第六話 ゴシュと骨付き肉・中編

第六話 ゴシュと骨付き肉・中編

 かがり火を増やしたゴシュたちのとりででは、台の上で胡坐あぐらをかき治療を受けていたギャレドが大声で指示を出し続けていた。祈祷師きとうしが失った左腕の付け根に緑色の粘性の高い霊薬れいやくを塗り続けており、脂汗あぶらあせを流しつつも焼いた鹿肉を食い続けるギャレドの左腕は次第に再生しつつあった。

「次は後れを取らねえ! あの気持ち悪い化け物ども、仲間の死体を食ったら絶対にここに向かってくる! 明るい所で目にもの見せてやるぜ!」

 その声を背後に聞きつつ五十人の若く精鋭のヤイヴたちに守られながら、ゴシュと骨付き肉そしてネズは、この地の『最果ての村』ウーブロを目指す事となった。しかし既に遣わされた者たちは謎の幻術によってたどり着けなかったため、草原ではなく湿地帯と森を抜けて大きく迂回する経路をたどる事となっていた。

「ゴシュ、あたしゃ怖いよ……」

 指示を出すギャレドを見やりながら、後ろ髪をひかれるように不安を口にするネズ。

「だーかーらー、あまり不安に思ったらお腹の子に障るだろ? 大丈夫だって! 都に行って他の女たちと合流して、うまいもん食おうぜ!」

 努めて明るく片目をつぶって見せるゴシュ。

「なー大丈夫だもんな、骨付き肉!」

──ウォン!

 相棒の狼のふわふわの首に抱き着くゴシュ。

「行きましょうぜ姫様、お方様」

 手に小剣、腰に棍棒を差した片目の同族の戦士が声をかけた。この集団のまとめ役でありギャレドの親衛なども務める腕利きの男で、ゴシュの記憶に間違いが無ければゲデクという名前だった。この男を先頭とし、ゴシュとネズを中央で守るような形になった集団は静かに素早く砦を離れた。それからしばらく草原を歩き、北側の湿地帯に差し掛かった時点で、砦の方から甲高い笛のような不気味な音が何度も鳴り響き、激しい戦闘の雄たけびが聞こえ始める。

「ゴシュ!」

 不安げなネズ。

「大丈夫だよ。父ちゃんたち強いし、今頃腕も治ってばっさばっさ敵を倒してるってば」

 次第に草原の植生から湿地帯の背の高い芦原に変わっていくが、ゴシュたちは湿地帯の中を縫う水路を走る船着き場についた。ゲデクが説明をする。

「ここから二手に分かれやす。ネズお方様は身重だから『羽根の歩み』の呪符を使った腕利きのやつらに守られつつ森で合流しやしょう。どっちかの道に幻術が掛けられていた場合の保険でさぁ。ゴシュ姫様は船で森に移動しやす。この通り、船も五十人は乗れねぇ数でやすしね」

 ヤイヴ族は人間にはわかりづらい道を作るすべに長けていた。この湿地の中の水路や森は、遠回りだがそのような道で何者かの干渉は受けづらかった。ネズを担架の上に座らせ、『羽根の歩み』の呪符を発動させたヤイヴたちは軽やかに芦原あしはらの奥に姿を消していく。

「うちらも行きやしょう。月夜の船旅でさぁ」

 元気づけるようなゲデクの声を聞きつつ、ゴシュは一番丈夫な木造の小舟に乗った。もっとも粗末な船はあしを束ねたものだったが、これは沈みづらく、またがって乗るヤイヴたちは力強く櫓を漕いで進む。背の高い芦原の中の水路は遠目にはわかりづらく偽装されており、見上げる空は葦のアーチで覆われ、切り裂かれたようにが移ろいゆく。

「葦の背が高いせいだと思いやすが、戦いの音が聞こえづらいもんでやすね」

 耳を澄ましてつぶやくゲデク。既にだいぶ遠い砦の戦闘の音は聞こえなくなっていた。それに合わせるように滑るように静かにゴシュたちの舟が進んでいく。しばらく静かな船旅が続いた。

 暫くして。

「ん?」

 ゴシュは骨付き肉の様子に気付いた。骨付き肉は姿勢を正して時おり耳を動かし、何者かの気配を確認しているようだった。

「どうしたんだ?骨付き肉」

──グルルルル……。

 警戒より、激しい敵意を燃やして、骨付き肉が砦の方向に唸り始める。

「ゲデク、なんかやべぇぞ?骨付き肉が何かを感じ取ってる!」

──ピィー!

