第十二話 降り始めた雨

第十二話 降り始めた雨

 バルドスタの貴族たちが腕輪の姉妹フリネとレティスの見事な歌に魂をとりこにされている中、ルインは緊迫した様子で大広間の様子をうかがう三大老と大貴族ベティエルの元に向かった。途中、様子を察したラヴナとチェルシー、バルセが加わる。

「これは三大老とベティエルどの、このような演劇の催し物があったとは初耳だが、あいにくここにはアーシェラ王女はいない。アーシェラ王女と何もかもそっくりなベネリスという眠り女はいるが。……そうだろう? みんな」

 現れたルインに対して緊張が走り、次いで三人の魔族の美しい姫たちの姿を見て、バルドスタの兵士たちに驚きと動揺が走るのが伝わってきていた。

「そうねぇ。ベネリスならいるわ。皆さんわざわざお疲れさまね」

 ラヴナはそんな事を言いながら、大階段に詰めているバルドスタ兵たちにウィンクをした。

「バルドスタの兵士たちは礼儀を重んじて武勇に優れているというわ。この後どんな出し物になるか、とても楽しみね」

 同じように、楽し気に三大老とバルドスタ兵たちに愛想よく笑いかけるバルセ。しかし、実はラヴナとバルセはこの時わずかに『魅了みりょう』の力を使っていたため、バルドスタ兵たちの雰囲気は最初の張りつめたものではなく、弛緩しかんした親し気なものに変わって落ち着きがなくなっている。

(二人ともやり過ぎじゃないのか?)

 ルインは苦笑した。兵士たちの眼は憧れと好意と様子見の為に落ち着かなくなってきていた。

「これはどういうことだ? 兵士たちの様子が!」

 三大老は困惑していたが、ベティエルは苛立たし気にも何かに気付いた。

「くそっ、魅力で有名な女の魔族メティアの姫と言ったか? 兵士たちに魅了の力を使うなどと!」

「そんな力なんて使っていないわ? 単純にバルドスタの兵士の方々には女を見る眼があったという事でしょう。ねぇバルセ?」

 ラヴナが白々しくバルセに話しかける。

「そうねぇ。私たちの魅力が伝わるなんて、毎日鍛錬を欠かさないたくましい人たちばかりなのね。胸が高鳴るわぁ」

 バルセは言いながら、蠱惑的こわくてきなしぐさで胸に手を当てつつ、兵士たちに目を合わせる。豊かな胸が柔らかに押しつぶされ、兵士たちから生唾を飲み込む音が聞こえてきた。

「とにかくだ! アーシェラ王女を渡してもらおう」

 忌々いまいまし気にも呑まれんとするベティエル。

「申し訳ないが台本を預かっていない。この後の台詞せりふを知らないんだ」

 対して、とぼけ続けるルイン。

「これは芝居や出し物ではない!」

「その通りだ。出し物ではない!」

 顔を真っ赤にするベティエルと三大老。

「えっ、本当に出し物じゃなくて誰かを捕縛するんですか? それが眠り女なら、バルドスタは二度も重大な外交非礼を働いたことになりますよ?」

 チェルシーが警告する。

「ふん、外交だと? 相手は一人の男ではないか!」

「そうだ! 我ら元老院のような、民意による至高なる議会を介さぬ存在など!」

 三大老とベティエルはもうあざけりを隠さずに言い捨てた。

「あらあら、考え方が男らしくないと思ったら、歳をとって私たちの魅力も分からないくらい干からびてしまったのね。でも、見たらこの三大老とベティエルさんだっけ? たいして強くもないのに屈強なバルドスタの兵士の方々の上に立っているのはどういう理屈なのかしら?」

 相当な侮辱ぶじょくをやんわりと返すラヴナ。

「私も、そちらの兵士さんたちの誰かが上に立った方が、よほど戦士の国バルドスタらしいと思うわぁ。お金や地位ばかりで男らしくない人々が、勇敢な戦士の上に偉そうに立つのはどうなのかしら?」

 悪乗りして兵士たちに愛想を振りまくバルセ。いつの間にか、バルドスタのベティエル派の兵士たちの間に、ベティエルや三元老をあざけるような雰囲気が漂い始めた。

──夜会潰すのなんて無粋だろ。

──安い金で偉そうにしやがって。

──魔の国の姫は本当に綺麗だな!

