第十七話 湖上の戦い
二つの世界樹の都、多層の湖最下層の湖上。
術式で展開した淡く呪文の輝く地平に立つルインに対して、空中の馬上から不敵に笑いつつ見下ろす狂乱の戦乙女ジルデガーテ。その二人の背景は世界樹の都に蒼暗い夜空を押しやり始めた朝日という壮大なものだった。
登り始めた朝日を掴むように手をかざし、ジルデガーテは懐かしそうに笑う。
「ふふ、かつてはこの手にあの曙光を掴むほどの武威と栄誉を誇った私とヴァドハルの地は既にない。この『永遠の地』に何とかたどり着いても自責と自問は我が身を地獄のように焼き続け、零落して狂気に身を委ねても堕ち切れぬ」
ジルデガーテは南天にひときわ輝く青白い星に目を向け、ルインもその星に目を向けた。
「磨き過ぎた我が武と誇りは、かつて戦いの中であの不動の星ハルシャーの光のように希望であり続けた。しかし今や私の心を狂気の闇に閉ざす上では邪魔となり、その光は目を刺すように痛む。我が誇りと、武威がだ!」
気合いの込められた言葉と共に、ジルデガーテは何かを掴んで引き寄せるように腕を曲げた。
「我が領域の戦士たちに戦いの栄誉を!」
──ヴァドハル戦士の軍旗。
見上げるように高い半透明の長い軍旗が立ち並び、青と銀のそれは勇ましく風にたなびく。勇壮な掛け声が地響きを起こし、肌は死者のようでありながらその眼に燃える闘志は遥かに生者を凌ぐ戦士たちが大軍で現れた。
「流石に相手がルイン様だとジルも真面目ね」
ティアーリアは従者である大きなドードー鳥を呼び出し、そのふわふわの背に腰かけて戦いを見ている。
一方、現れた無数の戦士たちに対して、ルインは少し感心したように眺めまわしていた。
「ジルデガーテ、彼らは君の領域の戦士たちか? 死した戦士たちとはいえ良い戦士がとても多いな。生きざまと高い誇りが見えるようだ。死してのちもまた無闇に戦って死なせるのは忍びない」
「いきなり何を言うのだ? ……何を?」
ジルデガーテの困惑を表すように、死せる戦士たちもまたルインにいきなり襲い掛かりはしなかった。対するルインは死せる戦士たちに目を向けつつも敬意ある笑みを浮かべて呼びかけた。
「見事な戦士たちだな! 死の彼方で戦乙女の領域にあってなお衰えぬ戦士の眼光、久々に気分が良い。剣を交える前に演武を贈ろう!」
あろうことか、ルインは六角棍で武技の演武を始める。まるで様々な敵の姿が見えるような迫力ある演武に、技の端々に見える荒々しさの線を結ぶ完成度の高い所作と冴え。何より、死せる戦士たちへの敬意からか、ルインの演武には強い熱が宿っており、戦士たちだけではなくティアーリアもジルデガーテも引きつけられていた。
「我が戦士たちがあの男の演武に目を奪われているだと……!」
驚きつつもジルデガーテもルインの演武から目が離せない。戦ってきたであろう相手の姿が見えてくるようなそれは、戦乙女としても感心できる部分が多かった。
「これは眼福ねぇ。ルイン様ったら、ジルが目をかけた戦士たちを気に入ったのね。思わぬ展開だけれどとても面白いこと」
ティアーリアも微笑む。
ルインの演武は最後に高く跳躍してからの振り下ろしで終わり、死せる戦士たちは雄叫びと共に武器を高く掲げて賞賛した。
──なんという戦士よ! 死して久しい我々を賞賛し、至高の演武を手向けんとするとは!
