第二十四話 火が見せるもの、火が隠すもの
大魔城エデンガル最下層の炉の領域『不名誉な火の炉』。
炎を扱う謎の六姉妹フラムスカたちのうち、長女を名乗るアドナとセレダは、直前までの険悪な雰囲気が嘘のように穏やかな表情でルインを見ていた。
──どちらが長女だと思いますか?
二人は微笑さえ浮かべてルインの返事を待っている。どちらもが自分が長女であるという答えに不動の自信を持っているようで、それだけに答えが望むものでなかった場合は何が起きるのか想像もつかない剣呑さが漂っていた。
ルインは少し難し気な顔をして腕を組み、二人に問う。
「質問に質問を返すようで悪いが、長女であるなしはそこまで大きな意味を持つのか? いや、持つのだろうがそれがなぜかを知りたい」
火の魔女アドナの親しみやすい笑みはそのままに、どこか気を使った雰囲気で説明を始めた。
「これはとても遠大で深淵な魔術や運命の仕組みに近い話です。長女であるかないかで大きな機会を得るか、または失ってしまう可能性がありますから。それは最悪の場合、私たちのような長い時を生きる者の一生の価値を無意味にするほどのものです」
続いて、『送り火のセレダ』も話を継いだ。
「エレフォルより下の妹たちは明確にその生まれと宿命があり、それに準じて生きる事が出来ています。でも、私とアドナは違う。どちらが長女なのか? または別の解があるのか。どちらかにとって望まぬそれが出たら、力で長女の座を得る事も私は厭いません!」
「それはつまり……」
意味に気付いてルインは言いよどんだ。殺し合いも辞さないと言っているように聞こえていた。案の定、アドナが強い口調で話を続ける。
「その場合は私だって望むところよ。いくら姉妹でもそれは他人の始まりの事さえあるわ。力ではっきりさせてもいいのよ!」
「やめてよ姉さんたち! どちらが居なくなっても私は悲しいわ……」
エレフォルが涙声で訴え、すがるようにルインを見る。この張り詰めた静寂の中で全ての視線がルインに集中し、腕を組んでしばし考えたルインは意外に気負いのない口調で二人に話しかけた。
「アドナとセレダ、君らには翼はあるか? 差し支えなければ展開して見せてほしい」
「ん? 翼ですか?」
チェルシーが不思議そうに問う。
「裸じゃなくてですか?」
空気を読まずにアドナが軽口を言った。
「……翼だ」
「真面目ですねぇ」
冗談とも本気ともつかない笑顔でアドナが聞き返し、ルインが困ったように返す。この様子にセレダは一瞬訝し気な表情を浮かべたが、二人は翼を展開した。
「あれ? お二人の翼……」
ルシアは何かを感じて思わず声を上げた。アドナの背中には右側に黒い蝙蝠のような翼が、左側には白く輝く鳥のような翼が広がる。左右非対称で魔と聖を感じさせるそれはセレダも同じだったが、左右の翼が逆だった。
「ああ、思い出した。やはりそういう事か……」
ルインが小声でつぶやく。
「え? どういう事なんです? 何か知ってたんですか?」
チェルシーはこの不思議な翼の差異に何かを感じ取ったが、それが何かまでは分からない。ルインが話を続ける。
「全て思い出したよ。君らの母はとうに滅んだリドキアの大地の母神ムルマだ。民への優しさが過ぎて停滞したとしてリドキアは徹底的にマスティマどもに破壊されたが、美しいムルマは奴らに囚われ……そして君らが生まれた。最初に生まれ落ちた子は二対の翼、四本の腕と脚に二つの頭を持つ女の子で、その見た目故に他の子たちのようには攫われなかったが、奴らとの戦いの後におれが君らを魔剣の黒き炎で二人に分けた。つまり……」
ルインは一呼吸おいて話を続けた。
「君らはもともと一つであり、つまりどちらも長女だ」
「そんなまさかぁ……本当に?」
チェルシーが茶化そうとしたその時、アドナとセレダは嬉しそうに互いの手のひらを合わせて歓声を上げた。
「やったわ!」
とても仲の良さそうなその様子にルインたちは困惑する。
「何だか殺し合うくらいの雰囲気だったと思うが……」
「それはそれ、これはこれです!」
思い切りの良すぎる笑顔でセレダが答える。
「気に入ったほうを長女とか言う人でなくて本当に良かった!」
このアドナの一言にチェルシーが少し不機嫌そうな笑みを浮かべた。
「……少し僭越が過ぎますよ?」
「これは軽口ですから!」
