第四十三話 二つの世界樹の都、テア・ユグラ・リーア

第四十三話 二つの世界樹の都、テア・ユグラ・リーア

 ウロンダリアの戦士たちは、時と時間を超える大術式だいじゅっしきの空間の中で、異なる世界ウル・インテスと『二つの世界樹の都テア・ユグラ・リーア』のその後の歴史と結末を見届けていた。

 赤く染まり隕石が降り注ぐ空の下、歌声で強化された障壁しょうへきに包まれた二つの世界樹の都の遥か上空で、青い光と尾を引く黒い炎が飛び、交差し、その度に雷鳴の様な音が鳴り響いて世界が震えているのが分かる。

 謎の声は説明を続けた。

──蒼き炎の調停者、マスティマ・ウンヴリエルに対し、黒炎こくえんまとう伝説の戦士、ダークスレイヤーが現れ、彼との戦いに入ったマスティマには、天から隕石を落とす余裕は無くなりました。

 遥かな空の上で雷のように伸展する黒い斬撃と、神々しく燃える青い炎の剣がきらめきつつ飛び交う超絶の戦いが展開している。その戦いのさなかで、マスティマのものではない声が響いた。

──ウル・インテスの民たち、界央セトラの地は今や力と序列に腐り、多くの力なき者たちが不要として踏みにじられている有様だ。たとえそれが神の言葉だとして不条理に従うな。このような獣の理に満ちた世界から、彼らの条理の届かない世界へと旅立つのだ! 早く行け!

 この聞き覚えのある声に老べスタスが気付く。

「ルイン殿ではないのか? あれは」

 この時誰もが、ダークスレイヤーが過去のルインなのではないかと思い始めた。ダークスレイヤーの容姿と声は、ルインそのものだった。

 説明の声が続く。

──船の民の方々の言葉通り、ダークスレイヤーが現れ、彼はその超絶の戦技でマスティマさえ抑え込みました。私たちはそうして……。

 世界樹の都は立ち上る無数の光に包まれ、やがて世界は暗転した。次第に、彼方に小さな光の点が現れ、それが近づいてくると一気に展開する。

「おおっ!」

 ウロンダリアの戦士たちから驚きの声が上がった。二つの世界樹の都は、大森林と上部が切り取られたような平たい山々と、巨大な世界樹の点在する緑豊かないずこかの世界に出現していた。

──私たちは、ミクタラと呼ばれる緑豊かな世界にたどり着いたのです。そこには、私たちと同じように別の世界から逃げて来た古き民や獣の民もおり、世界の終わりを経た者同士、融和に時間はかかりませんでした。

 緑多いミクタラという世界に、少しだけ古き民や翼の民、月の民が根を下ろしていく様子が映し出されていく。そしてある時、その澄んだ空に白く輝く楔形くさびがたの巨大な星船ほしぶねが現れた。それは聖なる槍の穂先のように鋭く優美で、視界の空のほとんどを埋めるほどの巨大さに、ウロンダリアの戦士たちから驚きの声が上がる。

──船の民の方たちが星船に乗って現れ、私たちの代表者と会合を持ちました。

「何という事じゃ……! 『船の民』は実在し、その語源はあのような巨大な星船に乗っていたからだというのか……?」

 老べスタスが思わず口にした言葉が響く。名前はあれどその詳細の謎だった船の民の姿に、今は誰もが驚いていた。

 謎の声は話を続ける。

──私たちは三百年ほどかけて、この『二つの世界所の都』を整備し、お礼の品々と託す言葉を添えて、船の民に託しました。船の民はウル・インテスの月、闇の母神ハドナの眠る赤き月シンの事も引き受けてくださいました。そして……。

 再び、映像は消えて闇に変わったが、かすかな上昇感と振動を誰もが感じたのち、一気に闇が消えて解放された。ウロンダリアの戦士たちは、どこか懐かしい朝の空の下、半球のような魔法の足場と力場の中におり、それはわりと高い空のただ中だと分かった。

「ここ、ウロンダリアじゃないの? あれを見て!」

 クロウディアの指さす先に、野営した『不帰かえらずの地』の丘が見えている。そして声が続いた。

──永遠の地の方々、そしてダークスレイヤーと、彼と共に戦う多くの方々への最大の謝辞と共に、私たちは返しきれぬ恩を、この私たちが愛した都と様々な品物と共に送ります。どうか『時の終わり』を超えて、永遠の地と共に世界樹の都とあなたたちが残り続けますように。

「あれをご覧になって!」

 今度はアーシェラが野営した丘と反対側を指さした。『古都 こともん』のある滝と湖の上の山並みの広大な範囲から光の柱が立ち上り、遥か下方の木々が揺れているのがわかる。

