第二十六話 作戦会議

第二十六話 作戦会議

 下層地獄界かそうじごくかいでの戦いから三日が過ぎた。『西のやぐら』のしばしば打ち合わせに使われる士官室しかんしつでは、ルインとシェア、セレッサ、クーム、ギゼ、メルトが、狂乱の戦乙女ジルデガーテとの戦いの際に保護したダギドラゴンの治療について相談をしていたところだった。

「ルイン様、アーシェラ王女、いえ、ベネリスさんが来ましたよ!」

 言いつつ重い扉を開けて入ってきたのは、給仕服姿のルシアだった。

「あれ? ルシアさんもそんな服装を?」

 セレッサがその服装に気付く。

「あ、はい。今日はチェルシーさんの手伝いをする日なんです」

「ああ、何だか似合いますね。清楚で可愛らしいと思います!」

「そうだな。とても可愛らしい」

 ルインも同意する。

「そうですか? ありがとうございます!」

 ルシアはおそらくこの『西の櫓』にいる者たちの中では一番若い。黒い髪に古代プロマキス人の黄色い瞳の瑞々みずみずしさに給仕服が良く似合っていた。

「私も着てみようかしら……」

 満更でもなさそうなクーム。この様子にセレッサが目を輝かせた。

「ほお、いいですね! せっかくですからアゼリアさんに話して写真を撮ってもらうのはいかがでしょうか?」

「それはちょっと……」

「……セレッサ殿は何というか、光の側の古き民アールンなのに親しみやすいな。我々魔獣使いの闇の古き民オールンにとっては、いささか新鮮だ。これは良い意味だぞ」

 ウロンダリアの人間たちがしばしば通称で『エルフ』と呼ぶセレッサやギゼは、互いの事を『古き民』と呼び合っている。それぞれ正式にはセレッサは『光の側の古き民アールン』と呼ばれ、ギゼは『魔獣使いの闇の古き民オールン』と呼ばれている。

 セレッサはにこりと笑って話を続けた。

「ああ、私は長く男の武人として育てられましたからね。そして、我が一族に対しての気持ちは何とも複雑なものなのです。今の私には、同じ眠り女の皆さんやルイン殿だけが唯一気を許せる方たちなので、その中では気楽に過ごしたいのですよ」

 この話で、ギゼの視線が鋭くなった。

「あなたも人間の『エルフ狩り』に追われたことが?」

「人間どころか同族からも追われましたよ。上代の古き民の私を売り飛ばせば、小さな国一つは買えますからね」

 ギゼの目がさらに険しくなった。

「最近、南の新王国では人さらいや人身売買が活発になり、我らの仲間も何人か行方が分からなくなっている。そろそろ看過できないな」

 ギゼは腕を組んで沈黙した。この言葉にシェアが反応する。

「私たち聖餐教会せいさんきょうかい教会騎士団きょうかいきしだんがだいぶ活発に巡回しているのですが、それでも追いついていないのですね?」

「シェアどの、おそらくそれも煙たがって古王国連合は聖餐教会せいさんきょうかいを勝手に邪教扱いしているのだと思うぞ? 本来は邪教の定義に入らないだろうに。だから南方新王国での聖餐教会の活動範囲は狭められつつある」

「ああ、やはり……」

 ここで、士官室の重い扉が開いた。

「ごきげんよう、皆さま。ああ、ここではベネリスとお呼びくださいな。立場も皆様と変わりありませんしね」

 アーシェラ王女、もといベネリスは白い外出ドレスに暗い深紅のマント、束ねた髪に黒いリボン、といういつもの姿だが、その眼と表情がどこか明るい。

「ああ、元気そうで何より。……少し明るくなったかな?」

 ルインの言葉に対して、ベネリスは緩く握った拳を口元にあてて、おかしそうに笑った。

「ふふふ、あれだけの逆境にあって、面白い事ばかり言って笑わせる方がいますもの。いつまでも暗い瞳と言われ続けるわけには参りませんわ」

「それは何よりだ」

ルインはこれを良い傾向だと思っていたが、眠り女たちには少しだけ異なる印象で伝わっていた。

「これは……いばらつぼみが出来ている……?」

 セレッサがごく小さな声でつぶやき、ギゼは言葉の意味が分かったのか眼で同意していた。クームはとても驚いた顔をしており、メルトはそれより強い驚きの表情をしている。

(ああ……)

