第二十七話 夜営

第二十七話 夜営

 不帰かえらずの地の奥地。湖を見下ろす小高い丘。

 日が少し傾くころに、大規模な探索者集団は古代にヴァンセン湖と呼ばれていたらしい大きな湖を見下ろす丘に到達していた。途中で発見された遺跡や洞窟は全て中途半端なもので、しかもかつてゴシュの父ギャレドが残した地図と全く変わらなかった。

集団は仮設の野営地を作る工事を始めており、幾つかの天幕てんまくが既に張られている。その中の一つを帷幕いばく(※司令部的な位置づけの天幕)としてルインと眠り女たち、そして各集団の代表たちが難しい顔をして地図を眺めていた。

「この地は何かおかしい。洞窟も遺跡も妙に中途半端で、しかも安定し過ぎている」

 老べスタスの言葉に、『深淵しんえん探索者協会たんさくしゃきょうかい』の探索者たちも深く頷いた。

 今日一日の探索で、ギャレドの地図を再確認して進んできた一行は、何の生物にも遭遇せず、また不可解な事実が浮かび上がってきた。発見された何箇所かの洞窟は中途半端な深さかつ、人工なのか自然の摂理せつりで出来たのかが分からず、時折見つかる遺跡は崩壊した建物の半分が崖に埋もれる構造になっていたり、不必要な場所に溝が掘られていたり、ごく短い石壁が中途半端な長さで森の中に半壊していたりと、まるで誰かが適当にこれらを配置したようにも見える状態で、その成り立ちも用途も全く想像できないものだった。

「途中まではこの地が外れかと思っておったが、これは違うのう。壮大な欺瞞ぎまん秘匿ひとくに気づけと言わんばかりの意思を感じるわい。我々が今日一日見てきた全てはおそらく、この地の真の姿では無いのう。ルイン殿も何らかの情報でその結論に至っておるのじゃろ?」

 べスタスは地図から目を上げてルインを見た。老探索者でも経験した事のない困惑がその眼に見えている。

「こちら側の神秘的な感覚や知識ではそういう事らしいと。で、重要なのは明日なので、今夜は十分に休息をとった方が良いようだ。まだ詳しくは話せないが、神託に等しいものだ」

「詳しくは明かせないが神託に等しい、と言われて、普通なら『そうですか』とはならぬが、ルイン殿の場合は既に戦女神の使徒を導いた実績があるからのう……。周りは神秘そのものと言った上位魔族の姫様方もおるし。……うむ、ここは心を躍らすべきところじゃな!」

 老べスタスはにかっと笑い、探索者たちにも少し緊張のほぐれた空気が漂う。しかし同時に、この経験豊富な老探索者が緊張しているのもルインには伝わってきていた。

「地図によればこの湖沿いを南に下れば『古都ことの門』があるという。何かが起きるとすれば、おそらくここだ。そしておそらく何らかの戦闘状況が発生する。皆、今夜は十分な休息を取ってくれ!」

 不帰かえらずの地の何の変哲もない景色の中に、むしろ尋常ではない何らかの異常を感じ取った一行は出発時よりも明らかに緊張していた。しかしそれはルインから見て好ましい物でもあった。

──地図の定まらない『識外しきがいの地』や謎の多い『不帰かえらずの地』が、ウロンダリアには点在している。それはある者には破滅の伴う未知の危険であり、また勇壮な者には巨大な宝箱のようなものでもある。

──冒険者王ルスタン著『果て無き地ウロンダリア』より。

 帷幕いばくの中の打ち合わせや賑やかな野営地の設営をよそに、ゴシュは魔の国の調理隊と共に夕食の調理をしていた。野営においていつも必要になるのは水の確保だが、魔の国には『導水どうすい』という高度な水の転移魔術が存在し、これを施した底の抜けたたるを置けば、紐づけられた水源の水をいつも満たした魔法の樽となる。

 調理隊やゴシュ、そして他の団体もこの水を借りて炊事を始めていた。ゴシュは早速、ゴラッドから買ったごついフライパンで今夜の調理を楽しんでいる。干しひき肉と干し芋、そして食用の蔓草つるくさを乾燥させたものに、塩辛く漬けたきのこ山胡椒やまこしょうを混ぜ、水を多めにして火を加える。これに干し肉を多めに入れると干し肉が水分を吸って乾燥蔓草のとろみが加わり、『干し食材の戻し炒めとろみ付き』が出来上がる。

