第四話 不帰の地と、うごめく闇

第四話 不帰の地と、うごめく闇

 一か月ほど前。

 魔の国キルシェイドの南方、古代の地名ではヴァンセンと呼ばれていた地域。現在は『不帰かえらずの地』と呼ばれる地域の森の中を、四人の冒険者が探索していた。

 彼らは大プロマキス帝国の由緒ある探索者たちのギルド『深淵しんえん探索者協会たんさくしゃきょうかい』に所属している中堅の冒険者仲間であり、優秀な地図製作者でもあった。

「半金前払いの依頼のわりには手ごたえがない。しかし何なんだろうな? このいやな感覚は」

 この四人の代表を務める戦士にして、製図版に地図を貼ったものを手にした男がつぶやいた。魔術師とも学者ともつかない軽装鎧にローブの男も同意する。

「あの最果ての村の住人たち、何かを警戒していたし、私たちを憐れむような眼で見ていた。まるで……」

「その話はやめろ」

 戦槌せんついにごつい鎧と白いサーコートの神官戦士しんかんせんしが、兜でややこもった怒声で話を遮った。しかしこの怒声に、学者に近い装いの女魔術師も同意する。

「嫌な話はやめようよ。とにかく湖と丘までたどり着いて確認してさっさと戻りましょう? 私もこの仕事は破格だけどなんか嫌なのよ。地図と目的地を確認したら『投影とうえい』で水晶玉に情景を写し取ればいいだけなんだし。幸い、化け物どももいない静かな森なんだし、早く片付けて、ね」

「その通りだ。あと半日もかからないでたどり着くはずだし、いつものように仕事を終わらせて、帰って酒でも飲もう。報酬は破格なんだ」

 代表の戦士は落ち着いた声で場を納めた。しかし、実はこの四人の中で、最も警戒心を強めていたのはこの男でもあった。

(おかしい。さっきから鳥の鳴き声が一切聞えない。これほど豊かな森なのに、動物も魔物も全くいないのはどういうわけだ?)

 朝から何度も違和感を覚え、そのたびに魔術師に感知・知覚系の魔術を行使してもらったが、敵の気配はない。それどころか動物も何もいない。わずかに聞こえていた鳥の鳴き声も、今は全くしなくなっていた。しかし森そのものは豊かで、芋類いもるいつたがしばしば大木を這い、食用の木の実の成る種類の木も決して少なくはなかった。それに対して動物だけが少なすぎるのだ。

「おい、どういうわけだ?森が切れるぞ?」

 神官戦士の声に、代表の男は正面の彼方を見やる。頭に叩き込んだ手元の地図には無い、背の高い草の草原があり、一様の距離で森が途切れていた。

「協会の話と違いませんか? ……あ、『感知』には何もかかりませんが」

 学者風の男が不信感を隠さずに言う。

「いや、私の情報ではおかしくないよ。魔の国キルシェイドが精鋭のヤイヴ(※緑肌の小型の亜人種)の一氏族を派遣して駐屯ちゅうとんさせたって噂がしばしば聞こえてたからね。崩れた砦や小屋の入り口の大きさはヤイヴ族のものだよ」

 木々の隙間の草原の向こうに見える、木製の破壊された砦や建物はやや小ぶりだが統制の取れたしっかりしたものであったことを思わせ、またそれは、魔の領域の正規軍のヤイヴ族の砦の様式ともよく似ていた。代表格の男は女魔術師の言葉に無言で頷き、やや幅広の剣を静かに抜いた。

「言ってた通りだったな。という事は、協会はおれ達に何かを隠してこの依頼を出したって事になる。この案件そのものも、昔から存在すると言われていたのに全く依頼に出されず、名を挙げてきたおれたちに直接話がきたものだ。……どうも気が進まない。違約金は高いが、帰るか?」

 男の問いに対して、是とも否ともすぐには言葉が出ず、重い沈黙が流れた。前払い金はやや上質の金貨で一人当たり十枚ずつだ。違約金はこの三倍を払わなくてはならないが、地道な依頼をこなしたとして一年はかかるだろう。

