第二話 戻り来る眠り女たち
西の櫓、ルインの部屋。
暗い瞳のベネリスとの話は続く。
「『殺し屋』という表現に、顔色を全く変えないのですね」
ルインの真向かいに座るベネリス。ふわりと、奥ゆかしい高貴な香りが部屋に漂う。
「変に遠回しな表現をされるよりよほど好感が持てる。だからそういう話の切り出し方は嫌いではないな。それに、おれは君ら眠り女はどこか信用しているよ。奇抜な表現があったところで、それは何か理由があると考えてしまう気がするし、それで良い気がしている」
ベネリスは暗い瞳ではあったが微笑んだ。
「あら、そのような受け止め方をされると興味を持ってしまいますわね。あり得ぬほど難しいこれが全て上首尾に終わり、私がそれでも生きて恥をさらしていたら、気が向いたら褥にでも呼んでみてくださいな。うふふ……」
「面白い事を言う」
ベネリスの暗い冗談にルインもふと笑った。その様子にチェルシーが驚く。
「半分、冗談ですわ。でも、全て終わった暁にはそれくらいしても返せない恩が残ります。その程度には難儀なお話なのですよ。そして真実はどうあれ、口さがない噂であなたの名前も少し落ちるかもしれません。それでもよろしいですか?」
ベネリスの最後の一言だけは笑みが無く真剣だった。
「肝心の話をまだ聞いていないぞ?」
ルインは微笑んでいる。
(あら意外。ベネリスさんって怖がられることが多いのに、ご主人様ったら楽しそうに話しているわ、やっぱり少し厄介な子が好きなのね?)
チェルシーにとっての新しい発見だった。ルインの様子にまんざらでもないベネリスは話を続ける。
「我がバルドスタ戦教国には、王国中興の祖、国母イェルナ女王の教えを受け継ぎ、王族や古い貴族の血統のものが、イェルナ様と誓約を結んだ軍神ヘルセス様をその身に降ろし、絶大な力を授かる秘儀が伝わっています。女系の王族であるバルドスタの王族の女は戦女神ヘルセス様を、その女を護る衛士は従属神ハルダー様を、それぞれその身に降ろせるようになります。実際に降ろさぬまでも、降ろせる段階まで試練を超えた者がバルドスタの正統な王族や、衛士として承認を受ける決まりでした」
ベネリスは紅茶を一口飲んだ。
「しかし、その試練は非常に凄惨にして過酷なのです。ハルダー様のほうはまだ問題ありませんが、ヘルセス様を降ろす資格を得るための試練が、とても。……私の暗い瞳もその試練の結果ですし、心を病む者、命を失う者もしばしば現れるのですよ。その代わり、試練を超えた者が統治者としてぶれる事もまたなく、名君として名を残していったのですけれどね」
暗い瞳の気の強そうな女が、試練を思い出すのを心苦しそうにしていた。
「そんな目になるほどの試練? 君はとても鍛えてあるし、本来は明るい性格のようにも感じる。必要性があったのだとは思うが、それほど過酷な試練が本当に必要なものか?」
疑問を呈するルインに対して、微笑むベネリス。
「仰る通りですわ。私は、この試練を私で最後にしたい、とも考えているのです。伝統を保護しつつも、一部の伝統は廃止しようとしているのです。少なくない人々がきっと私を傲慢だと言う事でしょう。眠り人であるルイン様までたぶらかして、それを成したとも。ただ、そのような私は玉座には就きませんけれども」
「玉座にはつかない、か。全てが上首尾に済んだら? 君も含めてどうなる?」
「元老院かまたはベティエル派と呼ばれる敵対派閥に謎の毒を盛られて臥せっている兄を上王につけ、弟か妹の誰かを王として私は摂政となります。バルドスタは他国を侵略しない専守防衛の国家に戻し、元老や一部の貴族の不正な蓄財は国民に戻します。私は……陰から一族たちを見守り、以降はルイン様の武力となりましょう。軍神の力は影人の暗黒騎士に対しても有効な戦力となりますから、ぜひお役立てくださいませ。私の為すことはおよそ玉座にふさわしい事ではありませんから」
寂しげな、しかし悟ったような笑みだった。
(そう、本当はとても気高くて優しい人なんですよねぇ……。ご主人様はどうするんだろう?)