 敷石に乗った赤熱した魔石ませきを熱源として、ゴシュは慣らすように重めのフライパンを巧妙に操る。

配膳はいぜんとか、手伝いますね! 力仕事は何でも言ってください!」

 ゴシュの背後、高い位置から優しい声がして、ゴシュは笑顔で振り向いた。野菜などを工兵隊の荷車から運んできたメルトが肩に担いでいた木箱を下す。

「ありがとうメルトさん! あたい、背丈も力もそんなにねぇからさ、すごく助かるんだよな!」

「本当ですか? とても嬉しいです!」

「おかげであたい、料理に専念できるしさ!」

「ゴシュさんの料理、いつもとても美味しいですもんね! 私ももう少し料理の腕を上げたいです」

 今までがとても落ち着けない環境だったせいもあり、メルトは自分の料理の腕が気になっているらしい。

「あたいで良かったら、今度一緒に料理しようぜ?」

 メルトの表情がぱっと明るくなった。

「何でも手伝いますから言ってくださいね? すごく嬉しいです! ……あれ?」

 メルトの視線の先に、少し真剣な顔をしたミュールが野営地を下ろうとしている姿があった。

「ミュール、もう少しで飯だぞ?」

 ゴシュの呼びかけに、ミュールはそこでやっとゴシュたちに気づいたようだ。その表情はいつもより真剣で、何かが張り詰めている。

「おお悪い、ちょっと考えごとしてた。何かこの地は落ち着かないんだよなぁ。色々と嘘っぽくてさ。それに何だか戦いの予感もするし、ちょっと修練でもしようかと思ってるんだ。ここはだだっ広いしな」

「そろそろ飯なんだけどなぁ」

「あん? 保存食料理だろ? あたしは肉と酒があればいいし、何ならしばらく食わなくてもいいから大丈夫だぞ?」

「あたいの料理にそんな事は言わせねーぞ? あとで何か持ってってやるよ」

「そうか? ならいただくか。じゃあまたな」

 ミュールはさっさと丘を下ってしまった。その後姿をゴシュの相棒の狼、骨付き肉が真剣に見送っているのを見てゴシュは声をかける。

「どうしたんだよ、骨付き肉」

──おれ、もっと強くなりたい。あの人、とても強い狼。おれ、戦い方をもっと知りたい!

 その真剣な思いにゴシュは思わず微笑んだ。

「わかった。あとで一緒に見に行こうぜ!」

──嬉しい!

 ゴシュはより一層料理を効率よく進めることにした。ミュールに何か食べられるものを持って行きつつ、相棒の気持ちに応えられるようにしてやりたかった。

──ウロンダリアにおいて、勘や感覚は無視してはならない要素とされている。経験がしばしば大きく人を裏切る事のある、この予想のつかない世界では、常に柔軟な考え方が求められるのだ。だから私が今日、冒険に出発せずに酒を飲んでもいいのである。

──フロンド・ラッカー著『冒険者日記』より。

 少し後。

 保存食料理の他に青豆あおまめと新鮮な肉を麦醤ばくしょう(※麦を用いた醤油のような調味料)で炒めたものをフライパンに入れたまま、ゴシュは骨付き肉の鼻に従ってミュールを探した。丘を下ってまばらな立木のある森の奥に向かうと、背丈ほどの高さから何本かの木が切り倒されており、その一本の上にミュールが立っている。

 ミュールは玉のような汗を散らしながら何らかの斬撃の型を繰り出し、切株の上に必ず着地する動きを繰り返していた。

「すげーな……」

「悪いな。飯まで持ってきてくれたのか!」

 一人と一匹に気付いてミュールが笑う。

「へへっ。麦醤で炒めた青豆と肉だぜ! ただし酒はねーぞ?」

「それは大丈夫だ。酒って気分じゃないからな。いただくぜ!」

 ミュールは切株から飛び降りた。

「ところで、わざわざここに来るってどうしたんだ? 何か用事か?」

「骨付き肉があんたみたいに強くなりたいって」

 ゴシュの隣に座る骨付き肉は、ミュールの持つ神獣の気配に位負くらいまけけしており、耳は下がり、尻尾は巻かれて尻の下だった。

「はっ、あたしに気圧けおされてちゃしょうがねえな! まあでもいい。大事なのは気持ちだからな。いいよ。とっておきを一つ教えてやる!」

「ほんとかよ!」

「ああ。骨付き肉、よく見てろよ?」

──うん!

 ミュールは軽やかに跳躍して切株の上に立つと、まだ斬られていない木々の密な部分に隣接している切株の上へと飛び移った。

「どれ……!」

 ミュールはいったん目を閉じて呼吸を整える。次の瞬間、眼を開けたミュールの銀の瞳は狼そのもののように獰猛なものとなり、背中に吊るした大剣を素早く抜きに掛かった。

「それッ!」

 その掛け声は途中から獣のものとなり、巨大化した銀の狼が同じく巨大化した剣をくわえ、銀の刃の旋風が一閃すると、数本の木が見事に横一文字に断たれて倒れた。降り注ぐ木々の葉の舞う中、その銀の大狼は一瞬でミュールの姿に戻り、大剣が小気味よい音と共に鞘に収まる。

──すごい!

