第二十八話 古都の門

第二十八話 古都の門

 翌朝。不帰かえらずの地の奥地、ヴァンセン湖を見下ろす丘の野営場所。

 十分な休息を取った大規模な探索者集団は、ヴァンセンと呼ばれる湖を見下ろす丘から緩やかに湖畔を下って行った。やがて湖は堤のような巨大な岩壁にせき止められた形になっており、さらに近づくにつれて、それは何らかの高度な技術により建造された巨大な堰堤えんてい(※ダム)らしさが強まってきていた。

 落ちこんで流れるはるか下の渓流からこの堰堤を調査すべく、ルイン率いる探索者集団は渓流と堰堤を交互に眺めながら森を緩やかに下っていく。

「眠り人殿、どうもあの湖はこの堰堤えんていにより何者かが作ったもののようですな。しかしなぜ、このようなものをこの地に造ったのか?」

 老べスタスは緊張した面持ちで巨大な堰堤を眺めまわしている。苔や蔦がその大部分を覆っているとはいえ、堰堤自体は全くと言っていいほど風化しておらず、所々露出している滑らかな砂色の岩肌には、多段構造や階段構造らしい物も散見されていた。

「『古都の門』は、この古代の堰堤の下にあるんだよ。谷川の横に大きな洞窟があってね、そこに転移門があるのさ。そして、よく分からない文明の文字が刻まれた壁もね」

 バゼルの説明の通り、崖を迂回して谷川に降り、大堰堤の基部に至った集団は、ややひしゃげた楕円形だえんけいの大きな洞窟を見つけた。ぽっかりと口を開けた暗闇に、様々な太さの蔦が垂れ下がっている。しかし、生物の気配がなく、精霊もまた口をつぐんでいるこの地では、何かが恐るべき理由で沈黙したまま大口を開けているような、そんな不気味さが漂っている。

「ルインさん、私たちは『猫の目』で見通せますが、これは松明など灯りの準備がいりますね?」

 猫の剣士ジノが気を利かせてようとしたが、それをバゼルが遮る。

「その必要はないよ。入ってみたらすぐわかる。ここは色々とおかしいんだ。この大人数だって入れるよ?」

「どういう事だ?」

「そこは、悩むより叩け(※案ずるより産むが易し、の意味)だよ」

「なら、まずおれが行こう」

 ルインは先んじて洞窟に進み始め、老べスタスや眠り女たち、ギュルスやジノなども同行した。大きな洞窟に見えた『古都の門』だったが、一か所だけ見なれない文字と印象が刻まれている部分があり、苔や汚れを剥がして洗い出したらしかった。しかし、洞窟そのものはすぐに行き止まりで、奥にうっすらと岩肌が見えている。

「以前、この洞窟はただの行き止まりだった。しかし何年か前に、異端審問会はこの洞窟の壁に刻まれていた文字に気付き、これを解読したんだ。その結果……ウルニ・クヴァス・ヤ!」

 説明しつつ、バゼルは意味の分からない言葉を唱えた。突如として洞窟の中は頭上から差し込む光に満ち、明るく広大な空間が開ける。その空間の中心には大型の円形転移門があり、青銀色せいぎんしょくの岩に優美な彫刻と象嵌ぞうがんを施した石柱の並ぶ様式のものだった。

 全員がほぼ同時に驚きの声を上げる。

 ルインが振り向くと、少しぼんやりした透明な壁の向こうに、探索者集団の待機している姿が見える。

「こちらだ! 入っても大丈夫だ!」

 ヴァスモーの百人隊や猫の戦士たち、熟練の探索者たちなども次々とぼんやりした壁を通り抜けて入り、この広大な空間に驚きの声を上げた。

「これが、古都の門……!」

 誰ともなく感嘆や驚きの声を上げる。

「不思議だわ、ここでは精霊の気配が濃密よ? えっ……」

──待っていた、ずっと……。

──赤い月に呑まれないように……。

──時を越えられるから……気を付けて……!

 今まで口をつぐんでいた精霊たちが、騒がしいほどにささやきき始めた。クームはルインたちに注意を促す。

「精霊たちが急に囁き始めたわ。ここに秘密があるみたい。赤い月に呑まれるとか、時を越えられるとか」

 クームの言葉にバゼルが応じる。

「あたしたちも、つまり、異端審問会や退魔教会たいまきょうかいもそこまでは至った。そして、あれだ」

 転移門の向こうに、やや縞がかった青銀色の見上げるような岩壁があり、その壁面にはびっしりと図形や文字が刻まれ、現在も何らかの術式が働いているらしいそれは独特な間隔で青白い魔力の光が波打っている。

