第二十四話 蜥蜴の尾

第二十四話 蜥蜴とかげの尾

 不帰かえらずの地、さいはての村ウーブロ。

 修理の進んだ『マルザの店』で、ルインとチェルシーは来客を待っていた。

 見えない月の魔物ピスリ・カ・グが撃滅されてから数日が経過していた。表面的にはウロンダリアは平静を保っていたが、水面下では聖王国と魔の国、古王国連合の間で複雑な調整がなされており、複数の組織間で無数の書簡のやり取りがなされ、それはほぼ落ち着いた。

 まず、捕虜ほりょとなった銃士隊及び審問官クローヴァスは魔の国で身柄を一時的に拘束。クローヴァスの家族は魔の国の密偵たちが同じく保護しており、異端審問会が眠り人と激突した事、以前にヤイヴの一氏族、ギャレドの氏族を不当に攻撃したことなどもすべて調べ上げられ、この情報は魔の国と聖王国で共有がなされた。

 異端審問官バゼルはラヴナが監視するという表向きの取り決めとなり、その能力と正体は機密扱い。『不帰かえらずの地』に対しての調査・領有権限は魔の国のものとなり、異端審問会は所定の期日までにこの地域から手を引く事となる見通しが立っていた。

 しかし、一点だけ、古王国連合または異端審問会が譲ろうとしない点があり、その部分での調整は難航していた。『古都ことの門』と呼ばれる遺跡の調査権を渡す事だけは拒んでいたためだ。

 この膠着こうちゃくした交渉は最悪の場合、小規模な紛争か国家間の訴訟になる可能性があったが、折衷案せっちゅうあんをもって名乗りを上げたのが、大プロマキス帝国の古いギルド『深淵しんえんの探索者協会』だった。

「ルインさん、丘の上の転移門から連絡です。ギルドの顧問こもんが来たようですよ」

 灰色の毛をした猫の剣士ジノが店の振れ戻り戸を押して報告する。ほどなくして、紺に銀糸の刺繍の入ったローブの男と、ベストを着た小柄な老人、洗練された事務服を着た眼鏡の女性の三人が訪れた。三人はそれぞれ自己紹介する。

「お初にお目にかかる、キルシェイドの眠り人殿。私は大プロマキス最古の探索系ギルド『深淵の探索者協会』のギルド長、カウロノスと申します」

 これはローブの男。

「いやぁ、実に興味深いのう。音に聞こえた『キルシェイドの眠り人』殿がこんなに若い男の姿をしていたとは。わしは『深淵の探索者協会』の特別顧問、べスタス・ダガルと申す者じゃ」

 言いつつ微笑む、ベストを着た眼光鋭い小柄な老人。

「初めまして、『キルシェイドの眠り人』ルイン様。私は最近べスタス様に雇われた秘書で、リリシアと申します」

 年齢不詳の、灰色の上げ髪と眼鏡のよく似合う秘書は、そう言って微笑む。

(んん?)

 しかし、ここでチェルシーはリリシアが魔族にしかわからない笑いの空気を出している事に気付いた。心なしか、声にも雰囲気にも、そして名前にも何か覚えがある。そこまで思ったチェルシーの脳裏に、よく知っている眷族けんぞくの母が思い浮かんだ。

(リリス様⁉)

 驚いたチェルシーに気付いたリリシアは、一瞬だがしてやったりといった笑みを浮かべた。

(ちくしょう、そういう事ね……!)

 何らかの考えがあって、夢魔の女王リリスはリリシアという魔族の女に変身し、干渉をしてくる腹積もりのようだ。

「リリシアは大変に有能な秘書でのう。魔の国の勝手も知っておるとの事で、今回の調整に名乗りを上げさせてもらったのだ。今のままでは、我らは異端審問会の出先機関とみなされ、怪しげな探索で冒険者を失い、また危険にさらしたことになってしまう。これはギルドとしてはあってはならん事じゃ」

 笑顔は絶やさないが隙の無い険しさが漂う老べスタスは、ルインたちの予想外の考えを口にした。

「……申し出の段階から、少し違和感はあった。バルドスタでもそうだが、昨今の『古王国連合』は、いささか腐敗した官僚組織の印象が強く、失礼だがあなた方のギルドもそのような組織かと思っていた。つまり、このような硬骨こうこつの申し出は予想外だったな」

