第十一話 空賊と黒い花
『二つの世界樹の都』近くの丘と駐屯地。
駐屯地のほぼ全員が戦いに備える中、ルインは再び見晴らしの良い地点に戻って彼方の光を見やった。
近づいてくる明滅する三つの光は、次第に飛空艇としての形がはっきりと見て取れるようになった。小型の二艘と大きな一艘の組み合わせで、ルインは大きな一艘を良く観察した。遠目には船によく似ているが、近づけば滑らかで開口部が少なく、船体中央部の両側面は膨らんだ張り出し構造になっている。三本の太いマストには帆ではなく複数の大きな回転翼が回っており、このような軸は後部両側面にも横に短く伸びて、おそらく推進や操舵の力を得ていると思われた。
(優美なものだな……)
ルインはしばし感心したが、掲げられている旗は剣と銃を交差させて笑う角のある一つ目の髑髏の図柄で、船も美しさのわりにどこか薄汚さが感じられる。
「あの、黒い方」
半透明のバゼリナが気づかわしげにルインに声をかけた。
「あの女性の心、特に困ってはいませんね。危機というわけでは無さそうです。この状況を意図的に作っていますね」
「どういう事だ?」
しかし、ルインとバゼリナ二人の会話に強い心の声が割って入った。
──女神様かしら? 私の説明を先回りしないで! ……眠り人ルイン、そこのお節介な女神様の言うとおり、これは私が奴らを誘い込んだのよ。あなたの仕事なら大丈夫そうだけど、一人も逃がさないようにして。私も手伝うわ。
「ネイか?」
湖に浮かぶ『精霊の船』に目をやると、ネイが大きめの動きでルインに合図を送っている。
──そう私。『歌』と『言葉』を使い過ぎてくたくただけど、もうひと仕事するわ。これは言ってみれば手土産よ。いい?
強気なネイの言葉だったが、バゼリナはその態度ではない別の何かに驚いていた。
「これは、何という強い言葉を! とても珍しいものですよ? 心に直接語り掛ける事の出来る『真なる言語』の一つです」
──また先回りして! 後で挨拶するけど本当に説明の好きな女神様ね。……眠り人、精霊使いが居たら手を貸すように言って。あれらの船を引きずり落としてあげる! 空の国々も少しおかしなことになってきてるから、飛空艇は手に入れておいたほうがいいわ。
「ああ。話が見えてきたな!」
クームシェリーを呼びに行くべく駐屯地に走り始めたルインの耳に、空を満たす全てが震えるような強い歌が聞こえてきた。
──『識』により六大の運行を称えて我は歌い、申し上げ奉る。
──『空』より出で生まれたる『風』よ、我が心身と共に在り、腕の如くあれ。
──火と鉛の弾によってあなた方の臓腑を引き裂くものを、我は地に墜とす。
「何だ⁉」
大地から空気が噴出するように垂直に気流が立ち上り始め、うっすらと目に見えるような力強い風の塊が三艘の飛空艇を巻き込むと、それらはまるで見えない綱にでも曳かれるように傾き、駐屯地の方向に引き寄せられ始めた。
この頃になると甲板や見張り用の張り出しに姿を現した空賊たちの様子が見え、慌てつつも銃や剣などの武器を用意し始めている。
ルインは再び駐屯地に目を向けたが、ギュルスたちヴァスモーの突撃隊や工人の銃兵、バルドスタの兵たちはいち早く防備を固めつつ展開し始めており、さらに碧色に輝く髪をなびかせてクームシェリーも出てきていた。
「ちょっとどういう事? すごい力よこれ? 精霊の力をそのまま行使できる言葉なんて……」
「ああ、クーム。呼ぼうと思っていたところだ。これはネイ・イズニースの仕業だ。精霊使いに力を貸してほしいと言っていたぞ」
クームは立ち止まり、何かを感じるように両腕を広げ、しばし目を閉じ、開いた。
「……そのようね。風の女王の一柱、シルファニル様ならすぐに来てくれると思うわ」
クームは歩きつつ両腕を広げて目を半開きにした。空の雲の動きがあわただしくなるとそのうちの一つに大穴が開き、透明で大きな何かが降りてくるように突風が吹き荒れる。三艘の飛空艇が丘に引き寄せられる速度もかなり早くなった。