「はっ、ざっとこんなもんだな!」

「すげえや!」

 ゴシュも目を輝かせる。

「この世界の名前の元となったウロンダリウス大王の友、戦狼ミュールと言えばあたしの事だからな!」

 ミュールは得意げに胸を張った。

「本当にすげぇ! なー、でもさー、チェルシーってもっと強いんだろ?」

 この言葉にミュールは露骨に嫌そうな顔をした。

「そんな話すんなよなぁ。思い出したくないのに。……チェルシーは、あの夢魔の嬢ちゃんはたぶん他に別の姿を持ってるだろうし、異様に強いぞ! 少なくとも、今のあたしじゃ勝てる気がしないな。だからこうして修練を積んでるんだけどさ」

「そんなに?」

「あれはおかしいくらい強いぞ。あたしの攻撃なんてかすりもしないからな!」

「なんてこった……」

「まあその話はいいだろ? それよりもほら、骨付き肉、お前、強くなりたいんだろう?」

 骨付き肉はこっくりと頭を垂れた。

「じゃあ、えーと……そのなたか包丁みたいなの、いい感じだな。借りてもいいか?」

 ミュールはゴシュの腰に差してあるゴラッドの包丁に目をとめた。

「ん? いいぜ? 武器にもできるって話だったしさ」

 ゴシュが渡したフック付きのごつい包丁を受け取り、ミュールは何度か振ったり、その刃を透かし見たりした。

「……ん、悪くないな。良い職人の仕事だ。なあ骨付き肉、飯食いながら見ててやるから、あたしがやったみたいにこの包丁をくわえて、その辺の木を切ってみな?」

──わかった!

 骨付き肉はゴシュに渡された包丁をくわえると、近くの灌木を切ろうとして勢いよく旋回する。しかし、女の手首より細いその灌木かんぼくの幹は三分の一ほど切れ込みが入っただけで、枝葉を揺らすだけだった。

──なんで?

 この様子を見て、我慢できずにミュールが大笑いをした。

「やっぱり斬れないか。あたしがやってるあれはな、人間が言う『体幹たいかん』とか『剣の理念』ってやつを理解しているから出来る事なのさ。あたしはこうやって人の姿も取れるだろ? だから理解出来る事なんだけどな。でもまあ、『どんな動きをすればいいか?』って考え方で教えてやれる。すぐに身につくから頑張れ。飯食べながら教えてやるよ」

──わかった。おれ、頑張る!

 親友のその様子にゴシュも決意を固めていた。

「あたいにも少しだけ戦い方を教えてくれねぇかな? 骨付き肉だけに戦わせたくない!」

「いいぜ! 戦う宿命を持つ『きばの系統』の戦う銀の狼、ミュール様に任せとけ!」

 ミュールは得意げに胸を叩いて快諾した。こうして、二人と一匹の特訓が始まった。

──人の姿とは『神の写し身』であるとされ、人間の姿を持つ存在の知性とその苦悩に何か重大なかかわりがあるとされている。例えば人間が言う『獣の所業』を、実際に獣と呼ばれる存在たちはほとんど行わない事に大きな示唆があるのだ。

──大賢者アルヴェリオーネ著『神と人』より。

 深夜。

 ラヴナが用意した上位魔族ニルティスの貴族が用いる特別製の天幕てんまくの中で眠っていたシェアは、退魔教会たいまきょうかいの頃から愛用していた仕掛け剣が、自分にしか聞こえないうなりを上げている事に気づいた。

(……あの子ね?)

 思い当たる事があり、シェアは静かに起き上がって天幕の外に向かう。しかし、途中でラヴナの声がどこからともなく聞こえてきた。

「こんな深夜にどうしたの? シェアさん」

「おそらくですが、敵側の勢力が接触を求めています。退魔教会の秘められた通信手段で連絡がありましたが、おそらく所定の場所に何らかの伝言がある方式だと思います」

「……同行しても?」

「はい。もちろんです。皆さんへの秘め事はありませんし、彼らの狡猾こうかつさは私には苦手ですから、ラヴナさんが一緒なら心強いです」

 この言葉に、ワンピース姿のラヴナが突如として姿を現した。

「一人にさせるわけにはいかないわね。あたしも付き合うわ。でも、あまり大ごとにしても駄目そうね? 相手を捕えたりは?」

「まだ、しない方が良いと思います。秘密の秘匿ひとくを何よりも重んじている人々ですから。無闇に関わる人の命が消される可能性がありますから。私の失った記憶さえ把握しながら、それでさえ、あの人たちは教えてくれません」