 ルインは直接的な言い方をした。何か腹積もりがあるのか? という牽制の意味合いも込めている。しかし、べスタスは器量の大きい笑みを浮かべた。

「来てよかったわい。あんたの言う通りじゃ。我がギルドは意見が割れておってな。この判断はワシの一存で押したのじゃ。しかし、冒険者や探索者を護らずしてギルドの信頼は成り立たぬ。ワシはその筋と依頼主の情報をたてにこの判断を進める考えじゃ。おそらく何らかの圧力はあろうよ」

 べスタスの目に狡猾こうかつさよりも好奇心を読み取ったルインは、微笑して話を続けた。

「筋は通るとはいえ、あえて危険な判断をして得られるあなたの『利』は何かな?」

「もちろん冒険じゃよ。ここ三百年ほど、わが『深淵の探索者協会』に降りてくる依頼は小粒なものばかりじゃ。歴史に残る発見もそう多くない。しかし、ここで貴殿に関わればどうかな? しかもまだ貴殿はギルドの人脈は持たず、もしかしたら新たな地さえ見つけるかもしれぬのじゃから、ここで乗っておかぬ手はない。ワシの冒険者としての勘がそう言っておる」

「上部組織から圧力がかかった場合は?」

「ワシは特別顧問を解任となり、それで責任は果たされ、自由の身となろうな。それまでに貴殿が何かをこの地で見つければ最高なのじゃが」

 ニヤリと笑う老べスタスにルインも笑みを浮かべ、チェルシーに向き直る。

「チェルシー、どう思う?」

「とてもいい考えだと思います! でも、何か見つけないとべスタスさんが気の毒ですね。『深淵の探索者協会』のギルドの運営手腕は、この地で何かが見つかればとても有益だと思いますよ!」

「よし、乗らせてもらおう!」

「決まりじゃな! 我らは第三者として公平に『古都の門』の探索をする声明を出そう」

 こうして、古王国連合や異端審問会の対応を待たずに、『当初の依頼の延長として』大プロマキス帝国のギルド『深淵の探索者協会』が、半ば強引に『古都の門』を探索する声明を出した。

 これにより、古王国連合側は『古都の門』の調査権を強く主張することは出来なくなってしまった。

──ギルドは本来独立組織であり、国家や宗教の影響を受けない。しかし、ここ数百年の平和は悪い意味でそのような気風を損なっている。

──セリネ・ファラウラ著『ギルドの歴史』より。

 同日夜、古王国の大プロマキス帝国、学園都市アンダルヴィル。

 単眼鏡モノクルを掛けた屈強な審問官しんもんかんの来訪に、『血塗ちまみれの錬金術師』ダクサスは何かを察して悪態をついた。

「今度はどんな悪い知らせだ? エドワード」

 単眼鏡の頑健な紳士はやれやれといった笑みを浮かべた。

「また随分な言われようですな。確かに悪い知らせなのは否定しませんが、いやはや」

「いいから要件を手短に言え! 何も手につかん」

 ダクサスは血で汚れた解剖記録をまとめた冊子さっしを乱暴にテーブルに置いた。

「『深淵の探索者協会』が、幾つかの条件を盾に『古都の門』を責任をもって探索すると声明を出しましたな」

「何だと⁉ あそこにそこまでの気骨が? どういう事だ?」

「特別顧問の老べスタスが動いたようですな。やはりこの件の背後には見えざる神々の意志のような物が働いておりますな」

 エドワードは単眼鏡を外すと、磨きつつ事も無げに言った。

「駄目だぞ? それは駄目だ! あの遺跡だけは渡せん!」

 対照的に声を荒げるダクサス。

「お気持ちはわかりますが、この流れは変えられませんでしょうな。古王国連合も異端審問会もいささか弱みを握られ過ぎております。方法があるとすれば、新たな探索者たちが全滅し、『それ見た事か!』とでも言える立場になれば別かもしれませんが」

 しばしの沈黙が漂う。ダクサスは壁際の小さなかごから一匹の蜥蜴とかげを取り出した。うっすらと緑の光を放つ薬液の水槽すいそうの上で尻尾をつまみ、ぶら下げる。

 小さな声を出して暴れていた蜥蜴は尻尾を自切し、少し粘り気のある水音と共に薬液に落下した。続けて、ダクサスは切れた尻尾も手放した。うっすらと光る液体は白い泡を幾つか煙と共に吹き出すと、やがて二匹の寸分たがわぬ蜥蜴が水槽のへりに浮上する。

