第九話 魔王の苦悩、リリスの嘲り

第九話 魔王の苦悩、リリスのあざけ

 天をく魔城の大門は音もなく静かに滑らかに開いた。扉に彫られた魔族や獣を象ったレリーフの眼の位置に魂が宿るように鬼火おにびが幾つか浮かび上がり、ルインたち三人を凝視するとすぐに消えた。続く階段とその蹴込けこみ(※階段の立ち上がり部分)には黒曜石こくようせきの中を繊細な青い魔力の光が糸のせせらぎのように流れており、幻想的な美しさで王城までがうっすらと照らし出されている。

「何とも幽玄で美しいな」

 階段の中央には魔導まどうの仕掛けの篝火台かがりびだいが置かれており、道化の姿をした人工精霊アーメントが浮かび上がってはうやうやしく一礼したり、魔導の冷たい炎が燃えて周囲を照らしたりしている。

「警備の手は? 気配は感じるが姿が見えないが……」

「もう、あたしたちは複数の千里眼や『投影とうえい』で見られていて、異常があれば、上位魔族ニルティスの親衛隊の戦士たちが一瞬で現れるわ。彼らは皆、特殊な武器を使うのよ」

「あの大門は邪心あるものを見抜いて、時に焼き尽くしたりもしますからね」

 チェルシーも振り返りつつ説明する。

「完成されているのだな」

 ルインは感心しつつ近くの踊り場に差し掛かった。その次の瞬間には魔城の大広間に周囲が切り替わっている。

「これは?」

 ラヴナとチェルシーは落ち着いていたが、ルインは周囲を見回した。薄明の大広間の重厚な玉座には既に上魔王シェーングロードが座している。

「夢魔の姫チェルシーよ、粋な計らい深甚しんじんに思う。我ら上位の魔族にとって、昼夜も時もまたあまり意味をなさぬ。して眠り人殿、貴公もまた同じように自由なる者だ。この来訪を嬉しく思うぞ」

 魔王シェーングロードはその猛獣のような眼に親し気な光を躍らせている。ルインは武人の礼をして頭を下げ、顔を上げると魔王はいつの間にか現れた長テーブルに座しており、そこには灰銀のゴブレットに真珠色の液体が満たされたものと、色とりどりの貝殻を模したガラスのような菓子の載った皿が用意されていた。

「席に着かれよ。余はいささか胸襟きょうきんを開いた話をしたく思っておる。まずは神なる果汁アンブローズを用意したが、良き酒も多いゆえな」

 三人は席に着いた。半ば瑪瑙めのう置換ちかんされた青い巨木を磨いた長テーブルに、魔王とルインは対面で座した形になり、ルインの斜め両脇にチェルシーとラヴナが座る。魔王は親し気に乾杯を促し、かなり高価な酒とわかる大きな水晶を磨いた瓶のものを一気に三杯ほど飲み干すと、強めの語気で語り始めた。

「そなた、あっさり事を受け負ってくれたようだが、いつも全く鷹揚おうようなものよ。余はいささか驚いておる。そして感謝もしておる。すまぬな」

「世話になり過ぎているくらいだと自分は思っているので」

 ルインは静かに笑みを浮かべた。チェルシーとラヴナは魔の国の長い歴史の中で多くの来訪者を見てきたが、魔王の空気に反するでもなく、和するでもなく、ただ静かに存在感を放っているルインのような人物は見た事がなく、あらためて感心していた。その様子を魔王もまた口にする。

上位魔族ニルティスの姫に気に入られてなお、それに魅入られぬ貴公らしい答えよな。余は懸念を吐露するつもりであるぞ。全ては可能性に過ぎぬが……おそらくそれは存在しておる」

「それ、とは?」

「かつて混沌戦争カオス・バトルの際、混沌カオスの軍勢を討ち破った時、奴らの領域に囚われていた多くの異界の人間たちが現れ、ウロンダリアはそれを受け入れたのだ。しかし、彼らは他のウロンダリアの民と違い、『世界の終焉』を経験しておらなんだ。ゆえに、その多くの子孫は磨ききれなかった人間の心を受け継いでおり、次第にその志は高きから低きへと流れた」

