第七話 異変と陰謀と・後編

第七話 異変と陰謀と・後編

 南方新王国と『サバルタの黒き森』の中間の識外しきがいの地。

 ウレド率いるモーダス共和国の密命を帯びた総勢三百名ほどの探索隊は、古き狩猟の神モーンの神像が示唆する問題に対して、『狼を攻撃するな』という厳命を出すのみにとどめ、結局は『サバルタの黒き森』に足を踏み入れる事にし、ひたすら北方に向かい始めた。

 荒涼とした砂塵舞う丘陵地を下っていく一行は、次第にこの森の木々が自分たちの見慣れた新王国のものとは大きさが全く異なり、遠目に見た普通の木が実際には小さな家がすっぽり入るほどの直径と、それに見合った高さのある巨木であることを理解した。そんな巨大な木々による森が地の果てまで続いている。

 つた灌木かんぼく、普通の大きさの木々なども豊かに繁茂している一方で、道らしい道は全く見当たらず、相当に困難な旅になる事をすでに誰もが既に予測していた。

 ウレドは狩人を父に持つという炊事係の男を臨時の相談役にし、ロバの曳く車輪とそり付きの荷車に乗せて近くに伴わせている。

「ラジャックと言ったか。何か適切な道や進み方についての知識はあるか?」

 片目が白く濁った赤鼻の炊事係ラジャックは、既に巨大樹の森に不安げに視線を巡らせている。

「色々と禁忌きんきはありやすが、そもそもこの森は新王国の熟練の狩人でも避けると親父は言ってたんでさ。自分は放蕩者ほうとうもので親父の言う事はあまり聞かずに家を出たんでやすが、特に大事なことは耳に残ってやす。軍隊でも無理って言ってた気がしやす」

「この三百人の探索隊でもか?」

 ラジャックは何かを思い出そうとするかのように、木々の梢の隙間の空を見やった。

「ずいぶん昔の話でやすが、新王国のガラクルンド王の国が滅んだのは、確かこの森を手に入れようとして大軍を入れたのに壊滅して、弱ったところをゼダニアのゴードン王に攻め込まれたんでさ」

「聞いたことがある。『ガラクルンドの早計』だな。私も母に読み聞かせてもらった思い出がある。しかしあれは童話ではないのか?」

「狩人の間では事実だと言われてやすね。この森にはその痕跡が沢山あるとも聞いてやす」

「……要領を得ぬ話はウロンダリアには数多いものだ。しかし今は我々人間の時代だ」

 ウレドは言いつつ、後続の兵士たちの様子を見た。刻々と状況が変わるとされる地域に必須の『魔導まどう道標みちしるべ』は高価で調達困難との理由であまり多くはない。野営地とその周囲に使う分で手いっぱいで、基本的にはまめに朱色の布を目印にして目的地までの道しるべにする手はずだった。

 しかしこれは、古王国の由緒ある冒険者ギルドに所属するものが一人でもいたら、決して犯してはならない過ちが既に始まっている事を指摘するような不手際だった。

──古王国の由緒ある冒険者のギルドが必ず用いる『魔導まどう道標みちしるべ』は、地図の安定しない『識外しきがいの地』などには欠かせない。これは魔力や神力の元となる、傾向と色の無い純粋な元素が封入されており、不安定な地に打ち込むことによって関係した人々の記憶、時間を領域に紐づける働きをする。

──ザべス・バギレス著『人外の探索』より。

 探索開始から三日後。

 ウレド率いるモーダス共和国の探索隊はこの探索に拍子抜けし始めていた。初日の探索開始からほどなくして、森は思っていたより開けて日が差して歩きやすく、たまに苔鹿こけじか大蝸牛おおかたつむりに出くわすくらいで、あとは見慣れた小動物以外は未知との遭遇など何もなかった。

 ついに三日目の夕方には、斥候せっこうが枯れた巨木にのぼり、寝そべる狼のような小山に見える『黒狼サバルの森』らしい場所を確認した。予想よりはるかに容易だが、それでも未知の探索に緊張していた探索隊は歓声を上げ、明日の工程が約半日で済むとの見立てに、この日はやや浮かれた空気で早めに野営に入った。

 しかし、この探索隊の平穏はここまでだった。

 夜。最初の異変は無数の狼の遠吠えだった。眠りに落ちていた兵士たちがほぼ同時に叩き起こされた。しかし不気味なのは、森自体は全くの静寂に沈んでおり、枝葉の動く気配の伴わない遠吠えが遠近関わらず聞こえる事だった。

