鉛の剣士バラク・前編

鉛の剣士バラク・前編

 南方新王国、大プロマキス帝国領ザウーナ自治区、自治省所在地カプア。

 大きな円形闘技場近くの飲み屋街ではしばしば、この街の花形の職業である仇討ち請負人たちの議論が紛糾ふんきゅうしていた。今夜は特に、古くから歴史のある、ほどほどに猥雑わいざつな名店『ブロッキーの折れた剣』で尋常ではない空気がただよっており、いつ喧嘩になってもおかしくない状態になっている。

「バラク、あんたのやり方で行くってんなら、おれたちは悪いが今回の仇討ちには参加できねぇ。せっかく辺境伯へんきょうはくが陰で手間賃まで出してくれるって言ってるんだぞ? ここは大人になろうや」

 肩当てと、交差した鎖という防御性はあまり高くない防具を付けた大柄の男と、その連れらしき何人かの屈強な男たちが、小さな机で不機嫌そうに酒を飲み続ける男をさとしていた。

 対する男は、無言でまたジョッキにビールを満たし、苦い薬でも飲みこむように一気にジョッキを空にすると、溜め息のような一呼吸を経てテーブルに叩きつけるように置いた。

──鉛の剣士バラク。

 白髪交じりの短い銀髪と、同じ色の口髭。そして、着古された黒い革鎧。仇討ちを代行する請負人あるいは決闘者としては既にかなり高齢の男だったが、この老剣士の事は誰もが一目置いていた。

「なあバラク、聞いてるのか? 今度の仇討ちは少し空気を読もうぜ? 辺境伯の甥っ子を本気でやっちまうなんてよ……」

 鎖の大男はかなり気を使った言い方をしていたが、バラクは今までその剣幕を溜めていたかのように大声で返した。

「黙って聞いてりゃ、それはオレに言ってたのか? 仇討ち請負人が金で鼻薬嗅はなぐすりかがされてなびいてりゃ世話ねぇぜ。ビールが犬のよだれみてえにまずくなる。お前らそんなに辺境伯の言う事と金が好きなら、汚ねぇケツでも洗って奴の屋敷の前にでも並べてこい! この玉無しどもが!」

「何だと!」

「バラクてめぇ、言っていい事と悪い事があんだろうが!」

「田舎の娘っ子が貴族のボンクラに手籠めにされかけた。拒んだら火箸ひばしで顔を焼かれ、異を唱えた両親は帰りにならず者に襲われて命を落とす。そんな事するクソガキ、仇討で鼻っ柱とタマ潰すくれぇしてやんのがおれらの仕事だろうがよ! お前らは自分の娘や妻がそんな目に遭っても、金で手を打とうってのか!」

 バラクが拳を叩きつけると小さな机は粉々になってしまった。長年、仇討ち代行の決闘をして生き残ってきたバラクの剣幕には大変な凄みがあり、歴戦の男たちでさえ委縮してしまった。

「何とか言え! おれは金でも言葉でも動かねえ! なんなら拳で動かそうとして見ろ! 本気ってもんを見せてやるぞ!」

 しばらく重苦しい沈黙が続いた。辺境伯には甥の醜聞を隠すべく仇討ちを表面化させたくない事情があるが、かと言って正しいのはバラクの主張なのは誰もが理解していた。

 誰かが小声でつぶやく。

「でもよ、辺境伯を敵にまわしちまったら、その妻や娘を食わせていけなくなる……」

 場の熱気は急速に冷め始めた。鎖の男はこの痛々しい空気を代弁するように話を続ける。

「おれたちだってなバラク、あんたの言う事が正しいってのは分かってるんだ。今だって、奴の屋敷の前にケツを並べてる気分だぜ。だけどよ、生きて行かなくちゃならねぇ。はっきり言うぜ? おれたちはあんたみたいにはなれねぇ。そういうこった」

 ここで、バラクは椅子から立ち上がり、仇討ち請負人たちは一瞬身構えたが、バラクの言葉は予想外のものだった。

「おやじ、勘定だ。机を壊しちまった分もな」

 しかし、革のエプロンを着た、糸目にして恰幅かっぷくのよい禿げ頭の店主はにこやかに答えを返す。

「何日かはこの話題で店も混むので、酒代だけでいいですよ、バラクさん」

「そうか? すまねぇな。十日後にはこの店が大繁盛するようにさせてもらうぜ」

「ええ。私は期待してますよ」

 店主『三代目ブロッキー』と呼ばれる男は、にこやかな糸目で皿を洗いながらそう言い、また作業に戻ってしまった。

「バラク、十日後って、あんた本気でこれを受けるのか?」

 鎖の男はバラクの言葉の意味に気付いた。十日後は、仇討の決着がついた夜になる。大きな仇討ちを制した決闘人は、その夜は気に入った店でお大尽だいじんをすることが昔からの習わしだ。バラクはそれを宣言したに等しい。

