第十九話 佯狂(ようきょう)と密談

第十九話 佯狂(ようきょう)と密談

 二つの世界樹せかいじゅの都、湖上の術式の地平の上。

 夜魔鳥やまちょうの姫ティアーリアのたしなめるような強い言葉に緊張が走っていたが、ルインは気にせずに話を続けた。

「ティアーリア、この言動も含めて『佯狂ようきょうそう』なのだろう? ここはしてやられたと笑って受けるべきだと思うが違うか?」

 ルインの意外な受け止め方にティアーリアが虚を突かれたのか、切れ長の目が丸くなる。

「それはそうですが、良いのですか? モーンはとても獰猛どうもうですし、ヴォーダンのあの矢は、あれはどう見てもその……良くない行いをした結果のように思えるのですよ。とてもモーンがそれを許すとは思えませんが」

 ティアーリアはどこか歯切れの悪い口調になり、ジルデガーテも何とも言えない微妙な表情をしている。

(妙な雰囲気だな……)

 ルインはティアーリアの言う『良くない行い』について聞こうにも、聞いてよい事かわからなくなって腕を組んだ。この妙な空気を破ったのはヴォーダンの笑いだった。

「わしはモーンの沐浴もくよくを覗き見しようとしたのだ。はたして何か素晴らしいものが見えかかった時にはもう手遅れよ。それ以降激痛と暗闇が続き、おのれの愚かな行いに笑いが止まらぬ」

 荒野の軍神ヴォーダンは他人事のように愉快そうに笑った。

「やっぱりね。でも自分で言うなんて……」

 ティアーリアは困惑と不快の入り混じった表情をしている。

「ヴォーダン様、何という事を……。我がヴァドハルの威光いこうはもう戻らぬのか……」

 ジルデガーテはその声が震えている。しかし、続くヴォーダンの言葉もまた意外なものだった。

「愚か者どもが。女の倫理観りんりかんだけで短絡的にものを見よって。このおかしみと意味が分からぬとはのう」

 ヴォーダンの言葉には確信めいた威厳が漂っており、続いてルインに向き直った。

「ではルイン殿よ、そなたはわしのたばかるような話にも『佯狂ようきょうそう』として対応したな。ここまでは見事。ではさらに聞くが、わしは女神の沐浴もくよくを盗み見んとして両目に矢を射られて嘲笑ちょうしょうと苦痛にさらされる日々となった。この愚かな行動にいかなる意味があるか答えてみせよ」

「意味ですって? そんなものがあると?」

「意味……」

 ティアーリアの反応はいぶかし気で、ジルデガーテは困惑しているのみだった。ルインはわずかに息を吐くが、そう間を置かずに答える。

「……長く落ち目でも、そこから再びい上がる気なら苦難は全て意味がある。その苦難には嘲笑ちょうしょう侮蔑ぶべつも含まれるだろう。苦難や他人からの嘲笑、侮蔑をあえて自分で受ける事は、自分に試練を課し、その試練を早めに積み上げて良い未来をより早く呼ぶ、つまり苦難の時を早く終わらせることに寄与きよする可能性がある、という解釈かいしゃくかな?」

「……ルイン様、それは幾らなんでも立派に過ぎる解釈ではありませんか?」

 ティアーリアはおかしそうに否定する。

「敬意をもって接しろと言ったのは君だぞ?」

「それはそうですが」

「眠り人、お前は今のヴォーダン様をそのように解釈してくれるのか?」

 ジルデガーテは驚きの目でルインを見ている。

「君の主だったんだろう? 君の戦い方も狂乱きょうらんの理由も知った今、とても嘲笑すべき人物とは思えないからな」

 このやり取りにヴォーダンは声をあげて笑った。

「わしの思った通り、眠り人殿は長い苦難の経験があるようだな。『佯狂の相』とはつまりそういう事よ。意味のない事、他人に侮蔑や嘲笑されることをあえて行い、なおけがれぬほこりを持ち続けて自らに苦難を課す意味があるのだ。謀るような話をしてすまぬが、良い答えを聞けて満足しているぞ。まあ、今のわしをそこまで立派に解釈せずとも良いがな。見守るべき世界が堕落だらくし、流れ着いたこの地で女神の裸体を覗き見しようとし、両目に矢を射られた。それで良いではないか」