「これは……シルファニル様はネイの事を知っているみたい。遊女と言っていたけれど、それでこんなに精霊に好かれているなんて、とても複雑な心をしているのね。そして、あの子の安全を保障したあなたの事も精霊たちは褒めているわ。とても良い事をしたと思われているみたいよ?」
見えない何かに視点を結んでいるらしいクームの目は神秘的だったが、その言葉は驚きに満ちていた。
「そこまで深く考えてなかったが、良い選択をしたという事か」
淡く光る目になったクームは一瞬の間を置いて答えた。
「うーん……あなたにとってはそうとも言い切れないかも。まあ、今は目の前の仕事を片付けましょう?」
二人のすぐ近くで銃弾が空を切る音がした。
「そうだったな」
不安定ながらも飛空艇の空賊たちはある程度統制の取れた動きを取り始め、散発的に砲や銃を撃ち始めた。飛空艇で閃光と煙が上がるとほぼ同時に、森や丘で地面がえぐれて土が吹っ飛び、しばしば爆発をする。
「これは最後、船が降りてきたら白兵戦でケリをつける形になるか」
ルインの言葉が終わらないうちに、駐屯地周りに暗い紫色を帯びた半透明の魔力の壁が立ちあがった。帷幕から出てきたラヴナは何らかの印を結び終えた様子で、ルインに気付いたラヴナは楽しそうに声をかける。
「ルイン様、あとはあいつらの船が降りてきたら広範囲の『麻痺の雲』か何かで無力化してやるわ。悪そうな奴だけ撃ち殺せば静かになると思うのよね。それにしてもネイだっけ? あの子面白いわね。世話になる以上ちゃんと手土産を持ってくるなんて、筋は通せる子みたいね」
少し不遜さのあるネイに対して、ラヴナは認めるような態度を取っている。これはルインからしたらやや意外だったが、誇り高い美女だからか、または情念を肯定しているからか、何か共通点があるゆえに感じられていた。
「どうしたの? あたしがあの子を認めているのが意外だった?」
「……少しだけ」
ラヴナはその言葉ににんまりとした笑みを浮かべた。
「あたしとルイン様の仲だから少しだけ考えを言うと、あたしは女同士のつまんない諍いを出来る限り避けるべきと考えているのよ。そんなので男の人に迷惑をかけるのは一番駄目な事だし、美女と言われるような女の取るべき姿勢ではないわ」
「ああ……そうだな」
しかしルインは複雑な思いだった。先ほどバゼリナとの話で思い出した、マリーシアとモーンの諍いの末に、なぜか自分が延々と美しい城を修理している記憶が戻ったせいだった。記憶に間違いが無ければ、マリーシアとモーンという二柱の女神は大変に位が高いとされていたはずだ。
「どうしても譲れない事もまた誰だってあると思う。その上での諍いや後始末に駆り出されるのは、時に男の甲斐性と割り切るしかないのかもしれないな。そんな時は受け入れるから思いっきりやればいいんだ」
諦めたような、或いは達観したようなルインの口調に、ラヴナは何かを感じ取った。
「なに? 何の話か分からないけど面白い話の気配がするわ!」
ルインの視界の隅に、口元を隠して笑いをこらえるバゼリナの姿がうっすらと見えており、緊迫した場にしてはかなりおかしみの漂う余裕が漂っていた。
「まあ、この話はおいおい」
三艘の飛空艇はいよいよ近づき、色とりどりの薄汚れた装備とゴーグルが特徴的な空賊たちは、やけくそに等しい闘志で弓や銃、大砲を撃ちまくっている。しかし、既に組まれた強力な魔力の壁を越えられるものではなく、姿勢を復元できないままに丘に迫ってきた。
「これはひっくり返っちまうな!」
ギュルスが興奮気味に叫ぶ。しかし、傾いた飛空艇が丘に激突する寸前で竜巻のような風が荒れ狂って取り囲み、見えざる手が適切な姿勢に直したように復元すると、ほぼ停止状態になって着地した。
飛空艇の下部には張り出した橇が出ており、それがしっかりと地面をとらえる。
「ん、クームとあの子の風の制御ね。まあそうよね。戦利品を壊したら意味ないもの」
ラヴナはそう言いながら、魔の国の貴族の女性の外出着でもある黒いマントとフードに装いを変えた。
「あたしたちの姿はあまり見せるものじゃないからね。行きましょう、ルイン様」
飛び道具がほぼ効かないルインとラヴナが揃って空賊の飛空艇に向かう。おそらく大丈夫だろうと皆が思ってはいたが、それでも緊張感が漂い始めていた。