アドナはばつが悪そうに謝り、その後ルインに向き直った。
「私たち姉妹は、あなたの過去の戦いと黒き炎の聖別が無ければどうなっていたか想像もつきません。長い時を超えてこうして再会でき、お役に立てるのはとても光栄です。この『不名誉な火の炉』の事はお任せくださいね」
セレダも興奮気味に話しを継ぐ。
「まさに我らの母はリドキアの母なる神ムルマです。現在のウロンダリアでは『爛れのムルマ』と呼ばれる女子供の守り神でもありますね。今の成長した私たちは母の神気を穢してしまいかねない為に直接会う事はありませんが、小さな頃はあなたの話を随分聞かされたものです。大変に荒々しい戦いだったとか」
ルインの中でフラムスカとリドキアの母なる神ムルマに関する記憶が全て思い出されて繋がり、ルインは優し気な笑みを浮かべた。
「おれはただ、彼女の怒りと悲しみに少しだけ自分の怒りを乗せただけだ。あの時の小さな子たちが君らだったとすると……そうか、トロナはあの時の一番小さな赤子か!」
ルインの言葉の終わりきらないうちに火柱が立ち上って『緩き火のトロナ』が現れた。
「マスティマの戦艦に連れ去られた私を救い出し、鎧の懐に入れたまま戦って、あの恐ろしい赤い炎のマスティマたちを寄せ付けずに皆殺しにされたとかで、母はいつも『あの黒い方を父と思いなさい』と」
ここで火の蝶イグモナが無数に現れると渦巻いて『蝶の火のレンテラ』が姿を現した。
「私とアドナ姉さんは母の『聖く分かたれたるもの』としての資質を特に強く受け継いでいますが、そのままならマスティマたちの『罪の火』により邪悪な存在になってしまいかねませんでした。あなたの黒い炎で清めていただいて、芸術に加護を与える存在として居られるのです」
続いて、暗い炎に燃える鵂たちが現れて集まり、『夜の火のオーネ』の姿となった。
「私などは父たるマスティマたちの皮肉さを強く受け継いでいるため、由緒ある上位魔族とも下層地獄の魔族とも異なる単独の邪悪な存在になりかねませんでしたが、あなたの黒い火によって『火が見せるもの』のほかに『火が隠すもの』を見る力を得てここにいられます」
「すごい! みんな揃ってるところを見たのは何年振りかな?」
ルシアの肩に座っていた火鼠のジュリーが嬉しそうに声を上げ、しばしの沈黙の後に『竜の火のエレフォル』が遠慮がちに話し始めた。
「わ、私はみんなが仲良く、そしてもう少し誰かとお話しできたらそれでいいです。わたしの『竜の火』と『罪の火』の力で、誰かがもう少しだけ笑えたら素敵だなと思います」
「エレフォルは優しいな。力を貸してもらえる分、こちらも何か返せるようにしたいところだ」
ルインの言葉にフラムスカたちも微笑んで頷く。ここでアドナが何かを思い出したように手をぽんと打ち合わせた。
「そういえば、母と私たちとであなたに贈る強力な武器を幾つか作っていたのですが、どこの街でも良いので『爛れのムルマの神殿』を訪れると良いですよ。啓示が下され、何らかの方法であなたに武器が渡りますし、母もとても喜ぶと思います」
この言葉にルインの目が輝いた。
「武器を? ありがとう! ぜひそうさせてもらおう」
「はぁ……本当にこう、女の人より武器なんですね」
チェルシーがため息交じりの小声でつぶやく。
「いや、必ずしもそういうわけではないが……たぶん」
場は穏やかな笑いに満ちた。こうして大魔城エデンガルの『不名誉な火の炉』は、そこを預かるフラムスカ六姉妹と眠り人ルインの過去の奇妙な縁により、より積極的に稼働する事となった。
同じ頃、上層地獄界の隠された炎の領域『女王の火の炉』。
複雑にねじれて分岐した黄金の燭台が無数に立ち並び、その高さを競うように人ならざる感性で繋がっては林立する穹窿天井(※ドーム状の天井)の聖堂は、そのほとんどが炉となった開口部を持ち紅蓮の炎を吐き出している。
不規則な炎の明かりに照らされ、しかしなお天井が高く暗いこの場所で、ひときわ大きな聖堂の炉の火を眺める背の高い女がいた。
床に届きそうな黒い髪は人外の豊かさでマントのように広がり、途中から赤熱する鉄のように赤く燃えている。魔族の尖った耳と赤い眼の他に、神に従わぬ者の象徴たる大きな二本の角を持ち、その角には上位魔族の既婚を意味する銀の角飾りがはめられ、宝石のついた銀の飾り鎖がきらきらと揺れていた。