──大術式『領域の転移』発動。欺瞞ぎまん地形との入れ替えが行われます。

 魔導まどうによる人工精霊アーメントの声のような無機質な音声とともに光の柱が消え、ウロンダリアの戦士たちの前に『二つの世界樹の都』そのものが出現した。

「何という事じゃ……このように隠されておったのか……!」

 老ベスタスや何人かが、手にしていた武器や荷物を驚いて落とした。

「私たちが戦った頃より、より優美に美しくなっている気がしない?」

 ファリスの言葉の通り『二つの世界樹の都』は、その規模や美しさが増していた。『古都の門』のあった滝の上のヴァンセン湖を最下段として、交互に四層の湖が階段状にあり、優美な長い橋と階段、湖上の大きな橋の上の街を経て、並び立つ二つの世界樹の間の大城壁へ至る通路に続いている。

 視界を埋めるような二つの巨大な世界樹は、大きな町一つ分の距離が開いており、双方に伸びた大枝の上にも町が点在していた。

「精霊たちが喜んでいるわ……こうして見ると、なんて美しい都なの……!」

 涙ながらにクームが顔を伏せるほどにその様子は美しく、激しい戦いとその後の歴史の流れ、そして朝の光の中で見る壮大な都の美しさに涙している者も多かった。

「本当に美しい都。そして、あの都の人たちは生き延びられたのね」

 ラヴナは感想を漏らしつつ、傍に立つルインの顔をちらりと見たが、ルインだけはいつもと変わりがなかった。少しだけ嬉し気に見える気もするが、いつもと変わりないような気もする。

(バルドスタの時もそうだった。こんな時妙に静かなのはなぜ? あなたが武人だから?)

 ラヴナにはこのような時のルインの静けさの意味が分からず、強く興味を惹かれていた。しかし、そのラヴナは、また別の視線がルインに向いている事に気づいていなかった。

(…………)

 『薔薇ばらの眠り人』ロザリエもまた、意味深にルインを後方から見つめているが、その深い青紫の瞳には、どこか懐かしさを思わせるものがあった。

 再び、人工精霊アーメントのような抑揚よくようのない声が続く。

──転移術式により保護された場が降下します。着地後に術式は解除されます。

 ウロンダリアの戦士たちのいる、術式により組まれた半球状の空間はゆっくりと降下し、やがて湖に掛かった長く優美な橋の、その中間にある街の広場に降りた。ウロンダリアの戦士たちが感動と共に周囲を見回している中、再び、謎の声が響く。

──永遠の地の戦士たちの帰還と、『二つの世界樹の都』テア・ユグラ・リーアを託す術式はこれにて終わります。永遠の地の方々、そしてダークスレイヤー……。

 謎の声は言葉に詰まったのち、最後の言葉を伝えた。

──心から、感謝と祝福を。

 術式の地平が化石化した木材の床と同化し、感謝の言葉と共に半球状の力場も消え、ウロンダリアの戦士たちには初夏の暖かな日差しと朝の柔らかな風が感じられた。皆の視界は巨大にして美しい二つの世界樹とその都によって埋め尽くされている。四層の湖の縁は幅の広い滝となって絶え間なく水を落としており、その水音と共にいくつもの小さな虹が水煙の中に掛かっている。全てが雄大で美しかった。

 ウロンダリアの戦士たちはしばらくその荘厳な美に言葉を失っている。

「なんという、美しくて大きな都と世界樹だろうか……」

 ジノや猫の剣士たちは絶句している。

「これが、『失われた七都』の一つ、物語にしか出てこないとされた『二つの世界樹の都』……」

 感慨を漏らしつつも、ラヴナにはこの都がウロンダリアのほかの世界樹の都とは大きく異なる特徴を多く持つものであることを看破していた。

「ウロンダリアのほかの世界樹の都は、世界樹の大きさはともかく、このような様式の物はないわ。まず、月の民や翼の民の美術や技術が入った複雑な美意識の産物であることと、『月の落涙』を凌ぐために城郭じょうかく構造を持つこと。様々な書物に照らしても、無限世界イスターナルでも珍しい部類の都市でしょうね」

 ラヴナは腰に手を当てて得意げに説明していたが、まだ皆が感動の渦中にあって反応していない。

「なんか、すげぇことになってんだけど……」

 あまりの事に少し引き始めたゴシュの頭に、大きな手がポンと乗った。

「がっはっは、おめぇの親父さんはいい娘を持ったなぁ。ヤイヴの嬢ちゃんよ、おめぇは復讐を果たして一族の仇を討ち、このすげぇ都をウロンダリアにもたらしたんだ。後ろにぶっ倒れるくれぇ胸を張ったらいいぜ!」