歩きつつ『怨嗟の火』を右目に宿したルインは、焦るように銃や弓を撃つ空賊たちを検分しつつ近づく。ネイが判別した上での誘い込みだったのか、空賊たちはかなりの略奪と殺戮を行ってきた者もいた。ルインは無言で散弾銃と拳銃を取り出したが、ラヴナも何も言わない。
空賊たちは近づいて来た二人が狙いやすいと見て飛び道具をでたらめに撃ってきたが、その見立てはすぐに誤りだと分からされた。ルインには当たらずに見えざる鎖に弾かれ、ラヴナに撃ったものは『返し矢弾』で正確に撃った者に撃ち返されるため、やがて静かになった。向こう見ずな空賊たちはここに来てようやく一連の出来事を理解し始めていた。
「無駄だ。ここで死ぬか、投降して獄に繋がれるかどちらかを選べ!」
しばし沈黙が漂ったが、答えはおよそルインの予想通りだった。飛空艇横腹の扉が乱暴に下がり、各々武装した空賊たちが襲い掛かってくる。
「冗談じゃねえ!」
「偉そうにしてんじゃねえぞ!」
「らしい答えねぇ。麻痺の雲でもくらうといいわ!」
ラヴナは無造作に手をかざし、淡い緑に濁る光球が現れて拡散した。すぐさま硬直して倒れる大多数の者と、しかし構わずに突っ込んでくる者がおり、安定して全員が麻痺はしなかった。ルインは倒れなかった兵士たちのどこか整った空気に軍属の気配を感じ取る。
「あれっ? 準備がいいわね! 何か対策してるわ」
「下がっていてくれ」
ルインはすかさずラヴナの前に出ると、迫りくる空賊たちの足や腕を銃で撃ち始めた。ルインの背中を見てふと微笑むラヴナだったが、ルインは気づかない。
「ルインの旦那ばっかり狡いぜ。ゴチにならぁ!」
この時を待ってましたとばかりにギュルスたちの突撃隊も雄叫びを上げながら突っ込んでくる。
「無闇に殺さないほうがいい! 少し違和感がある!」
ルインの叫びをどこまで聞いているのか、ギュルス率いる獰猛なヴァスモーの突撃隊の突進は何人かの空賊たちをぶっ飛ばして飛空艇の壁に叩きつけるほどで、その後小規模な乱戦にはなったが、装備や統制、士気に大きな差があり、最後に船室にこもった空賊たちの部屋のドアの破壊に少し時間を取られた程度で、それでも日がすっかり暮れるまでには決着がついた。
夜。世界樹の都を見下ろす丘の駐屯地。
魔導の篝火が吊るされ青白い光に照らされた丘の上で、軽傷または無傷の空賊たちは後ろ手に縛られて検分を受ける事になっていた。魔の国や聖王国の役人の到着の前に、青白い霊体の驢馬に横座りした、明らかに高価な白いドレスを着た仮面の女が上がってきた。
──『ウロンダリアの真珠』こと、暗殺結社『黒い花』の首魁、ネイ・イズニース。
無表情な少女の顔を模した銀の『人形の仮面』と、ウロンダリアの様々な花の柄を刺繍した『人形の服』と呼ばれるドレスを着たネイは、同じように仮面を着け、女物の薄着に身を包んだ銀髪の美少年、コーデルを伴っている。
「眠り人ルイン、だいたい私の思惑通りに事が流れて満足だわ。いきなりの申し出を受け入れてくれてかなり助かったから、これらの飛空艇は手土産よ。接収してあなたのものにしたらいいわ。ここから空の国に飛空艇を返すのはほぼ不可能だし、あなたはこれで沢山の弱みを握れることになるでしょうからね」
荒くれ者たちがすぐ横にいるのに全く気に掛けず、ネイは堂々と強かな考えを口にした。何人かの空賊は汚らしく唾を吐き、下卑た罵詈雑言を騒ぎ立て始める。
「喰わえ込まれたのはおれたちって事かよ! 噂通りとんでもねぇ売女だぜ! あともう少しでお前らを捕まえて、他の女ともども滅茶苦茶に犯しつくしてやったのによ!」
ヤマアラシのように髭を蓄えた、薄汚れた巨漢が下卑た笑いを浮かべた。
「へっへ、違えねぇ!」
痩せた薄汚い空賊も同意する。
ネイは太腿に仕込んでいた短剣を素早く投げつけ、それはヤマアラシのような髭の男の右目に深く突き刺さると、男は恐ろしい悲鳴を上げて暴れ、やがて突っ伏して痙攣し始めた。不気味に血だまりが広がる。
「おい!」
ルインが強い口調で呼びかけたが、ネイは全く意に介さず、仮面を外して美しい顔を露わにし、猛禽のような金色の瞳で男たちを睨みつけた。『ウロンダリアの真珠』と呼ばれる美女の迫力に空賊たちは息を呑むように沈黙する。