紅茶の減り具合を見るようにして、こっそり双方の顔を伺うチェルシー。
「おれで良ければ対応しよう。ただ、まだ何日かはピステに通わねばならない。その後で良いなら」
ルインの返事は即断に等しいものだった。しかし、その声は決して軽はずみさを感じさせるものではなかった。
「受けて下さるのですか⁉ ……驚くほど鷹揚な方ね。日取りの件は構いませんわ。おそらくこの何日か後にバルドスタの元老院派から、夜会を含んだもてなしを受けるはずです。その時に貴婦人を何人か伴えますので、私もお連れ下さい。手始めに権威と財貨に目の曇った方々の度肝を抜いて差し上げようと考えていますわ。ふふふ……」
「了解した。ではそれでいこう。あとは何を手伝えばいいかよく詰めておいてくれ」
「ありがとうございます。夢の世界にたがわず心地よい方ですね」
ベネリスは深々と一礼をすると、暗い眼ながらも微笑みを浮かべつつ、優雅に立ち去った。
「ご主人様、大したものですねぇ。ベネリスさんってかなり怖がられてるんですよ? 私はどんな心の人か理解してますけど、やっぱり夢繋ぎするとわかるもんなんですねぇ」
「『殺し屋』って物言いがどこか気に入ったのさ。高貴な立場なのに直接的な物言いをする人は信用できるものだ。……というわけで、おれの仕事はもう少ししたら『殺し屋』になってしまうようだが、それもまた良いだろう。他に得意な事は思い浮かばないしな」
ルインはとても嬉しそうにしていた。
「あの、まさかそういう呼び名に憧れてお話を受けたわけじゃないですよね?」
「そんなわけないさ」
意味深な笑みをおそらくわざと浮かべて答えるルインに、チェルシーはおどけた疑念のこもった笑みを返した。
(本当かなぁ?)
「殺し屋になってしまったからには武器の手入れを入念にしなくてはな」
ルインの口調には隠さない楽しみが漏れていた。
「時々、妙なこだわりや趣味を見せますよねぇ?」
チェルシーはルインのテーブルの横にある、バルドスタの重携行砲の箱を見つつ言った。
「そうかい? それより、他にも何人か眠り女が戻ってきているんだろう?」
「あっ、そうでした! えーと……」
セレッサが再び上がってくる。
「次の方をお呼びしても?」
「よろしく頼む」
ここで、階段から声が聞こえた。
「あの、上がっても良いですか?」
少女に近い若い女の声だが、妙な力強い響きが宿っていた。
「あっ、すいません、どうぞ!」
階段から上がってきた人影の大きさに、まずルインは驚いた。身長も何もかもが大きい、魔術師の藍色のローブを身に着けた、栗色の髪の女だった。親し気な色の薄い茶色の眼をしている。その身長もルインよりはるかに高かった。
「チェルシー、第一印象的なものを言っても良いものか?」
ルインはチェルシーに小声で尋ねた。チェルシーはにこりと微笑んで答える。
「すごく喜ぶと思うので、思ったまま言ってみると良いと思います」
「わかった」
とても大きな、しかしかなり若い女の魔術師は深々とお辞儀をした。身体の面積が大きいからか、部屋には何やら樹木の花のような良い香りが漂う。馬の尾のようにまとめられた髪が揺れるたびにその香りは一層強く漂っていた。
「初めまして眠り人さん。お会いできてとても嬉しいです! 私は、メルト・ヤルトと申します。出身はここからだいぶ北の山脈の中にある古き巨人の国、ヨルスタの豪族の娘なんです」
「またやんごとない出自の人だが、やはり何か事情が?」
「はい。私たちヨルスタの巨人族は、かつては神々の武器や独特な魔法や技術を持っていたはずなのです。言い伝えによれば古代の戦いで多くの知識を失い、今また復興を目指しているところなのですが、私の一族、特に父は古い考えに凝り固まっているのと、私が小柄なものだからそれを気に入らずに、色々とぶつかって勘当されてしまったんです。行く当てもなく悪い人たちのお店で働かされそうになったところをチェルシーさんに助けられて、『眠り女』になりました。返せない恩がありますし、行く当てもないので、お役に立ちますからここに居させてもらえたら嬉しいです。魔術と、巨人の力、そして父から習った武技の心得がありますので、きっとお役に立てると思うのです!」
メルトの言葉を聞いているルインの脳裏に、どこか険しい山脈の中にある、青い岩石の崖が多い岩山と、無数に口を開けるおそらく人口の洞窟の数々が思い浮かんだ。
「……人口の青い洞窟が沢山あるところかな?」
「あっ、それはきっと故郷の古い遺跡ですね!」
「おれとしては協力してくれるのはとてもありがたいし、今後も大変な事が山積みのようだから助かる。こちらこそよろしくと言いたい」
「ありがとうございます! ところでルインさん、私って大きいと思いますか?」
(巨人族の挨拶みたいな質問ですよ)
チェルシーは隣のルインに小声で助言をする。ルインは得心した表情で話を続けた。
