第四話 驚愕の市場、不穏な兆し
──魔の国、黒曜石の大魔城オブスガル。その大広間。
肩をすくめるようなラヴナの言葉に上魔王シェーングロードは無言で頷き、話を続ける。
「ラヴナの言う事も同感ではある。まず、この黒曜石の都にある『驚愕の市場』の危険度と、並ぶ品物の珍異がかつてないほどに上がっているとの知らせが入った。あの市場には長いこと、この魔の国及び古王国の名だたる探索者が入っておるが、市場の中ほどまで進める者たちでも現在はごく入り口付近で帰って来ざるを得ぬ状態との事だ。奇しくもそれは、ルイン殿の目覚めの直後から起きているのだ」
場の空気が変わり、緊張と思考が漂う。しかし何の話か分からないルインは周囲を見回した。
「何ですって? もしかして『驚愕の市場』の商人たちはルイン様を取引相手と見なしている可能性があるって事?」
ラヴナの声からいつもの軽い空気が消えている。
「申し訳ないが、『驚愕の市場』とは?」
ルインがラヴナに向けた質問に答えたのは上魔王だった。
「この黒曜石の都の特異な……そして数ある特徴の一つだ。『驚愕の市場』は様々な外つ世界と繋がっており、奇怪かつ厄介な商人たちが世界の驚愕を煮詰めたような店舗で珍異な品々を奇想天外に取引するのだ。その市場がまるで、訪れる上客を待つかのような動きをしておる。余はそれが貴公と関りがある気がしておるのだ」
「いや、何も持たない身なので取引も何も」
つつましやかなルインの答えにしかし、上魔王はにやりと笑みを浮かべた。
「それだ。その答えが既に貴公があの市場の客になれる要素を持っておる。おそらくはな。しかしあの市場に関する経緯も複雑だ。歴史的な背景もあり、この件は戻って以降、詳しくはラヴナに聞くと良かろう。また、何か得難い品物を急いで見出したい場合、『驚愕の市場』であればおよそ何でも見出せるであろう。しかし気を付けるが良い。取引で普通の財貨が役に立つことは稀であり、多くの場合は予想外のものを求められ、また商人の利益の方が大きくなりがちゆえな」
魔王の言葉の意味に全く見当のつかないルインは困惑の表情を受かべた。ラヴナが微笑んで話を続ける。
「取引を難しく考えすぎよ。例えば、武技を見せて欲しい、優しい言葉をかけて欲しい、そういうのも取引対象になるの。でも、良い取引ばかりではないから見極めは必要よ。誰だったかな? 探索者の荷物持ちで市場に入ったら、恐ろしい海の魔物が化けた商人に声を掛けられ、取引が成立して綺麗な奥さんをもらった農夫の話」
「『ロウルフの幸せな取引』の話であろう?」
上魔王が補足する。
「そうそれ! とにかくそういう事もあるから覚えてて、ルイン様」
「あまり商いや取引には興味がないが、確かに普通ではないな。覚えておこう」
「うむ。できれば早めに『驚愕の市場』にも足を踏み入れてもらいたい。あの市場の大門には『見定める者の首』と呼ばれる古き竜の首があり、それが足を踏み入れる者の価値を見定めてたまに複数世界の商人に届く叫びをあげるのだ。これが貴公の場合どれほどか興味があるのだ」
「なるほどー、でも、『眠り人』を値踏みするような考え方は駄目ですよ? 魔王様」
チェルシーが笑顔で、しかしわずかに牽制の漂う語気で指摘した。
「これはあくまで個人的な興味に過ぎぬ。余の希望としては四百年ほど我らの干渉が十分ではない状態を改善したいのだ。それが成ったら利権を分け合いたい。もちろん、『陰なる府』の側の利権として、であるぞ」
魔王の答えにチェルシーが目を細めた。
「そういう事ね! 魔王様大盤振る舞いですねぇ。だとするとこの件は遅かれ早かれ、オード・ブラッドの連中とぶつかることになりますね」
「そう、余らとは異なる鼻持ちならぬあの派閥とな。しかし余ではなくその方ら女たち側の案件となる。かつてあの市場の安全な領域は伝統的に我らの側の『快楽教会』が仕切っており、可能なら取り戻さねばならぬが、『快楽教会』はこの国の女の政府たる『陰なる府』に属する。ゆえに男である余には関われぬからな」
それぞれの話に耳を傾けつつも、ルインには初めて聞く言葉ばかりで概要を把握するのも難しかった、そんなルインの膝にラヴナが軽く手を置く。
「ここまでくるとルイン様には何の話か全然分からないわよね? この辺も全てあたしやチェルシーがいずれ説明するわ!」