──ビューッ!

──ヒョヒョヒョヒョヒョヒョ……。

 彼方から気持ちの悪い笛のような音が聞こえ、何か大きなものが芦原をなぎ倒して来る気配が迫っていた。ヤイヴたちは無言で武器を手にする。

「静かに急げ!」

 ゲデクは小声で指示をし、櫓を漕ぐヤイヴは黙々とより早くその動作を繰り返す。しかし、葦をなぎ倒す不気味な音は次第に迫ってきていた。

──ビューッ!

 突如として、口笛のような音と共に近くの芦原が割れ、葦船に乗っていたヤイヴの身体が宙に浮きあがった。

「あああ! なんだこれ? くそっ! 離しやがれ! 離せっ! ……あっ」

 ヤイヴは闇雲に小剣を振り回していたが、嫌な音と共に頭が割れ、頭蓋と脳が何かに吸われるようにするすると宙を移動した。そして、ヤイヴたちとゴシュはその先にあった塊に気付いた。

「ひいっ!」

「なんだっ!」

 そこにはヤイヴの頭の塊があった。首からもがれ、頭を割られたヤイヴたちの首が十数個の塊として、瞬きもせずに虚ろな目を周囲に向けたまま宙に浮いている。正確には透明な何かの胃の中にでも詰まっているような雰囲気だった。

「火だ! 松明と火矢だ! 急げ!」

 一人のヤイヴが首の塊に松明を投げつけると、それは透明な壁に阻まれたように何かにぶつかり、笛のような悲鳴と共に見えない何かの気配と、首の塊が後退した。

「葦に火を放ちながら進め! とにかく船の上では駄目だ! 森まで急ぐぞ!」

 漕ぎ手は必死になって漕ぎ、その汗が松明の明かりで火の粉のように落ちる。勇猛なヤイヴたちは対抗策がある現状に戦意を高め、見えない敵に罵声を浴びせながら森に向かった。

「くそっ、砦も親方様も無事だといいが! 透明な化け物なんて聞いたこともねえぞ」

 ゲデクは言いながら、遠くに見えてきた森の船着き場に目を凝らしていた。

「向こうはかがり火がついてるので、無事に到着してやすね」

 ゴシュも上位のヤイヴ族が持つ『猫の眼』で夜にもかかわらず遥か彼方の船着き場を見た。かがり火が確かに点いており、ネズと再会できそうだった。

「クソったれの化け物め!」

 葦をなぎ倒す音に見当をつけて火矢を放つヤイヴ兵たち。さらに、森までの水路の両脇の芦原に油壷を投げて火を放ち続けていた。

──ピイイィィ!

──ピュオオォ!

 悲鳴のようにも聞こえる、姿の見えない化け物たちの声が響いている。

「砦の方は、オヤジは大丈夫なのか? 化け物ども、五匹や十匹じゃねぇぞこりゃあ!」

「こいつら、おれらの知ってる化け物じゃねぇ。『混沌』あたりか?」

「赤い月シンの魔物かも知れねぇぞ?」

 人間に劣らない知性を持つ上位のヤイヴたちは、持っている知識からこの透明な化け物たちの正体を推測していた。気丈なゴシュはギャレドから託された小剣に手をかけつつも、骨付き肉と共に周囲への警戒を怠らない。

「けっ、化け物ども、流石にこれだけ火をつけりゃ寄って来れねぇな。このまま何匹か焼け死んでくれるといいがな! ……ゴシュ姫様、あともう少しですから、ネズお方様と合流したら、とっとと魔の都に向かって増援を呼びましょうや」

 ゲデクは緊張の消えない顔ながらも、ゴシュに笑みかける。もしこれで砦が全滅していたら、この男が自分の夫になる可能性がある事をゴシュは少しだけ考えたが、なぜかそのような未来や縁を想像する事は出来なかった。何かが途絶えているような安心とも暗闇ともつかない妙な気持ちが漂っている。

(嫌な気持ちだな……)