「……もうそれしかないか。仕方あるまい。蜥蜴の頭が無能なら、あえて切られる尾となり、そこから体と頭を生やせばいい。錬金術師とはそういうものだ」

「仰る通りですな」

 エドワードとダクサスは綿密な打ち合わせをし、恐ろしい筋書きを確実性の高いものにした。見通しの立ったダクサスは獰猛な笑みを浮かべて呟く。

「『月の落涙らくるい』の何回分に匹敵するか分からない月の魔物の大群、流石に防ぎきれまい。眠り人や魔族の隠された力を観察し、貴重な死体が手に入るのはたまらんな」

「……全くですな」

 こうして異端審問会側は、自分たちが把握している『古都の門』の恐ろしい秘密を利用し、逆に魔の国や眠り人を陥れるべく画策し始めていた。

──赤い月シンの起こす災い『月の落涙』は、古代には大災厄の一つだった。幾つかの大きな都市や国が滅ぼされたとも伝わるが、被害が大きすぎたのか詳細はほとんど伝わっていない。

──クリスカール・レルエス著『赤月禍せきげつか』より。

 西の工人アーキタの都市カ・シ、調理器具専門の商店街、通称『料理鉄人通り』。

 大きな調理器具店の一画で、ヤイヴの男とカルツ族の猫の商人が揉めていた。

「嘘だろう? 一つも売れないなんて事があるか! くそったれ! どこまで世の中は平和ボケしてやがるんだ! だったら新王国にでも行って売ればいいだろう?」

 あさの粗末な服と革の職人用のエプロン着たヤイヴの職人ゴラッドは怒声と共にテーブルに拳を叩きつけた。対して、カルツ族の茶色い猫の行商人も言葉を荒げる。

「無茶言うな! 新王国は命がいくつあっても足りないし、今回だって魔の国や古王国も回ってきたんだぞ? お前の道具は見た目よりは軽いけど、何というか丈夫過ぎてごつくて武器みたいなんだ! 売って欲しかったら売れるようなものを作れ! 今は平和な時代だから、こんな実用性なんて流行じゃないんだ! こだわりたいなら一人で店構えるか行商して、野垂れ死ぬなり金持ちになるなり、勝手にすればいいにゃ!」

 興奮してカルツ族の行商人の言葉の語尾が猫のようになった。これは彼らが興奮した時の特徴だったが、それが全く商売にならなかったことをありありと伝えており、ゴラッドは自分が否定されたような気持ちになった。

「何だと!」

 激高したゴラッドは思わずカルツ族の行商人の胸倉むなぐらを掴んだ。

「暴力は反対! こ、こっちだって一生懸命売ろうとしたんだぞ!」

「すまない……そうだな。……ちくしょう!」

 今度はゴラッドの心に圧倒的な無力感が押し寄せてくる。

「とにかく、ここまで売れないと次の行商にはちょっと持ってけないよ。それは分かって欲しい。でも、この町での売り上げは?」

 ここで、ゴラッドの腹が激しく空腹を訴える音をたて、猫の行商人は全てを察した。

「……無さそうだね」

「感情的になって済まなかった。とにかく、戻って少しでもいいものを作るよ。商売にならずに申しわけなかった」

 ゴラッドは深々と頭を下げた。

「いや、商人として売れなかったのは僕も悪かったよ。応援はしてる。……あ、魔の都なんだけど眠り人がすごく話題になってるし、僕らが尊敬するカルツェリス商会は眠り人と手を組んだみたいだなんだ。しかも君と同じヤイヴ族絡みの大きな事件もあるとかで、そこに何か商機があるかもだよ?」

「魔の都か……」

 ゴラッドにとっては避けたい場所だった。あまり良い思い出が無かったが、いつまでもそんな事を言っていられる場合ではなくなってきていた。

「まあ、応援はしているよ。あとこれは、売れなかった分の迷惑料」

 猫の商人は小さめの銀貨を一枚、ゴラッドに弾いた。

「いや、これは……」

「つべこべ言わないで飯食ってもっといい物を造れ! そうしたら売ってやるにゃ!」

「……すまねぇ」

 ゴラッドは売れなかった商品、武器にもなる肉切り包丁とフライパンの返品を受け、木箱で一つのそれを担いで足早に商店を出ると、小さな工房兼自宅に戻った。鋳物工場いものこうばの奥まった場所にある古い小屋がその場所だが、今や大量の在庫の入った木箱だらけで、さらにそこにもう一つの木箱が積み重なる。