「……」

 ルインの眼がわずかに細められた。魔王は話を続ける。

「彼らはおそらくは自分の世界で混沌や法の神を崇めていた。やがて、このウロンダリアに存在しなかったはずの神々をその人間たちは崇め始め、それら神々を『統一神教』という宗教にまとめた。おそらくそれは、我々が追い払ったはずの混沌や秩序の神々たちの別の姿である可能性が高い」

「え? 魔王様、じゃあもしかしてクロウディアさんの件は……」

 頭の回転の速いチェルシーが何かを推測したように言いよどむ。

「それも無関係とは考えない方が良いかもしれぬ。災いを呼ぶのは常に心弱き者どもだ。古王国連合と異端審問会には、弱き人々の心の闇が横たわっておる。邪悪な弱き者は手段を択ばぬゆえ厄介だ。そして、かつての退魔教会は確実に赤き月と関りがあろう」

 魔王はゴブレットを手にし、隣に幻影のような人工精霊アーメントの角のある女官が現れ、水晶を磨いた瓶の酒を注ぐ。魔王はそれを一気に飲み干したが、無言のままのそれが数回続いた。見かねたのかラヴナが口を開く。

「魔王様、せっかく胸襟を開ける方が居るのだから、そんなにお酒を流し込まないで無理せず話したらいいわ。今はねやで話を聞いてくれる女もいないままに気高く生きているのだもの」

 ラヴナの声はいつもの可愛らしい声ではなく、気遣う大人の女の声だった。魔王は繰り返し酒を呑んでいた手を止める。

「すまぬ、すまぬな。……ルイン殿、しばらく前までは、かつての人間の英雄たちの子孫は皆、その志を保ち、この城を訪れては余の心に妻が生きていた時代を思い出させ、とても心が暖められていたのだ。しかしここ百年ほどの間に彼らの血統はまつりごとの座から遠ざけられてしまい、実に卑小なる者どもが幅を利かせるようになってしまった。余はそれが許せぬ。そして悲しいのだ。……何かあれば大軍を率いて議会制の国々を全て滅ぼし、再びいにしえの英雄の血統をひく者たちに実権を戻してやりたいと思うくらいにはな」

 重々しく悲し気な魔王の言葉に対して、ほとんど間を置かずルインは答えた。

「その自由はいつでもあると思いますがね」

「えっ⁉」

 驚くチェルシーとラヴナ。何より、魔王の眼が驚きを通り越して険しくなった。ルインの言葉は力による蹂躙じゅうりん肯定こうていしていると取られかねないものだった。

「……何と申した?」

「あなたは力がある。いつでもそれができる前提で心を遊ばせつつも、それをしたくないのであれば全てこちらに流していただければいい。あえて言うならいささか水臭いかと。いかに事情があるとはいえ、この国のえりすぐりの姫君を意味深長な形で預かるのは、そもそも過分に過ぎる恩恵だと思うばかりで。……ただ、無闇に血が流れぬようにとは思いつつも、そう繊細にもいかぬかと」

 奇妙な沈黙が流れた。魔王は酔いがさめたのか慎重に眠り人を見ている。

(こういう時のご主人様は本当に読めないわ。何を考えているの? 大変な面倒事を背負うのよ? 殺しまくりたい人でもないでしょうに……)

「さすがにわからぬ。貴公は何を考えている? ……まさか、我が国の女たちから既に何か大きな恩恵を受け、それに恩義を感じているのか?」

 魔王はラヴナとチェルシーを見やった。大きな恩恵とはつまり、愛や快楽の事を意味している。

「いえ、全然そんな事無いですよ? たまに『かわいい』とは言ってくれますが。あーでも、私がとても可愛いのを恩恵って思うのはありですねー」

「……」

 チェルシーの軽口に魔王は反応せず、その視線はラヴナに移った。

「あっ、あたしもよ魔王様? 少し離れたところで寝てるくらいで……」

 ラヴナは途中から小声になった。ルインは涼し気な表情のままで、この場の空気が良く分かっていない。魔王は再びルインを見て問うた。

「貴公の『利』は何だ? 何を得ようとしている?」

 ルインはアンブローズを飲み干してゴブレットを置くと、当たり前のように言った。

「たくさんの美女に、巨大な面倒事。おそらく不可分のそれを楽しまぬのは無粋かなと」

(あっ!)