 ゴシュはその感覚をこの特異な状況のせいだと考えつつ、骨付き肉のふかふかの首に回した手で彼を撫でた。しかし骨付き肉は森の方を見て小さな警戒の唸りを上げ始める。

「どうしたんだ?」

──グルル……。

「なあゲデク、森の方に骨付き肉が警戒してる!」

「仲間の気配じゃねぇんですかい?」

「こいつはすげぇ賢いからさ、そうじゃねえと思うんだよな」

「わかりやした。……おい、お前ら二人先に見てこい! 化け物には注意しろよ!」

「へいっ!」

 今はあの姿の見えない化け物の気配はほぼ感じられなくなっており、森の船着き場も遠くない。一行は進むのをいったんやめ、葦を束ねた小さな船に乗っていた二人が先行した。松明を消した葦船が静かに船着き場に向かい、しばらくして松明が輪を描くのが見える。

「よし、行くぞ!」

 こうしてゴシュたちは森に入ったが、ここで新たな問題が浮上した。先に着いていなくてはならないはずのネズたちの一行が全く姿を見せず、近づく気配もなかった。

「とっくに着いてるか、気配が感じられるはずなのに、おかしいぜ……」

──グルルル……。

 落ち着かない骨付き肉の様子に不安を感じるゴシュ。

「もう少し進むと人間が作った昔からの道がありやす。そこは高台で湿地も見下ろせるので何かわかりまさぁ」

 一行は慎重に森の中を進んだ。松明は消して『猫の眼』で見つつ、やがて背の低い草の斜面に行き当たりそこを登る。古くからの馬車のわだちの跡も深い道に上ると、所々から火の手が上がる湿地とその向こうに広範囲に燃え広がる砦付近の様子が見えていた。

「オヤジたち、派手にやってんな!」

「ネズお方様を連れた連中が見当たらねぇが、何かあって先を急いだかも知れねぇな」

 ゴシュたちはネズを連れていた一行は、何か理由があって先を急いだ可能性が高いと判断して、古い山間の道を通ってウーブロの村に向かう事にした。例えばネズが産気づいた可能性も考えられた。

「行きやしょう」

 ゲデク率いる一行は次第に周囲の崖が高くなる古代の道を進んでいく。しばらく進んで右手は上るには厳しい崖、左手ははるか下から水音の聞えてくる断崖となった狭い場所に出た。しかし谷底のようになった道の入り口は丸太で組まれた壁でふさがれていた。その周囲には何かを満載した荷車のようなものも置いてある。

「あん? 誰がこんな事を?」

 しかし、もう少し近づいて、一行はほぼ同時に驚愕の声を上げた。

「うわっ!」

「なんだあっ⁉」

 荷車に満載されていたのは殺されたヤイヴの死体だった。

「えっ? ネズは? ……ひっ! ……嘘だろ……っ!」

「ネズお方様!」

 駆け寄ったゴシュが見たのは、死体の一番上に乗った、首のないネズの死体だった。ネズの死体は特に沢山の矢を射かけられており、身重の腹をかばったのか、両腕に多くの矢が刺さり貫通している。

「誰だ! 誰がこんな事を⁉ ……全員固まれ! ここを抜ける! まずいぞ」

──ウォン! ガルルル!

 ゲデクの号令に重なるように、骨付き肉が吠える。と、まばゆい光が全員を照らした。

「術式を発動せよ!」

 『拡声』で大きくされた冷静な声とともに、ゴシュたちの通ってきた狭い道が激しい炎の壁で阻まれた。ゴシュたちは魔術によって山間の狭い道に閉じ込められた。

「何者だ! 我々を魔王軍のヤイヴの一部族、ギャレドの氏族の者と知っての狼藉か!」

 ゲデクの問いに対して何者かが静かに答える。

「魔王に魔物、そのような者たちが人間の世界で幅を利かせているのは実に嘆かわしい状態でね。いずれこの世界は我々人間の摂理により管理されるべきだが、まずは汚らわしい一切を洗い清めるべきなのだ。これはその偉業の第一歩にすぎん。……やれ!」

 銀の無表情な仮面に黒灰色のローブや鎧上衣を身に着けた者たちが姿を現した。その数は二百名ほど。全員が武装しており魔術師もいた。

「馬鹿な、これは大問題になるぞ!」

 叫ぶゲデク。

「皆殺しにして証拠は全て消す。だから問題にはならぬよ。さらばだ!」

「……お前ら、姫様をお守りしろ! 盾になれ! あとは一人でも奴らを殺すんだ! 誰かが生き残れば、魔王様なら必ず何とかしてくださる!」

 ヤイヴの戦士たちはそれでも雄たけびを上げた。

「姫様、崖からしか逃げられません! 覚悟を決めて何とかお逃げくだせぇ! 骨付き肉、姫様を護れ!」

「ちくしょう!」

 ゴシュは骨付き肉と共に険しい断崖に急ぎ、その背中を数名のヤイヴたちが盾となって守っていた。続いて、銃声と弓の鳴る音がし、ゴブリンたちの押し殺した苦痛の叫びが上がる。

「ははは! 汚らしい亜人が人間の真似をして忠臣ごっこかね?」

 馬鹿にした声がヤイヴたちの悲鳴や雄叫びを圧するように響く。ハリネズミのようになった仲間が倒れるのと、ゴシュが崖を駆け下り始めたのはほぼ同時だった。

──ギャンッ!