「地図の信頼性や情報の齟齬そごを理由にして、違約金については交渉するのはどうです? つまり、あの砦跡を調べて帰るという意味ですが」

「私もそれが良い気がするわ」

 学者風の男の提案に女魔術師が同意した。

「探索を続けるとしても、その危険度を計る何かが見つかるかもしれん。少なくともあの砦跡を調査する意味は大いにあるな」

 神官戦士も慎重な同意案を出す。

「決まりだな」

 探索者たちは森から草原に出た。広い草原は切り開かれたものであり、そう古くない切り株が多い。切り倒された木は、半分崩れた砦の、先をとがらせた丸太の壁や丸木小屋の材料にされたのだろう。

「しっかりした造りだ。さすがは魔の国の上位のヤイヴ族よ。侮れん」

 神官戦士は感心して砦の細部を見回したが、近づくにつれてその破壊のされ方がおかしいことに気付いた。

「しかし何だ? ダギドラゴンや巨人にでも襲われたか? 防壁や門が押し倒され、壁の根元の土が盛り上がっているぞ?」

 門や高い丸太の壁は、大きな何かが寄りかかって潰したような倒れ方をし、壁の根元の地面が盛り上がっている。そこまで行くと、小さな集落のような砦内部の建物もほとんどが何か大きなものに横から押しつぶされて破壊されていると分かった。

「何があったのかわかりませんが、これは戻るのに十分な理由となる痕跡ですね……」

 息を飲みつつ学者風の男が言う。

「そうだな。『投影』でこの様子を水晶玉に記録してくれ。静かに調査をして戻ろう。もしこれが、賢く邪悪なダギの仕業で、ここがそいつの縄張りなら、おれ達はおしまいだ」

 ここで、砦のどこからか微かな古い死臭が漂ってきている事に四人は気づいた。

「おい、この匂い……」

「どこかに古い死体があるな」

 四人は魔術師の『感知』を働かせたまま倒れた門を通り、直進を阻害する倒れた丸太の防壁を迂回して、ひどく破壊された丸木小屋の連なる内部に進んだが、ここで砦内の広場に山と積まれた何かに気付いた。

「おい、あれはなんだ!」

 そこにはうずたかく積まれ、ほぼ白骨化した小柄な人型生物の死体の山があった。金属の鎧と武器の仕様から、魔の国の正規兵のヤイヴ族のものだとわかる。それらの死体はほぼ全て頭が無く、頭の残っている死体はその頭骨がひどく破損したものばかりだった。腐敗と白骨化は全て終わってはおらず、その死体の山の周囲には、濁った虹色の油膜のある、赤黒い腐汁のたまりが出来ている。

「バランに誓って、何というひどい匂いとありさまよ!」

 神官戦士がおのれの信仰する神の名を出しつつ、吐き捨てるように言った。

「おい、何かまずいぞ。こんな事をする化け物も集団も考えづらい。魔の国と事を構えたがる国などないし、こんなしけた地に野盗や山賊が来て、こんな事をするとも考えづらい。何かまずい存在の仕業の気がするぞ!」

 代表の男は注意を促した。その語感に、探索の中止が感じられていた。

「じょ、状況を記録して戻りましょう! 『投影』は?」

 女魔術師を見る学者風の男。

「今やってるわ!」

 女魔術師は水晶玉にこの情景の記録を撮り始めていた。と、死体の山がわずかに動き、地面に近い位置の死体の間に暗い隙間が開くと、何かが出てきて神官戦士を倒したが、その何者かの姿は見えなかった。

「おい! 今の見たか?」

 神官戦士は素早く立ち上がって戦槌を構えたが、飛び出してきた何者かの気配は遠ざかっていくだけだった。

「何だ⁉ 何かいたが何も見えなかったぞ! どこだ?」

「でかくて柔らかい何かだ。ぶつかられたがわりと重い。でも、こんな魔物は聞いた事もない」

「あれ! 砦を出ていくようです!」

 潰された建物の光と影の間を、猪程度の大きさの透明な何かが一瞬横切り、それは倒れた防壁を超えて草を押し倒しつつ、がさがさと音を立てて消えてしまった。

「まずい。何かまずい! 逃げるぞ!」

「待って、『投影』を終わらせるから!」

 その時だった。森の奥から鳥とも口笛ともつかない音が長く鳴り響き、それに呼応するかのように、周囲の森の奥から別々に口笛のような音が追従した。さらに灌木の倒される音が聞こえてくる。