(なるほどね!)

 この言葉にチェルシーとラヴナは驚愕し、少しの間をおいて魔王は呵々大笑かかたいしょうした。

「なんと! 理にかなっておる! なかなかどうして貴公は豪儀な男よ! 困難もまた美女の一部と捉えるか!」

 ルインはつまり、美女の信頼と降り注ぐ面倒事は不可分であり、全て楽しむ姿勢が必要だと言っている。

「既にバルドスタの因縁を取り除いて見せたのだ。不遜ふそんとは思わぬ。余には理解できるぞ、美の理解者よ!」

 魔王は相好を崩し、人工精霊アーメントに注がせた酒をルインに乾杯するように掲げて上機嫌で飲み干した。

「うむ! 酒の味も変わるものよ! 良かろう。余はこれを些事さじと捉える事とする。して、魔の国として必要な援護は惜しまぬ。存分に楽しめばよかろう。これを遊興とするのならな!」

 魔王の眼に喜びと覇気が戻る。

「のち、赤き月に関する書物の写本を送ろう。全く、貴公が我が領域で見いだされたのはまこと僥倖ぎょうこうであるな!」

 魔王は上機嫌でゴブレットをルインに向かって掲げる。ルインもまた、魔王に応えてゴブレットを掲げた。

「氷の女王サーリャには、『田舎の庄屋しょうやの如く』と笑われたものだが、今の余は喪に服しておるゆえ、それでよい。全て貴公に任せきりにする気はないが、この経過はありがたいのだ。余もまた楽しませてもらおうぞ!」

 こうして、貴重な神なる果汁アンブローズを何杯か馳走ちそうになったルインたちは、上機嫌の魔王に幾つかの書類や書物を渡されて西のやぐらへと帰ることにした。

「少し散歩しつつ帰りません?」

 チェルシーの申し出ももっともだった。大広間を出たルインたちの眼下には、彼方まで広がる深夜の魔の都の夜景が広がっており、半分近く欠けたレダの月と、満月に近いルネの月、そして薄銀色に輝くモノリスの下、それは青白く冷たい炎が燃えて街を照らす尖塔群せんとうぐんの、おそらく高度に幾何学的きかがくてきな、或いは魔術的な配置が人間の街とは決定的に違う何かをかもし出している。

「あらためて見るとつくづく異界の大都市だな。本来は現世にありようもないはずのものがここでは存在している。この魔城もそうだが……」

「ルイン様、時々記憶があるような事を言うのね?」

 ラヴナがどこか慎重にたずねる。

「思い出せない、と言うよりは、記憶の書類がぎっしりつまった棚一杯の部屋を見て絶句しているに等しいんだ」

「ふーん? あたしみたいな可愛い女の記憶はないの? 忘れられないような」

 冗談めかしていたが真面目な質問だった。ルインはラヴナの方は見ずに、眼下を眺めていた視線を束の間空の天体のどれかに合わせ、また眼下に視線を戻して簡潔に答えた。

「……無いさ」

「そうなのね?」

「……」

 しかし、ラヴナとチェルシーはごくわずかに漂う、闇で塗り固められた秘密から漏れ出した悲しみを感じ取っていた。それは、女の一人や二人ではどうにもならないような暗い茫漠ぼうばくを感じさせている。

(嫌な事聞いちゃったわね……)

 ラヴナは質問した事を少し後悔していた。こんな時にあてになるのはチェルシーだったが、チェルシーは月を見て固まっている。

「チェルシー、どうしたの月なんか見て」

「……あっ、何でもないです。ラヴナちゃんとご主人様、ルネの月って満月に近く見えてます?」

「満月に近いわね」

「同じく」

「ですよねぇ?」

 妙な事を言う、とラヴナは思ったが、ルインの妙な空気を気にしてやや雑な誤魔化し方になった可能性を考え、それ以上は何も言わなかった。ルインも無言で大階段を降り始めている。

(まあ、そういう反応ですよねぇ。でも、私には違うものが見えているんですよ……)