 呵々大笑かかたいしょうするヴォーダンにはそれでも隠せぬ威厳と誇りが漂い、ルインも笑った。

「あらあら、私があんな対応をしたのに、ルイン様はちゃんと答えを出すのですね。女の態度に意見を揺るがさないのは良い事ですよ」

「やっぱりわかって言っていたのか」

 苦笑するルインにティアーリアは笑う。

「もちろんですよ。私たち魔族の女は、私たちに思いを寄せる男にしばしば無茶で馬鹿々々ばかばかしい試練しれんを課すこともあります。でも、それを一生懸命こなす者の事は笑いませんからね」

 気分良さげに笑うティアーリアに対して、ジルデガーテは歯切れが悪かった。

「私に真面目に対応し、今のヴォーダン様をも笑わないというのか……私は少し失望しかけたところだが」

「お前のそういう所が駄目なのだジル。堅物めが!」

「申し訳ございません!」

 ヴォーダンの強めの叱責に、ジルデガーテは慌てて深々と頭を下げた。ヴォーダンは矢が刺さったままの目をルインに向ける。

「いつかまた我がヴァドハルが威光を取り戻すかはもうわしにもわからぬ。しかしルイン殿よ、厄介な女が多くて大変であろうが、ジルの事もよろしくお頼み申す。……気が向いたら寝所しんじょに呼んで構いませぬぞ」

「そんな無体むたいな事を!」

「ほう、首をねられて良いとまで言ったのにその覚悟はないと申すか? 良いかジル、そなたは少し真面目さに逃げている節があるのだ。そこを少し正してもらえ」

「分かりました……仰せの通りに」

 何か刑罰でも申し渡された人のように、ジルデガーテは委縮いしゅくしている。

「ま、まあ今のおれは花園はなぞの園丁えんていのようなもの。おかしな手出しはしないからそこは信用してくれと言っておく」

「……その言葉を信用するからな?」

 ルインの言葉に対し、ジルデガーテは苦し気に絞り出した。しかし、呆れたようにヴォーダンの言葉が続く。

「信じるも何も、ルイン殿にはお前より良い女など沢山いるであろう。使われぬ剣の刃こぼれを気にするようなものだ」

「この私がそこまで見劣みおとりすると申しますか?」

「例えばわしに矢を射た美しく獰猛な狩猟の女神モーンはな、わしの伝え聞いた話に間違いがなければ、思い人はこのルイン殿だ」

「な……!」

「何ですって!」

 ジルデガーテは絶句し、やり取りに微笑していたティアーリアも驚いた。

「ヴォーダン殿、流石に確証かくしょうの無い話はひかえていただきたいものだが」

「そうであったな。わしの妄想もうそうかもしれぬ。そして妄想ゆえにそなたに頼みごとを持ってきたが、まあ成就すればそれで良い。わしはそろそろ立ち去るとしよう。以降、わしに用事があったらジルめに申し付け下され。ジル、お前はエデンガル城に一室を貰うのだ。良いな」

 ヴォーダンはそこまで言うと姿も気配も消えてしまった。

「ヴォーダン様! ……去ってしまわれた」

 この時、ルインたちの遥か頭上を小さな銀色の光が通り過ぎていったが、誰も気づかなかった。

「相当に老獪ろうかいで底の知れない御仁ごじんだな。で、次は溶岩蜘蛛ようがんぐもの王と。ああもう何でも受けて立つぞ」

 ルインは言いつつ足早にエデンガル城に向かおうとしたが、ティアーリアがそれを止めた。

「待ってくださいルイン様。何やら聞き捨てならない事をヴォーダンが言ってましたが、古き狩猟の女神、モーンに好かれているというのは本当ですか?」

「男の立場で誰かに好かれているとか言えるわけがない」

「では聞き方を変えます。狩猟を司る女神モーンという存在に心当たりはありますか? 記憶のどこかに関りが? 『はさみのバゼリガリ』に化身していたあの女神様のように、遠い昔にあなたに関わっていた方ですか?」