「何かがこっちに向かってくるぞ! でかい何かだ!」

 四人の探索者は近くの倒れた砦の壁から外に出た。今になって、この砦と草原を取り囲む森の中に、何者かが通っているような不自然な空洞が幾つかぽっかりと口を開けていると気付いた。複数のそのような暗い開口部の奥から、大きな何かが迫ってきている。

「くそ! 逃げるんだ! なるべく木の多い場所をめがけて!」

 探索者たちは必死に走り始めた。しかし、彼らが戻る事は無かった。

──ウロンダリアにはギルドと呼ばれる様々な団体がある。条件を満たして加入料を払ったり、何らかの儀式を経なくてはならないものもある。ギルドは身分を保障するものなので、流れ者にとっては衛兵に詰問を受けないだけでもありがたいものなのだ。

──ドッセル・ベイン著『ウロンダリアのギルド』より。

 時は現在に戻る。

 ウロンダリアの古王国最西の国、大プロマキス帝国の首都ウロンダル。

 ここに『古王国連合こおうこくれんごう』の本部である大ドームを伴った建物があり、ある会議室では意味深な沈黙を挟みつつ密談が進行していた。色とりどりの各国を象徴する祭服さいふくを着た高級官僚たちと、灰色の陰鬱なローブに銀製の仮面、知る者が見れば怯える、異端審問官いたんしんもんかんの仮面をつけた男が一人、という組み合わせだった。

「『実験』の方はうまく行っているのかね?」

 禿頭とくとうに眼鏡と黄色い祭服の高級官僚が、異端審問官の無表情な仮面の男に問うた。

「はい。ヤイヴどもを食わせたことで大きく成長し、雌体したい雄体ゆうたいに分かれたところで、今回は人間の男と女を吸収させることに成功しましたから繁殖していくでしょう。その中から『原生体』にできる個体を抽出していけばよいかと」

「おぞましいな。実におぞましい話だが、我ら万物の霊長たる人間が様々な種族、特に魔族などに大きく後れを取っているこの状況の方がよほどおぞましいものだ。我々は弱者ゆえ、手段を選んでいる場合ではない。この崇高な目的のためには、いかなる手段も肯定されるのだ!」

「は、仰る通りかと」

 仮面の男はうやうやしく同意した。

「ところで、魔の都から不穏な噂が流れてきているが、それについてはどう対応する気かね?」

 緑の祭服の官僚が仮面の男に問う。

「不穏な噂ですと?」

「『不帰かえらずの地』に『眠り人』が向かうという噂が流れているようだ」

 紫の祭服の高級官僚が机を叩く。

「また『キルシェイドの眠り人』か! 魔王は何を考えている? あれは人間であろうに、我々ではなく魔族の味方をさせるとは。工人アーキタの都市ピステの保護を騙り、今度はバルドスタから我らの同胞の商人や貴族を、王女をたぶらかして一掃させたようですぞ」

「古代から『眠り人』は大変な力を持つと言うが、そのような伝説的存在が実在するとは考えづらいが」

「しかし、大変な武力を持つという噂はどうやら事実らしい」

「いや、工人アーキタの都市の大ギルド長の娘や、バルドスタの王女は『眠り女』という名の妾のようなもの。みだらな女の魔族の手練手管でも吸収して、若い女を誑かしたに違いない」