「へっ! 平和ってのも考えもんだな……」

 ゴラッドはヤイヴたちの体格や体力から、武器としても十分に使用に耐える調理器具の必要性を常々考えていた。試行錯誤の末に様々な種族の体力を鑑みた丈夫な調理器具を幾つか生み出したが、古王国では全く売れない。

かと言って新王国は情勢が不安定過ぎ、自分で売り歩くにも路銀もなく、毎日の食事にも事欠くほどに食い詰めていた。

「くそっ……!」

 元々は職人の払い下げのかびたパンとチーズを安いワインで流し込んだゴラッドは、ふて寝に近い感覚でいつしか眠りに落ちてしまった。

──五大工人都市にはそれぞれ得意分野がある。カ・シは刃物などの武器や道具、ピステは火砲、アスバクは宝飾品や衣服、ルガロンはゴーレムやその武器、フォッドは飛空艇である。

──カイラム・ジンシ著『工人とその歴史』より。

 転寝うたたねをしていたゴラッドは勢いよく開いた小屋の木戸の音で目を覚ました。焼けた鹿のもも肉を片手に、立派な牙と太った腹、三重の黄金の首飾りで身を飾った大柄なヤイヴの男が笑っている。

「何だァ? ずいぶん食い詰めやがって。情けねぇ野郎だな!」

「あんたは誰だ? ……いや、オゴス様⁉」

 ゴラッドは自然とその名前が出たことに困惑した。

「おうよ! 自分の祖神そしんを思い出せるってのは大事なことだぜ! 賢く強きヤイヴの最初の男、勇士オゴスたぁおれの事よ!」

 ゴラッドは慌てて地べたに跪こうとしたが、オゴスがそれをたしなめた。

「人間でもあるめぇし、そういう堅っ苦しいのは無しにしようや。んで、単刀直入に言うぜ? お前なかなかいい仕事してるじゃねーか! オレらにはまだまだ文化ってもんが足りねぇが、お前のやってるこれは文化ってやつだな。これがオレらには必要だ。……というわけで、一番出来のよい道具を一式持って、魔の都の眠り人の旦那と夢魔のチェルシー姫を訪ねろ。食い詰め者じゃなくなるぜ?」

「眠り人? チェルシー姫? 今何かと話題の?」

「そうだ。そこにお前の商機ってもんがある。目覚めたらとっとと行きな! 今日中にだ! ……ああそれと、行った先にはヤイヴの可愛い娘っ子がいるが、変な気起こすんじゃねーぞ? あの娘は我ら種族の未来を左右する可能性があるからな。見て憧れる程度にしとけ! おかしな気を起こしたら罰を当てるからな?」

「え? わ、わかりました!」

 オゴスはゴラッドの反応をよそに、重ねられた木箱から大きめのフライパンとフックのついた大きな肉切り包丁を取り出した。

「ん、特にこいつがいいな。この二つは必ず持っていけ」

「はい! 父なるオゴス様、必ずや!」

「へっへ、その意気だぜ! じゃあな、オレらの文化ってもんを頼むわ」

 そこで、ゴラッドは目を覚ました。

「夢? オゴス様⁉ ……!」

 粗末なテーブルの上に、特に気に入った仕上がりの頑丈なフライパンとフック付きの肉切り包丁が置いてあったが、自分が取り出した記憶はなかった。

──一番出来のよい道具を一式持って、魔の都の眠り人の旦那とチェルシー姫を訪ねろ。

「このままじゃ食い詰めるだけだ……!」

 ゴラッドは夢の中でオゴスが選んだものと、幾つかの調理器具を選ぶと、粗末な革袋に詰めて出発した。日は傾いて夜になりかけていたが、オゴスの夢を神託ととらえ、それを無駄にせずに生かしたいと考えていた。

──ヤイヴたちはなかなか太る事は無く、比較的多くの食事を必要とする。きわめて悪食で食中毒になる事もほぼない。この特徴から、普通は顧みられなかった食材に目を向けたのが魔の国のヤイヴ料理である。

──美食家ザゲロ著『ウロンダリアの料理大全』より。

first draft:2021.07.24

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