「デラン、おれはこの仇討は受けるし、少し昔の伝手で人を募ってみるぜ。お前らが名誉より大事なもんがあってこれを受けられねえってのは伝わった。あとはオレに任せておけ」

 デランと呼ばれたのは鎖の男だ。バラクは仇討請負人たちに向き直る。

「この件はオレが受け負う。お前ら、今更あぶねぇ橋を渡るんじゃねえぞ。……じゃあな」

 バラクは乱暴な仕草で口を拭うと、『ブロッキーの折れた剣』を後にし、猥雑な喧騒の中に姿を消した。

「本気かよ。辺境伯を敵に回すんだぞ?」

「まさか死ぬ気か?」

 店内はざわついたが、店主が糸目の笑顔で意外な事を言った。

「皆さん忘れてらっしゃる。仇討ちは大プロマキスの一大興行ですよ? 辺境伯様のご都合より、もっと上の意図が常に働いているものです。バラクさんはそれをよくわかっていらっしゃる」

 しかし、誰もこの言葉の意図をよく理解できなかった。

「そりゃどういう意味で?」

 デランが問い、視線が店主に向かうが、店主は手を止めない。

「まあ、とりあえず今夜は一杯無料に致しますから、皆さんいつもの雰囲気でお願いいたしますよ」

「お、おう……」

 店主が言った言葉はやがて、酒が全て曖昧あいまいにしてしまった。

──ウロンダリア西方のもっとも古い大国、大プロマキス帝国は、仇討ちや剣闘士の文化が今も続いている。人々は文化を重んじつつも享楽的で少し闘争心が強く、戦闘を伴う興行は国家の支持基盤でもあり、また、財源でもある。

──ルロメス・ホルディノス著『大プロマキス帝国の歴訪』より

 円形闘技場の影はだいぶ小さくなり、バラクはカプアの一大産業である染料せんりょうと生地の問屋街を歩いていた。やがて、この時間でさえ門番のいる大きな問屋、『トレアナ染料・織物店』の敷地の門を通り、奥まった場所にある大きな石組みの二階家の並ぶ区画に向かう。

(ん?)

 自分の部屋の窓から淡い灯りがこぼれており、バラクは何かを察して足を速めて部屋に入った。

 虫よけの香がかれ、綺麗に掃除された部屋。テーブルには果物の盛られた皿が置いてあり、ふくよかな老婦人が本から顔を上げてにっこりと微笑む。

「バラク、おかえりなさい。予定より早く帰ってきたから、またしばらく二階に居候いそうろうさせてもらうわ。良いお酒と果物もあるし、家の中は掃除しておきましたよ?」

 老婦人は眼鏡を外し、何本かの酒の入った網籠あみかごをテーブルに乗せる。

「トレアナお嬢様、オレの家の掃除などと……。それに、居候も何も、ここはあなたの家だ」

 この言葉に、老婦人トレアナは目を細めて笑う。

「もう七十に手の届く私に、お嬢様は無いでしょうに。それに、この歳になるとあなたの男手はとてもありがたいものなのよ? 何十年たっても、あなたは変わらないままで好ましいものね」

「何と言ったらいいのか、お嬢様こそ、昔から全く変わりませんよ」

 バラクの動作は急に荒々しさの消えたものとなった。老婦人トレアナは、かつてバラクを拾い上げた貴族の娘だったが、染料を扱っていた大商家でもあったその家は不幸が重なって没落し、一人娘だったトレアナはその家の持っていた幾つかの特許や権利と共に望まぬ結婚を三度もしたという経緯がある。

 その婚姻も最後の夫の死によって解消され、現在は問屋と貸家業を営みつつ、染料や織物の意匠を凝らす芸術家のような活動をしている夫人だった。そして、バラクがかつて、彼女の父に死ぬまで護り続けると誓った人物でもある。

「鎧を着ていますが、今日も指導に?」

「はい。剣術の道場で指導の後、次の仇討の決闘者を募るべく『ブロッキーの折れた剣』に行きましたが、みんな尻込みしているようで……」

「辺境伯の甥の事件ね? あれは酷い話だわ」

「ええ。何とかしてぶちのめ……いえ、正当な復讐が果たされるべきと思っています」

 トレアナはバラクの言い直しに可笑しそうに笑った。

「本国はこの街での空気とは裏腹に、辺境伯の事をあまり良く思っていません。もともと、このカプアの辺境伯は地方長官に近いものでしたからね。任命権がプロマキスの議会にある事を皆知らないのでしょう。長い平和で世襲のようになっていますが、本国は何かあれば躊躇ためらわずに首をすげ替えると思いますよ」