 高級官僚たちは見下した発言をしてどっと笑ったが、それを銀仮面の男がたしなめた。

「申し訳ないが、あなた方がその様子では、我々がどれほどの予算と実験を費やそうにも人間が万物の霊長となるのは無理でしょうな」

「何だと!」

「エドワード、貴様、学園都市アンダルヴィルでの事件の責にも関わらず再度登用したというのに、随分と尊大な態度を取るものだな!」

 何人かの官僚の叱責に対して、銀仮面の男エドワードはうやうやしい咳払いをして答えた。

「あれも私の失敗ではありませんよ。『落涙』の規模が大きいのに、水銀が足りないまま儀式を強行した大司教ガリウス様の功名にはや拙速せっそくさゆえです。だからあの方は命を落としたし、我々は不要な罪を被せられて非常に迷惑でしたな」

 黄色い祭服の官僚が目を細めて問うた。

「この話で大きく出た根拠は何だ?」

「眠り人のもとには、我が最高の弟子でもあったシェア・イルレスがいる。あれは男とまともに話せぬような女だ。それが『眠り人』と共にいてバルドスタでは戦いにも参加した模様ですな」

「それがどうした?」

「あの女はいつも完全な保護者を探し求めている可哀想な幼子だ。その記憶と、本人が知らぬままに持っている複数の属性において、心も身体も許す事はない。それが身を寄せて力を発揮している時点で普通の男ではないのですよ。古文書から紐解く様々な『眠り人』の力は相当なもの。決して甘く見られぬ方がいい」

「ほう、忠告と受け止めておこう」

「恐縮ですな」

「で、その最高の弟子に、『眠り人』の暗殺をさせる事は出来ないのかね?」

「以前なら可能でしたが、あれは今となっては私の事を疑っているはず。おそらく無理でしょう。しかし、いずれおのれの正体を知れば私しか保護者がいないと悟るでしょうな。そうなれば暗殺も可能なはず。まあゆっくりとお待ちください」

「ほう、気長に期待しようではないか」

「ええ。拙速でなければ、必ずや」

 仮面の男、エドワードの声は確信に満ちていた。

──古王国にはその国を象徴する色があり、古王国連合の官僚たちの制服は、権威付けの為にその国の色をした祭服とされている。しかし、異端審問と統一神教の管理者でもある彼らの権威主義に対しては、近年、批判が増えつつある。

──アロン・ソルロイ著『古王国連合の近況』より。

 同日夜、西のやぐらのとある部屋。

「さ、これで準備は整ったわ」

 狼の魔女と呼ばれるファリスは、黒き国オーンの特産品でもある、心を深く落ち着ける香木を焚いた。

「うわ、すげぇいい香りだな!」

 ゴシュは初めて嗅ぐ薫香くんこうに笑みを浮かべる。

「これなら色々と思い出して話しても、辛い記憶が心をさいなむ事はあまりないわ。落ち着いたらゆっくり昔のことを話してくれればいいのよ。何か大事な手掛かりが見つかるかもしれないしね」

「さすが魔女だぜ!」

「年頃の女の子の恋の相談だとか、うまくいってない夫婦や家庭の相談を聞くのも、時には魔女の大切な役割なのよ」

「純潔なのに?」

「一言多いわよ?」

「ふ……」

 ゴシュとファリスのやり取りに思わず笑うルインだったが、ファリスはそれを聞き逃さなかった。

「あっ、笑ったわねルインさんったら!」

「やり取りを笑っただけで、純潔って点は笑ってないぞ? 身持ちが固いのは良いんじゃないか?」

「そうですか? でも固すぎれば岩と一緒って言われたことはありますけれどね……」

 自虐気味に暗く笑うファリスに何か不穏なものを感じたルインは、話題を変えることにした。

「……まあ。それよりゴシュ、気持ちが落ち着いたならそろそろ昔の事を話してくれないか? 何があったかを」

「そうだな。長いけどちゃんと話すよ……」

 ゴシュはコップの水を一口飲むと、深呼吸をして昔起きた事を語り始めた。

──人間の神々に様々な系統があるように、神獣にも武神や母神の系統があるらしい。母神の系統の神獣はより強い血を求める本能があるが、代を重ねると血の中に宿る本能の求める強者の質が高くなりすぎ、結果として独身のまま生涯を終える神獣もしばしばいる。

──薔薇の眠り人ロザリエ・リキア著『神獣の系譜』より。

first draft:2020.09.22

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