 もともと傭兵ようへい上がりのベティエル派の兵士たちは規律も緩い。ざわつき始めると同時に、聞こえるように悪態をつく者も出始めていた。

(これはおれの出番は無いか? 何とも平和的な事で……)

 ルインは万が一のために嵐の魔剣ヴァルドラを呼び寄せようとしていたが、そこまでする必要は無さそうに思えた。しかし、先日のピステでの一件を知る者も多かろうと判断し、おのれの領域にある魔剣ヴァルドラに触れる。その影響で空が少しずつ曇り始めていた。

(あ、空が!)

 ヴァルドラの力を感じたチェルシーは、ルインの表情を見たが、やれやれといった風情で笑っているのを見て安堵していた。

「おい、音楽を聴いているけいら、我々だけにしゃべらせるこの状況を何と心得ておる!」

 三大老とベティエルは、フリネとレティスの音楽に心を奪われて涙を流している貴族たちに何度か呼び掛けた。しかし、誰も反応しない。

「聞こえないのかと聞いておる!」

 ここでようやく音楽は止まったが、何人かの貴族が席を立つと、いらだたし気に早足で大門のそばに来て、意外な事にベティエルたちを怒鳴りつけた。

「貴公らは魂を揺るがすあの神の音曲おんぎょくが理解出来ぬのか? そもそも、何が元老院にベティエル派よ。よくよく考えれば、血を流さずに安寧をむさぼり、利権で甘い汁を吸い、由緒ある王家をないがしろにする逆賊ぎゃくぞくではないか!」

「そうだ! まさに逆賊ぎゃくぞく!」

「あれほどの音曲おんぎょくに耳を貸せぬ下郎め!」

「武も無く風雅ふうがも解さぬ財貨のとりこが!」

「なんだと⁉」

 ベティエル派だったはずの貴族たちの思わぬ攻撃に、さすがのベティエルもたじろいだ。

「しかし、既に捕縛状ほばくじょうは出ておる!」

 顔を真っ赤にした三大老のジラドが、場を仕切るべく大声を上げた。

「やめんか、これほどの歌い手を出してくれる眠り人殿に非礼を働くのは!」

「何をする!」

 一人の貴族がその捕縛状を奪おうとし、三大老たちともみあいになる。兵士たちは指示が出ていないためにその視線を主にラヴナとバルセに向けており、捕縛しろと言ってもろくな動きはしそうになかった。完全に収拾がつかなくなったと言っていい。

「……いやいやこれは」

ルインもこの状況には笑うほかなかった。

「ルイン、笑ってはいけないけれど滅茶苦茶ねこれ。ふふふ、何でこんな事に!」

 クロウディアは可笑しくてたまらないようで、上品に口元を隠して笑っている。

「今回もまーた滅茶苦茶になってる。ほんとお兄さんてでたらめだよね。あ、誉め言葉だよ?」

 アゼリアも呆れ気味にこの状況を眺めていた。

「おれは何もしてないからな? ……ん」

 ルインやチェルシーたちは大きな魔力の波を感じた。王宮ダスラの城壁に囲まれた森の上空に、ドレス姿の巨大なベネリスもといアーシェラ王女の幻影が浮かび上がる。

──バルドスタの勇ましき血を受け継ぐ愛すべき国民たちよ、私は第一王家王女アーシェラ・イェルナリス・レダ・フォヌ・バルドスタです。本日、元老院の不当な条例により奪われていた我が王宮ダスラの『女王の間』に再び立つ事が出来た今、古の我が国の守護神ヘルセス様との約定やくじょうにより、血の粛清しゅくせいを開始し、元老及びベティエル派の不正な蓄財を正し、バルドスタから貧民をなくすことを宣言する!

 アーシェラ王女は呼吸を整え、威厳ある美しい眼で国土を見渡すように視線を巡らせると、再び続けた。

──これより名を挙げる者たちは可能な限り生かして裁きを受けさせるため、直ちに捕らえるのだ! そして、王族に仕える者たちよ、約定の通りに立ち上がれ! 時は来た! 再びバルドスタを勇壮な国に戻すべく、腐敗を焼き尽くすのだ!