「という事は、根回しにあまり忖度しても意味ないどころか、ひとまとめに一味と見なされる事だってありますね?」

「ええ。辺境伯がこの街でそう見せかけているほどには、彼の力は強くありませんよ。派手な仇討ちを演出できれば、その後の禍いも一掃できるかもしれませんね」

「……ありがとうございます。お嬢様」

「何か活路が見出せそうですか?」

「はい。魔の都の古い知り合いを当たってみようかと」

「それなら、今夜は少しだけお酒を飲んで、早く寝るといいわ」

 トレアナはあらかじめ用意していたらしい、エンデールの気泡の多いグラスに薄青い酒を注いだ。

「再会と、あなたの戦いの幸運と、仇討をする娘さんの誇りの為に」

 老婦人の差し出す器を騎士のように受け取るバラク。

「いただきます、お嬢様」

 こうして、カプアの街の空気をよそに、熟練の仇討代行人は静かに動き始めた。この日からバラクの姿が消えたが、仇討は受け負われた手続きになっている事が判明し、カプアの街は落ち着かない数日が過ぎていった。

──仇討に呼べる代行人の数は国によって異なるが、大抵は十数名まで認可されている地域が多い。また、仇討以外にも『実力紛争』という力で係争を解決する興行的な係争法令があり、争いは必ずしも忌避されるものではない。

──キンロン・クラヴィック著『ウロンダリアの係争解決』より。

 仇討あだうちの日。

 カプアの街は、転移門てんいもんのある正門前広場から円形闘技場までの道が警吏けいりたちによって規制されていた。この日の仇討は辺境伯へんきょうはくおいとその使用人だった若い女のもののみ。多くの人々が仇討ち不成立だと思っていたこの案件は、使用人側の代行人の代表を『なまり剣士けんし』と呼ばれるバラクが務め、辺境伯の甥は魔術師も含めた十五人もの代行人をたてていた。

 十五人の仇討代行人。これはカプアの街での仇討ち代行の最大限の人数であり、既に激しい戦いが予想されている。バラクを筆頭に姿を現さない使用人の娘側の仇討人の詳細は、おそらく闘技場で明らかにされるはずだったが、カプアの街の人々は転移門から闘技場までのものものしい警備にバラクたちの到来を予測していた。仇討の日はいわば不定期の祭りのようなものであり、カプアの人々は既に仕事そっちのけでこの仇討を観戦する気だったのである。

 そして、この期待感と物々しさの中、転移門が光り、黒い革鎧に白髪の目立つ短い銀髪の剣士、バラクが姿を現した。

 人々から大きな歓声が上がる。

──尻尾巻いて逃げたんじゃなかったんだな!

──お前ならやってくれると思ってたぜ! クソガキなんざ鼻をそいじまえ!

──まさか一人で戦う気じゃねえだろうな?

 人々は思い思いに声を浴びせる。

「静粛に! 今回の仇討は、正式に魔の国キルシェイドから代行人の有資格者を呼び、然るべき手続きが終わっている。静粛に!」

 栗毛の馬に乗り、輝く鋼の兜に赤い鳥の羽根を付けた警備隊長が『拡声かくせい』の術式で人々に呼び掛けた。この言葉に、人々から驚きのどよめきが上がる。続いて、転移門から現れた、色とりどりの異様な布を被った集団に、人々は息を呑んだ。

 何人かの女と思しき人物に、人にしては大柄な筋骨隆々の人物、人にしては小さい亜人あじんと思われる人物、どう見ても布を被った熊にしか見えない大柄な四つ足歩行の何か。その異様な集団の前を、老剣士バラクは険しい顔で歩いていく。

「バラク、魔の国に伝手があったのか?」

 大声で呼びかける声は鎖の男、デランのもので、バラクは足を止めずに笑って答えた。

「おうよ、以前、この街でやった仇討ち繋がりでな。お前ら、掛け金はこの『鉛の剣士』バラクにしとけ、今夜はうまい酒が飲めるぜ!」

 人々から歓声が上がる。この大歓声の中、鉛の剣士バラクと、魔の国から来たという謎の集団は、大通りから円形闘技場へと向かった。カプアの街の人々の熱狂は大変なもので、あちこちに臨時の露店ろてんなどが出始めている。

「これは大変なことになるな……!」

 鎖の男デランは、昼食代わりに露店で適当なパンの焼き魚挟みを幾つか買うと、円形闘技場へと急いだ。

──ザウーナ自治区の地方長官は『辺境伯へんきょうはく』を名乗っている。これは古代ザウーナの領主が大プロマキス帝国出身の辺境伯であり、ある時帝国に領土が売却されたための尊称に過ぎない。これは複数の貴族たちの染料の特許と利権の根拠が、かつての辺境伯名で署名されていた事による。

