第六話 大魔城と大剣と

第六話 魔城と大剣と

 工人アーキタの都市国家ピステから『西のやぐら』に戻ったルインとクロウディアは、さっそくチェルシーとラヴナに影人の工房を構えるにふさわしい城についての相談を始めたが、二人の答えは意外なものだった。

「お城ですか? もらえると思いますよ?」

 チェルシーはクッキーを食べつつ、それが造作もない事のように答えた。

「うん、たぶん選び放題じゃないかな?」

 ラヴナも宝石のように輝く乾燥した果物を口に運びつつ答える。

「……どういう事なんだ? 城だぞ? 立派な古い城だ」

 ルインは出されたばかりの紅茶から漂う湯気を横に見つつ、信じられないといった表情で聞く。この話は始まったばかりで紅茶はまだ口をつけてさえいない、相当に難しい話だと思っており、二人の答えの意味がわからなかった。

「どういう事なの?」

 クロウディアも訳が分からないといった表情をしている。

「むしろ、あたしたち上位魔族ニルティスの姫を二人も連れて、いつまでもこんな城壁の(やぐら)で良いわけないでしょう? ルイン様ってば。魔王様としても、魔の領域全体としても、格好がつかなくなってくるでしょうし」

「そうそう! 要はこういう事なんですよ。本来は私たちとも婚姻を結ばなくてはならなかった魔王様は、自分のわがままでそれをしなかったわけです。でも、その分、私たちの立場とかはある程度補償しなくちゃならないわけで、本来なら立派な王宮なり後宮こうきゅうなりで何不自由なく暮らしていたはずの私たちを、こんな城壁の一施設でほったらかしにはとてもできない話なんですよ。……ほら、言ってたでしょう? 後宮の城も良かったら使っていいって」

「言っていたな。 ……しかしよく理解できないんだが、大金が必要になるかと思ったのに、その必要はないのか?」

「ああ、それは必要ないわ。私たち魔族にとって約束の反故ほごは本来、許されざることだもの。まして心の通う信頼が前提の婚姻に関するしきたりを私情で反故にして、多くの血統さえ途絶えかねない事だったのだから。こんな時に相手の足元を見てお金の話にしようとするのは下衆な話だし、魔王様はそういう方ではないもの」

「そうですねー。でも、ご主人様が気になるなら、何か魔王様の要望を聞いてあげればいいですよ。影人かげびとの工房が魔の領域にできるのも素晴らしい事ですしね!」

 二人の言う事ももっともだった。つまり、現在眠り人と魔族の姫が『西の櫓』にいるのは暫定的な措置だったらしく、ルインが目覚めた今となってはあまり適切な環境ではなかったらしい。

「少なくとも大金が必要になりそうだとか、それなりに試案をしていたが、こんなあっさり解決するとは……」

「いやー、魔王様ともあろう存在がほったらかしにした女の子に何も与えないのは格好つかないでしょう? 手切れ金とか補償みたいなものです!」

「そういう事よ! それに、あたしたちだっていつまでもルイン様をこんな城壁の一施設に居させたくないもの。みんなも、あたしたちも、ね!」

「そうそう!」

 ルインは拍子抜けに近い感覚を流し込むように紅茶を一口飲んだ。

「……まずは魔王殿下に話してみるか」

「本当に予想外ね……」

 問題はあっさり解決しそうな気配が出て来たが、クロウディアは複雑な気持ちになった。チェルシーとラヴナは、おそらく魔族の知覚力で深くルインを理解しており、何か確信を持って接していると感じ取った。だから砕けた感じでルインと話せているが、自分にはそれが上手にできていない気がしていた。

「ご主人様、とりあえず、『宴席へは走れ(※ウロンダリアの言い回し)』という言葉もありますし、魔王様に連絡しておきましょうか? ついでに、夕ご飯をご馳走になりに行きましょうよ!」

「あ、それ賛成!」

「わかった、頼もうか。しかしそんな、近所の知り合いの家に行くみたいに……」

 ルインにはそれ以上言葉が出てこなかった。ため息をつきつつ紅茶に手を伸ばそうとしたとき、何か鋭い冷気を感じて手を止める。

「んっ?」

「あっ!」

「あれは⁉」

 チェルシーとラヴナがルインの背後に視線を向けているのに気づき、ルインとクロウディアも振り向く。午後の日のさす広いバルコニーの中央に、きらきらと光る粉の漂う空気をまとった一羽の黒鳥が舞い降りてきたところだった。