「おお、始まったな!」

 アーシェラ王女はベティエル派及び元老院派の議員や首長の不正な蓄財ちくざいなどを次々と読み上げ始めた。城下オルリスの市街地には歓声と共に松明や魔法の灯火が増え始めている。この時、大階段を必死に駆け上がって来る者もいたが、ルインは構わずに予定通りに物事を進めることにした。

「申し訳ないが……」

「むうっ⁉」

「うぬっ⁉」

 ルインは三大老と検察官、ベティエルを、呼び出した鎖で身動きの取れない状態にした。

「まず兵士たち、無粋な命令に従わずにありがとうよ。とても賢明な判断だ。この四人はあの通り、王女の粛清の対象だ。縄で身柄を確保すれば報奨金の一つも出るだろう。迅速に頼む」

 ルインは次に、音楽を聴いていた貴族たちに向かった。

「あなた方は元老院派やベティエル派との事だが、おそらく今はこの歴史ある国の王家に仕えるという大いなる意義を心から理解できたのではないかと思う。それについてはアーシェラ王女に必ず伝えると約束しよう。新たなバルドスタの力になる事を誓えば、苛烈かれつ粛清しゅくせいの対象になることは無い。たぶらかされただけだろう?」

「おお、なんと寛大なお言葉!」

「さすが正当な王女様の連れて来たお方だ!」

 涙の痕の残る貴族たちは感動の延長で、まるで神の慈悲にでも出会ったような反応をしている。不正な蓄財などが無ければいいな、と思いつつ、ルインは彼らに笑って応じた。

「眠り人殿ォー!」

 兵士たちの後方、大階段を駆け上がって来る数人の集団の先頭の男が、大声でルインを呼んでいる。

「あれ? あの人って……」

 眼の良いアゼリアに続いて、セレッサも続けた。

「ピステに来ていたちょび髭の司令官ではないですか? ルイン殿」

「そのようだな? 謹慎きんしんだか禁固きんこだと聞いたが……」

「ええい、道を開けてくれ! 貴公らの命がかかっているのだ!」

 ピステの騒乱の時に吹き飛ばして馬の下敷きにしたちょび髭の指揮官アポスと、見覚えのあるバルドスタの兵士たちだった。

「ん? あんたは……」

「貴様はアポス! なぜここに!」

 ベティエルはアポスに疑問を投げかけたが、アポスはそれを無視してルインの前に膝をついた。

「眠り人殿、先日の無礼の段をお許しくだされ! そして、わが命やわが兵士たちをほとんど殲滅せずにおかれましたことをまこと深甚しんじんに思いまする! ……さらに、元老の方々やベティエル卿、ここにいる兵士たちを皆殺しにしない寛大なる処置にも! ありがたやぁー!」

 アポスは地獄の魔王にでも会ったように深々と頭を垂れた。さらに、まるで処刑人を前にしたようなその神妙さに、元老たちの顔色が変わった。

「『鼻利きアポス』と呼ばれた貴公が、謹慎を破ってまでそのような? まさか本当にそれだけの力があると?」

「何度もそう申し上げた! 見ろ! この空を! この方がまたあの恐ろしい魔剣を呼び出せば、この程度の兵士など跡形も残らぬ! あなた方もベティエル卿も全員だ! 寛大にも血が流れぬ方法を選ばれたのだ! 夜会を中断する不遜ふそんな無礼さえも受け入れて! この方が王女様の味方なら、もういかなる軍勢も意味をなさない! 我々は何とかして、王女様や眠り人殿の力となって生き残るほかないのだ! 私の『鼻』がそう言っている!」

「何だと……」

「まさか、本当に……」

 三元老とベティエルたちは、ここでようやく状況を悟り始めた。狡猾こうかつだが慎重にして有用な男、『鼻利きアポス』が、プライドなどかなぐり捨てた服従を見せた事で、眠り人の力と、これ以上の無礼や抵抗は瞬時に命を失いかねないと察した。