威厳のあるその立ち姿は堂々としており、立派なその身体は黒曜石によって紡がれた糸で艶めかしく透けた部分の多いドレスが良く似合っている。一見、上品さと煽情が同居したこの装いは、ウロンダリアの文化に詳しいものが見ればエンデール帝国様式の由緒ある喪服であり、戦いによって夫を失った若い女の装いであると理解できただろう。
堂々たる喪服の女は赤く輝く目に一瞬の思慮の輝きを映した後、小さな炎の溜め息を吐いた。
「『不名誉な火の炉』に炎が再び宿ったか。つまりあの男こそは先代の神聖乙女セレニアが密かに予言していた通りダークスレイヤーだったと。ここまではまことに良い経過をたどっておるな」
──二代目上魔王ダイングロードの妃、『炎の淑女』メルテレシア。
メルテレシアは何者かの気配を感じて威厳漂う所作でゆっくりと振り向いた。
「パイラ殿か。珍しいな」
メルテレシアの視線にまず飛び込んだのは炎よりなお赤い、イシリア様式の緋のドレスを着た背の高い女だった。しかし、無闇に豊満なその女は足の付け根まで見えるこのドレスが申し訳程度にしか機能していない。
メルテレシアの言葉に、長い赤毛をしたその女は首をわずかに傾けて微笑み、宝冠のような髪飾りが複雑に輝いた。女は蕩けるような艶のある声で言葉を返す。
「首尾を確認されているかと思い、参じた次第ですよ。それに報告とお話がございます。我が娘に『蠱惑の幸運』の力が働き、あの方と領域が触れ合ったそうです」
──上位のサキュバス、ザヴァ氏族の代表、パイラ・ザヴァ。
メルテレシアはこの報告ににやりと微笑んだ。
「知っておるぞ」
この言葉にパイラは困惑の漂う微笑みを浮かべた。どこか追い打ちのようにメルテレシアが笑顔で言葉を続ける。
「そなたはあの男の正体がセレニアの予言の通りだったことを確認した上で、私にある種の許しを請いに来た。違うか? 我らの約定『みだりにあの男に触れてはならぬ』に関してな」
パイラは何かを悟ったのか、ばつが悪そうな笑みを浮かべた。
「あらぁ困りましたね。お見通しですか。我が娘が厳格に『陰なる府』の裁きにかけられるのは適切ではないと思って参じたのですが、既に誰かが通報していた、と。我が氏族とやり合う覚悟があるのはどの派閥でしょうか?」
パイラの赤眼が好戦的に燃える。
「密告してきたのはそなたらの身内だぞ。もうこの時点で分かるであろう? こんな陰湿な行いをする者は……」
メルテレシアの言葉が終わらぬうちに、近くの聖堂の炎を眺める女が突如として現れた。パイラから見てラヴナによく似ているが魔族の角のあるその女は、二人に視線を合わせずに炎の溜め息を吐く。
「密告に陰湿な行いですか。散々な言われように泣きそうです。約定の通りにしているだけなのに……」
上位魔族の女性の豊満さではなく、均整の取れた人の姿に近いその女は、ぴったりとした黒曜石のワンピースと複雑な首飾りや髪飾りが高い身分を示しているが、どこか魔族よりは人に近い頼りなさが漂っている。
──ラヴナの従姉妹にしてザヴァ氏族の姫の一人、ファーナ・ザヴァ。
ファーナの赤い眼は魔族に似つかわしくない涙で潤んでいた。
「とにかく私は『陰なる府』の公正さを信じています。いかに結果が良かったとしても、取り決めを超えた事は看過すべきではないです。そもそもなぜ、私ではなくラヴナなんでしょうか? 『本当の姿』を隠して男の人に近づくなんて……」
しかし、当のファーナもラヴナのように『人に寄せた姿』を取っているためこの言葉に説得力はほぼ無かった。
「ファーナ、なら何であなたはその姿にしているの?」
「同じ姿なら私の方が献身的だと思うからです」
ファーナの答えは雑にも感じられるもので、パイラは呆れたように溜め息をついた。何か良くない傾向を感じたのか、メルテレシアもファーナに言葉をかける。
「ラヴナに似せ過ぎている気がするぞ? 角のあるなしと目に出る表情を除けばな」
「だって、ラヴナはうまくいってるじゃないですか。だったらこの姿がいいんです、たぶん」
「自分の取りたい姿はないのか? ラヴナは魔族としての姿は豊満に過ぎて嫌だとして、人に近い姿を取っておるのだぞ。可憐で小柄だがしっかりと魅力あふれる状態にしておるらしい。対してお前は真似事ではないのか?」
「分かりません。私は一番良いと思えるやり方で評価されて好まれたいのです。ラヴナの姿が良いならそうしますし、他に良い方法があればそれで」
