、彼らと共に『永遠の地』を目指すと良いでしょう」

「永遠の地が存在していたのですか?」

「存在していますよ。あなたたちが去ったのち、私は姉妹たちを呼び、しばらくこの世界の浄化と再生に努めようと思っています。これには少し年月がかかりますから、あなたたちは豊かなあの地のどこかで再起を図ると良いでしょう」

「何という事……」

「全てはあの黒いお方の戦いのお陰なのです。だからこそ私たちはいつか、あの方こそ救われて欲しいと思っています」

「同感です。でも、誰もあの人の心を動かせない……」

「今はそうでしょうね。でも、きっといつか。その時にはまた会いましょう? おそらくそれは、ささやかれる『時の終わりの大戦』の時でしょうから」

「『時の終わりの大戦』ですか……」

 ヴァルミスは空に吊られたままの巨大な六基の坩堝るつぼから上がる煙を見やった。明確な意思が見えずに無限世界イスターナルの多くの世界を滅ぼさんとする『隠れし神々』の勢力に対して、唯一反旗をひるがえし、単身ですさまじい反撃を仕掛ける闇の存在、ダークスレイヤー。

──時の終わりの大戦。

 いつか、彼の戦いはその時を呼び起こすと言い伝えられているが、それが何を意味するのかは誰も知らない。

「……それでも」

 ヴァルミスは男の消えた空の彼方を見やった。変わらずに孤高の存在であり続けるあの男は、この後もまた休む間もなく戦うのだろう。

「彼らが恐れるのは、あなただけ……」

 ヴァルミスは滅んだ世界の空を眺めつつ、ぽつりとつぶやいた。破壊されて色を失った地上においてなお、彼女の漆黒しっこく炎赤えんせきの長い髪が美しく流れていた。

──『時の終わりの大戦』の予言については出どころがはっきりしていない。ただ、巨神を率いたダークスレイヤーと天使プラエトの軍勢との熾烈しれつな戦い、『アスギミリアの戦い』以降から出た話であることは間違いなさそうだ。

─大賢者アルヴェリオーネ著『黒き時の記録』より

first draft:2021.03.17

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