「ではアポス卿、この場の仕切りを任せても良いかな? 今は変事のさなか。バルドスタに他に知り合いもいないので、場を静かに保つことをお願いしたいのだが」

「はっ、必ずや!」

「だが、王女が君をどうするかは分からない。それは理解しているな?」

「如何様なりともッ!」

 アポスは座ったまま、両手で襟をつかみ、首を差し出すしぐさをした。首さえねられても受け入れる、という覚悟を示しているとルインは解釈した。

「いいだろう。よろしく頼む、アポス殿」

 ルインは元気づけるような笑顔で信頼を示す。

「はっ!」

(ふぅん、ルイン様の武威にあてられて目覚めたのね)

 ラヴナはその様子に見どころを感じて微笑む。

(眠り人はいい男ね。ラヴナにみすみす渡すのは嫌だなぁ、せめて共有できないかしら?)

 バルセは少し邪な事を考えていた。

「よし、ではベネリスもとい、アーシェラ王女の様子を見に行こう!」

 ルインはチェルシーに会場での仕切りを任せ、攻守に秀でたラヴナとバルセに予想外の事態への対処を頼むと、クロウディアと共に王宮の奥に存在する戦女神ヘルセスの神殿に向かう事にした。

──バルドスタのダスラの王宮の下にある『(かばね)の森』には、陰鬱とした『絵画聖堂』と呼ばれる建物がある。この建物は『イェルナの試練』を行う時しかその門は開かず、内部に何があるかを語られることも決してないとされる。

──ランドール・カイロ著『バルドスタの伝承』より。

「長く待たせて申し訳ありませんわ。リスラ、マーヤ」

 アーシェラは二人の別式べっしき、つまり武技に秀でた給仕の女性と共に、王宮の背後にある戦女神ヘルセスの神殿に向かっていた。

「いえ……」

「また王宮に戻られて嬉しい限りです」

「今頃はクロスが飛空戦艦で各地の王族派の援護を、マリアンヌがモルオン・サダの挙兵と共に南下しているはずですわ。あとは私がヘルセス様の承認を受ければ……」

 ベネリスたちは王宮の暗い階段を何度か降り、幾つかの部屋や廊下を抜けて、王宮の北西面に出る。緩やかな石の渡り廊下の向こうには、数十段の階段を経て円形の広場があり、広場の外周には様々な刀の『かた』を模した軍神ハルダーの像が十体並んでいる。ハルダーが降臨するとされる『ハルダーの座』であり、その向こうには二つの尖塔せんとうのそびえる戦女神ヘルセスの聖堂が大きな影を落としている。

「やっと、この日が来ましたわね」

 アーシェラと二人の別式の給仕は『ハルダーの座』に入ったが、突如として白い力場りきばがその円形の広場を覆った。

「これは?」

「初めて経験するかな? これぞ、ハルダーの『足止めの結界』だ。私が解除するか、私を倒さねば、抜ける事は出来ない。守るべき場を死守する特別な祈願の一つ」

 ハルダーの石像の陰から、フソウ国(※漢字表記は扶桑国)の大太刀おおだちを手にしたハイデが現れた。

「来ると思っていた。申し訳ないが、何も言わずに去って欲しい。ヘルセス様の力など過剰だ。君に必要ないものだ。受け入れられなければ、斬る!」

「何を……言っているのですか?」

「『眠り人』までたぶらかして、試練の名のもとに血の粛清を行い、そして戦女神いくさめがみの力まで手に入れる。野蛮なしきたりはいつまで続くのだ? 国母こくぼと名のついた頭のおかしい亡霊の言う事を聞いて、女に戦いごっこをさせるこの国が、私は反吐へどが出るほど嫌いだ」

「ハイデ、あなたは何が言いたいの?」

「気高く優しかったフェルネを家畜の小屋のような部屋に閉じ込めたしきたりも、そのような手段を取った父や母も私は許せない。彼女を元に戻す方法を私は見つけたい。……が、まずこの国の悪習は全て断ち切る! 君がヘルセス神の力を得るというのなら、君もな! そして、特にあの忌まわしい絵画聖堂かいがせいどうは必ず!」

