第十二話 空賊の顛末
不帰の地、二つの世界樹の都を臨む丘。
魔の国と聖王国の記録官と共に即席の席に着いたルインは、うっすらと目に怨嗟の火を宿しつつ空賊たちを検分していた。その背後には『ウロンダリアの真珠』ネイ・イズニースとラヴナも控えている。二人はそれぞれ異なる術式で空賊たちの嘘を暴く役割を買って出ていた。
あまり清潔ではない身なりの空賊たちはおそらく空の国々の貨物用飛空艇や小規模な観光用飛空艇などを対象にしていたらしく、ルインの脳裏に過去の様々な蛮行が浮かび上がる。
魔の国と聖王国の記録官たちはそれぞれ特殊な方法で司法権を行使していた。まず、魔の国の黒紫を基調としたフードに長衣姿の記録官は、磨かれた薄い黒曜石の円盤を立て、この席の前に順番に呼び出された禿げた空賊を見やり、過去の違法行為について質問する。
「我が国の最高司法官ガルゴラカ・ヴァグンの名において、司法にかかる魔導器の使用及び発動を行い、これを記録する」
黒曜石の円盤はうっすらと澄んだ。
「そこの空賊、これより疑わしき違法行為について読み上げる。本官の質問に答えよ。黙秘する権利は有しているが、有罪案件に対する黙秘は罪状が加算されることを告知しておく」
続いて、聖王国の白と青を基調とした長衣の記録官が、摩滅した複雑な彫刻の施された古い銀の箱から秤を取り出し、更にもう一つ、錠のかけられた分厚い書物に見える箱を取り出した。記録官がその本の錠を解除して開くと中には小さな金属製の本があり、これを先ほど出した秤の一方に乗せる。一通り支度が終わると記録官は空賊に向き直った。
「『法の書』の写本と『司法の秤』により、これより聖王国は我らが神聖乙女ラルセニア・ラナルスの名においてこれら司法魔導器の使用・発動権を行使し、記録する。そこの空賊、これより本官は貴公らを被疑者と見なして詰問する。黙秘権はあるが有罪行為発覚の際には罪状が加算される事を考慮するように」
魔の国と聖王国の司法官はそれぞれ、略奪行為や暴力行為、違法な航路の航行などについて簡単な質問をしていった。往々にして空賊たちは軽犯罪は認めるが、殺人などの重犯罪となると黙秘する。しかし、魔の国の黒い円盤には空賊が心に浮かべた過去の犯罪行為が映し出され、聖王国の秤には何も置かれてない皿に赤黒い火が現れ、かたりと音を立てて傾き有罪が確定していく。
(これは面白いな……)
ルインは見た事のない審問を興味深く眺めていた。どちらの魔導器が導き出す答えもルインの目に映る罪状と相違がなく、嘘も黙秘も通じないために、簡単な質問で有罪の確定した空賊たちは後日の詳細な聞き取りが確定して、次々と屈強なヴァスモー(※魔の国の緑肌の屈強な種族)兵が檻車に乗せていく。
しかし、その順調な取り調べは残り十人程度になったところでぴたりと止まった。空賊たちとは明らかに顔つきや身なりの違う十一人の男たちは、古びてはいるが良い鎧と武器を身に着けており、その顔つきもどこか精悍で強い意志が感じられた。
魔の国の記録官は深めの呼吸をしつつフードをはいだ。青色人のその男は青い顔に金髪、眼鏡姿の学者然とした容貌をしており、その記録官は皮肉気に少しおどけて聖王国の記録官に話しかけた。
「これはいけませんなぁ。謀略の匂いが致しますぞ。いかがですかな? 聖王国の方」
聖王国の記録官は難しい顔をして男たちを眺めており、魔の国の記録官は何かを察してルインに向く。
「眠り人ルイン殿、我ら魔の国や聖王国の司法の魔導器が通じない強力な付呪が働いております。これ自体が無視できぬ違法行為ですが、何よりこれには大金がかかるのが通説です。つまり小さくはない力が働いておりますなあ。……ああ失礼、それがしは記録官カークランドと申します。キルシェイド北方のシグナン市集中教区の教区長を兼任しておりますぞ。以降お見知りおきを」
魔の国の記録官は眼鏡を上げつつニヤリと笑った。
「『麻痺の雲』が通じなかった兵士たちね。色々と対策をしていたらしいけど、聖王国の司法権に対策して秘密工作を行う事は厳重に禁止されているわ。このような事を禁じて連携を取るのが本来の『古王国連合』の役割なんだけど、まああの腐敗ぶりではこうなるわよねぇ」