古い王冠を戴いて、重そうな戦槌を携えた堂々たる死せる戦士が感嘆の声を漏らす。
「ガルベル王まで! くそ、調子が狂う!」
戦乙女にはあり得ない舌打ちをして、ジルデガーテは悔しそうに吐き捨てた。
「狂乱を名乗っているんだから狂ってるのは問題ないだろう?」
「余計な事を言うな!」
ルインの指摘にジルデガーテはより一層苛立つ。その様子にティアーリアは笑っているが、二人は気づいていない。
「いちいち苛立つ男だ! 私にとってはお前のような男は居てはならないのだ。あるいは欺瞞があるか、いずれにせよ力でその本心を剥き出してやる‼」
「こんな良い戦士たちを見出す目をしていてなぜ苛立つ必要がある?」
ルインは自分に対して尊敬のまなざしを向ける戦士たちを見回し、その目をジルデガーテに向けた。ジルデガーテは兜の面を上げ、欺瞞も何もないルインの目を読むように見抜く。すぐにジルデガーテの眼は何かに気づいたように見開かれた。
「何だ? お前はまさか気付いてないのか?」
「気付く? 何の話だ? そもそも試練はともかく、君にそこまで敵意を向けられる理由が分からないが」
ジルデガーテはしかし明らかに驚愕の表情を浮かべており、何かを確かめるように震える手で自分の頬に触れつつ、ルインをさらに見極めるように眺め、やがてその目がより大きく見開かれた。
「何という事だ。こんな男がいるのか……お前は……」
「ジル!」
ジルデガーテの言葉を打ち消すように、ティアーリアが割り込む。
「ルイン様はそういう人よ。そして、まだ目覚めて間が無いから何も知らないの。あなたは試練を完遂すべきね。その後なら話してあげるわ」
(何の話をしている?)
ルインは自分に関わりのある、しかしあまり明け透けには話したくない事柄の気がしたが、女たちが隠したい事なら触れるべきではないと考え気にしないことにした。その判断に気付いたのかティアーリアがルインに微笑みかける。
「そうそう、そんな判断が自然にできるのがルイン様のいい所ですよ」
ティアーリアはまるでルインの心が見えているかのように言い、ルインもまた静かに笑った
「ヴァドハルの戦士たちよ、私はこれより本気で戦う。この戦いがどちらにとっての試練なのか、とくと見るがいい!」
ヴァドハルの戦士たちは輪を描くように距離を取り、ジルデガーテは空中から降りてきて馬を降りた。その全身を銀の光がわずかの間包み、ジルデガーテの姿はまた異なる装いになった。
銀の瞳は魔族の赤い色に変わり、白銀のドレスのような鎧下と、淡い金色を帯びた美しい装飾の籠手や肩当。その額には翼を広げて祈る戦乙女を模した額当てが光っている。
「我が戦士たちに礼を尽くす男に、距離を取った魔法の技は流石に無礼だからな。しかし……」
だらりと下げられたジルデガーテの両手に銀の火が燃え、それぞれ変わった武器が現れる。右手のそれは長剣だが、ぎざぎざで蛇腹構造の長い刃が伸びており、柄からも短い刃が伸びている。一見して何か変わった動きをする仕掛け剣のようだとルインは目星をつけた。
──戦巧者の仕掛け剣クィルスバート。
左手には同じく銀に輝く小さな弓のような刃物が現れた。
「ルイン様、ジルの左手のそれは我々上位魔族が用いる万能武器ファリオンと同じようなものです。剣にも弓にも盾にもなるのでお気をつけて!」
ティアーリアの助言にルインは無言で頷いた。
「まあ、その起源はヴァドハルの戦乙女の首席たる私が主神ヴォーダン様より賜ったこの武器、『ウニバルセル』なのだがな」
──攻守一体の神器ウニバルセル。
(武器の趣味がいい……気になる!)
ルインはそれら武器について詳しく聞きたい気持ちを抑えて表情を維持していた。対するジルデガーテはクィルスバートを右の肩に担ぐ独特な構えを取る。
「さあ、容赦はしない。お前も容赦はするな。殺す気でかからねばその首が飛ぶぞ!」
「いよいよだな!」
弾かれるように二人は距離を取った。ジルデガーテは肩に担いだ剣を動かすと見せかけて、いきなりウニバルセルから青白い光の大剣を現出させてルインを薙ぎ払う。
「っとぉ!」
見事な擬勢に対してルインは棍に黒炎を纏わせて受けきる。
「良い反応だな、しかし……」
言いかけたジルデガーテの言葉を追う前に、ルインは風切り音を聞いて身を伏せて転がる。ルインの首のあたりの高さを煌く刃が通り過ぎ、飛去来器(※ブーメラン)の形をしたクィルスバートがジルデガーテの手に戻った。
「いきなり搦手とはな!」