「それはもちろんですわ。私もその為に……」

「違う! 君は国母イェルナと同じだ。暗い瞳で他人を見下し、手段を択ばない。自分の目的のためには、魔族の吸血鬼や異界から来た眠り人に身体を捧げる事もいとわない。危険な女だ。あの眠り人という男もな!」

「あなたに私の何が! ……いえ、やり合うしか無さそうですわね」

 アーシェラは両手の指輪を介して、特殊な空間から吸血の剣『エリザベート』と『ダリヤ』を呼び出した。

「リスラ、マーヤ、残念ですがハイデは『バルドスタの五剣』の一人。大変な達人です。一斉にかからねば勝機はありません」

「何とか抑えます」

「姫様はその隙に」

「……ありがとう」

 しかし、三人は腕が立つ分、この勝負が望みの薄いものと分かっていた。

「……女を斬るのは本意ではないが、それもこの国の悪しき習慣ゆえか」

 ハイデはフソウ国の名刀、大太刀『大安宅磐濤(おおあたけいわと)』の鯉口を切った。

「申し訳ありませんが」

「手加減は出来ません」

 リスラとマーヤは小剣と鎧通しで左右から襲い掛かり、アーシェラはその隙を見て間合いを詰める。しかし。

「うっ!」

「がっ!」

 勝敗は一瞬で決した。リスラは小剣を叩き折られつつ、その右の二の腕にめり込むほどの峯打ちを受け、肋骨まで折られて石像に叩きつけられた。マーヤは交差させた鎧通しを逆袈裟で大太刀に打たれ、護拳ごけんに絡んだ指が飛び、そのまま右の鎖骨のあたりを深く貫かれた。

「また血が流れた。君の判断でな!」

 二人の別式の給仕の敗れようは、死にはしないものの無慈悲この上ないものだった。

「あなたに、私の何が!」

 アーシェラの剣技は鋭く、実戦に磨かれて十分に冴えていたが、鉄塊のような大太刀を自在に振るハイデには防戦一方だった。高速かつ重い一撃一撃を凌ぐが、ハイデは全く本気ではなかった。

「そろそろ納得したか? 女の細腕の筋肉を鍛えようが、どれほど戦いの技を磨こうが、所詮女のままごと遊びの域を出ない」

「あなたに、私の苦悩が! ……悲しみが!」

 悲痛に叫ぶアーシェラ。

「ならこれで終わりだ。さらば!」

「っ!」

 吸血の剣エリザベートが、雨の落ち始めた暗い空に飛んだ。剣が離れた、と思ったアーシェラの身体に、重く冷たい衝撃が走る。

「は! ……あ!」

 アーシェラの右わき腹、肝臓の位置に、『大安宅磐濤(おおあたけいわと)』が横平突きに深く刺さっていた。背中まで貫通しているのは間違いなかった。

「時間も与えぬ」

 その言葉の恐ろしい意味に気付いて、アーシェラは大太刀を両手で挟み、必死に加えられた力に対抗する。

「やめ! ……させな……い! やめて!」

「無駄だ。そんな力ではな」

 しかし、ハイデは無慈悲に大太刀を縦に回した。肝臓を破壊し、回復さえ容易には間に合わない状態にされた。

「既にハルダーの力は一年も前にこの身に降ろしている。あの男でさえ私には勝てないだろう。そして罪は私が全て背負う!」

「そんな……」

「呪われた王家の罪を残り僅かな時間で少しでも悔い、そしてもう解放されるといい」

 ハイデは剣を抜いた。アーシェラは身体に力が入らず、がっくりと座り込むと、やがてゆっくりと仰向けに倒れた。暗黒の空から、春にしては冷たい雨が落ちてきていた。

──かつて軍神ハルダーの力をその身に降ろしたバルドスタのサムライ、ヨアン・ラキムは、異界より侵攻してきたニーダス人の五十万の軍勢を三十人の仲間と共に三昼夜足止めし、バルドスタ軍の反攻のきっかけを作ったとされている。世にいう『コルセドの古城の戦い』である。

──ランドール・カイロ著『バルドスタの伝承』より。

first draft:2020.05.25

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