ラヴナがため息交じりに説明する。ここで黙っていたネイが仮面を外した。
「一応、聖王国の司法権を妨害して国外で工作している者には古王国連合協定での兵士としての身柄の保証はしなくてもいい決まりなの。つまり、この男たちは『平和権』を喪失しているからどこかの鉱山に送ってもいいし、こういう体格が好きな変態どもの為に男娼として売り飛ばしてもいいし、私たちが鬱憤を晴らすべく拷問を楽しんでも良いわけよ」
ネイは心底楽しそうに男たちを睨めつけた。屈強な男たちにかすかな動揺が漂う。
「通常であれば……」
魔の国の記録官カークランドは眼鏡を外して磨きつつ語り始めた。
「このような準備をして工作員を送り出す場合は本国も知らぬ存ぜぬを通すために自決手段まで決めているものです。が、そこまでの覚悟はない様子。この雑さは良き推測の材料になるでしょうなぁ。実際に……」
記録官カークランドは隠しきれない動揺の漂う兵士たちを眺めて言葉を続けた。
「人物もそこまで国家や組織の為に命を捨てる、といったものではない人員を使っている。実に興味深い。これは国家の仕事と言うよりも……」
カークランドは星空を見上げつつ何かに思索をめぐらせている。
「例えば金持ちの仕業なら納得がいくでしょう?」
ネイが話を継いだ。この言葉に兵士たちの間に明らかな動揺が走るのをルインは感じ取る。
「彼らが動揺している。……ネイ、君には何か心当たりが?」
ネイは腕を組み、兵士たちを見下すように言った。
「ええ。国家を除いてこんな事が出来るのは、古王国最大の大財閥、アステフェリオン家よ。二代前の当主、ドルコラ・アステフェリオンの元から逃げ出した私を、あの老醜は今でも取り戻したいと思ってるのよ。もう百五十年近く経つのにね!」
ネイは言いつつ、兵士たちに向き直った。
「あなたたちはどこかの空の国の傭兵団でこの仕事を受けた、違うかしら? かなり良い額の報酬だったはずよね? 生きて帰れないか、平和権を喪失するような仕事だもの。高い前払い金目当てで雑に使い捨てられるなんて可哀そうね。奴らからしたら大した出費ではないでしょうよ。事実上半金で命がけの仕事をする馬鹿を雇えるんだから! 失敗したら帰れない旨の説明は受けているでしょうけど、こちらが隙だらけでのこのこ通りかかるという情報に飛びついたんでしょ?」
兵士たちの中でも特に寡黙で大柄な男がこの言葉に反応し、傷跡の多い唇が皮肉そうに歪んだ。
「たまにいい話が来たと思ったら、そうか。出来過ぎか。ふっ、焼きが回ったもんだな……」
視線を落とした大柄な兵士を、ルインは歴戦の戦士の眼で良く観察した。目に濁りは少なく、顔の表情に小者の相は漂っていない。今この時でさえ恐怖や打算の雰囲気も無く、本来ならこのような外れ任務に回されるような男ではない筋が通っていた。
「……組織の中での立場争いで追いやられでもしたか?」
大柄な兵士は驚いたようにルインに目を向けた。
「なぜだ? なぜそう思う?」
「この出来事の裏側に下らない事情があったとして、本来ならそんな仕事に回されるような男の空気ではないな。地上の国々には一部、長い平和で腐敗がはびこっている気配がある。空の国々もそうなっている可能性の方が高く、あんたはいわば被害者側か」
ルインの洞察がそう外れではない事を、この兵士のルインを測る目が示唆していた。ルインはさらに、この兵士以外の者たちを見やる。妙に若い者、年老いた者、年齢はバラバラだったが、その目に卑屈さが無く、自分以外の何かを背負った者の眼をしている者が多かった。
しばし考えたルインは皆に問う。
「おれはまだ法律に詳しくない。『平和権』を喪失した彼らはつまり、あらゆる保護を失っている状態と考えて間違いないか? 国籍も含めて」
眼鏡を磨いていた魔の国の記録官、カークランドが独り言ちるように答えた。
「通常はそうですな。戻ってこれない密命や任務、または帰って来られたら困るような仕事を彼らは受け、失敗した状態です。下手に国に戻っても彼らや家族に害が及ぶ可能性もありますな。おそらく、そこなネイ嬢の謀略に引っかかってしまったのが実情でしょう」