しかしルインが見た物は光り輝いて弓の形になるウニバルセルだった。分裂する無数の矢が放たれるがルインは鎖の障壁でこれを防ぐ。
「ほう、またそれか。防御はずいぶん固いようだな。鎖の障壁など聞いたことがない」
「悪くはないが飛び道具はいささか対話にならなくてつまらんな」
「同感だ! ゆくぞ!」
一瞬で距離を詰めてきたジルデガーテはクィルスバートと魔力の刃を展開したウニバルセルの二刀流で猛攻を繰り出してきた。ルインは光り輝く嵐のようなそれを見事な棍さばきで受け流し続ける。
「お前の演武は見事だったぞ眠り人!」
「それはどうも!」
攻防の中、二人はあえて会話を続ける。
「お前の武技からお前を見極めたいところだ。とはいえ心するがいい。武技には王者の、騎士の、雑兵のものがあり、それぞれ極めねば武の本質は見えず、そして私にはそれが見えている事もな!」
後方に宙返りをするジルデガーテにルインは反応してのけぞった。その胸の辺りの服が切られて赤い線が入る。おそらく具足に仕込まれた刃によるものだとルインは気づいた。さらにウニバルセルの魔力の刃での切り上げが襲い掛かり、ルインは再び凌いで応酬が続く。
「ふふ、実に良い反応だ。相当な戦い慣れをしていて、不意の一撃にも対応できている。大したものだな!」
ジルデガーテの剣技は変幻自在で、この特徴に二つの武器が良くかみ合っている。なりふり構わぬ小技の連続に、ルインはこれらの技の理念を感じ取った。
「これらはつまり雑兵の武技だな。生き抜けばよい性質のものだ」
「ふ、その通りだ!」
ジルデガーテは白く輝く翼を一瞬出現させて後方に飛ぶと、銀の炎から現れた愛馬に騎乗した。
「ならば次は騎士の武技となるぞ! 眠り人!」
「望むところ!」
ルインの両脇に銀の炎の壁が燃え上がり、波打つ刃の槍を構えたジルデガーテが突進してくる。しかし恐ろしいのは、馬甲から二本の長い鎌刃のついた大槍が伸びており逃げ場がない事だった。
「これはまた凶悪な仕様だな……」
ルインの目が楽し気に燃える。その全身に一瞬だけ蛇のように黒炎がまとわり消えた。
(何をする気? ルイン様の雰囲気が変わったわ……)
ティアーリアも注目する。
「さあどうする眠り人! 胴から真っ二つか? 私の槍に貫かれるか?」
「どちらもお断りだ!」
逃げ場のないルインは回避せず、ジルデガーテの槍がその目を貫く寸前で頭をひねり、回転しながら背中に六角棍を添わせて馬甲の槍を受け流しつつ身を伏せた。火花が散り、ジルデガーテの馬の前足が浮く。その力を利用してルインは肩を支点に梃子を利かせると、ジルデガーテを棍で馬ごと放り投げた。
「何だと⁉」
ジルデガーテの驚きの声が響く。
「さすがねぇ。馬上の戦乙女くらいでは委縮せずに放り投げるのね」
ティアーリアは感心して微笑む。
ルインに投げ飛ばされたジルデガーテは翼を出現させて空中で体勢を整えるとふわりと着地したが、その目は驚きに満ちていた。
「お前は大変な使い手だな。私の突進に恐怖を感じずにあんな返し方をするとは! ……面白くなってきたぞ!」
ジルデガーテは馬を降りると再び馬の姿が消え、何も持たない両手をまるで大剣を持つように構えた。
「ならば次は王の武技となる! スティエニング!」
銀の炎がその両手から燃え上がり、見事な幅の広い大剣が現れた。直線的で武骨だが、何らかの装飾文字が質実剛健な美意識で刻まれている。
──『屹立する王の大剣』スティエニング。
「次は堂々たる斬り合いだぞ、眠り人!」
ジルデガーテの踏み込みは非常に早く、ルインもこの大剣を最適に受け止めるのはぎりぎりだった。しかし力比べにはならず、垂直に打ち込まれた剣の力はすぐに消え、流れるように横からの薙ぎ払いとなり、ルインの胸に今度は横一線の切り傷が走った。
女でありながら大剣を揮う場合の、相手の受けを支点にして次の動作に持ち込む流れるような動きが出来ており、ルインは感心していた。受ければ次の技に変化し、受けねば激流のような連撃に。そして、その連撃に慣れようと思った頃には流れを変える重い一撃が飛んでくる。
ルインはジルデガーテの大剣さばきを感心しつつも棍で凌いでいたが、その技の応酬は完成された美しさがあり、ティアーリアやヴァドハルの戦士たちは驚嘆してこの戦いを眺めている。
「認めたくはないが」
息を弾ませつつもジルデガーテは笑い、話を続ける。
「お前と戦うのは意外に楽しいものだ!」
「それは何よりだ」
戦いのさなかに微笑むルイン。次第に技の応酬は人外の速度を帯び始めた。時に火花が散り、黒と銀の嵐のように剣と棍が交錯する。