「……そこがお前の駄目な所だ。魔族の女のくせに己に対する自信という物がない。そんな自分を満たしてほしくてあの男に近づこうとしておる。それでは駄目だ」
「そんな……でも、眠り女たちだって救われたくてあの方の近くにいますよね? そもそもどうして私は夢魔の姫に弾かれてしまったのか、いまだにわかりません。ただの意地悪だと思います」
メルテレシアは困ったように腕を組み、パイラに視線を送った。何か察したパイラは代わりに話を続ける。
「はっきり言うけど、あなたは全てがラヴナに劣っているうえに心が卑屈なのよ。まずそれをどうにかなさい。話はそれからよ。それに、あなたがラヴナの事を『陰なる府』に通報したとして、眠り人がラヴナとの関係を是とすればいよいよあなたの枠なんて無くなるわ。それをよく理解していたかしら?」
「より状況が悪くなるのですか? そんな……ラヴナを告発したかっただけなのに!」
ファーナは半泣きになりつつ姿を消してしまった。
「やれやれ困ったものだなパイラ殿。あれは人の血の残り滓が我ら上位魔族の姿と力だけ持って生まれたような娘だな。我らのようにおのれの真の姿さえ持っておらぬやもしれぬ。まあ、あの男の近くには我々でも気配を追えぬほどに位高く美しき女神がいるはずで、ファーナごときでそうおかしなことにはならぬだろうが」
炉の炎が一瞬激しく燃え上がった。
「そのお話はいけませんよメルテレシア様。女の秘密を燃やすこの炉の近くならまだしも」
パイラは何者かの聞き耳を意識するように声を潜めた。メルテレシアが苦笑する。
「そうであった。私も少し歳を経たせいか、若い娘の軽薄さが気になっておるな」
「ふふふ、御冗談を。私より遥かにお若いでしょうに」
パイラの言葉にメルテレシアは寂しげな笑顔を見せた。
「そう、私もまだ一人寝には早い。だからこそ眠り人には期待しておるのだ。おそらく既に巧妙にこの地に侵入している混沌に対してあの男が刃を向けてくれるなら、ごくわずかな可能性だが混沌に呑み込まれた我が夫を取り戻せるかもしれぬからな。つまり……」
メルテレシアの空気がどこかおかしみを帯びたものに変わった。
「我が火床も火かき棒を取り戻せばまだまだ燃えるというものよ」
「あらまぁ」
大人の冗談を言って笑うメルテレシアにパイラも苦笑する。
「いずれにせよ、これで三つの魔城の火の炉は稼働し、その炎は外つ世界たる無限世界からこの地への手がかりを燃やして隠し続ける。良い状態になったな」
「ええ確かに。炎は多くを照らし、また隠しもしますからね」
「しかし、お前の娘があの男に触れてしまった件に関しては隠さず裁きにはかけねばならぬがな。よって召喚状が出されるであろう」
メルテレシアはパイラの反応を楽しむように微笑んだ。
「やっぱり駄目ですか?」
しかし、娘にとって良くない決定を聞いたパイラの声は楽しそうでさえあり、その意味に気付いたメルテレシアはつまらなさそうに話を続けた。
「ふん、それでもこの経過がかえってパイラ殿の娘に有利に働くように私には読めるぞ。炎がそう告げておる。気付いたであろう?」
「……まあ、お手柔らかにお願いしますね」
「どうであろうなぁ」
にやりと微笑むメルテレシアの言葉に呼応して『女王の火の炉』はより激しく炎を燃え上がらせ、パイラも苦笑してその様子を眺めた。しばしの意味深な沈黙の後にメルテレシアが話を続ける。
「我が息子シャルミア(※現在の上魔王シェーングロードの事)は現在のウロンダリアを評して『名だたる英雄が少ない』と言い、混沌に対抗するには心細く思っているようだ。しかし、強い女はかつてないほどに多い現状にまで目が届いておらぬな。ここにこそ大局が垣間見えるのだが。そしてラヴナはその中でもかなり強い部類だ。よって、運命はそなたの娘に有利に働くであろうよ。だから面白い結果になるかもしれんな」
「そうなる事を望みます」
『不名誉な火の炉』の炎が激しく燃え上がり始めた一方、もう一つの『女王の火の炉』の近くではラヴナに対して魔の国の女の政府である『陰なる府』が証人喚問を行う事が決定されていた。
first draft:2023.07.01
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