 シェアは何か納得して、感心したような表情を浮かべていた。以前のベネリスには無かった『女の空気』を感じ取っていた。

「ここに来たという事は、そろそろ落ち着いてきたかな?」

「はい。『追放召喚状ついほうしょうかんじょう』を発動させ、燃える大樹の魔王ザンディールとウラヴ王を討伐する作戦会議をしたく思います。ただ、『魔王の真の姿』の意味が分からず。我が国最高峰の神秘の知識を持つタイバスもそれを知らないとの事で」

「ああ、純粋体じゅんすいたいとか呼ばれる状態の事か。記憶の彼方に少し知識がある。多くの場合は光相こうそうまたは暗黒相あんこくそうなどとも呼称される、巨大な存在の真の姿だ。概念を形にしたものと言えばよいか。うまく言えないがそんな感じだ」

 このルインの言葉に、アーシェラが興味深げな眼をした。

「私にはよくわかりませんが、ルイン様は時々魔術師のような知識にも造詣ぞうけいが深い所を見せますね。武人だけではなく、魔術師でもあるのですか?」

「そこは自分でもよくわからない」

 ルインの脳裏に、純粋な暗黒相あんこくそう光相こうそうの姿をとった、数々の邪悪または神聖な存在の巨大な姿との戦いの記憶が蘇ってきた。空の青色も薄い虚空で断ち、焼き尽くし、火線かせんで消し飛ばし、引きちぎり、喰らい……。

「うっ?」

 激しい戦いの時のように心が急速に冷え、右目に何かが浮かびそうだった。ルインは慌てて右目を押さえる。

「どうしました?」

「いや、何でもない。だが、魔王の真の姿の規模なら推し量れると思う。その真の姿は一般の人々の目にはさらしてはならないし、歴戦の戦士でも心を護る護符ごふは必要のはずだ」

「護符ですか?」

「または、シェアが聖堂でやった……なんだっけ?」

「『強き心の祈願きがん』ですか?」

「そう、そういうものは必須だよ」

 やり取りを聞きながら、アーシェラはルインの向かいの席に座った。

「大きさはどれくらいなのですか?」

「真に強大な存在は領域りょういきそのもの・・・・でもある。しかし、下層地獄界でのウラヴ王の勢力の規模から察すればそこまでではなかったようだ。そこから推測できる真の姿の大きさはおそらく……」

 ルインは枯草紙こそうし(※ウロンダリアで最も安価な枯れ草が原料の紙)に鉛筆で絵画聖堂かいがせいどうの大岩を描き、そのそばに三回りほど大きい適当な円を描いた。

「最大でもこれくらいのはずだ」

 これは禁書きんしょ扱いの魔術書にも出ていない情報のはずだが、ルインが何か途轍もない方法で呪いを止めたと感じている眠り女たちは何の異議も唱えず、ただ興味深く、そして驚きと共にその無造作に描かれた円を見ていた。

「……これほどに巨大ですか!」

 ベネリスが息を呑む。

「ああ。だが、おれは君の殺し屋を受け負っている。だからこいつも倒す。心配しなくていい。ついでに、あの小者のウラヴ王もな」

「……『かばねの森』の木々を斬り払い、整地し、城壁に歴戦の兵士たちで攻城兵器や砲を設置し、さらに三方向から飛空艇ひくうていで砲撃可能にし、城壁内ではルイン様をはじめとした手練れで戦う、という形でよろしいですか?」

「ああ、それで行こう。だが、戦いの範囲が広がらないように強力な結界もあったほうがいいな。それとハイデは? 彼はどうだ?」

「ハイデにも参加してもらいます。ここで活躍して欲しいですし、私も戦います。指揮はわが祖父、大戦父アレイオンにお任せしようかと」

「いいだろう。頂いた『闇篝やみかがり』もこの戦いでは使わせてもらおう。炎に雨は有効だ」

「『闇篝やみかがり』にそこまでの力が?」

「解放してみなくては分からないが役に立つ可能性は高い。それには極限の戦いが必要な気がするんだ」

「……わかりました。もう頼りきりになってしまいますが、あなたが言うなら何をか言わんやですわね」

 少し前までの暗く悲痛な様子ではなく、ベネリスは柔らかに微笑んだ。

(あなた?)