「……なるほどね」

 かつてのシェアの師、特級退魔教導士エドワードは、何らかの霊薬によりシェアの失われた記憶を把握していた。シェアはそれに向き合うことを希望したが、エドワードはそれを拒んでおり、ただ『鍛えよ』と言った経緯がある。

 それは、シェアがいつか取り戻したい記憶だったが、退魔教会や師とたもとを分かった今、対応を誤れば永遠に失われてしまいかねなかった。シェアが自らの記憶の一部を質に取られて強い対応が取れないことをラヴナとチェルシーだけが知っていた。

「行きましょう? 付き合うわ」

「ありがとうございます」

 シェアとラヴナは静かに丘を下った。シェアの剣の静かなうなりは特定の方向に反応するため、それを頼りに薄明るい森の中を進む。やがて、やや開けた場所に至ると仕掛け剣の呻りはほぼ最大限になった。

「……ここのようです」

 周囲を注意深く見回すシェアに対して、ラヴナは強力な感知能力を展開させた。何者かが信じがたい速さで遠ざかっていく。その高さは樹上だった。

「森の中を枝から枝に飛び移りつつ遠ざかっているわ。相当な手練れね」

「おそらく私の知っている子です。退魔教会特撰討伐隊たいまきょうかいとくせんとうばつたい月花隊げっかたい』の次席、カレンですね。私の後輩であり、妹弟子です」

「聞いたことがあるわ。なかなかの手練れよね?」

「はい。という事は、おそらく『月花隊』にしかできない連絡方式ですね。それなら……」

 シェアは仕掛け剣を半ば抜き、勢いよく納剣した。キン! という音の後に、シーンという独特な金属の響きが聞こえる。その響きの返る場所に目をやったシェアは、小さな銀製の札が木の枝にぶら下げられているのを見つけた。

「ん? それはどういう仕組み?」

 魔法の力が全く働いていないのに何かを感知したシェアに、ラヴナは驚いた。

「これですか? 『月花隊』に選ばれた女戦士は身体能力や感覚が生まれつきとても優れているとかで、私たちはこの独特な合金が仕掛け剣の響きに共鳴する、ごく些細な音を拾えるのです。これで秘められた通信を行っていました」

「そうなのね?」

 この時、ラヴナの中にある疑問が生まれたが、ラヴナはそれを口にはしなかった。

 シェアは銀の混じった特殊な合金製の札に刻まれた符丁ふちょう(※暗号的な記号)を読み取る。

──この札を携えておけ。時が来たら私はあなたと勝負し、私に勝ったら私の知る事を教えよう。

 金属の札には『わずかに欠けた上弦の月に花』の刻印が掘られており、これがかつての『月花隊』におけるカレンの位置だとシェアは知っていた。

「札には何と?」

「ただこの札を携えておけと。何度も私とやり合って私を凌ごうとしていた子です。やはりまだ執着しているようですが、なぜこんな時に……?」

 ラヴナは膨大な経験と独特な感覚から、この出来事の深淵を読み解こうとした。しかし、黒い霧がかかっているように読み取れない。

(ルイン様の件に絡むと、見えない物事ばかりになるわね……)

「どうかしましたか?」

「ううん。この件は見通せないみたい。十分に用心して備える事しかできないわね。他に何も無ければ戻りましょうか」

「はい、そうします……」

 やがて二人は天幕に帰り、それぞれの寝室に戻った。シェアは眠りに落ちたが、ラヴナは様々な思考を巡らせる事になった。

(シェアさんたちには人間には聞こえないはずの音が聞こえている? どういうことなの?)

 ラヴナは何か重大な秘密の匂いを感じたが、あえて深入りはやめて過ごすことにした。ルインに絡むと見通せなくなる運命は珍しくなく、また変に解こうとすればより厄介なことになるという、運命の性質をよく理解していたためだ。

(ルイン様ならきっと、シェアさんのことも護れるわ……)

 ラヴナは胸にそっと手を当てた。以前と違い、今はそこに温かな何かが宿っている。理解を超えた深い信頼と共に、ラヴナも短く眠ることにした。

──死とは本当に存在しているものだろうか? 私は多くの書物と思索に人生を費やしたが、『おのれの死を観測した者』には一人も会った事が無いのだ。では世界もまた実在しているのだろうか?

──大賢者ウルボルスト著『観測』より。

first draft:2021.09.16

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