「まさか⁉」

 チェルシーはその黒鳥に思い当たりがありそうな反応をしている。黒鳥は口にくわえていた小さな紙片を放したが、それは落ちる前に冷気を纏う白い小鳥の姿となって飛び、ルインたちのテーブルの上で再び小さなカードの形になると、白い冷気が一瞬テーブルの上を流れた。

「黒鳥が!」

 クロウディアの言葉に、バルコニーの黒鳥に再び目をやると、黒鳥はきらきらと光る粉を舞い上げつつも飛び立ち、どこかへと飛び去ってしまった。

「あれ、ニクルじゃないの? 『氷の女王』サーリャ様の使い魔よ! だとしたらそのカードは……ひとりひとり触れてみて?」

 何やら良い香りのする冷たく白いカードはチェルシーとラヴナが触れても何の変化も起きなかったが、ルインが触れると文字が浮かび上がった。

──眠り人ルイン様、初代魔王スラングロードの大魔城エデンガルを所望し、『処刑者しょけいしゃ大剣たいけん』を受けるとよろしいでしょう。そして、いずれお耳に入る追放されし魔王子ガディスの件は助けた方がよろしいでしょう。

 最後に『サーリャ』と署名がしてあった。

「チェルシーこれ、なんでサーリャ様がルイン様に?」

「『氷の千里眼』の力かな? なるほどー。さすがにスラングロード様のエデンガル城は厳しいかと思ったけど、魔王様が『処刑者の大剣』をご主人様に託すなら、全然ありですね。そっかぁ、確かに魔王様からしたら嫌な役回りになっちゃうもんねぇ」

 チェルシーは思う所があったのか、一人で納得している。。

「話が見えないが、これはどういう事なんだ?」

「えーとまず、さっきの黒鳥は私たちと同じでしかし起源は誰よりも古い上位魔族ニルティスの姫『氷の女王』サーリャ様の使い魔の黒鳥ニクルです。で、サーリャ様は冷たい千里眼の力を持つとされているのですが、何か思うところあって城を所望するなら初代の上級魔王、スラングロード様の大魔城エデンガルを所望すべきだと言っているようです。これって、流石にちょっと難しい要求なのですが、魔王様は『処刑者の大剣』をご主人様に託したいみたいなので、それを受ければ良いみたいですね。あと、もう一人の魔族の姫、魔王子ガディス様については、何か起きたら助けてやった方がいいみたいですね」

「まるでこっちの話が筒抜けだったみたいだな……」

「昔からそういう人なのよ。そして、こうして干渉してくるのはすごく珍しいの。直接話すと巧妙に誤解や嘘を混ぜてくる事がしばしばある人なんだけど、この形で何かを伝えてくるときは嘘を混ぜたりしないわ。でも何でルイン様に……なんか嫌ね」

「わかる。私もちょっといい気はしないかな」

  ラヴナの言葉にチェルシーも同意した。

「それはどういう意味で?」

 二人の珍しい様子がクロウディアは気になった。

「サーリャ様もまた、限られた者たちから信仰を集め、加護を与えたりしているんだけど、それは多くの場合、孤高の挑戦者に対するものなの。例えばね、しばしば、空気の養分が少ないほどの高い山に登ろうとする人たちがいるんだけど、そういう人の死体は腐る事も無く凍り、その魂は輪廻りんねの輪からも外れてしまうというわ。そんな孤高な、時に無謀な挑戦をする人々の守護者で、ルイン様がそういう存在に相当してると見られてそうなのが嫌なのよ」

「そう! 二重の意味で嫌ですね。孤高の存在なら、誰も寄せ付けないって事になっちゃうし、しかも興味持たれてるっぽいしで」

「そういう事なのね。……あの、そのサーリャ様という姫様はどんな容姿なの?」

「それなんですけどね、私は遠くからしか見た事が無いんですが、とても美しいと伝えられています。滅多に姿を見せない人なので」

「あたしも近くでは見た事が無いのよね。歴代の魔王様たちくらいしか、近くで見てないんじゃないかな?あの人、形式上の婚姻はしても、誰とも本当の婚姻関係にはなってないはずだし、浮いた話さえない、謎の多い存在でもあるのよ」

「そうなのね……」

 クロウディアもチェルシーやラヴナと同じように何か不穏なものを感じていたが、口には出さない。

 こうして、古い城を得るために眠り人と魔族の眠り女は、再び上魔王シェーングロードの元に向かう事にした。

──古く美しき上位魔族ニルティスの姫『氷の女王』サーリャは謎に満ちた存在とされている。非常に古い存在で、絶大な魔力を持ち、氷と冷気を操り、孤高なる者、無謀に等しい挑戦をする者の守護者であるとされている。