 チェルシーには異常に大きくなって鋭く欠けたルネの月と、そこに座って足を楽し気にぱたぱたとさせている闇色の長衣とフード姿の人物が見えていた。絵本や童話のような情景だが、チェルシーにとっては剣呑けんのんな会談の予兆だった。

(リリス様ね……)

 チェルシーはリリスが座して足をぶらぶらさせる月を眺めつつ、西のやぐらに帰った。

──『寡婦かふ』の特徴を持つ女の魔族は多い。彼女たちは多くの場合、長い孤独が宿命づけられているが、それゆえに身を焦がすように強い男や可愛らしい子を求め、探し続けてもいる。もしも彼女たちを寡婦の定めから救おうとするなら、強い愛と幸運と男性性が必須である。

──コリン・プレンダル著『魔族の花嫁』より。

 未明に近い深夜。

 チェルシーは蝙蝠こうもりのような赤い翼を展開して、魔の都のはるか上空の雲海に『上位者じょういしゃの地平』の能力で降り立った。流れていく雲の霞は冷たく、靴下の上の肌を冷やすが、そう悪い感覚ではないな、と思っていた。

「で、何か御用ですか? リリス様」

 チェルシーは異様に大きな欠けた月に座っていた女に声をかけた。フードを目深にした女は意外な軽快さで雲海に降り立つと、滑るようにチェルシーの前に移動する。夜の闇の様なフードの中は、長い灰色の髪がややこぼれる以外は包帯で顔をほぼ全て覆っており、まつ毛の長い、赤い瞳の眼だけは笑っているように見えた。その正体が妖艶に過ぎる美女であることはチェルシーも知っている。

「つれない声音だね、可愛らしい我が娘リプリアレン……いや、泣き女は回避したのだろうし、チェルシーでいいのか? そう身構えなくてもいい。あの恐ろしい男を敵に回したくは無いのだ」

 微妙にかすれ気味のなんとも色っぽい大人の女の声だったが、この声をおそらくご主人様はあまり気に入らないだろうな、とチェルシーは考えていた。

「娘じゃなくて眷族けんぞくですよ? リリス様、変な所で主導権握ろうとしないでくださいな」

 包帯姿のリリスは足元から立ち上る闇に包まれ、そのすぐそばにも大きな闇が噴出する。リリスは艶のある紐なしの黒いロングドレス姿に変わり、象牙のようなきめ細かな肌に灰色の髪、黒紫の角と蝙蝠こうもりのような翼のある、魔族めいた姿をとった。

「ふふ、そうだったね。……来い! ニスバ!」

 さらにリリスのそばに闇が噴出し、白眼部分が禍々まがまがしい金色に、瞳孔は闇そのもののかぐろい穴にしか見えない、見上げるように大きすぎるふくろうの姿を取った。その全身は月光を全く跳ね返さず、闇の存在にしか見えない。

(ん? 何か重要な事を話す気?)

 この梟はリリスの使い魔にして眷属けんぞく、闇の知恵を司る『夜の賢者ニスバ』と呼ばれる存在だった。リリスはこのような存在を何柱か従えているが、この梟を伴う時のリリスは、夜の闇と夢に溶けだした知られざる何かを語る事が多く、チェルシーはそのような想定をして気を引き締めた。

「前提としてさ、私はお前もあのキュベレの女も苦手なんだよ。事を構える気はもう無いんだ。お前はダークスレイヤーに気に入られている上に妙に強いし、あのキュベレの女も異常に強いしさ」

「アグラーヤを奪われちゃいましたもんねぇ。……ま、考え方が新しいだけですけれどね」

「さりげなく傷に塩を塗った上に年増扱いはやめろ。まったく、そういうところが苦手だと言ってるんだ。この地の奴らは賢くて強くて苦手だ」

 諦めたように言いつつ、リリスは幻影のように背後に三日月を出現させ、座って足をぶらぶらさせる。常人であればこれだけで精神に異常をきたしかねない強力な、幻術とも現実ともつかない場面だが、これが夢魔の『夢幻時イノラ』の力であることを自然に理解できるチェルシーには特に影響はない。