「ここの文字がほとんど解読できなかったのさ。でも、あれを見てみな?」

 ほぼ同時に、何人かの声が上がった。

 壁画の一画に、三つに区切られた単語と共に、ピスリ・カ・グの詳細な線刻画が描かれている。その部分には他にも異形の者たちの姿とその名前らしい文字が刻まれていた。さらに、常に魔力の光を帯びたままの単純な記号の羅列がある。

「バゼル、あの光る記号は数字かな?」

「いい質問だね。ここでこれらの魔物の名前を然るべき手順で呼ぶと、それぞれの魔物が一体、姿を現す。そうするとあの文字の形が変わるのさ。つまり……」

「数字を意味しているのか? しかし待て、それならものすごい種類と数の月の魔物が何らかの手段で保管されていると?」

「……異端審問会はそのように解釈しているね」

 魔物たちの名前では無いほう、おそらく数字を意味するの文字列はしばしば長大な桁になると思われるものも散見された。これは万単位の月の魔物がいずこかに封印されており、それを呼び出すことができることを意味しているらしい。

何かを思っていたシェアが決意したように口を開いた。

「なるほど。これなら落ち着いて月の魔物について研究できます。あの方たちにはとても有益な遺跡であると言えますが、同時に絶対に渡してはいけませんね」

(でも、この文字は何かが懐かしいような?)

 シェアは異端審問会との対立が決定的なものになると確信しつつ説明した。同時に、この壁面の文字に妙に親しみを感じる自分の気持ちを気のせいだと思うようにしていた。

「バゼルさん、でもこの文字の解読は進んでいないのでしょう?」

「そう思いたいところだね。……で、こっちにはラヴナ姫がいる。ラヴナ姫、あんたなら読めるんじゃないのかい? あんたは確か、魔王の次くらいに色々な文字が読めるんだろ? 上魔王の一族は学者肌だからね」

 シェアが振った話を、バゼルはラヴナに振る。ラヴナは腰に手を当てて、当たり前だと言わんばかりにため息をついた。

「あたしの推測が正しければ、魔王様は確か三万言語ほどは理解して読み書きできたはずよ? あたしは二万八千くらいから先は覚えていないわね。そんなに必要性を感じていないし。……で、この壁面の文字だけれど、これは月の民の儀式言語ぎしきげんごと神官階級の高度な装飾文字そうしょくもじだわ。力のある文字とそこまでではない文字を織り交ぜているのよ。ただ、文章が少し変わっているわ。光の側の古き民の単語が含まれていたり、何より……いつの話をしているか、時制がおかしいのよ」

「クームが言っていた『時を越えられる』という言葉は何か関りがあるかな?」

 ルインの問いにラヴナが目を向けた。

「ルイン様良い事言うわね。その要素を入れて全体を俯瞰ふかんすれば成り立たない文章ではないわね。読むわ」

──遥か時の終わり、私たちは蒼い光纏う絶対者と戦うあの方により、滅亡を免れた。

──賢者となり、恩を返す。感謝と対価を織り込み、そして私たちは時を取り戻す。

──赤月の禍いと行き過ぎた結びつきにより滅ぶ我々の運命を、我々は紡ぎ直す。

──私たちは愛する都を立ち去る。しかし、恩ある人々にさしあげよう。恩を紡ぎ直して。

──求める者を我々は呼ぶ。来たれ、我々を救うべく。

──我らと同じ血を持つ者よ、思い強き者よ、武力持つ者よ、時の水晶に触れてこの都を得んと願え。

「……ね? 意味が分からないでしょ?」

 ラヴナはため息をつき、話を続けた。

「ただし、このような文章は古文書などにしばしば散見されるの。時系列のおかしい、一見まとまりのない文章ね。このような文章が見られるのは、高度な文明を持ち、時間に干渉するすべを持っていた民たちだけ。何らかの災いを乗り越えた者たちが、失われた何かを取り戻すために過去に干渉して、歴史をより太くしたり、滅亡の未来を避けることがあるのよ。月の民もそうなのかもしれないわ」

「月の民じゃと⁉」

 べスタスの声に同調するように、『深淵の探索者協会』の冒険者たちも色めき立つ。この様子に、バゼルが説明を続けた。

「『二つの世界樹の都』テア・ユグラ・リーアは、光の側の古き民アールン、月の民ユイエラ、翼の民フェディルから成り立っていたとされている。この遺跡は月の民が関わっていたので間違いないだろうね」

「……それで、結局この遺跡は何をどうしろって言ってんだ? 遺跡がありました。何もありませんでしたってな流れは勘弁だぜ?」

 面倒そうにギュルスが言う。

「確かにその通りだわ。で、最後の一文だけど、『時の水晶』とは、あれのことかしらね?」

 同意しつつラヴナは、青銀の岩の壁の中央下部に埋め込まれた黒い水晶を指さした。上下端の尖った縦長の大きな六角水晶が、何か意味ありげにおさめられている。

 これを予想していたらしく、ふ、と笑って、バゼルが話を続けた。

「まあそう考えるよな? で、異端審問会では誰一人何の変化も起こせなかったわけだが、ここにはまず、上代の古き民の王族の血を引く者がいる。そして、武力なら眠り人だ。思い強き者というのはわからないが、まあ歳とっても探索したい人やら、一族の復讐に燃えるヤイヴの嬢ちゃんもいるんだ。色々と試してみたらいい」