「ありがとう、助かる」
ラヴナの言葉は上魔王の話が説明不足のままに進んでいた事を遠回しに指摘している意味合いもあったのか、上魔王は話を止めてふと笑った。
「すまぬ。先走ってしまった。あと一つは……これを見て欲しい」
大広間の天井が透け、春の夕方の空が夜空に変わりつつあった。東にやや欠けた月がぼんやりと浮かんでいるが、南の空に眩しいほどに輝く青白い星と、そのはるか下に白い小さな星が見えている。
「あの南の空の青白い星は『南天の不動の星ハルシャー』と呼ばれている。きわめて美しき理知と星の女神ハルシャーの座す光だとされており、このウロンダリアでも夜に多くの者がその光を導きとする。それは良いとして、問題はその下だ。地平に近い位置の白い星のその下をよく見て欲しい」
ラヴナやチェルシーが驚きの声を上げる中、ルインもそれを見つけた。ぼんやりと赤い彗星が尾を引いている。しかし、その光には禍々しいものが感じられていた。
「赤いほうき星! あれは何か良くないものだわ」
「うーんこれは……良くないですね」
ラヴナとチェルシーが同じような感想を漏らす。
「あの白い星は漁師の星ウルマハルト。古くからこのウロンダリアでは、あの低い星より下に現れた光は良くないものの来訪を告げるとされている。あれは間違いなく不吉なものだ。おそらくこれも火急の事案となろう」
上魔王は視線をルインに向けた。
「貴公が霊廟から救い出してきた女、もしかしたらこのウロンダリアや外つ世界に多くの名を遺す『白い女』の一柱であるとの推測もあった。そうであれば、『白い女』の無限の生命力を狙う者は多く、あれはそのような存在かもしれぬ。して、もう一つ疑問がある。あの女の封印は神々の創った不壊の枷のはず。貴公はそれをどのようにして外したのだ?」
獅子のような上魔王の目がルインに向く。しかしルインの様子は何も変わらなかった。
「特に何も。ただ、もう不要だと思った時には外れただけの話で、自然にその役割を終えたのかと」
「……ふむ、本当にそのようだが、そうでなかったとしても同じ事か」
上魔王の言う事は謎めいていた。以降は覇王の霊廟に関する報告などに移り、宴席はそう遅くない時間に散会となった。
──ウロンダリアの南の夜空に輝くひたすらに明るい星は『南天の不動の星ハルシャー』と呼ばれており、その光の根源は希望や理知を司る女神ハルシャーの輝きであるとされ、位の高い彼女の光はウロンダリアに限らずきわめて多くの世界を照らすとされている。
──ジーリン・サウラ著『星と神々』より。
夜。西の櫓では今回の動乱に関して、工人の大ギルド長の娘でもあるアゼリアに詳細な説明を受ける時間を設けていた。戦時なら軍議などに使われる想定の武骨で広い部屋に、種族や民族が異なる、しかし眠り女という共通項を持った様々な女が集まっている。
「えーと、そろそろ始めてもいいかな?」
工人の娘アゼリアが部屋を見まわして声をかける。ルインや眠り女たちは無言で頷き、アゼリアは情報を浮かび上がらせる黒曜石の大きな平板にそっと指で触れた。平板に工人族の情報の概要やこれまでの歴史が浮かび上がる。
「ここに表示される情報は、まあ教科書的な私たちの歴史。ここにいるみんなは一定の教養もあるはずだから知っている人も多いけど、大きな声では言えない事情が今回の問題点よ」
「まさかだって、『人間の血が入ったせいでこんな事が起きてる』なんて言えないですもんねぇ」
チェルシーがくすくすと笑った。アゼリアも肩をすくめる。
「それよね。私たちの見た目はまあ、きっと人間好みになったんでしょうけど、それで仲間の数が増えたのに、本来の私たちの性向と人間の性向で派閥割れを起こしてこんな事になっちゃうなんて、笑い話にもならないもの」
「アゼリア、つまり今回の件はその人間の性向が悪い形で過激に発露している派閥か何かが扇動しているという理解で合っているか?」
ルインの質問に対して、アゼリアは長い溜息をついたのち答えた。
「その通りよ。彼らは私たちの考え方を『内に籠った古いもの』と断じて、『新しい波』という大きな派閥を作ったの。彼らは主に銃の技術を外に出そうとしたので、私たちはそれを禁じて動きを制限した。そうしたら強大な『八つの古王国』でも最も獰猛な国、バルドスタ戦教国に内通して、今回の混乱になったというわけ」