 探索隊の隊長、ウレドも急いで薄いキルトの鎧上位を着て天幕の外に出る。

「歩哨たちは何をしている? 総員、異常の確認を行うぞ!」

 篝火かがりびがすぐに増やされ、新王国ではそう多くない光水晶ひかりすいしょうの灯火も吊るされたが、その作業が終わらないうちに何人かの兵士が駆け込んできた。

「隊長、異常が発生しています!」

 歴戦の兵士がひどく怯えて叫ぶ。

「異常とは何だ! 詳細を述べろ!」

 兵士たちは互いの正気を疑うように落ち着かなく顔を見合わせていたが、ほぼ二人が同時に報告した。

「交代の時間なのに歩哨ほしょうが一人もいなくなっています!」

「道が、いや、森が? 変わっています! 野営地の外は異常に深い森になっています!」

「意味が分からんぞ!」

 しかし明かりの増えた今、ウレドの眼にもすぐに異常の意味がわかった。野営地の明かりの届くそのすぐ外は、蔦と葉、灌木などで覆われ、昼間の開けた森とは全く様相が異なっている。まるで野営地ごと持ち上げて、どこかの深い森の中に落とされたような状態だった。

「何が起きている? ……総員起こせ! 厳戒態勢だ。点呼開始し、その後歩哨を捜索す……」

 しかし、ここで大きな恐怖の悲鳴が上がり、ウレドの指示は中断された。

 ウレド達から見て右手奥の野営地際で、何人かの兵士が腰を抜かしたように尻もちをついている。兵士たちの周囲には手にしていたと思しき斧やのこぎり、松明が転がっていた。

「今度は何だ!」

 速足で向かったウレド達は、腰を抜かした兵士たちが切り開いた茂みの向こうの暗がりを見た。茂みの向こうはわずかに開け、少しだけ月の光が差していたが、まずそこには、おそらく歩哨役だった兵士たちが両腕を広げた状態で吊るされている。数名のその兵士たちは全員が既にこと切れており、引き裂かれた腹からは臓物がこぼれていた。

「何者がこんなむごいことを……」

 新王国でしばしばひどい戦場を見てきたウレドでも、この猟奇的りょうきてきな有様には絶句した。しかし、別の兵士がさらに何かに気づいて絶叫する。

「落ち着け! 驚かせるな!」

「隊長、あれを、あいつらがはりつけにされて吊るされてるものをよく見てください!」

 言われてウレドは気づいた。殺された歩哨たちの両手は、大きな苔鹿の角に結び付けられている事に。

「これはまさか、そんな事が……」

 死んだ歩哨たちは、三日前にモーンの神像があった塔の前の不気味な『モーンの使徒』の像にくくり付けられていた。まるで、それらの像が気付かれぬように探索隊の後ろをずっとついてきて、深夜に歩哨たちを惨たらしく殺したように見える。

たたりだ……」

 誰かが確信したように吐きだす。さらにまた別の兵士が何かに気づいた。

「隊長、吊るされている奴らの口、何か詰め込まれていませんか? あれは、もしかしたら……」

 ウレドもその兵士が何を言わんとしているのか理解した。殺されて『モーンの使徒』に吊るされた兵士たちの口には何かが詰め込まれており、血に汚れていてわかりづらかったが、それはよく見ると朱色の布だった。

「嘘だろう? 目印に結んできた布じゃないのか……?」

 それはこの三日間、探索隊が目印にと森の各所に結んできた朱色の布だった。それがほどかれ、殺された歩哨たちの口に詰め込まれている。これが何を意味するのかほぼ全員が同時に理解した。この危険な森で帰路の目印を失ってしまった事を意味していた。

 漂う非常に嫌な雰囲気を破るように、ウレドは声を張り上げる。

「何者の仕業だ! 我らは南方新王国の気鋭の大国、モーダス共和国の軍人だぞ! この森を全て焼き払っても良いのだぞ!」

 しかし、隊長であるウレドの言葉をたしなめる者が居た。

「森を敵に回すような口調は慎んでくだせぇ!」

 片足を引きずりつつも急ぎ足で寄ってくるのは、炊事係の男、ラジャックだった。

「何だと!」

 威圧するウレドに関わらず、ラジャックは身を投げ出すように大地に平伏して、森の何者かに謝罪の言葉を述べる。

「森を守護する人ならざる諸々もろもろの分かたれたる御方々おんかたがた、どうかどうか、不遜ふそんな迷い人たる我らに道をお示しくだせぇ。あっしは永らえたる狩人の血を引く者、ラジャックと申しやす。どうか、どうか!」

 絞るような声で平伏するラジャックに対して、ウレド達モーダスの兵士に少し厳かな空気が戻った。遠くに近くに聞こえていた狼の遠吠えが小さくなり、周囲の木々がざわつく。

(何が起きている?)