「とても大きいと思ったな。あとは……何か良い香りがする。花の咲いている木のような」
「あっ」
チェルシーとセレッサが同時に声を上げた。
二人の様子を見てからメルトに視線を移したルインは、メルトの眼が大きく見開かれている事に気付いた。
「……わぁ嬉しい! とても大きいって言ってもらえた! 花の咲いてる木みたいですか? すごく嬉しいです! きっとお役に立ちますね! 父や故郷の人には、チビとか非力とか役立たずとか、本当に酷い事ばかり言われてきましたから……」
メルトは本当に嬉しそうに目を輝かせた。
「ご主人様、メルトさんはすごく優秀なんですよ。かなりの魔術師だし、力が強いから武器もいろいろ扱えるしで。あと、可愛いし体格が綺麗なんです。巨人族は骨に負担がかからないように、整った身体になりやすいですからね」
「お世話になりっぱなしなので、私も魔の都の探索者協会に登録したり、他の眠り女の方の依頼の手伝いをしていました。今回はベネリスさんとともに、古王国のアンシルヴァルに剣を探す手伝いに行っていたんです。ここにいても良いと言われたら、とても嬉しいです!」
「それは勿論構わないさ。そうだろうチェルシー?」
チェルシーを向くルイン。
「もちろんです。ただ、ご主人様が目覚めた後は居住権とか近くにいる、いないとか、そういう権限が私じゃなくてご主人様になっちゃうので」
「それは何か問題ない限り大丈夫だと他の皆にも保証してやって欲しい。ただ、身体は一つしかないから、何らかの困り事への対応は一つずつになってしまうけどな。おれもここに居させてもらっている身だし、大きなことは言えないさ」
「一応ですが、家賃とまではいかないまでも、ちょっとした費用とか食費とかは発生しますからね? ご主人様は大丈夫ですけれど」
「何だか眠り人さん、優しいですね。私の事を大きいって言ってくれますし。では、今後、魔術師が必要な場合や巨人について知りたい場合は、いつでも言ってくださいね!」
「ありがとう。助かる」
メルトは深々とお辞儀をすると、嬉しそうに立ち去った。その様子を見送っていたセレッサがルインに真面目な顔で向き直る。
「ルイン殿、ちょっと申し上げにくいお話があるのですが……」
「あっ、たぶん私も!」
チェルシーも同調した。
「何かまずい事を言ってしまったかな?」
「ご存知なかったとは思いますがルイン殿、巨人の女性を花の咲く木に例えるのは、私たちを花に例えるような素敵な言い方なのですよ。つまり……」
「可愛いのに自己評価がとても低いメルトさんには、少し効き過ぎたかもですね」
「効き過ぎたとはつまり?」
「あの子、巨人だけどなぜかとても小さい部類なので、人間とかが好きなんですよ。巨人族はかなり積極的に好意を表現しますからね?」
「長く悩んでいた子だけにありそう。ご主人様、上手に対応してあげて下さいね?」
「そんな事にはならない気もするが、気に留めておこう」
チェルシーとセレッサはルインがその可能性がまずないに等しいと受け止めていると感じたが、それ以上は何も言わなかった。仕切り直すようにチェルシーが話を続ける。
「さてと、他にも戻ってきた子たちがいるんだけど、これはどうしましょう? みんな訳ありだし、とりあえず顔を互いに見知っておくだけはしておきますか?」
「ああ、その方が良いように思う。ところで、下の階にはずいぶん女性がいるようだが、上の階に通される子は何らかの選別や基準でも」
「ああ、気になりますか? ちゃんと説明してなかったですもんね。これは能力を持ってて立場や責任が大きく、かつ運命の岐路が近い人から紹介しています。あまり時間のない子だとか、その子の問題に対処しやすくなる子ですね。夢魔である私が考えた基準ではありますけれど、夢の世界は真実を教えてくれることも多いですから、先の組み合わせを考えていたりもします。ただ、だからこそ明言できないんですけれどね」
「奥深いな、それは」
「ちょっと難しい感覚ですね。でも例えばベネリスさんの事は、いずれクロウディアさんやシェアさんの人生の大きな助けになるはずなんです。推測ですけれどね」
「そういう事か。ありがとう」
「あと、地方領主の娘だとか、身売りされていた子とかもいます。普通の人ですけど、心が綺麗で賢い子たちですね。特別な能力は今のところ無いですけれど、行く当てが無かったり、小さな問題を抱えていたりする、信用できる子だったりします。ほんの少し助けてあげれば何とかなる子もいますけど、そういうのは私のほうで対応しますよ」
「わかった。おれはずいぶん多くの人に世話になって目覚めたんだな」
感慨深げに言うルインに、チェルシーは眼を細める。
「そういうところがご主人様の良い所ですね。では、他の子もまとめて呼んじゃいましょう。他にもすごい子たちはおいおい戻ってくると思いますけれどね」