──コリン・プレンダル著『魔界淑女序列』より。

 夕刻。黒曜石こくようせきの魔城オブス・ガルでささやかな歓待を受けていた眠り人と眠り女たちは、魔王から意外な話を聞いた。

「ところで貴公ら、氷の女王から何か伝言は無かったか? 余のもとにサーリャの使い魔、白鳥ブライが訪れ、貴公らに初代魔王スラングロードの大魔城、エデンガルを渡すように伝えて来たのだ。そして、本来なら余が受け負わねばならぬ、『魔族まぞく処刑者しょけいしゃ大剣たいけん』を、ルイン殿に託せば良い、ともな」

「えっ? やっぱり魔王様の所にも伝言があったんですか?」

 チェルシーの声には驚きと確信が込められていた。

 「やはりそなたらにもか。そうだ。そもそも本来、政治的な措置とはいえ、いつまでも城壁の(やぐら)に眠り人や我が魔族の姫、他種族の眠り女たちを置いておくのは気が引けるというもの。申し出があれば主なき多くの城の一つや二つは提供しても構わぬ考えであった。しかし影人かげびとの武器などの良質な工房を求めるなら、確かに初代魔王スラングロードの城は最高のものであろう。だが、あの古城は我ら上位魔族ニルティスにとっては特別な城ゆえ、そのまま引き渡すのも難しい。つまり、上位魔族の何らかの権限けんげんを持つ者であれば良いのだが、権限には責務せきむがつきもの故な」

「そこで、その『処刑者しょけいしゃ大剣たいけん』を引き受ければ筋が通る、と?」

 ルインが慎重に聞き返す。

「うむ。しかしそれを『眠り人』に託すのはいささか筋違いでもある。あれを持つことはすなわち、討伐令とうばつれいの出ている魔族、罪を犯した魔族を断罪し、処刑する権限を有する事にほかならぬ。いわば身内の恥の処理を、よりによって眠り人に託すのは非礼でもあるからな。しかし同時に、亡くした妻以外と関わらぬ事にした余には、魔族の姫を断罪するのはいささか気が引ける事でもあった。余がその立場を保証せねばならぬ立場でもある故な」

「ほったらかしにしたうえに、罪を犯したから処断! というのは、確かに気が引けますもんねぇ」

 微妙に皮肉の混じったチェルシーの言葉だったが、返してきたのはオリガ姫だった。

「いえ、まさにその通りです。私の立場としては、あまり父が女系の魔族の方々から嫌われるのも避けたいところですから。かと言ってその責務の一部を眠り人様に担っていただくのもまた、やや勝手な話です。そこにこの取引のような話は悪い話ではなかったと思っているのです」

「ふーん……」

 微妙に皮肉っぽい反応をするラヴナ。

「折の悪いことに、古から討伐令が出ているのは魔族の姫ガディスと、人間たちとの古の取り決めを破って地上に出たジルデガーテが該当してしまうのだ。余はあれらの事情に向き合うのには気が進まぬが、その状態で断罪するのも好ましくは無いと考えておる。あれらもまた魔族の姫であるからだ」

「……それはつまり、必ずしも処刑しなくていいと?」

「処刑者の大剣は、その力と権限を有するのみ。ふるうか、揮わぬかは貴公次第だ。生殺与奪しょうさつよだつの権を持って何かを課す事も可能だ。例えば婚姻こんいんを命じたり、労役ろうえきを課す事もできる」

「おそらくこれが最適の解なら、ただ請け負うのみ」

 ルインはあっさりと請け負った。その判断の速さに、魔王は驚くと同時に何かを察した。

「なんと! ……貴公、さてはあの二人を殺さぬ考えか? ジルデガーテは狂気に囚われておるし、ガディスは……かつては淫蕩いんとうな魔族の王子だったのだが、これらの件も全て引き受けるつもりか! 今後の貴公の対応が興味深いな」

 上魔王シェーングロードの表情に一瞬、笑いの気配が漂った。

「お父様、お笑いになったのですか⁉」

 ここ四百年程は無かった事が起きて、オリガ姫が驚く。

「あら、久しぶりに笑うんですね? 魔王様も!」

 チェルシーが嬉しそうに言う。

 こうして取引は成立し、『最後の眠り人』は、初代の上級魔王スラングロードの城と引き換えに、魔族の処刑者の大剣を手にすることとなった。

 ルインと眠り女たちは、大魔城エデンガルの転移に必要な場所の条件を箇条書きにした書類と図面、そして、『処刑者の大剣』の納められた鋼鉄製の箱を受け取り、散会して立ち去る。