 周囲を注意深く見まわしていたウレドだったが、意外なことに頭上から何者かの声が響いた。

──永らえたる狩人の息子よ、お前の父は生涯、狩人の礼にのっとって生きた。ゆえに少しだけ答えてやろう。

「ひいっ!」

 ウレドの隣の兵士が上を見て腰を抜かす。その視線の先には、小屋ほどの大きさのこけむした大蛇の頭があり、夜でもその大きな目が深緑に光っている。さらに、その大蛇の眉間から緑がかった女の上半身が生えていた。

 白目の無い全てが黒い目をした蛇の女は、胸の部分にはつたを巻いていたが、とても人には見えなかった。ウレド達は書物でこの存在の事を知っていたが、一生に一度たりともまず実物を見る事はない存在だったために、名前が出るのが遅れていた。

──大地と森の上位精霊の一種、『地脈の使いの蛇』セルセリカ。

「なんてこった、『大地の蛇の姫様』が現れなすった……」

 感心したように驚くラジャックに対して、ウレドは同じように平伏の姿勢を取りながら小声で問う。

「どういう意味なのだ?」

「森ではいちばん優しい存在でさ。特に男に優しい精霊様でやす」

 しかし、異形の蛇たるセルセリカの言葉は意外なものだった。

──哀しいかな。そなたらはほとんど助からぬ。不正な手段によってこの世のものならざる門を通り、この森に入った時点で、そなたらは黒い狼サバルとその眷属けんぞくの狼ども、そして狩りの女神モーンの獲物となっておる。あれらは競うようにそなたらを狩るであろう。

「何だと……」

──そなたらは男。本来なら、わらわたちは男たちを得難いものとしているゆえ、しばしば迷い人を導く事はあるが、そなたらは生贄いけにえ混沌カオスの猿の神に捧げてこの地に来た。これが既に取り返しがつかぬ。

 威厳あるセルセリカの声は、既に探索隊の確定した未来を憐れんでいるようだった。

「……精霊様、なぜ我々がそのようなとがを?」

 ウレドの疑問をラジャックが代弁するように問う。

 この問いに対し、セルセリカは苔むした大木のような蛇の胴体を木々の梢よりも高く伸ばしたのち、再び皆を見下ろす位置に戻った。

──そなたらの同胞どうほうと、そなたらをここに運んだ力が、遥か北の『黒き神獣の森』を穢した。これにより、死せるけがれた獣どもが放たれ、力ある黒き狼たちは怒り、また、獣を狩るモーン様も弓を取られた。そなたらは神々の争いに小さな功名心で自ら巻き込まれたのだ。

 そこまで言うと、セルセリカは木々の間の闇に溶け込むように消えた。木霊のように声が響く。

──我らがむつむために若い男は何人か生き延びられよう。あとは狩人の息子と。他は祈るが良い……。

 不気味な静寂と嫌な沈黙が漂っていたが、それはすぐに、暗い森から巨大な何かが飛び出してきて破られた。兵士たちの天幕より大きい、黒いもやに包まれた狼だった。その目は冷たく青白く光っており、動物の温かみは微塵も感じさせなかった。

 すでに兵士たちのほとんどは戦意を喪失している。

「隊長様、『守り手の狼』でやす。神域を守る狼たちです」

 呆然としているウレドに声をかけるラジャック。篝火がウレドの顔や首筋を伝う異様な量の冷や汗を浮かび上がらせている。既に探索が絶望的な状態だと理解したウレドは、両の掌を握り合わせて狼に懇願した。

「すぐに立ち去る。なるべく静かに、何も穢さないように。本国にもここで起きた事を伝え、このような探索など二度と起きないようにする。だからどうか、我々の命だけは……!」

 しかし、黒い狼はその大きな前足でウレドを踏み潰した。探索隊の隊長だった男は、汚れたキルトと骨と血と肉の哀れな塊になってしまった。兵士の何人かは半狂乱になって狼に武器を投げつける。

「武器を向けちゃいけねぇ!」

 すでに時は遅かったが、ラジャックが叫ぶ。大きな黒狼は全く動じていないが、これはモーンの禁忌に触れたことを意味していた。

「ああっ!」

 何かに気づいた兵士たちの声。虚ろな苔鹿の頭蓋骨を頭にした、『モーンの使徒』たちが次々と野営地に入ってくる。兵士たちは逃げる者もいたが、果敢に武器を取って立ち向かう者もいた。モーンの使徒に対して、大型の斧や剣はその土の体に食い込んだが抜けず、枝のような腕が鋭く伸びて腹や顔を貫かれ、持ち上げられて腕を引きちぎられている者もいた。