(強いな……技だけではなく、心も。しかし……)
ジルデガーテはこの男に、わずかに他の魔族の姫たちの接触の気配を感じていた。女と見れば誰構わずの男かと思っていたが、ティアーリアの言葉によるとそうではないらしい。それはこの男の戦い方と濁りの無さに現れてもいた。
しかし何より信じがたいのは、上位魔族の姫たちの魂がささやかにでも触れておりながら、全くその魅力に囚われていない鷹揚さだった。これは鋼鉄のような理性を持っているに等しかった。
(実在しているというのか? そんな男が)
熱を帯びた二人の技の応酬は、とうに人が追い付けない速さと技量のものになりつつあった。ルインもしばしばジルデガーテに加減して攻撃を放ち、それが受けられたうえで次の攻撃に移行する。そんな心地よい技の往復の中で、ジルデガーテは圧倒的な力量の差と共に心のどこかから狂気が急速に失われていくのを感じていた。同時に、はるか遠い過去が思い出される。
(あの末期のヴァドハルにこのような男が居たら……)
ジルデガーテの心に蘇った追憶が隙を作ってしまった。
「あっ!」
ルインの声とともに、ジルデガーテの右わき腹に強く棍が打ち込まれる。ジルデガーテは膝に力が入らなくなりくずおれた。大剣が手を離れて転がる。
「すまない! つい受けるとばかり」
すぐに膝をついて心配するルインに、ジルデガーテは力なく笑った。
「大事はない。戦いのさなかに過去を思い出してしまっただけでお前は悪くない。私の落ち度だ。試練も何もあったものではないな。お前の戦いぶりに追憶がよみがえったのだ。狂乱ゆえの粗相と笑うがいい」
「笑いはしないさ。剣を交えてわかる事は多いものだ」
「確かにな。嬉しい事を言う」
ジルデガーテは同意し、全身が一瞬だけ淡く輝くと立ち上がった。
「お前の棍の痛みは大したことはないし、痛みもすぐに癒せる。とはいえこれ以上の戦いにあまり意味はないな。戦乙女としての力に、我が主神ヴォーダン様より授かっている呪文字の力で派手な戦いもできるが、それはもう本質ではない。お前という男が見えてしまった。稀有な使い手であり、また稀有な男でもある。私の想像力の無さがお前に非礼を働いた形になっているな」
「『狂乱の戦乙女』なのだろう? ならそれでいいさ。必要以上に戦う気はないが、今日のような手合わせは悪くない」
「そのようだな。試練はここまでにしよう」
言いつつジルデガーテは遠巻きに眺めている幻影のような戦士たちを見回した。
「彼らは堕落する前のヴァドハルの戦士たちだ。良き男で良き戦士たちだった。しかし……」
ジルデガーテがさっと右手を上げると、ヴァドハルの戦士たちは炎のように消えてしまった。次にジルデガーテは自分の身を銀の炎で包み、すぐにその炎は消えた。現れた姿にルインの眼は一瞬見開かれ、しかしすぐにやや険しいものとなった。
「見るがいい、この姿を」
ジルデガーテの装いから白銀の鎧下が消え、美しいが妙に肌の露出が多い姿となった。金象嵌も美しい暗い銀の甲冑は、豊かな胸元からへそまで輝くような肌が見え、脚もまた横から見たら腰のくびれより上まで肌が見えている。
「とても綺麗だが……過度に煽情的で戦乙女の意味が誤解されるんじゃないか? 君らは確か神に仕え戦士たちを導く者のはず」
ルインの慎重な言葉にジルデガーテは暗く笑った。
「やはりな……良い答えだ。お前の言う通りだよ。これは最後期のヴァドハルの戦乙女の装いだ。既に志の高い戦士たちは居なくなり、それでも戦士の必要だった我らは、蛮族どもを誘惑めいた方法で戦士に仕上げるようになっていた。私は拒否し続けたが、そうではない者たちはやがて人間たちと結ばれて老いるものが多くなっていた」
「頽廃やら堕落やら、そんな方向に進んでいたのか」
「そうだな。私は従わなかったから煙たがられていたのだ。そして結局私は、おのれが見出したヴァドハル最後の勇者をこの手で殺し、ヴァドハル滅亡のきっかけを作ってしまったのだ……」
「それは聞いても良い事か?」
「ああ。試練を終えた今、最後にこれは話しておきたい。この後の運命がどうなろうとも」
「ならば聞こう」
朝日が射し始めた湖上に立つジルデガーテの姿には深い追憶と威厳があり、既に狂乱の気配はどこにもなかった。ルインは自分の立場と責任からも、 この戦乙女の話をよく聞くべきだと判断していた。
first draft:2023.3.29
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