 注意深く話を聞いていた老べスタスが、またいち早く反応した。

「なんじゃと? この中に上代の古き民の王族の血を引く方がおられると? 確か、少し前に『サバルタの黒き森』のアールンの王族が一人、行方知れずになっておると聞いたが、つまり……」

「べスタス老、詮索せんさくはそれくらいで。人には色々な事情があるものだ」

 驚き続けるべスタスをルインが少しだけ制する。その二人のそばを灰色のフードとマントで身を隠したセレッサが通り過ぎた。

「とりあえず、私から水晶に触れてみましょう」

 このセレッサの声に、人間と違う独特な清浄さを感じた人々は、それが古き民のものであるとすぐに察した。

「さあ、何か起きると良いのですが……」

 セレッサが水晶に触れると、暗かった水晶は若草色の光をたたえ、岩壁の文字列の中の何箇所かの単語が同じ色の光を帯びた。その様子にラヴナとセレッサが同時に声を上げる

「あっ、こういう事ね!」

「なるほど、これは分かりませんでしたね! 私たちの古い儀式文字ぎしきもじが隠されていました。……ん? 私たちは古代に月の民とかかわりがあったという事になりますかね?」

 月の民の文章の中に含まれていた古き民の単語が光り、それぞれを繋げると何らかの文章になる仕掛けだった。セレッサが話を続ける。

「これは世界樹の精霊に祈りをささげ、会話をするためのものです。とても古い古い言い回しですが、伝わっているので読めます。真の古代語なら私でも読めなかったですが。えーと……」

 セレッサは独特な清浄さの漂う声で儀式文字を読み上げ始めた。

──双子の世界樹の精霊、ロムニスヤとレムニスヤよ、私の言葉を聞いてください。

──私は古き民の血を引き、大樹の花芽となる者。私の言葉を聞いてください。

 しかし、この時セレッサは読みあげながらも妙な気持ちになった。『大樹の花芽となる者』は、古き民の昔の言葉でしばしば『王族の女性』を意味する言い回しであり、まるで自分のことを指しているような気がしていた。

(いやまさか、そんなはずが……)

 突如、地面から蛍のような若草色の淡い光が立ち上り始めた。皆が驚きの声を上げる中、清浄で神秘的でさえある柔らかな光の粒は地面が見えないほどに溢れ、やがてそれらは二つ所に集まると、植物と人の特徴を併せ持った、よく似た美しい二人の男女の姿を取った。

「えっ? 世界樹の精霊様です!」

 澄んだ水か空のような青い目を開き、二人の精霊が心に直接響く声で語りかけてくる。

──私たちは『二つの世界樹の都』の双子の世界樹の精霊、ロムニスヤとレムニスヤ。

 二柱の精霊はこの大規模な探索者集団を一通り眺め、女の姿をした精霊が話し始める。

──私はレムニスヤ。全ては壮大に織り込まれた運命の一部。ここを訪れた方々、どうか、力を貸していただけませんでしょうか? 私たちの都と人々を未来に繋ぐために、二つの大きな災いを越えねばなりません。終末の禍いは、黒きお方が。……そして、『赤き月の禍い』をあと少しで超えねばならない私たちには、あなた方のお力が必要です。

 次に、男の姿をした精霊が話を続ける。

──僕はロムニスヤ。時を超えて僕らの大切な都と人々を護って欲しい。それが叶うなら、この地に隠していた都はあなたたちにあげる。あなたたちには受け取る権利が発生するから。……そして、古き民の王女がいるから、僕たちのことはその人に全て任せればいいからね。

 青銀の岩の壁が幻影のように薄れ、暗い空の下、異形の魔物の大群と戦う壮麗な都と、世界樹の一部らしい景色が見え始めた。

「わしは行くぞ! ここで行かねば探索者ではないわ!」

 老べスタスが剣を抜く。

「がっはっは! 待ってたぜ! おれ様たちは戦ってなんぼよな!」

 ギュルスたちも武器を準備する。

「国を愛する心は誰しも同じもの。まして滅亡の危機に瀕しているなら、それを同じ人として放ってはおけません。皆の者、有難い実戦です。心して享受し、生き延びるのです!」

 アーシェラの声に、バルドスタ人たちが気勢を上げる。

「気高き猫の戦士たちよ! 誰かの自由を守る戦いは、我々の自由を守る戦いだ!」

 ジノもまた細身の剣を抜いた。

「あたいも行くよ! 全滅なんてやだ。向こうの人たちを助けて、失われた都を貰って、みんなと、父ちゃんの功績を世に残すんだ!」

 ルインはこの集団を好ましく眺めると、少しだけ笑みを浮かべた。

「戦いなら任せてくれ。おれも存分に助力させてもらおう!」

 この言葉に、二柱の世界樹の精霊は光る涙を流した。

──ありがとうございます。黒きお方。ここでもあなたの力を借りることになるとは。

(なんだって?)

