第二十六話 大規模探索

第二十六話 大規模探索

 不帰かえらずの地、湿地のヤイヴの砦。

 もはや夏の気配漂う朝もやの中、復旧と増強の進んだヤイヴの砦には、ルインと眠り女たち、カルツェリス商会に関わりのあるカルツ族の猫の戦士たち、魔の国の工兵隊とヴァスモーの百人隊、さらに、大プロマキス帝国の歴史あるギルド『深淵の探索者協会』からも、顧問である老べスタスの考えに同調した、熟練の探索者たちが加わっていた。

 重ねられた木箱の上に立ったルインは隣に立ったゴシュから地図を受け取り、目の前の集団に語り掛ける。

「これより、魔の国の機密である、ここから先の不帰の地の地図を共有して探索を行う。行程としては遺跡の点在する森を抜け、ヴァンセンと呼ばれる湖に至り、その付近にある『古都の門』という遺跡に至る事。この遺跡は転移門の機能と何か重大な秘密が隠されているとされており、我々はその謎を解く必要がある。……知っているかとは思うが、この地には異端審問会と古王国連合の何らかの思惑が働いており、いかなる妨害があるか予測もつかない。皆、十分に気を付けてくれ!」

 先日の見えない魔物ピスリ・カ・グとの戦いを経験し、また聞いていたためか、この集団からは気の引き締まった緊張感が集団から漂っている。

 ルインは素早く全員の顔をながめた。死相しそうなどの不吉なものは見当たらない。しかし、莫大ばくだいな経験を積んでいるルインには、この集団が重い戦いに臨む運命を持つ者たちの精悍せいかんさが漂っているように見えており、何の戦いも発生しない事は考えづらい予感がしていた。

「出発は一時間後! 総員、抜かりなく準備してくれ!」

「おうっ!」

 士気の高い返事にルインは微笑んで木箱を降りた。ヤイヴの砦はより一層慌ただしくなり、装備や荷物を点検する音などが雨のように木杭の壁に反響している。

「ゴシュ、『古都の門』までを確認し、この地の領有を宣言し、さらにもしも魔城を構えるに足る場所まで見つかったら、君の親父さんの功績はずっと残り続ける。そうなるといいな。そして、君の一族を皆殺しにした奴らにも裁きを与えて」

 ルインは緊張した面持ちのゴシュに話しかけた。

「うん。この地はまだ地図も固定されてないから、きっと色んなものが眠ってるとは思うんだ。けどせっかくだから、すっげぇ価値のある何かが見つかって欲しいなって思う。あと、みんなの仇も討ちたい!」

「そうだな。本当にそうだ。何か戦いの予感がするが、全ての困難を打ち砕かなくてはな」

「うん! あたいも準備に移るぜ!」

 ゴシュが元気に立ち去ってすぐに、ルインの右側の視界に淡く輝く小さな羊が現れた。

 ルインが手を伸ばすと、それは丸められた筒の手紙となった。アーシェラからの羊飛紙ようひし(※ウロンダリアの独特な通信手段。小さな羊の姿をした手紙が飛び交う)らしい。

──アーシェラより親愛なるルイン様へ。

バルドスタ戦教国せんきょうこくの『龍の頭を指す剣』の封蝋ふうろうが押されており、さらに以前アーシェラがつけていたであろう香水の奥ゆかしい匂いがしている。

 その手紙の内容は、バルドスタ戦教国からも訓練を兼ねて後詰と探索に王族派の兵士たちを派遣してくるというものだった。

 ルインが手紙をしまいかけた時、監視塔の見張り員が『拡声かくせい』の術式に乗せた声で叫ぶ。

「報告! ウーブロの村方面からバルドスタ戦教国の軍勢。『友好』を意味する黄色い旗を掲げています!」

「たった今聞いた。問題ない!」

 例えばその軍勢がバルドスタ軍に見せかけた別の勢力の可能性もあるが、大軍の持つ熱気の気配をルインは何となく覚えており、士気高いが殺気の無いこの気配はバルドスタ軍のもので間違いがないと確信していた。

「開門!」

 丸太を組んで跳ね上げ式に変えられた門の一つが降りると、鎧に深紅の上衣を着て、見事な葦毛あしげ鉄血馬フリオンに乗ったアーシェラを先頭に、バルドスタの騎士と戦士たちが湿地の彼方の旧道まで列をなしている。