 眠り女たちはこの様子と言葉に反応した。気位の高いベネリスが誰かを『あなた』呼びするのは非常に珍しい事だった。ましてそれが男性ともなればなおさらの事だ。

(これは……)

 セレッサは何とはなしにギゼを見る。

(何かあったな……)

 目で応じるギゼ。

(へぇ……)

 関心に近い驚きでベネリスとルインを見るクーム。

(ああ、この方もルイン様が『目に映る』ようになったのですね……)

 独特な解釈をするシェア。

(あれ? 仲がいいというより、これはもしかして?)

 何か気の抜けない状況を感じるメルト。ここで、ルインは何らかの緊張感が漂っている事に気付いた。

「ああみんな、そんなに張り詰めなくても大丈夫だ。勝算はある。初手でほとんど動きを封じてしまう考えでいるからな。……心の防護は必要だが」

 これは全く見当違いの気遣いだった。しかし自分たちの空気が何かについて微塵も考えていないルインにセレッサが微笑んでは遠回しな返事をした。

「大丈夫ですよ。それがルイン殿のいい所ですから」

「ん? ああ、ありがとう」

 意味が分からないながらも同意するルイン。

「……」

 しかし、陰謀渦巻く世界にいたアーシェラはこの微妙な空気の変化を感じ取っていた。

「ああ、皆さまとても気になるのですね? 今の私はルイン様にはとても大きな信頼を寄せていますよ。自分でも驚いています。誰かに信頼を寄せている事に」

 とても素直な心情の告白だった。ギゼが驚いたように口を開く。

「興味本位というより、皆驚いているのだ。『暗い瞳のベネリス』が柔らかな空気を出しているからな」

「男の人をあまり信用しないベネリスさんのその様子、私もとても驚いています」

 メルトも同意する。ベネリスは微笑んで答えた。

「私のように様々な問題を抱えている皆さんにとっては、私のこの様子から何かの希望を感じ取っていただけたらと思っていますわ。ただ、何をどうやってお返しするべきか、とても悩むことになるかもしれません。ルイン様は何も求めない方ですから」

 セレッサはこの話に納得したように微笑んだ。クームとシェアは真面目な顔をして聞いている。

「……それでは、急ぎ『屍の森』の木々を伐採し、場を整えます。強力な結界はヘルセス様に相談いたしますが、もしかしたらシルニィさんの力をお借りするかもしれません」

──セルフィナを……誰かが運んで護ってくれるなら……大丈夫。でも、……ヘルセスの結界けっかいで……何とかなるなら……その方が助かるの。

 どこからともなくシルニィの声が聞こえ、皆周囲を見回した。ギゼの背後の壁に小さな隙間が開いており、白い髪と不安げな薄赤い眼が覗いている。

「おはようシルニィ。協力ありがとう」

 挨拶するルイン。

「ありがとう、シルニィさん。ヘルセス様と対話して、また連絡するわ」

 壁に開いたドアのような隙間が大きくなった。シルニィの可愛らしい色使いの部屋が少しだけ見える。

「でも……たぶん、あなたは戦ったり……浄化が必要になるから、私が出た方が……いいと思うの」

「わかりました。その時は協力をお願いいたしますわ。それでは皆様、また状況を進め次第こちらに来ますわね。あ、ルイン様と皆さま、いつでもいらっしゃってください。お世話になりっぱなしで心苦しいですから、あらためてバルドスタの料理を振舞わせていただきたく思っていますので」

 ベネリスこと、アーシェラ王女は忙しそうに立ち去った。

──ウロンダリアの温かな地域なら、どこでも盛んなのが養蜂業だ。蜂蜜は食用だが、薬に酒に石鹸と、実に様々な使い道がある。彼らを得るには萌緑の月ごろの分蜂を発見する必要がある。

──エド・ギムオ著『ウロンダリアの一次産業』より。

first draft:2020.07.18

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