「最近そのバゼリナから名前を聞いて思い出したところだ。しかし厄介やっかいな印象が強くて彼女の気持ちまでは分からない。つかみどころがなく気まぐれで、いつも一定の距離を保っていたという印象しかないが」

「大変な美貌びぼうとの噂もありますが、その辺はどうですか?」

「暗い赤髪に、ガシュタラの虎目石とらめいしのように光る目、そして不敵な笑みを浮かべた強気な美女だな。あまり思い出したくないが、彼女は確かマリーシアという女神と非常に仲が悪くて、大変な戦いになり、結局のところ結着はつかず、彼女たちが壊した城をしばらく修理していた記憶がある」

「何という事」

 ルインの返事にティアーリアは少しだけよろめいた。

「そんな大げさな……」

「大変な情報ですよそれは。いいですか、まず、モーンは非常に強いとされていますがその根拠となる話はありませんでした。一方で女神マリーシアはウロンダリアで最強の女神だとされています。そんな存在と引き分けるくらい強かったと。さらに、モーンとマリーシアは仲が非常に悪く、いつもどちらか片方しかウロンダリアにいないともされています」

「……そうなのか」

「で、さらに決定的なのは、モーンはその美しい顔を決してさらさず、いつも恐ろしい仮面で隠しているとされていますが、ルイン様は素顔を知っている、と。はい、十分すぎる情報です。ありがとうございます」

「いや、本当にモーンはそんな感じではなかったはずだ。いつも飄々ひょうひょうとしていたし、自分の不始末に関してほとんど手伝わないのは流石にどうかと思っていたくらいだが」

「あらあらとっても親し気ですね。女神様たちと言えど所詮しょせんは女。あなたに見出している物は同じですか。まあ私もその一人なので何も言えませんけどね。全く……」

 珍しい事にティアーリアがため息をつく。

「よくわからないがその、色々と大変なのだな眠り人。とりあえず私は以降、あまり面倒をかける気はないぞ。私には試練を課すつもりで何か気兼ねなく命じてほしい。……ヴォーダン様には使われぬ剣とまで言われてしまったしな……」

 あまりの事らしくジルデガーテが気を使っている。対して、ルインは気さくな笑みを浮かべた。

「ヴォーダン殿は言い過ぎだとは思う。まあ何か掴めと言いたいのだろう。……ところで武器は好きかな? 見たところなかなかに武器の趣味が良いようだが」

「……ほう、私に武器を語らせたら酒無しで一晩でも二晩でも語れるぞ」

 不敵と言っても良い笑みを浮かべるジルデガーテの目に、既に狂気は見えなくなっていた。

「それなら大歓迎だな」

 エデンガル城に歩き始めたルインの後ろ姿にジルデガーテもついていくが、その様子を見ていたティアーリアはまた別に思う事があった。

(なるほどねぇ。狂気に至るほどに真面目なジルは、ルイン様と一緒なら凄く役に立つわ。そこにヴァドハル奪還の目があると踏んだのかもね。それにしても……)

 ティアーリアは『荒野の狩り手ワイルド・ハント』たちが駆け抜けていった空を眺めた。熱気のある良い夏の朝だが波乱の予感が漂っている。

「また大きな騒ぎが起きているわね……」

 しかし、その騒ぎを最終的に収めるであろう人物の背中は隙だらけに見えるほど鷹揚で、ティアーリアは密かにほほ笑んだ。

──上位存在は様々な姿『相』を取り、中でも難解なのは『佯狂ようきょうそう』だろう。みすぼらしく時に正気を失い、嘲笑されてしかるべきその姿はだからこそ大きな示唆を含むとされ、ウロンダリアでみすぼらしい身なりの者があまりぞんざいに扱われない理由の一つにもなっている。