 赤地に金刺繍きんししゅうの『龍の頭を刺す剣』の旗が、朝もやを散らし始めたそよ風に士気高くはためき、磨かれた槍の穂先と甲冑がきらめいている。

 莫大な戦いの経験を持つルインには、軍勢の塊や旗の揺らめきからも感じられることが多くあり、そこから感じられるバルドスタの今と未来は明るい予感に満ちていた。

「総員、行軍停止! 先頭の者たちは下馬せよ! 我がバルドスタの救国の英雄に対し、馬上の礼は失礼千万に当たる」

「別に改まる必要はないんだがな」

 ルインは独り言めいたつぶやきをしたがそれは届かず、アーシェラを筆頭にバルドスタの騎士と戦士たちは素早く馬から降りると、右の拳を左手で包む武人の礼をした。

「バルドスタ戦教国摂政せんきょうこくせっしょうにして、偉大なる美しき大鷲ヘルセス様の使徒アーシェラ、僭越せんえつながら魔の国及び眠り人ルイン様の後詰ごづめとして警護をさせていただきます!」

 良く統制の取れた軍勢は、ほぼ同時に鎧の音を鳴らして礼をし、静寂が漂う。これにはルインも同じく礼を返した。

「心遣い、感謝する! ありがとう、バルドスタの方々。……さ、あとは気楽にしてほしい。これはただの冒険の旅だからな」

 ルインの砕けた雰囲気に対して、アーシェラも柔和に笑った。

「お変わりありませんね。ここは新王国に近い飛び地ですから、敵対勢力がならず者や傭兵の大集団をぶつけてくることも考えられます。しかし、我が国の鉄血の軍勢がここを護ると知れれば、古王国連合も簡単には手出しができないはずなのです。ご存分に勤めを果たされてください」

「ありがとう。君が来てくれたなら安心だな」

「そんな。出過ぎた事かと悩みましたが、お役に立てるようで嬉しいですわ。……ルイン様、新たな情報も入りましたし、お話がてら、私も途中まで同道させていただきたく存じます」

 アーシェラは途中から声を抑えた。

「新しい情報? わかった」

 こうして、予定よりさらに防備を固めた眠り人の勢力は、さらにアーシェラと百人程度のバルドスタの戦士を加え、盤石の態勢で探索を行う事となった。

──バルドスタ人はあまり穀物や極端に甘いものを摂らず、上流階級に行くにつれてそれは顕著になる。貴族の女性は野菜と肉をほぼ主食としており、甘味は林檎を加工したものが好んで食されている。

──美食家ザゲロ著『ウロンダリアの食文化』より。

 昼前。

 朝に出発した大規模な探索集団は、かつてゴシュの父、ギャレドが残した機密扱いの粗地図あらちずに従って進んでいた。かなり背の高い木々による深い森が続いていたが、木の生え方はそう密ではなく、明るい木漏れ日の中を大集団は進んでいく。

 途中で何箇所なんかしょか古代の旧道跡とも思われる木々の切れ目などもあり、老べスタス率いる『深淵の探索者協会』に所属する冒険者たちは、それらの道の分岐などに金属製の細い杭を打ち込みつつ地図を書き込んでいる。

「べスタス殿、それは?」

 ルインの問いに対し、老べスタスは待ってましたとばかりに笑顔になった。

「これはのう、魔導まどう道標みちしるべじゃよ。この地がまだ地図の固定されていない地でも、これを打ち込んでおけばこの場所はこの大人数の確認により、残り続ける可能性が高いのじゃ。ウロンダリアの『識外しきがいの地』を我々人間が探索する場合は、このような作業をやっておかぬと、大集団でも二度と元の場所に戻ってこれない可能性さえある。……じゃが、これをすることによって打ち込んだ場所が固定できる可能性が高くなり、何かが起きてもこれを辿って元の地に戻れる可能性が高くなるのじゃ。わしら人間の知と認識の限界を補完する作業じゃな」

「興味深いな……」

 ルインが少し考えを巡らせていると、黒いフードとマントで顔の隠れたラヴナが話を続けた。

「世界には色々なものが隠されているのよ。例えば私たち上位魔族ニルティスは人間よりも世界の真の姿が見えているから、同じ地を探索したとしてもその結果は異なるの。この地に最初にギャレドの氏族が派遣されたのも、より多くの隠されたものが見つけられるからなのよ」

「そんな理由が?」

「ええ。魔の領域の資源が豊富なのも、私たちが『識外の地』から人間には見つけられない物を見いだせる能力が高いからでもあるわね。例えば上位黒曜石オブスタイトの鉱脈は人間の国々には無いわ。あれは上層地獄界じょうそうじごくかいの溶岩が固まったものだから」