 ルインが何かを質問しようとした時には、世界樹の精霊たちは大術式を発動させ始めていた。

──時を超えて、守り人たちよ、来たれ!

 蛍のような光が非現実的に強くなり、岩壁の映像の世界が広がっていく。

しかしここで、バゼルの、いや、バゼリナの悲痛な声が響いた。

「ああっ、ここまでのようです。私は連行され、おそらく彼らは何とかして私を惨たらしい目に……!」

 バゼルの姿は美しい女神バゼリナの姿に変わっていた。そのすぐそばに濁った様々な色の渦巻く大穴が開き、そこから出てきた青銅色に禍々しく輝く金属質の手がバゼリナを掴むと、大穴へと引き込もうとしている。

「させんよ!」

 ルインはいち早くバゼリナの身体に鎖を巻き付けたが、バゼリナごと濁った大穴に吸い込まれていく。

「えっ? バゼル? ルイン様? ルイン様ー!」

 ルインの耳にはラヴナの声が急速に遠ざかっていき、やがて何も聞こえなくなった。

「あれっ? ルイン殿は?」

 異常に気づいたセレッサが問う。

「ルイン様がバゼルを助けに行っちゃったわ! この後の戦い、ルイン様なしで何とかしないとダメね」

「何ですって?」

 驚くセレッサだが、次いで世界樹の精霊たちの声が響く。

──大いなる術式が発動します! 時と世界の壁を越えます。怪我は帰還すれば消えますから、どうかご存分に力を貸してください!

 『古都の門』の空間の光はやがて白みがかったものとなり、稲妻のように閃光が走ると、探索者集団は消えてしまった。

 しかし、そこにシェアが一人だけ取り残されている。

「えっ⁉ みんな? なぜ私だけ? 何が?」

 慌てかけたシェアだが、歴戦の研ぎ澄まされた感覚が何者かの殺気を感じ取り、その心は反射に等しい速さで落ち着いた。

 振り向いたシェアの切れ長になった目が、洞窟の入り口をとらえ、冷たげな声で問う。

「そこにいるのでしょう? カレン」

 何もない洞窟の入り口に、突如として退魔教会たいまきょうかいの戦闘服姿の女が現れた。黒で統一された鎖帷子くさりかたびらとマントとフード。ただ、スカートはやや短めで、足を動かしやすい装いにしている。

「久しぶりね、シェアさん。いいえ、もう仲間ではないからシェアね」

 抑揚のない声と、同じく感情が感じられない青い目。肩にも届かない黒い髪も美しく、顔も整っているが、どこか人形のような無機質な雰囲気が漂っている。

──退魔教会特撰討伐隊たいまきょうかいとくせんとうばつたい月花隊げっかたい』旧次席、カレン・ローヤー。

 カレンは退魔教会の仕掛け剣を抜き、さらに分離させて二刀の状態にし、ゆっくりと近づいてくる。

「エドワード様はかつて私に言ったわ。『お前では絶対にシェアに勝てない』と。才能や血ではない、努力でそれを超えて、私はそれが間違いだったとエドワード様に理解してもらうの。……動けなくしたあなたを連れ帰ってね!」

 カレンは疾風の踏み込みを仕掛けたが、殺気を感じて動線をずらした。何かが空を切って通り過ぎる。その一瞬にシェアが踏み込み、カレンの二本の剣に同じく二本の剣を合わせた。

「あなたの知っている事って、何ですか?」

 カレンの話に応じもせず、シェアは自分の聞きたい事だけを聞く。それがカレンをより苛立たせた。

「相変わらず嫌な女……!」

「……残念です」

 隙を見て互いの剣をはじく二人。

(ルイン様、皆さん、どうかご無事で!)

 シェアは目の前の戦いに集中することにした。かつての妹弟子であり、討伐隊の次席でもあった女との戦いは、決して容易ではないと感じていた。

──進んだ文明や高い知性を持つ民族の古文書の解読は全く容易ではない。文字と数字が分けられていないものや、解読者の知性によって解釈が明確に変わり、数通りの読み方ができるもの、さらには時間が曖昧なものさえあるためだ。

──バナシェ・ラッド著『古文書解読の基礎知識』より。

first draft:2021.09.23

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