「政治的な大義名分は整ってしまっているわけだな」
「そういう事。彼らも後がないから行くところまで行っちゃうわ」
「今まで、内々の問題として処理できなかった理由は? 大抵の国家の法に照らし合わせても重い処罰が課される行動のはずだが」
「私たちは仲間の手、つまり技術を何より尊重しているのよ。だから私たちはよほどでない限り、仲間を死刑にしたり幽閉したりはしないの。手に着いた技術そのものには罪がない、という考え方なのね。人間たちの法律よりずいぶん優しいと思うかもしれないけれど、ずっとそれで良かったの。今回初めて、人間たちの法律と罰が厳しい理由を理解しつつあるわ」
ルインは腕を組んで目を閉じた。気を使ってか静寂が漂い、やがて目をゆっくりと開けた。
「外部で、おそらく人間であるおれなら彼らを断じ、拘束できる。間に合えばそうしよう。それが間に合わないなら、工人の都市が強力な自制・弾劾の能力を手にした事をその……」
「バルドスタ戦教国ね」
「そう、その国に示してお帰り願う形だな。少なくとも時間も稼げるだろう。現地に展開している戦力は?」
「現在はバルドスタ戦教国の国軍ではなく、ほとんど準軍事組織が進駐しているわ。戦教国の準武官が南方新王国の私掠傭兵団を率いているのよ。つまり、歴史的には良くない事だから保険をかけているのね。兵科は幅広いけど総勢で千人ほどよ」
「妥当な判断だな。つまり、彼らはこれが、まだ良い話になるとは確信を持てていない。こちらにもまだ介入の余地があるという事だ」
「お父様たちも同じことを言っていたわ」
「決まりだな。明日中にはピステに到着したい。話はこんなところか」
言いながらルインが立ち上がろうとしたその時、チェルシーがそれを制した。
「まだ二つ問題がありますよ。一つは、工人の都市にはこの都のような転移の門が無く、少し面倒な方法で到着しなくてはならない事。もう一つは、ご主人様がこの件に介入する大義名分です。義によって、だけでは彼らの大義名分と同じなので、もう少し強力な理由が必要になって来ます。……でしょ? アゼリアさん」
「そっ、そうね……」
チェルシーは何かを把握していたのかアゼリアに話を振ると、アゼリアは恥ずかし気にうつむき加減になってしまった。
「どういう話だ?」
座り直したルインが問う。
「その、一番手っ取り早い話は……表向きお兄さんと私が他人じゃないとする事なのよ。これで明日も最短の手段でピステに行けるし、介入も自然な形になるという話なの」
「理解した。表向き、という事なのだろうしそれは全く構わないな」
ルインの返事はアゼリアと対照的にあっさりしたものだった。
「ごめんなさい。分かってはいるんだけどなんかこういうの柄じゃないというか気恥ずかしくて言いづらくて」
「気持ちはわかる。おれの側では特に問題はないな。明日からの旅の準備に取り掛かるよ」
「ありがとう、お兄さん……」
しかし、部屋から出ていくルインの背中に向けたアゼリアの目には、むしろ悩みが色濃くなっていた。それが何を意味するのか理解したらしいチェルシーとラヴナだけは、対照的な二人の様子を見比べて微笑んでいた。
──工人はしばしば他者を『お兄さん』『お姉さん』と呼ぶ。これは敬意と親しみを込めた彼らの一般的な文化だとされている。
──インガルト・ワイトガル著『ウロンダリアの種族』より。
しばし後。ルインの部屋。
「お疲れ様です! 男の人は荷物が少ないと聞きますが、本当に無いですね。ほぼ身一つじゃないですか。準備というのはほぼ勉強だったんですね?」
「ああ、お疲れ様」
階段を上ってきたチェルシーは、寝椅子付近にまとめられているルインのわずかな荷物と、対照的に机の上には少なくない本が乗っている様子に微笑む。
「バルドスタ戦教国と工人に関する本ばかりですね。何か気になる事があったら私が知っている事でよければ答えますよ? 見た目と違って私もとても長く生きてますしね」
本に目を戻そうとしていたルインが顔をあげた。
「バルドスタ戦教国、戦女神ヘルセスの加護を受けて、彼女の教えである『戦翼教』または『翼教』を軸に、常に戦時下である想定で運営されている気骨ある武人の国のようだ。今回の件はこの国らしくないような気がするが、やはり何か問題が?」
この問いに、チェルシーがにんまりと微笑んだ。