 何かが当たったのか骨付き肉の悲鳴が聞こえたが、それでも隣を走っている事に安堵しつつゴシュは転がるように崖を駆け下り続けた。

「姫様、どうかご無事で!」

 ゲデクの絶叫が聞えてくる。

(ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう……っ!)

 ゴシュはこれほどの無理解と敵意、そして理不尽に遭遇した事は無かった。草や木の枝が肌に切り傷を増やしていくのが分かっていたが、足が止まらない。今は走り続けなくてはならない。

 一方、崖の上では銃弾と無数の矢に倒れたヤイヴたちの死体を見つつ、仮面の男が指示を出していた。

「死体の処理に取り掛かれ。全てヤイヴどもの砦に置けばよい」

「崖下に逃げたヤイヴの小娘と狼はどうしますか?」

「あちらにも人を配置してある。逃げる事は叶わぬよ。ヤイヴの雌はネズミの雌と同じだ。根絶やしにせねばな」

「はっ!」

 崖下に降りたゴシュと骨付き肉は、茂みの中に身を伏せて息を殺していた。

「大丈夫か? 骨付き肉」

 小声で骨付き肉の全身を確かめるゴシュ。幸い左後ろ足の腿を弾丸がかすっただけらしく、ひどい怪我はしていないようだった。

「よしよし」

 骨付き肉の全身を撫でまわすゴシュ。

──クゥン……グルル!

骨付き肉は周囲に敵がいる事をまたゴシュに教えようとしていた。

「わかってるぜ。でも、そう数は多くねぇはずだ」

 ゴシュは考えを巡らせていた。このまま逃げても、最も地形の条件の悪い場所で待ち伏せされているに違いない。かと言って隠れていたままでは敵は集結していく。ゴシュはとにかく永らえる様にと普段から持たされている、幾つかの呪符を確認した。『俊足』が二枚、『隠密』が一枚、『毒霧』が一枚。

(魔の国のヤイヴの女を舐めんじゃねえぞ)

 ゴシュはポーチから出した呪符、『隠密』を発動させた。これでしばらくはゴシュの姿は他者から見えず、足音も小さくなる。

「あたいが呼んだら来るんだぜ?」

 ゴシュは骨付き肉を撫でると、静かに谷底の川沿いを上流側に向かって歩き始めた。しばらく進むと、川と谷底の狭くなった箇所に四人の銀仮面が銃と弓や弩を手に周囲を見張っているのを見つけた。

(見てろ……!)

 ゴシュは四人組からやや離れた大岩の影に隠れて、茂みに枯れ木を投げつけた。短い会話の声がして一人が向かってくる。

「動物では無いようだが」

 銀仮面が大岩の影に来た時に、ゴシュは体当たりするようにその男の腹を小剣で刺した。

「ああっ!」

 腹に手をやり、かがむ男の眼を深く突き刺す。男はそれでゆっくりと倒れた。

「どうした⁉」

 三人がこちらに向かってくる。ゴシュはここで『毒霧』を発動させ静かに迂回した。三人のうち二人は激しくせき込み始め、咳とも嘔吐ともつかないひどい状態になったのがわかる。

「『毒霧』だ! くそっ! ヤイヴの魔術師か⁉」

 咳き込みながら仲間を救おうとする男。ゴシュは距離を取り、骨付き肉を小声で呼ぶ。忠犬ならぬ忠狼は静かに滑るようにゴシュのそばに駆け寄ってきた。素早く『俊足』の呪符を貼る。

「今だ。行くぜ!」

 一人と一匹は、死地を抜けるべく駆け始めたが、頭上から、『撃て!』と言う号令が聞こえてきていた。

──ヤイヴの女ははその低い出生率から非常に大切にされる。しかし、いかなる種族と結婚しても生まれるのはヤイヴなので、異種族からは婚姻を忌避される事が多い。

──インガルト・ワイトガル著『ウロンダリアの種族』より。

first draft:2020.10.07

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