 ギュルスが愉快そうに大声で笑う。しかし、その笑い声に負けないほどに大きな腹の音が鳴った。

「ああ、落ち着いたら腹が減って来やがったぜ!」

 ウロンダリアの戦士たちはこの言葉で次第に空腹や疲労、眠気を覚えて現実に戻り始めた。

「怪我が消えているぞ!」

 重症だったはずの者たちの怪我もいつの間にか消えている。

 ここでルインは皆を見回してようやく笑った。

「さすがにもう大丈夫なようだ。丘に戻って何か食って、ひとまず寝た方が良いだろうな」

 すかさずゴシュが応じる。

「あたい、もうひと頑張りしてみんなに美味しい料理作るぜ!」

「それなら私も手伝うわ。料理の腕がなかなか上がらないのだもの」

 クロウディアが手伝いを申し出、他の眠り女たちや工兵隊なども声を上げる。しかしここで、ラヴナはある事に気づいた。

「ロザリエがいないわ。時代が異なるから、自分の時代に帰ったという事よね?」

「言われてみればロザリエ殿がおらん。これは文でも出して確認してみた方が良さそうじゃのう」

 老べスタスが周囲を見回しながら案を出す。

「そうね、変わりなく荊の森に籠っているでしょうけど、まあ確認してみるわ」

 こうして、一夜の激しい戦いを経て、異なる世界の人々の歴史に大きな行いを成したウロンダリアの戦士たちは、昨晩野営した丘へと戻り、まずは休息を取る事となった。

──ウロンダリアには現在、四本の世界樹が確認されている。しかし、それらの世界樹の精霊は眠りについたままであり、それら眠った世界樹の周囲は広大な荒れた大地となっているため、近づく者もいなくなって久しい。

──エレセルシス・ルフライラ著『世界樹』より。

 長大で優美な湖の橋を通り、『古都の門』のある滝から昨夜の野営地まで戻った眠り人一行を待っていたのは、薄紫の飾り布と覆面で飾られた、鹿毛かげ鉄血馬フリオン(※バルドスタ戦教国の名馬種)に乗ったロザリエだった。

 しかし、その姿は昨夜までの様子とはいささか異なっており、左腕は赤紫の金属の義手、両足は銀製の義足だった。

「ロザリエ!」

 驚くラヴナに対して、ひらりと馬を降りたロザリエは静謐せいひつにして魅力ある笑みを浮かべる。

「おかえり、ラヴナ姫とみんな。千年前、私は一人で帰還したものだけれど、あれはなかなか寂しいものがあったわ。とても賑やかになってる千年後のラヴナ姫たちの様子を見て、今日のこの日を楽しみにしていたものよ。つまり現れないはずの『眠り人』が現れてこんな事になっていたわけね?」

 ロザリエは言いつつ視線をルインに移すと隙のない所作で歩み寄る。

「初めまして、最後の眠り人ルイン。挨拶が遅れてしまったわ。私は『節制せっせい』を司る者、『薔薇ばらの眠り人』ロザリエ・リキア。魔女にして騎士、自然魔術に通じていて、『混沌カオス』の花の神ヴァラリスと敵対している者よ。最初に一つ聞いてもいいかしら?」

 微笑するロザリエの眼が厳しいものに変わり、素早い抜剣を放ったが、その閃光のような斬撃はルインの右手の籠手こてで阻まれた。

「なかなか刺激的な挨拶だな」

 笑うルイン。ロザリエも表情を緩めて笑う。

「いいわね。沢山女を連れていて、私の笑顔を見てもこの一撃を防げる。なかなかやるじゃない。ただ、一つだけ気になる事があるわ。返答次第によってはあなたの命を貰うけれど、覚悟はいいかしら?」

「ちょっとロザリエ、いきなり何? 何を言ってるのよ!」

 訳が分からず怒るラヴナ。ロザリエは剣を構えたまま、視線だけをラヴナに移して説明する。

「わからない? ヴァラリスの匂いよ? それも濃厚な。あの女が相当気に入った者につける香りだわ。でも、あの女の魅力に落とされていない。……まあ、ラヴナ姫が子犬みたいに懐いてるのに何もしてないようだし、ただ者じゃないわね。良くも悪くも……!」

 ロザリエの言葉には隠していない警戒があった。

「えっ? ヴァラリス? ……本当だわ。ルイン様、おかしな女に何か汚い事をされたりしなかった?」

 珍しい事に、ラヴナは信じられないといった顔をした。ルインは説明しようとして、混沌カオスの花の神ヴァラリスにキスされたことを、この女だらけの場所でどう説明するか一瞬迷った。