 静まり返った広間の玉座に戻った上魔王シェーングロードだったが、珍しいことにオリガ姫が立ち去らずにまた隣の玉座に着いた。

「珍しいな、オリガよ」

「……私の憂いはほぼ消えそうです。時にお父様、お母様から何か特別な言葉を残されてはいませんか? 時が来るまで秘しておくように言われた、何らかの言葉を」

 しばしの沈黙が流れた。

「……いや、思い当たる事は無い。しかし、そういえば調べ物があった事を思い出した。先に失礼しよう。オリガよ、そなたは人の血が入っている。早く休むのだ」

「お父様?」

 魔王シェーングロードの姿はかき消すように消えてしまった。その気配が感じられなくなると同時に、広間は自動的にオリガ姫の個人的な空間としてあらゆる感知力から遮断しゃだんされる仕組みになっている。その様子を肌で確認したオリガ姫は煮え切らない疑問を口にした。

「あの方は、厳密には『眠り人』ではなく、『闇の討伐者(ダークスレイヤー)』なのではありませんか? 我ら上位魔族の一部の者たちが探し求める、『断罪の箱』と伝説の『闇の討伐者(ダークスレイヤー)』。もしもそうなら、かつて少なくない者たちが涙と共に超えてきた、遙かな長い旅路の終わりが近づいているという事。果たして……?」

 オリガ姫は謎めいた一人ごとをつぶやいて、消えた。

──上位の魔族は遥かな旅路『涙の道』を経てウロンダリアに現れたとされている。その旅は逃避行とも、探索とも伝わるが、しかし、どこから来て、その道がいかなるものであったのかは誰も知らないらしい。

──コリン・プレンダル著『上位魔族の歴史』より。

 魔王の城オブス・ガルから戻ったルインは、眠り女たちと共に、『魔族の処刑者の大剣』を確認しようとしていた。化石の巨木を磨いたテーブルの上に、預かった鋼鉄製の箱を乗せると、慎重に留め金を外し、その重い蓋を開ける。黒い天鵞絨(ビロード)を張った枠の中におさめられたそれは、磨かれた魔族の鋼の切っ先の無い刀身に黒い柄、八角の柄尻と飾りのない鍔は銀であり、柄の上下端には金の環がはめ込まれている。ただ、刀身の先端、片側にだけは、二段に曲がった鋭角な鎌のような小さな返しと、その付け根には内側に刃のついた円形のくりぬきが加工されていた。

「これ、新しいわ!」

 ラヴナが驚いて声をあげる。

「魔王様の意匠いしょうかな? ちょっと形が変わっていますねぇ。くちばしみたいな返しがついてる。文言は、えーと……『我は断罪し、処断するものなり。咎人(とがびと)は永遠に追放され、その力は印章シグナイトとしてここに刻まれ、その罪をあがなうべく揮われる。我が名はゼクスエクス』」

 チェルシーが大剣の付け根の、幅の広い血溝の文言を読み上げた。

「あ、ご主人様、この剣たぶん、他に二本ある処刑者の大剣と同じく、処刑した相手の力を印章として発現できるようになる仕様のものです。この剣自体が小さな独自の空間を持っていて、処刑された相手の力を、その罪滅ぼしの為に呼び出せる仕様ですね。この剣の名前はゼクスエクス。名前があるという事は、剣の格納、呼び出しも可能という事です」

「なるほど。でも、魔族の姫の処刑なんてしたくないものだな」

「……それ、例えばジルデガーテでも?」

 ラヴナがすかさず聞く。ルインは少しの間を置いて答えた。

「そうだな、出来る事ならな」

「それなら、あの子の試練を全て撃ち破ってあげたらいいわ。きっとルイン様なら大丈夫だから!」

「やってみよう」

 こうしてこの日、影人かげびとの武器の工房を作るために必要だった古い城については、初代の上魔王スラングロードの大魔城エデンガルを、ルインが処刑者の大剣を持つ責任を負う事で手に入れる事となった。しかし、魔族の間では古い名城の一つに過ぎないその城と、魔族の処刑者の大剣を手に入れた事は、人間の国々には少し異なった意味で風聞が伝わっていく事になる。

 そして、それが長い平和で弛緩して来た人間社会の歪みに、ある明確な形を与えていく事になろうとしていた。

──初代の上級魔王スラングロードとその娘スルーセ、そして側近たちは、ある時急に現れたつ世界の人間たちに討伐されたと伝えられている。しかし、この辺りの経緯は詳しくは公にされていない。

──コリン・プレンダル著『上位魔族の歴史』より。

first draft:2020.05.05

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