 さらに、『守り手の狼』もその数を増やして兵士たちに襲い掛かる。

「なんてこった……なんてこった! ゆるしてくだせぇ。神々がこんなにお怒りだなんて。赦してくだせぇ……!」

 ラジャックは地面に伏したまま身を丸くして祈り続けた。たまに兵士が躓いたが、すぐにそれは絶叫に変わった。兵士たちの怒り、絶望、恐怖の叫び。それらはほとんど断末魔や絶望のうめきに変わっていく。

 やがて永遠に続くかのような、しかし本当はごく短いであろう時間は過ぎ去り、虫の息のような喘ぎとうめき声がわずかに聞こえるのみで、濃厚な血の匂いと静寂が満ちていった。力ある者たちの異様な気配はいつの間にか消えている。

 ラジャックは伏せていた顔をわずかにあげて横目で周囲を見る。と、燃えていた全ての篝火と光水晶が同時に消え、視界の隅に淡く輝く光が見え始めた。

──頭を上げて見てはならぬ。そなたの両目に矢が射ち込まれよう。

 女の戦士のような凛々しい声だったが人の声ではなく、ラジャックの胸のうちに光が射して消えるような、不思議な力が感じられていた。慌てて頭を伏せる。

──我は獰猛なる狩人の神モーンの使い『荒野の狩り手ワイルド・ハント』の一矢を担う者。生涯、慎み深い狩りをしたゼワー村の狩人ダノヴァンの息子よ、お前は父の徳により生かし、これより神託を申し付ける。

 父の名前が出て、ラジャックは額を地面にこすりつけるように平伏した。

──そなたは自力でこの森を出る事はもはやかなわぬ。万が一出られたとして、まず罪を負いしクロムの民どもはそなたを獄に繋いで殺すであろう。

 ラジャックの脳裏に、理不尽な理由で牢獄に繋がれ、拷問の末に死ぬ自分の未来が流れ込んできた。この恐ろしい未来に震えて祈り続ける。

──この未来を避けたくば、そなたは明日、日が昇ったら『黒狼サバルの森』に向かい、黒狼サバルに私が語る事を伝えるが良い。『穢れし死の獣は放たれ、モーンは弓を取った』とな。

 それ以上頭の下げようが無かったラジャックは、震えつつも心の中でひたすら頭を下げる心持ちでいた。『荒野の狩り手』の言葉は続く。

──そなたはやがて、古き世界樹の都にたどり着く事になる。以降はその地を預かる男に全てを話して仕えよ。それが、そなたの父の徳がもたらす最後の幸運となる。よいな?

 ラジャックはモーンの使いの言葉を何度も頭の中で繰り返した。この事をとにかく黒狼サバルに伝えに行く。それでどこかにたどり着き、伝えるべき相手とも出会え、以降はその人物に仕えるべき、との話だった。不思議なことに、何度も神の使いの言葉の意味を確認していると、若い頃に喧嘩別れ同然で家を出た時の父、ダノヴァンの姿が蘇ってきて、ラジャックは涙が止まらなくなった。

(……おやじ!)

 ラジャックの様子に、モーンの使いは優しげな声で話を続けた。

──この地で死した者たちの家族は、この件を秘匿ひとくするために迫害される。我らはこの者たちの命と引き換えに家族に安寧の運命を示唆しよう。そなたは事の次第の大事な語り部となるが良い。

「へへぇ、必ずや!」

──そのまま朝まで目を閉じておれ。亡き父と出会えよう。

 目を閉じていても分かる、厳しくも光が射すような気配は次第に遠ざかり、最後に実際に聞こえる声が響いた。

──モーン様は我ら『荒野の狩り手ワイルド・ハント』を放つことを決められた。不遜なクロムの民の子らの魂はそこかしこで狩られ続けることになろう。

 異様な静寂と血の匂いだけになった。ラジャックは目を閉じ続けることに集中していたが、極度の緊張と恐ろしい時間がもたらした疲労が、ラジャックを深い眠りに落としていった。

──『サバルタの黒き森』には実に多くの神々の力が働いている。しかし忘れてならないのは、人間の守護を第一とする神が存在していない地域である事だろう。この地において我々は基本的に招かれざる客であるという事だ。 

─冒険者王ルスタン著『果て無き地ウロンダリア』より。

first draft:2022.12.9

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