「私の顔を見せてあげる。あなたたちごときが私を捕らえて好きなだけ犯したところで、私の何が変わる事もないわ。ただ、私の殺したい奴と、私に殺されて彷徨う魂が増えるだけ。そもそも、股の穴がとうに擦り切れてるような女を犯して何が楽しいのかしら? そんな事も何度かあったしね。そうなったらせいぜい舌打ちしながら身体を洗って、一人一人綿密に殺すだけよ!」
ネイの言葉の迫力に、荒くれものだらけの空賊たちは押し黙ってしまった。
「私は高い賞金とこの見た目のお陰ですぐには殺されない。だからたくさんの復讐を遂げて来たわ。今だって、気晴らしに一人一人じわじわと嬲り殺してもいいのよ? 非力な女の刃物でされる拷問がどれほど怖いか、あの世に旅立つ前に学んでみる? あの世でも悪さが出来ないように一人一人丁寧に、股間の一物を切り落としてあげましょうか?」
空賊たちの額に汗が光り始めた。
「……ネイ」
ルインは刺激を避けて静かな口調で呼ぶ。しかし意外なことに、ネイは優美な仕草で振り返り、ルインに気品漂う微笑みを返した。
「一つ忘れていたわ。あなたたち、ひどい目に遭わないわよ? なぜなら……」
空賊たちのほうを見やりつつ、ネイは静かな舞のような所作でルインの側により、その腕を取って身を寄せた。
「今の私は古の上魔王、スラングロード様の魔城の後継者である、キルシェイドの眠り人ルイン様に身の安全を保障してもらっているわ。あなたたちの身柄の扱いも、慈悲深く豪儀なこの方の判断にゆだねられる。無礼な態度はとらない事ね」
反抗的だった空賊たちの視線は、ルインにはすがるような、慈悲を乞うようなものに変わっていた。場の人心を制御し、自分の後見人であるルインを立て、かつ仕事をしやすいようにする完璧な振る舞いだった。
「この中に、空の大国レーンフォリアか、またはその関連国の密命を持った兵士もいるでしょう? 家族の元に帰りたかったら腹を割って取引する事ね。上位魔族の姫様や私のような怖い女が信頼を寄せる方に、男の小細工は通じないどころか無礼よ?」
続いたネイの言葉に、空賊にしては整った空気を纏っていた男たちの何人かがわずかに困惑の表情を浮かべていた。
「ああ、色々とその、ありがとう」
ルインが述べた礼の言葉に、ネイは上品な微笑みを返した。
「少し喉が渇いたので、何か飲み物を貰えたら助かるわ。それと……」
ネイは近くで顔の見えない黒装束に身を包んだラヴナをみとめると、ルインから離れてその黒いフード姿に上品に一礼した。
「そのお姿はキルシェイドの名のある上位魔族の姫様かと思います。大切な殿方に騒乱を持ち込んでしまいましたが、礼節と理を愚考致しました末、このような趣向も有りかと思い、私なりの合理で返礼と共に参じました。ご笑納いただければ幸いですし、至らなかったらなにとぞ今後も隅の一輪としてご鞭撻いただけましたら幸いです」
顔が陰になって見えない黒いローブとフード姿のラヴナは、愉快そうに肩を震わせた。
「あなた良い女ね。しかも面白いわ。魔の国の高い紅茶は口に合うかしら? 帷幕で少しお茶にでもしましょう?」
「ご笑納下さり深謝いたします」
「そんなにかしこまらなくていいわ。ついてきて。他にもお腹の減っている人や喉が渇いてる人がいるなら、何か出してあげる。……いいわよね? ルイン様」
「ああ、宜しく頼む」
ネイの尋常ではない振る舞いや資質に場が吞まれかけていたが、ラヴナたちと入れ替わるように魔の国と聖王国の記録官たちが重そうな冊子を手に現れた。その様子を見て空賊たちに向き直ったルインは、少し砕けた空気で話しかけた。
「さて、重い罪を犯した者は難しいかもしれないが、彼女の言うとおり、なるべく穏便に、素早く事を収めたいものだ。協力してくれると助かる」
ルインは記録官たちと共に検分用に設けられた長机の席についたが、さらなる驚きが待っているとは誰も予測していなかった。
first draft:2023.1.10
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