 リリスは続ける。

「それに永遠の寡婦かふであり眷族けんぞくの母でもある私に、それなりの気遣いをして『枠』を作ろうとしているお前の心遣いも知ってはいるからな」

「あら、恐縮ですねー」

 ここで突如として夜の賢者ニスバがくちばしを開き、その口が闇の中に赤い菱形のように浮かび上がった。

「わしは退屈じゃぞリリス様よ。眷族けんぞくと世間話がしたいのであれば、しかるべき姿をして商売でも持ち込めばよい。あの男とも話せるであろう。それよりも本題を話すべきじゃぞ?」

「ああ、それは盲点だったね。そうか商売か、いい事を言うなニスバ」

「そんな事より本題じゃろう?」

「そうだったな。チェルシー、サーリャの手引きでエデンガル城を手に入れたはいいが、一つだけ盲点があるんだよ。盲点というか、これも仕組まれている事だがな」

「ほうほう? 何です?」

「エデンガル城は女好きで学者肌の魔王スラングロードの城だけど、『スラングロードの約定やくじょうの壁』の存在を忘れてないか? って話だよ」

 してやったり、といった表情を楽しそうに浮かべているリリスに対して、チェルシーはやや閉口気味に記憶の糸を辿った。

「何か問題あります?」

 学者肌のくせに好色で知られた初代の至高の魔王スラングロードは、様々な女系の魔族や種族の女に、酔って機嫌の良い時はその保護や安堵あんどを約束し、玉座の背後の壁に消えぬ文字を刻んだとされる。大魔城エデンガルの所有者は、その壁の約定やくじょうは守らなくてはならない決まりだった。

「ふふふ、流石にお前でも全ては思い出せないようだな」

 得意げなリリス。しかしチェルシーはこの少し残念な永遠の寡婦かふの性質をよく知っていた。

「まあ指摘したのはわしじゃが」

 案の定、ニスバが実際の所をばらす。

「台無しになるだろう? 言うなよ!」

「あー……いやまあ、感謝しますよリリス様」

 チェルシーは棒読みに等しい感謝の言葉を述べる

「お前本当に気やすいのか無礼なのかわからんな」

「いやそんな、恐縮です!」

「褒めておらぬからな? ……まあよい。さてその『約定の壁』だが、放浪する闇の古き民の生ける神の使徒、『ネイ・イズニース』を名乗るものにも保護を約束しているぞ?」

 その意味を考えて、ある事に気付き、チェルシーは絶句した。

「……ええっ⁉」

 チェルシーの反応に、リリスは獲物を捕らえた獣のような笑みを浮かべた。

「良いぞ? 良い表情だチェルシー。 私は今日それを見たかったんだよ!」

 なかなかに歪んだ喜びを悪びれもせずに喜ぶリリスに、少し苛立ったチェルシーは、この妖艶な寡婦が一番気にしている事に触れた。

「わぁ、良い性格してますねリリス様……きっと男性からの人気も絶大だと思います!」

「綿に包んだ海栗うにくりのような言葉を投げつけるのはやめろ。相手の嫌がる事をしないのは礼儀の基本だぞ?」

 しかしリリスは会話を楽しんでいるようで、全く不快そうにはしていない。

「リリス様が礼儀とか言っちゃうなんてびっくりですね」

「まあいい。眷族で一番口の立つお前とやり合う気はないよ。それでだ、この話の厄介な所だがな、ダークスレイヤーは、あれは結構あの危ない女を気に入るかもしれんぞ? という話なのさ」

「え……」

 チェルシーは絶句したが、それこそリリスの望んでいた表情だったらしく、リリスは満足げな笑みを今度こそ浮かべた。

「良ぞ。さて、では我が可愛い眷族の為に、夜気に漂う私しか知らない可能性を話してやろうじゃあないか」

 チェルシーの表情は珍しく真顔になっていた。

──永遠の寡婦かふリリスもまた無限世界イスターナルの様々な領域で名を知られ、またしばしば出現する存在である。現れる領域により微妙にその異なる解釈に合わせた姿を取るが、共通しているのは、彼女が寡婦であり、何か大きな秘密を知っている事だけである。

──ジョージョ・マクスウォン著『リリスの謎』より。

first draft:2020.11.04

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