「あの国の古く良き気骨を保っている人たちが権力の外に追いやられつつあります。なので、今回の件もそんな悪い事してる人たちの独断専行かもしれません。伸びすぎた鼻をへし折ってあげたら、少し変化がもたらされるかもしれませんよ?」
「そういう事か。荒事になったらなるべくみっともない形に彼らを追い込むべきだな」
「そんな感じでよいと思いますよ。上で悪い事を考えてる人の顔を潰してあげればいいんです」
「つまり、正解はただ穏便にするだけでは駄目だな」
「それが良いと思います!」
「それならもう少し派手な力があった方が良いな。何かあった気がするが……思い出す努力をしてみるよ」
ルインは寝椅子に剣の形にして立てかけてある黒曜石の武器オーレイルに目をやった。
「それならのんびりした時間が必要ですね。そうそう、お風呂が使える時間になりましたよ! それを知らせに来たんです」
「ありがとう。少し記憶をたどるのも悪くないかもしれないな」
何冊かの本に黒曜石の栞を挟んでルインが立ち上がる。しかしルインは何かに思い至ったのかその動きを止めてしまった。
「どうしたんです?」
「何だろうな? 風呂は嫌いじゃないんだが、どうにも面倒ごとが付いて回る妙な記憶を感じる。自分でも意味が分からない。行かない方が良いような」
「勘が良すぎませんかね? それともそういう経験が? ちょっと注意喚起をしようかと思ったらこれですよ」
「注意喚起?」
「私たち上位魔族の姫以外は、ご主人様のこの部屋には夜遅くに入ってはいけない決まりになっています。でも、お風呂は別なの。共用部分だから、ちゃんと浴室着を着て、かつ、ご主人様が断らない限りはお話をしていい事になっています」
「若い女が風呂に入ってる男のところに来るわけがないだろう? まして、眠り女はみんな何らかの審査を通っていると聞いた。そんな子はいないんじゃないのか?」
しかし、チェルシーは腕を組むと得意げな表情で笑った。
「私の審査能力とここの女の子たちの人柄を甘く見ていますね、ご主人様。むしろ男ぶりが問われてしまう事もあると思いますよ。みんなそれくらい真面目でいい子なんです。例えば今日もこの後、アゼリアさんとかが来るかもしれません。話をしっかり聞いて対応してあげてくださいね」
「まだ何かあるんだな。分かったよ」
再び机の上の片づけを始めたルインの手がまた止まった。
「待った。今、アゼリアさん『とか』と言わなかったか? 他にも誰かが来ると?」
「あっ、鋭いですね。さっきまで私たちと一緒に給仕服着て仕事してた子がいます。もう上がりの時間ですから、大浴場で出会う事もあるかもしれません。その時は話を聞いてあげてくださいね。とてもいい子ですから。人間ではない種族なのですぐに分かると思います」
何かを思い出す、という話ではなくなってきた事にルインは思う事があったが、それはすぐに些細な事として頭の隅に押しやった。
「無防備な状態で話をする、という事は、つまりその子も覚悟があるな。わかった。慎重に対応するよ」
「とても良い考え方だと思います! では、ごゆっくり」
チェルシーはくるりと回って階段に向かう。しかし、降りる前にもう一度振り向いた。
「もう目覚めた以上、眠り人は自由な存在です。だから大変な頼みごとを持ってきた女の子が捧げたものを全部受け取るのも自由ですけど、きっとそうしないですよね。ただ、あまり抑制をしても良い事にならないので、ある程度褒めたり、見たり、触れたり、というのも時には大事な事だと思いますよ」
「おれは戦いのこと以外はよくわからないので、残念ながら抑制しかできないな」
「もう! ちょっと良い顔し過ぎですよ!」
どこか悟ったルインの顔に好ましいものを感じて、チェルシーは真面目に微笑んだ。
──精霊に近く長命で、長い耳を持つ美しい種族がいる。その起源が光あふれる黄金の世界樹だった者たちを『古き光の民』、その光により生まれた新たなる闇の世界に起源を持つ者たちを『古き闇の民』と呼ぶ。彼らは必ずしも人間に友好的ではなく、その時代は終わりに近づいているという噂がある。
──インガルト・ワイトガル著『ウロンダリアの種族』より。
改稿版初稿2025.04.02 旧初稿2021.02.10
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