永劫回帰獄の戦士
その地には月も星も太陽もなかった。この領域の象徴である闇そのものの黒い炎と、怒りと怨嗟に満ちた魂たる赤い火の粉の吹き溜まり。薄暗い空は地上の火の粉に照らされて赤く濁り、黒炎で永遠に焼かれる戦士たちの灰は雪のように舞い飛び続けていた。
それでも大地を埋め尽くす戦士たちは永遠に戦い続け、今や目的さえ戦いを穢すとしてそれすらも捨てて、ただ戦うために戦い続け、焼かれ、敗れて死しても火の粉舞う風が吹けば何度でも蘇っては戦い続けていた。戦いの怒号は地平線の彼方まで響き続けている。
──永劫回帰獄。
この、果ての無い地獄の天と地の狭間を、空のただなかで俯瞰している黒衣の男がいた。男はいかなる地も駆ける三眼有角の黒馬に騎乗し、猛火舞う意匠の黒い甲冑と、同じく炎のようになびく黒いマントは火の粉を纏う不吉な風になびき、血のこびりついた精悍な顔は、今は兜を用いない為に露になっていた。
男の鳶色の目は暗く濁る空と舞い散る灰、風に舞う火の粉を眺め、さらにその視線は地上に向けられた。灰と炭の大地に無数に積み重なる、焦げた鈍色の甲冑や武器とその持ち主である戦士たちの骨。
火の粉舞う風が吹けば彼らはまた血肉を持って蘇り、誰かに敗れるまでただ戦うために戦う。ここはそういう地獄であり、神々の不都合もまた全て隠されている呪いの地でもあった。
男は槍の代わりに用いている鉄の鋭い火刑杭を左手に、この地獄の炎でも燃えなかった鎖のついた剣を右手に、対峙していた存在を見やる。
白い炎のような鬣を持つ白馬を駆り、黄金の甲冑に王冠を頂き、手にした弓と剣もまた黄金の拵えで揃えられた威厳ある王にして騎士がそこにいた。長い髭をたくわえた王は息子にでも呼びかけるように男に微笑を返す。
「名を消されし男よ。ついにお前は我ら四人の王騎士を倒すところまで来た。この永劫回帰獄の四方を統べる我らをも。おそらく、戦いはあと一合で決するであろう。我らを破りつつも殺さぬその困難な戦いの果てに、お前は何を望む?」
この問いに対して黒衣の男は沈黙ののち、長い溜息をついた。その行動は黄金の王騎士を少なからず驚かせた。
「およそ何もかもを手にせんとする男のふるまいではないな」
対して、男は疲れたように笑った。
「言葉は不要だ。決着をつけよう」
「……そうであったな」
永劫回帰獄の頂上決戦を意味する戦いは最後の一合へと至った。黄金の王騎士の矢は時に天を黄金の光に塗りつぶして降り注ぎ、黄金の剣風は天涯万里さえ断ち割った。しかし、黒衣の男を殺し尽くすことは出来ず、黒衣の男は腕がちぎれかけ、顔の一部がほぼ骨と化しても黒い炎を纏って再生し、静かな闘志の消えない目で向かい続ける。
やがて大技は消えてごく近くでの激しい剣戟となり、最後に男の黒い火刑杭は黄金の剣を飛ばして王騎士の肩を貫き、鎖のついた剣は黄金の弓を断ち切って王騎士の首筋に当てられた。
「……見事!」
王たる騎士の言葉に、黒衣の男は火刑杭を抜いて剣を納め微笑む。
「すまない王。あんたはとても強くて流石に傷つけずに勝つのは無理だった。まだまだ腕を上げる必要があるな」
「他の王騎士たちと同じく、儂まで殺さぬのか……」
「あんたらには多くを学んだし、それに……」
男は少し間を置いてさらに笑みを強めた。
「あんたらにはそれぞれ現世に厄介な美女の娘がいると言っていた。しかも不死の気高い娘たちだと。おれはもう女を近づける気もその資格もないが、かと言ってそんな女たちに恨まれたらとても面倒なことになる。それは避けたいところだ」
黄金の王騎士はこの言葉に存外の驚きを浮かべ、珍しい事に大笑いした。
「全くお前という男は! 玉座も財貨も美女も要らぬというか!」
呵々大笑していた王騎士はやがてその笑いをおさめ、次第に寂莫とした哀しみの気配が色濃くなってきた。
「しかし、ならばこそ改めて問う。お前は何を望む? 名を消されてこの地に封印されて焼かれつつも戦い、遂には四方を統べる我らまで倒した。やがてお前はこの地の秘密を全て知ることになろう。外に出て全てを焼き尽くし、新たなる時代と世界を作るか?」
長い沈黙が続いたが、男はやっと答えた。
「分からない。全ては同じ事の繰り返しで意味が無いように見える。なのに無限世界は上から下まで結局は力で御されてこれもまた意味がない。この愚かな仕組みを作ったものを見つけ、倒すべきならそうしたい」
「気宇壮大とは言うまい。お前は我らをも倒したのだから。しかし、世界そのものがつまるところそのようなもので、お前の敵は存在しないかもしれんぞ?」
「……いや、おそらく存在している」
今度は即答だった。
「なぜだ? なぜそう思える?」
「おそらく、それがおれの敵だからだ」
馬鹿馬鹿しいほどに単純に過ぎる答え。しかし、永遠に焼かれ続けながら戦うこの地で現世の神々をもはるかにしのぐ自分たちを倒し、おそらく自由を手にする者がそう言うのであれば、それは既に真理に等しかった。
「ならば何も言うまい。……行くがよい、その何者かの陰謀を叩き潰すために」
「ああ。行こう」
男の体は黒い炎に包まれ、その顔は頭部を全て覆う兜に隠れた。黒炎と火の粉が大きく舞い上がり始める。黒衣の男は人馬共に黒い炎の巨鳥と化し、この地に封印された尽きる事のない人々の怨嗟と怒りの火の粉を散らしていずこかへと飛び立った。
黄金の王たる騎士はその姿を消えるまで見送り、独り言ちる。
「遂にお前は現れたか。世界を焼き尽くすであろう者よ……」
過去に名を消され、この後はダークスレイヤーと呼ばれ恐れられる事になる男の、時の終わりまでの長い旅の始まりだった。
──ダークスレイヤーの帰還、それは世界終焉の始まり。
コメントを残す