──神学者ミアルム・ハイタクス著『神々の貌(かお)』より。

 同じ頃。

 サバルタの黒き森の南西の外れ、古き狩猟の女神モーンの聖域せいいきの一つ。

 夏の早い夜明けでとうに日が出ていたが、大木や切り立つ丘の陰になる暗い森には深い霧が立ち込めていた。さらに、折れてこけむした木々が頑丈な壁のように幾重にも取り囲む水場があり、小さな滝が水煙を上げて流れ落ちている。

 この水場のほとりに淡い緑と青白あおじろに輝く二頭の牡鹿おじかが佇んでおり、それぞれの角には月色に輝く大きな弓や、赤と黒を基調としたドレスのような狩り装束、二丁の銃の差された銃帯じゅうたいがかけられている。

──古き狩猟の女神モーンの従者たる二頭の牡鹿、アトラとノトラ。

 淡く輝く二頭の牡鹿は聖域の水を口にしたり、時に周囲の気配を確認しながらも、それでも主との落ち着いた朝の森の空気を楽しんでいる。その霧と空気を乱すように、銀色に輝く一羽のたかが水場の奥へと飛び込んできた。

──モーンの従者じゅうしゃたる鷹、『射貫く銀の眼の』サザラー。

 サザラーは苔むして倒れた大木の上にとまり滝の水煙を見やる。その水煙の中から隙の無い美声が声をかけてきた。

「まだ沐浴もくよくの時間よ? 何か報告が?」

──『黒き国』にて死せる獣を確認した。間違いなく混沌カオスの侵入が起きている。

「そうでしょうね」

 登り続ける日の光が滝に射し始め、水煙が神秘的な光に満ちる。その光の中からゆらりと女が歩み出てきた。長く暗い赤髪に、虎目石とらめいしのように光る目をした不敵な表情の女。ウロンダリアで特に恐れられているその存在は、銀の鷹を見てさもありなんと微笑む。

──獰猛どうもうな古き狩猟の女神モーン。

 身体を光る霧で隠したまま歩くモーンは、従者である牡鹿の一頭、青白いアトラの角に掛けてあった山刀やまがたなを取ると、周囲に幾つかぶら下がっていた人間の子供が入りそうなほどに大きな豆、『巨人の豆』のさやを切り裂いてその柔らかな綿を抜き、美しい身体をいた。

「ウロンダリアは今日も良い夏空のようね。漂う混沌カオスの気配がなければ、だけど」

 モーンは不敵な笑みを浮かべると、次は垂れ下がっている黄土色おうどいろつたを切り、その切り口からしたたる樹液でのどかわきをいやした。この『貴婦人きふじんつた』と呼ばれる希少なセヴィ蔦は、薄紫に枝垂しだれる花が繊細せんさいで美しく、甘くかおり高い樹液が美容にも良いと珍重ちんちょうされている。

「ノトラ、我が狩り手たちの状況はどう?」

 淡い緑の光を帯びた牡鹿ノトラは、水を飲んでいた頭を上げる。

──新王国の邪悪なクロムの民の国に向かった者たちは皆森や陰に潜んだ。邪悪の根源はいずれ見つかるだろう。

「『黒き国』のほうは?」

──日が暮れるころには着くはずだ。あの地は森が多い。良い狩場になるはずだ。

「良い」

 モーンは続いて、銀の鷹サザラーに向く。

「噂の『二つの世界樹の都』は見てきたかしら?」

──見て来たとも。あれは良い。そしてモーン様の『占矢せんや』の通りに、黒い男とヴォーダンが話をしていた。私ははるか上空だから気付かれなかったがな。

「まあ私は気づいておりましたが」

「あなたは……バゼリナ!」

 いきなり、この場所にいないはずの第三者の声がし、何も無い空間から輝くような女性が姿を現した。黄金のつやのある深い栗色の髪は黄金のリボンに飾られ、同じく黄金のひもで吊るされた簡素な白い薄絹うすぎぬのドレスを着た、灰青色かいせいしょくの目をした美しい女性存在だった。