 ルインはしばらく考え込んだのち、ある可能性を口にした。

「つまりウロンダリアは、人間の意識ではたどり着けない異層いそうないし別世界が重なっており、異なる認識を持つ存在が同時に暮らしているから、それらの世界の物質も並列で存在していると? 実体ある複数の世界が同時に重なっているように」

 この疑問には最初に老べスタスが答えた。

「ウロンダリアの人間の学者のほとんどはそのような見解じゃな。古王国連合を最近動かしている比較的新しい人間族、特にクロム人たちは、人間こそが至高の存在だとして他種族を排斥しようとしている者も多いが、もしそんな事をしたらウロンダリアはだいぶつまらぬ世界になる可能性が高いとも言われておるのう」

 ラヴナも話を続けた。

「実際にそうなると思うわ。世界とは所詮認識かもしれないもの。異なる認識を持つ存在を全て排斥すれば、最終的にはごく単調な世界しか残らないかもね」

「考えさせられるな」

 ルインは歩きながら梢の彼方の空を見上げた。森の中を渡る風は涼しく清浄だが、この不帰の地の森は異様に静かで生物の気配もない。おそらく先日の戦いで殲滅した見えない月の魔物ピスリ・カ・グがあらゆる生物を捕食したせいだとは考えていたが、それだけではない何かが感じられていた。

(静かすぎる……)

「ん? ルイン様も何か感じているのね? この森おかしいわ。生き物だけじゃなくて精霊の気配もないのよ。クーム!」

 ラヴナは近くを歩いていたクームを呼んだ。フードを少しはいだクームは少し困惑の表情をしている。

「ラヴナさん、精霊たちは口をつぐんでいるわ。呼べば来てくれるけれど、この地には何か大きな秘密があるみたいよ。とても大きな、しかし邪悪とまでは言い切れない何かが。精霊たちが協力している時点で、とても深い秘密があるのよ」

 しかし、クームのこの疑問に老べスタスは相好を崩す。

「これは胸が躍るのう。不謹慎とは思わんで下されよ? 我ら探索者は常に前向きなものじゃ。きっと何か大きな価値あるものが眠っているのじゃ!」

 ルインは老探索者の前向きさに微笑を浮かべた。と、後方から見事な軍馬を駆るギゼが近づいてくる。この軍馬は異端審問官クローヴァスが用いていたものだ。

「眠り人殿、ベネリス殿が……いや、今はアーシェラ殿か。アーシェラ殿から話があるそうだが、相手は馬上。この馬に乗って話を聞いたらいい」

 ギゼはひらりと降りると手綱をルインに渡した。ルインは慣れた様子で馬に乗ると、先頭集団の後方、バルドスタの集団の先頭に位置する場所まで馬で下がる。ヴァスモー兵と工兵隊の視線をしばしば感じつつ、広い古道を進む集団に逆行していくと、バルドスタの旗を掲げた整然とした集団にたどり着いた。

 ルインの姿をみとめたアーシェラは、すぐさま号令をかけた。

「タイバス、『会話の秘匿ひとく』を。そして皆の者、少し距離を取って隊列を組め。私はルイン様と少し意見を交換する」

 アーシェラの周りの騎士たちは無言でやや距離を取って周囲を囲み、付き添いの宮廷魔術師タイバスは会話が漏れ聞こえなくなる魔術を発動させた。

「これで良いでしょう。ルイン様、少しだけお耳に入れておきたい事がございます」

「聞こうか」

 ルインはアーシェラの騎馬に沿って馬を歩ませ始めた。

「先日の三大老とベティエルを入念に取り調べしましたところ、我がバルドスタの件も、この件も、古王国連合に深く入り込んだ人々が暗躍あんやくしている模様です。特に『クロム人』と呼ばれる人間種族の派閥が暗躍しているようですわ」

「クロム人?」

「はい。ウロンダリアでは『クロムの民』などと呼ばれています。八百年前の『混沌戦争カオス・バトル』の終結後に、討伐され追い払われた混沌カオスの神々の領域から現れた人々です。無視できない勢いを持ち始めた『統一神教とういつしんきょう』を起こし、また巨大にした人々でもありますわね。この人々のおそらく秘密組織のようなものが、どうも古王国連合や異端審問会、統一神教の深部に関わっているようなのです」