この言葉に、ネイはおかしそうに笑った。
「ふふふ。まあ、私たちは真偽定かならない沢山の情報を流す側よ。今回は手土産が必要だったから少し危険な賭けだったけど、予定通りに勝てたところね」
「なるほどな。理解した」
ルインはゆっくりと立ち上がると大柄な兵士の前に歩み寄り、剣を抜くように背中に手を伸ばす。鈍色の光が燃えて切っ先の無い幅広の、片側にだけ鉤刃のついた『魔族の処刑者の大剣』が現れた。
──魔族の処刑者の大剣『ゼクス・エクス』
この大剣をルインはまず大柄な兵士の右肩に乗せた。
「これから詰問をする。全て話し、嘘偽りが無ければ処遇は考えよう。回答に淀みあれば全員ここが死地になると知れ」
ルインの言葉には有無を言わせぬ重みがあり、この場のほぼ全員が息を呑んだ。
「出身地、名前、所属、任務を」
大柄な男は覚悟を決めた様子で、しっかりと語り始めた。
「空の大国『翼の国レーンフォリア』の条約加盟国、『羽根の国々』の一つ、『クレン・ルフ公国』の者だ。おれはクレン・ルフのガモン県はバーウの出身。クレン・ルフ空挺私掠傭兵団の、クーダ級飛空艇の船長だった。名はジェイド・ゼスケル。他の奴らも同じ傭兵団だが、みんな家族や身内の件で大金が必要な奴だけだ。おれはこの任務の暫定的な隊長だった」
魔の国と聖王国の記録官がペンを走らせる音だけが妙に大きく聞こえている。
「任務は?」
「さる筋よりもたらされた情報で、『黒い花』およびネイ・イズニースと彼女の乗る『精霊の船』を捕獲する事。『雷竜の空域』から竜が居なくなる時に彼女たちの船が通るという情報で我々は出発した。……全て罠だったがな」
「失敗した場合は? 上の者は何と?」
「現在の団長は情報が漏洩したら死ねと笑いながら言っていた。しかし、まず失敗しない任務とは聞いていた。『黒い花』の女たちもさすがに『雷竜の空域』にまで我々が来るとは思っていないだろう、との事でな」
「思ってたけどね。待ち構えていたわ」
ネイがおかしそうに笑う。ルインは少したしなめるようにネイを見やったが、ネイは意に介せずに笑っていた。
「まあ、相手が悪かったようだな」
「違いない」
ルインの軽口にジェイドも諦めたように笑う。
「今一番気になる事と要望はあるか?」
「……おれたちは金を受け取って必要な用事をこなし、この任務に就いた。借金の帳消しや遊ぶ金欲しさの奴らでは空の諸々の存在を怒らせかねぬから、おれをはじめ皆大事な誰かのために金が必要だった奴らだ。我々がのこのこと戻れば大事な者たちに危害が及ぶ。だから迂闊には帰れない。かと言ってもう平和権はない。『お慈悲を』と言うしかないな……」
緊張感のある沈黙が漂い、篝火に巻き込まれた蛾の爆ぜる音が続いた。
「例えば……」
ルインは言いつつ、他の兵士たちと一人一人目を合わせた。
「誰かが一人、責を取って首を刎ねられる代わりに、残り全員の平和権を保障するとしたら?」
兵士たちは一様に息を呑んだが、何人かの眼光はすぐに決意に満ちた。まだ少年に等しい兵士が名乗りを上げる。
「僕が首を刎ねられます。一番若い僕の年齢を誤魔化して隊長はこの任務に入れてくれた。任務で一番死ぬ確率が高かったのは僕です。だから僕が……」
「すっこんどれ!」
まだ少年の兵士を老兵が引き倒す。
「老い先短いわしにしろ! しかしキルシェイドの眠り人、わしの命がけの約定を違えたら、貴様に亡霊になって憑りついて殺してやるからな!」
「血管切れて死ぬだろ、ジジイ」
剣幕を強める老兵士を脇に押しやりながら、今度は中背だが身のこなしに隙の無い、口元を黒い布で隠した兵士が割って入った。
「ジジイとガキはすっこんでろよ。おいあんた、おれの命をやってもいいが、その前に勝負しろ。いっそ戦いの中で死にてぇ。『キルシェイドの眠り人』と戦って死ぬなら悪くねえや」
「それならおれが!」
「いや俺と勝負しろ!」
他の兵士たちも次々に名乗りを上げ始め、結局全員が誰かのためにと自分の命を厭わない意志を示した。