こうしてさらに三人、ベネリスと共に冒険に出ていた眠り女たちが来た。小柄な青い髪の少女と、背の高い白い髪の女戦士、そしてフードを深くかぶった黒装束の何者か。
「妙に女の子が沢山いるけど、鼻の下を伸ばしてないのは期待できそうね、よろしく! 私はクームシェリー。クームと呼んでくれればいいわ。人が妖精族とも呼ぶフォリーの精霊使いよ。……何よ? 私が珍しいの?」
クームと名乗った妖精族の女は、白とも蒼ともつかない不思議な髪の色をしていた。すらりとした立ち姿で、白いワンピースのようなシンプルな服装だが、腰の虹色の艶のある銀のベルトには深い青や赤の宝石の球が揺れており、両手の腕輪にもそのような宝玉が繋がっている。
「いや、髪の色が不思議で」
「ああ、これね? 妖精界と現世にまたがって存在する私たちの髪の色は、場の精霊力の影響を受けて変わるの。ここは風の力が働いているからこんな色なのよ」
「そういう事なのか」
「そうだけど、それだけ? かわいいとか、美しいとか、神秘的だとか、そういう言葉は無いの?」
クームシェリーは少しきつそうな眼で眉を曲げて見せるが、ルインには何となく好意的にからかわれているような気がしていた。
「ああ、初対面でそんな事を言うのは失礼かなと。でも、いま言った事は全て当てはまるとも思う」
ルインの答えにクームはわずかに微笑む。
「悪くないわね。私の希望はダギとの対話か、最悪の場合は戦いね。でも急がないからゆっくりでいいわ」
もう一人はセレッサと似た特徴があるものの、髪は白く長く、肌は濃い褐色、眼は魔族の赤い瞳という長身の女剣士だった。大曲剣を二振り背負い、一本は身長の八割ほども長く、黒い金属の具足を身に着けている。
「よろしく眠り人殿。私は魔の領域に帰属している『魔獣の古き民』のゼガ氏族の後継者、獣戦士ギゼだ。未知の魔獣が現れればその心を理解し心を通わせ、静めたり仲間にすることができる。眠り人殿の手助けをすることにより、まだ見ぬ魔獣を仲間に加えられればと考えているのだ。また、遠い昔放浪の古き民であった我らを召し抱えた、古き魔王ダイングロード様への恩もある。小規模とはいえ私も魔族の姫の一人となる。よろしく頼む」
ギゼはそう言って右手を伸ばし、ルインは握手をした。相当な手練れなのが伝わってくる。
「こんな事言ってますけど実は動物全般大好きなお姉さんで、夢は牧場の経営ですからね?」
「チェルシー殿、今それを言う必要があるか⁉」
場の緊張感が一気に親しみやすいものに変わってしまった。さらにいつの間にか黒いフードを目深にかぶった人物の姿が消えている事に気付いた。
「もう一人黒装束の人が居なかったか?」
「あっ⁉」
きょろきょろするチェルシー。
「また隠れちゃったのね?」
呆れたように両手を広げるクーム。
「シルニィ殿はまだ人見知りが治らんのか……。シルニィ殿、一言くらい挨拶をしてはいかがだ?」
どこかに呼び掛けるギゼ。皆が様子を見るように沈黙して部屋が静まり返ると、先ほど黒いフードを被っていた人物が居たあたりの空間がドアを少し開けたように開き、向こうにどうにも女の部屋らしい色使いの可愛らしい空間が見える。
「しーっ、ご主人様、大きな声出しちゃダメですよ?」
黒いフードの人物は恐る恐る顔を出し、フードをわずかに上げると、白い肌と灰白色の髪に、薄赤い眼をした少女の顔が現れた。わずかにだが、頭には灰白色の猫の耳の付け根がフードの間から見える。
「……あの、シルニィです。お世話に……なっています。……今回の冒険のお金は全部お渡ししますから、……ここに居させてください。冒険は、しばらくは…………いやです」
そしてドアは静かに閉じ、そこは何もないいつもの部屋の中に戻ってしまった。
「あの子は?」
「あの子はシルニィさんですね。謎の多い子です。ここにご主人様が移されてすぐにやってきた子です。名前以外は分からないんですが、心はとっても綺麗で臆病で、すごい引きこもりです。ただ、結界術の大変な使い手で、ここを比喩でもなく神様でも手が出ないくらいの要塞にしているのはあの子の力です」
「そうなのか。とりあえずそんな大事な事をしているなら、無償で居てもらってよくないか?」
「そう思うんですけどね、そういうところは律儀なんですよ」
「謎が多いな……」
「全くですね」
「ルイン殿、とりあえず一つの大きな節目を終えたと聞くし、親睦を深める為の宴席はいかがだ?」
ギゼは仕切り直すように提案した。
「いいわね、私も参加するわ」
満更でもないといった笑顔のクーム。
こうして、節目と顔つなぎを兼ね、さらにほかの眠り女の紹介も兼ねて、西の櫓はささやかな宴席を設ける事となった。
first draft:2020.04.24
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