「なぜそんな事を?」

「そこが分からないところです。まだ裏は取れていませんが、動機が分からない事には全容も推しはかりようがない所です。ただ、少し気になる事があります」

 アーシェラはさらに声をひそめて話を続けた。

「最近、この地からも遠くない南方新王国の国々の中で、このクロム人たちの国家『モーダス共和国』が、妙に活性化しています。よく『貪欲なモーダス共和国』と呼ばれる国ですが、それでも以前は新王国に存在する古王国の領地で揉めることは無かったのです。しかし、近年はそうでもなく、彼らが活発になってきた時期と、我が国の元老院の増長、そして古王国連合の腐敗は全て連動しているようなのです」

「確かにそれは無関係とは考えない方が良いが、意外に遠大で、尻尾は見えても頭やその中が見えないな……」

「仰る通りです。もう少し何か概要を掴んでお話したかったのですが、この通り範囲が広く、まだ全ては把握できないところなのです。ただ、ルイン様や一部の眠り女の方々には、蓄積ちくせきや知恵が人をはるかに超える方もいますから、お耳に入れておいた方が良いかとも」

 ルインはこの言葉にふっと笑った。

「おれにそんな知恵はないよ。ただ、ラヴナやチェルシーは何かわかるかもしれないな。それに、魔王殿がそんな事を言っていたよ。『世界の終末を経験していない人々の心は高きから低きに流れる』と。おそらくそれは、そのクロム人と呼ばれる人々の事だろう」

 ルインは先日の深夜に魔王と話した件をアーシェラに説明した。

「魔王様まで? やはり何かあるのですね」

「だと思う。いずれにせよ、新しい国の名前も出て来たし、おれも考えてみるよ。ありがとう」

「いいえ、こちらでも方々により一層探りを入れてみますわ」

「君も気を付けてくれ」

 ルインは馬を速歩にして先頭集団に戻ったが、途中でさらに強まる静寂の気配にさらに違和感が強くなった。

(……何かが自然ではない)

 しかし、その何かが分からない。一方で、少し前から感じている戦いの気配は近づきつつあるような気がしている。

「どうしたんだい? 何か気になるかい?」

 フードをはいだバゼルが何か確信めいた笑みを浮かべている。

「何か知ってそうな笑顔だが」

 ルインの軽口に対して、バゼルは真面目な口調で答えた。

「すべて見通せるわけじゃないけどね。高度な文明を持っていた民の中には、信じられないほどの術式なり技術を持っていた者たちも少なくないんだ。あたしの本体の持つ権能で答えられるのはこんな奥ゆかしい答えだね。でも、その前提で考えれば、例えば見渡す限りのこれが欺瞞と秘匿だったとしたら、あんたの感覚に近いものになるんじゃないか? ……それくらいのものが隠されているとしたら、だが。そして、その可能性についてはあたしが先日話したろう? テア・ユグラ・リーア……つまり、『二つの世界樹の都』の話を」

「……まさか?」

 ルインは違和感の漂う森を眺めた。バゼルの話を元に考えれば、この景色全てが偽りのものである可能性を彼女は示唆している。この地の真の姿はこの森ではない可能性が高くなってきていた。『識外の地』そして認識の話と、老べスタスの言っていた話にバゼルの話を合わせると、導き出される答はそれしかなかった。

「このウロンダリアでは、そうやって隠されていた地域が漂着することはしばしばあったのさ。ここはその前段階に等しいだろうね。……ああ、この話をするべきだったんだな。時が見えて来たよ」

 バゼルは空を見て何か確信めいた言い方をし、ルインに向き直った。

「明日の午前だ。あたしはその頃に連れ去られるだろう。この集団もあたしの運命もその頃に大きな岐路きろに立たされるようだ。皆、今夜はしっかり休んだ方がいいだろうね」

「わかった。そのように指揮しよう」

 ルインはあらためて感覚を研ぎ澄ませて自分の位置を確認した。バゼルの言葉のせいで、自分が存在しない仮の空間と位置に立っており、真に秘匿された広大な何かがその空間に眠っている様子が想像できる。

 そして、この地域のまだ先の見えない広さに、脅威も秘密もまた予想以上に大きなものになると確信し始めていた。

「皆、今日は予定では日の高いうちに奥地の湖と、目的地である『古都の門』近くに到着するはずだ。早めに野営をして明日に備えよう!」

 探索集団から士気の高い返事が返ってくる。十分な休息と準備が求められていた。

──ウロンダリアは国や地域が漂着してくることがままある。この仕組みがどのようなものかについて、多くの者が考えてきたが、答えを出せた者は存在しない。ただ、この現象にこそ『船の民』が関わっているのではないか? という仮説は根強い支持を受けているようだ。

──冒険者王ルスタン著『果て無き地ウロンダリア』より。

first draft:2021.09.09

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