「これは……」
ルインの小声の困惑を聞いた眠り女やネイは声を出さずに笑うが、ルインは気づかない。
「馬鹿野郎! おれの顔に泥を塗るな。おれが責任を負う!」
隊長のジェイドが全員を一喝する。
「さあ眠り人、とっととやってくれ。こういう奴らだから身柄が保証されれば役に立つ連中だと伝わったはずだ」
眠り女たちから見たルインは、普段は見せない困った顔をしていた。
(なるほどね。飛空艇とその乗組員もか。やるわねぇあの子)
ラヴナは顔の見えないフードのままちらりとネイを見やる。この寸劇のような展開はやはり面白いようで、腕を組んだネイは美しい顔に笑みを浮かべている。そんなネイの唇がわずかに動いた。
「眠り人ルイン、私から少し質問をしても?」
「ああ、構わないが」
ネイは大柄な隊長、ジェイドに声をかけた。
「妙に人望のある隊長さん、あなたは今回の任務の大金を何に使ったの?」
「何でそんな事を……」
堂々としていたジェイドの空気が落ち着きのないものになった。
「話して。是非聞きたいわ」
ジェイドの眼は少し落ち着かなかったが、覚悟を決めたのかやや小声で話し始めた。
「おれは結婚はしなかったが、そこの若い奴くらいの頃から、大きな戦いの前に必ず会いに行く商売女がいた。しかし、そいつももういい歳だ。引退したいと言っていたから大金を渡して当面困らないようにした。それだけだ」
「商売女って、要は遊女や娼婦って事よね?」
「そうだな。少し高い娼館の女だ」
「その女はなんて?」
「『一緒に暮らしたい』と」
「でもあなたは断ってこの任務に就いた。その女、私のように闇の古き民の血が入っているでしょう? だから分かるのよ。あなたを案じて泣いているわ」
「何だと……ネリンがおれの事で?」
「鈍い男ねぇ」
ネイはため息をつきつつルインに向き直った。
「眠り人ルイン、私たち闇の古き民の血が入った遊女に優しい男は、イズニースの意志がその死を許さないの。だから人生の棺桶である結婚を命じて、それでこの件を手打ちにし、この者たちをこの飛空艇を動かす仕事に就けるのはどう? この者たちの家族ぐらいなら、何とかクレン・ルフ公国から連れて来られるでしょう? 何より……」
ネイは世界樹の都や周囲を見回した。
「ここにはたくさんの人を集めるべきよ。小さな国のようにね。我が神イズニースはそのように言っているわ」
「落としどころか……」
ルインは処刑者の大剣を隊長ジェイドの肩に乗せたまま宣言した。
「クレン・ルフ公国のジェイド・ゼスケル、この大剣の所有者の権限と放浪の神イズニースの神託に基づき、此度の平和権喪失行為に対し、責を取っての結婚を申し付ける。これにより、隊長以下の者たちもその平和権を保障し、以降はその身柄はこの『キルシェイドの眠り人』が預かる。役務は全ての取り調べ完了後に言い渡すものとする」
「おれが結婚て……」
ジェイドは衝撃が強過ぎるのか、ルインの宣告が耳に入っていないようだった。魔の国の記録官カークランドがたしなめる。
「君、執行官の言葉は承諾して右手を上げ、頭を下げて礼を言いたまえ。作法は大事だぞ。……これから結婚するようだしな」
記録官はニヤリと笑い、ジェイドはぎこちなく右手を挙げて頭を下げた。
「謹んで宣告を受ける」
兵士たちの空気もここでやっと緩んだ。
「ふむ、さしずめネイ・イズニース嬢の思惑通りに事は運んだというわけですかな。あとはほとんど我々が事を進めますゆえ、ルイン殿は我が国の姫君や眠り女、そこのネイ殿に対応してくだされ。女性に人気の方を拘束すると恨まれかねませぬからな」
カークランドは眼鏡を上げつつ笑った。
「私たちもあなたに顔合わせとお礼を言いたいしね。皆を呼ぶわ」
ネイが少し落ち着いた笑顔を見せ、また仮面をつけた。
こうして、飛空艇とその最低限の乗組員、陰謀の手がかりを得た眠り人の勢力は、続いてネイ・イズニース率いる『黒い花』と初めて会合を持つことになった。
first draft:2023.2.8
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