 そこに別の笑い声が響く。フードをはいだバゼリナが姿を現しており、口元を隠しつつもおかしくてたまらないといった笑い声を品よく上げている。

「かつては位の高い私たちさえ、時に迷いもしたことがあります。まあ、神と言えど女神おんながみですから、そのような事もあって然るべきなのですが、黒い方にはいささか話しづらいでしょうから私が話しましょう。『混沌カオス』に囚われた私を救おうとした時に、混沌の花の神を名乗るものが現れ、その者は黒い方に接吻せっぷんをしております。あれは何か頼みごとがあるのでしょう。黒い方と敵対して滅されたくないのかもしれませんね」

 ロザリエの剣にこもる力が緩んだことにルインは気づいた。ロザリエの視線はバゼリナに向かっている。

「そんな事が? ……その前に、あなたは何者? とても位の高い神だけど、ウロンダリアの神ではないような?」

「私は運命と機織りを司る者『綾織あやおりのバゼリナ』と申します。とはいえ織機と糸巻きが『混沌』に呑まれた事により、私もしばらくは『はさみのバゼリガリ』という混沌の相を纏っておりましたが」

「バゼリガリの正体ですって? あなたが⁉」

 ロザリエが目を丸くしているが、そこにラヴナの怒声が割り込む。

「ヴァラリスがルイン様にキスしたですって⁉ なんて事するのあのクソ泥棒猫女! ルイン様、どこにされたの? 高いお酒で拭いて清めてあげるわ!」

「それは……」

 ルインが言いかけた時に、バゼリナが先回りした。

「口でしたよ? なかなかに濃厚に」

「口……」

 ラヴナは力なくくずおれた。ルインはバゼリナに視線を移したが、バゼリナはにこやかに首をかしげている。ルインの遠い記憶の何かが、かつてこのようなことがバゼリナにはしばしばあったと言っているような気がした。

(これは……)

 屈託がない分状況が悪化しがちなこの空気に、後ろからクロウディアの声がする。

「ねぇ、何の話をしているの? 何があったのかしら?」

 ルインの心の中の何かが警鐘を鳴らしたが、そこにセレッサが入った。

「皆さん、何やらルイン殿たちは秘されたお話があるようです。私たちは疲労も重なっていますし、少し遠巻きにして先に休みましょう?」

「あ、ああ助かる。みだりに聞くべきではない話になるかもしれない」

「さあ、みんな、一休みしましょう?」

 皆を誘導しながら、セレッサはこっそり親指を立てて片目をつぶって見せた。

「ありがとう。助かる……!」

 言いつつ視線を戻したルインは驚いた。くずおれているラヴナの頭に、磨かれた黒曜石こくようせきのように滑らかな一対の立派な角が生えている。

「ラヴナ、角が……」

 ラヴナは振り向かずに怒りに震えた声で答える。

「……魔族だもの。角ぐらいあるわ。まして私は特に、ダイオーンと人々が呼び恐れる強大な者の一柱。怒りに震えれば角くらい出るわ。……それとも何? 角のある女は嫌い? 花の香りのする混沌の女の方がいいのかしら?」

「そんなわけないだろう?」

「そうよね。不可抗力だものね!」

 不機嫌なラヴナは強い皮肉を言い放った。ルインは迂闊うかつに言葉を掛けられなくなったが、バゼリナが話を続ける。

「責められるのは不可抗力という事は、今後一切の不可抗力は無し、という事で……黒い方、何やら今のあなたと不可抗力で領域に触れてしまった魔族の女性の気配がしますが、これも大いなる運命の糸を手繰り、一度無かったことに致しましょうか」

 この言葉にラヴナが反応した。

「待って! 分かったわ機嫌を直すから! ちょっと動揺しただけよ!」

「誠実なる者の今もまた、より良い今に変わっていたりする事はありますが、それも求めないくらいの姿勢が一番誠実という事ですね? 良い事だと思います」

「うっ……」

 過去に起きた事を変えないでほしいというラヴナの希望に対し、バゼリナは肯定しつつも、判断によっては今さえよりよく変わる可能性がある事を示唆して見せた。これは、ラヴナがあまり勝手な事を言えなくなることを意味してもいた。

 ここで、置いてきぼりにされていたロザリエがため息をつく。

「私をほったらかしてよくやるけど、次は何?」

 ロザリエの視線の先の空には、黒く大きなダギドラゴンの姿がこちらに迫ってきていた。

──上位魔族ニルティスの中でも特に強大で信徒のいる者たちはダイオーンと呼ばれている。意味は『慈悲深き者』『偉大なる者』を意味すると同時に、『まつろわぬ者』の意味もある。

──コリン・プレンダル著『魔の国の人々』より。

first draft:2022.02.07

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