──ルロメス・ホルディノス著『大プロマキス帝国の歴訪』より。

 円形闘技場の仇討人控室では、老婦人トレアナと、左頬に酷い火傷のある暗い目をした若い女、そして護衛を兼ねた付添人が落ち着かない様子で待機していた。

 特に、暗い目をした若い女は、不安そうにしょっちゅうくすんだ金髪を整えている。着慣れない革鎧姿に、腰には小剣を帯びていたが、とても戦えるものの雰囲気ではなかった。

「うう……!」

 頭を抱えて若い女がしゃがみ込む。老婦人トレアナは寄り添ってその手を握り、背を優しくさすった。

「大丈夫よ娘さん。バラクは昔、9歳の男の子の仇討を受けた事があるの。あの時からしたら、今回は人数が多いけれどもそこまで難しい物ではないと思うわ。気をしっかり持ち、あなたの大切な人とあなたの名誉が踏みにじられたことを忘れないで!」

「……はい、ごめんなさい。時々、色々なことがとても怖くて」

「わかっているわ。無理もない事よ」

 ここで、外の喧騒が明らかに大きくなってきた。

「来たのね?」

 トレアナは確信めいた笑みを浮かべる。

「仇討代行人たちが到着!」

 控室の外で係りの者が大声で叫んでいる。

 しばらくして、黒い革鎧に、ぼろ布に包んだ剣らしき包みを背にしたバラクと、布を被った謎の集団がぞろぞろと控室に入ってきた。

「待たせたな娘さん、トレアナお嬢様も」

「バラク、皆さんの前でお嬢様はやめて。恥ずかしいわ」

「失礼しました! お……トレアナ様」

 かしこまるバラク。この様子に、仇討依頼をした娘が少しだけ表情を緩めた。

「バラクさん、こんなに仇討の人たちが? 私、前払い金をほとんど用意できなかったのに」

「お嬢さん、仇討ちってのはそういうもんじゃない。復讐が必ず成就するようにオレたちは戦う。だから、あとは命乞いをする奴からふんだくったらいい。耳でも鼻でもそいでから、な」

 バラクの獰猛な言葉は、慣れない娘を奮い立たせる何かがあった。

「はい!」

 ここで細身の人物が一人、フードを剥いで挨拶をする。その顔は眼帯をした闇の古き民の女のものだ。トレアナは驚いて声を上げる。

「ラグ、久しぶりですね!」

「どうも、トレアナさん。以前の仇討ちではお世話になったね。今回はささやかながら恩返しをしたくてさ」

 魔の都で今は『ラグの暗い森の木陰』を営む片目の店主ラグだった。

「他の方たちはあなたの知り合いなのかしら?」

「ん、まあね。とんでもなく強い人も呼べるけど、その人は有名人なので、まあ少し控えめにしたよ。でも、多分勝負にならないと思うから、きっちり見せ場を作る方が大事かな」

「まあ! そんな事に?」

 ここで、バラクが仇討人の娘に向き直った。

「娘さん、正直なところ、まずこの日の戦いは負けない。その分、相手は心も戦う力も十分でないあんたを標的にしてくる可能性が高い。おれはあんたを主に魔術による攻撃から守る。最後まで怒りを忘れないでくれ」

「はい! 絶対にあの人は許しません!」

 次に、バラクは覆面の助っ人たちに向いた。

「昼飯の時間が終われば呼び出しの銅鑼が鳴る。カプアの最高裁判官が宣誓を終えたら、名乗りがしたい仇討人は名前を紹介される。盛り上げつつ、ぶちのめしてやろうぜ! 仇討ちは見世物でもある。ただ勝つだけじゃだめだ。娘さんの将来を明るく照らすように、皆が応援してくれるような勝ち方をしなくちゃならねえ」

「がっはっは! 任せとけ!」

 大柄な人物の声。

「任せて!」

 そして、若い女たちの声。

「ゴアッ!」

 返事だが、明らかに熊の吠え声だった、これは布を被った熊のような姿の返事だ。仇討ちの時間は刻一刻と迫っていた。

──獣人じゅうじんならぬ人獣じんじゅうという種族がいる。正確に彼らが種族なのかは不明だが、様々な理由により、動物の姿をしながら人と変わらぬ知性を持ち、言葉を理解する者たちもいる。彼らの生活様式はさまざまである。

──インガルト・ワイトガル著『ウロンダリアの種族』より。

first draft:2021.08.13

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


コメント