──機織はたおりと運命を司る女神、綾織あやおりのバゼリナの『美しき織女しょくじょそう』。

「お久しぶりですねモーン様。変わることなく不敵ふてきな美にあふれていて、まるで久しい知己ちきに出会ったような気持ちです」

 今のバゼリナはルインの近くにいる時の、黒髪に虹色の瞳と薄桃色の祭服さいふくという姿ではなかった。吊るしの簡素なドレスで胸元や肩、美しい腕の肌が露わになっている。

「親しみなのか美を見せつけられているのか、解釈の分かれる姿で現れたわね」

 モーンは苦笑めいた笑みを浮かべた。

「私としてはいまだにこの姿であの方の前に立つのは気が引けるのです。露骨のようにも、はしたないようにも思えてしまって。とはいえ今は、あの方の周りに魔族の女性がとても多く、惜しげもなく女性の美を前面に出しておられますから、私もあなたや皆の前ではそうあるのもまた良いかと」

「……で、それを肌を出す事をとても躊躇ためらっている私に言う、と。あなたも変わりないわねぇ。運命の皮肉そのもの・・・・・・・・・だわ」

「恐縮です」

「褒めてないわ」

 わずかな静寂が漂ったのち、二柱の女神は声を出して笑った。

「……で、他者の言う事は基本的に聞かない私に何のお話かしら? 再会を喜ぶ、という性質は私たちには無いものね」

「はい。直接的な申し上げ方をしますと、運命という織物の整えに参りました。モーン様、今度はあの方に過去の出来事を話して近づかねばなりませんよ?」

「……私に命令する気?」

「いえ、ここをあなたが間違うと美しからざる結果になるからです。私のみの立場としてはあなたがどうなっても関わり知らない事ではあったのですが、私が全てを織り込んだ以上、あなたもまた壮大なる織物の美しき柄。ならば美しく仕上がってもらわねば困りますので」

 笑顔で事も無げに言うバゼリナに対し、モーンもしばらく笑っていた。

「言うわねぇ。でもわかるわ。追憶ついおくについて正直に向き合えと言うのね? ……いつかそんな日が来るとは思っていたのよ。まあ存分に狩りをさせてもらうけどね」

 この答えにバゼリナは小さなため息をついた。

「そのような部分ですよ。あの方と少し似ています。解釈を飛ばして力でも同じ結果に行きついてしまうおかしみが好ましいのです」

「私、そんなに力づくな乱暴者かしら?」

「……ご自分の気持ちを害する言葉を私にお求めですか?」

 微笑するバゼリナに対して、モーンは肩をすくめた。

「はいはい、どうせ乱暴者ですよ、ええ。……あの女・・・ほどではないけどね」

マリーシア様も・・・・・・・良くそのように仰っていたものです」

 バゼリナは柔和にほほ笑んだ。

「……」

 対して、モーンは微妙な表情を浮かべて黙ったが、やがて真面目に話を続けた。

「あなたが来たという事は私の迷いも分かっているわよね? 私は遠い昔、全ての黒い狼の神獣を狩り尽くすと誓ったわ。今回、それをそのまま成してはいけないわよね?」

「はい。神としての『誓約せいやく』は成さねばならないはずですが、それをそのまま成してはいけませんね。工夫なさってください。私の用件はこの確認だけです。では……」

 バゼリナはそこまで言うと姿を消し、気配も完全に消えてしまった。

「『死なぬように殺せ』みたいな話ね。面白いわ」

 モーンは衣装を着るために身体にまとっていた光る霧を消し去った。その美しいはずの身体には引き裂かれたような大きく痛々しい無数の傷跡があり、モーンは素早くドレスとも狩り装束しょうぞくともつかない暗い衣装を着ると、従者たちと共にその姿を消してしまった。

──『原初の大征伐』のおり、火の古龍たちの住まう地にて神々の軍勢は特に苦しめられた。九つの頭を持つ火龍の帝王シェイラは何度も神々の軍勢を焼き払ったが、ある時呼ばれたモーンはシェイラの八つの頭を一瞬で射抜き、人なる神の時代はまた進んだとされている。

──書物と記録の神アーカシア著『モーン伝』より。

first draft:2023.4.26

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