第十八話 混沌の女神は語る

第十八話 混沌の女神は語る

 異端審問会との戦いから半日が経過した。ウーブロの村は制圧され、異端審問官と銃士隊はクローバスの指示のもと、その武装を解除されている。彼らは今、上位魔族ニルティスの高度な『範囲拘束はんいこうそく』の術式により、工兵隊こうへいたいの築いた急造の野営地から出られなくされていた。

 ウーブロの村は日が傾きかけた時間でも木を削る音や作業の掛け声が続いており、建物の修復やテントの設営、村を囲う木柵もくさくの補強や見張り台の設置などの工事が行われ、小規模なとりでに姿を変えつつあった。

 魔の国の記録官は起きた事の記録に応援を呼び、さらに聖王国エルナシーサの記録官を秘密裏に呼ぶことも決まった。

 異端審問会と銃士隊に指示を出したクローバスは、その家族の身柄が拘束される前に魔の国の諜報部ちょうほうぶと共に家族を脱出させる試みに出発している。

 状況の収拾に先の見えてきたルインたち一行は『マルザの店』の二階に集まっており、大きめの円卓で派手に飲み食いするバゼルを中心に、どこか剣呑な沈黙が漂っていた。

「全く最近のこの村は何がどうなってんだい? いけ好かない異端審問会の奴らが来たと思ったら、今度は魔の国の人らに眠り人で、いきなり商売繁盛と来たもんだ。まあ異端審問官の監視が無いなら大歓迎だね」

 言いながら大きな羽根なし鳥の丸焼きを持ってきたのは、恰幅の良い年配の女性だ。『マルザの店』の店主マルザその人であり、彼女は大量の肉料理を作ってはバゼルに届けていた。続いて、ワインやらサランの木の樹液の入った瓶を盆に載せてゴシュが続く。

「腹は落ち着いたかな?」

 バゼルの向かい側に座っていたルインが、警戒を解かない声で聞く。

「お陰様でね。まあ、自分の金を払って飲み食いしているんだから、何か言われる筋合いはないもんだが」

 バゼルは鳥肉の骨を置き、指を舐めつつ笑った。

(なーんか、気になるわね……)

 ルインの隣に座り、警戒感を隠そうともしないラヴナは、バゼルの気配に妙なものを感知していた。先日の魔の都の夜にルインから感じたような、とても古く隠された想いが見え隠れするようで、時おりルインと言葉を交わすバゼルの声に、ごくわずかにそんなものが含まれている。

(ルイン様の事、ダークスレイヤーって知っていたわね。どういう事なの?)

 ラヴナが把握している限り、ウロンダリアでその言葉を知っているのは本当にごくわずかの賢いとされる者だけだった。バゼルは自身をさして『愚か者に見えるのか?』と言っている。上位存在の言葉は一つも聞き逃してはならず、ラヴナは一字一句その意味を精査している。

「ねえ、あたしたちに何をもたらすつもり?」

「そうだなぁ……まず、あたしは以降、あんたらとは敵対しない。勝てるわけがないからな。何だったら、『混沌カオス』をほぼ全部倒してくれたらいい。その上で、まずそこのヤイヴ(※緑肌の小柄な亜人種)の嬢ちゃん」

「あたいか?」

「ほかにヤイヴは居ないからそうだろうねえ。まずあんたに力をやるよ。あんたの死んだ部族を呼び出して戦えるようにしてやる。あんたらの祖先にして始まりの存在オゴスに働きかけてね。あんたの復讐と望みをかなえるにはそういう力が必要だ。ダクサスの仕掛けで死んだのなら、怒りにたぎって帰るべき地に旅立ててないだろうしね。せめて復讐を遂げさせてやらなきゃだろう?」

「ほんとかよ? 父ちゃんたち、旅立てない気はしてたんだ……」

「だろうねぇ。それはあたしが後で何とかしてやるさ」

 バゼルは微笑むと次の大きな肉を取り、ルインに向き直った。

「それと眠り人、どうしてこの地が『不帰かえらずの地』と呼ばれているか分かるかい? 昔からこの地を探索しても何も得られず、だからこんなしけた村しかないってのにさ」

「しけた村で悪かったね」

 バゼルの言葉に小声で軽口をたたくマルザ。そんなマルザに対して、バゼルが話を振る。

「なら店主、あんたはここの奥地の古い地名を知ってるかい?」

「ヴァンセンって町があったとは言い伝えられているけど、そんな町は誰も見つけてないね。森には昔の遺跡は少しあるし、滝んとこの洞窟がその入り口と言うけど、何も見つかりゃしないよ。たまに探索者が行方不明になるし、最近は奥地の方はなんか変だ。動物もいない」

「そうだろうねぇ。滝の近くの洞窟には、古代の転移門がある。それはダクサスがアステフェリオン家の財力で取り寄せた古文書を元に発見したものだ。本の名前は『テア・ユグラ・リーア』さ」

「えっ⁉」

 ラヴナがその言葉の意味を思い出し、声を上げた時には、セレッサが立ち上がっていた。

「何ですって? それは私たちの言葉で『二つの世界樹の国』を意味します。私たちが探さねばならない物の一つ、上代の古き民の伝説に出てくる失われた都ですよ?」

 ラヴナも続けた。

「ウロンダリアの『失われた七都』の一つよ。かつて淡い光に満ちた二つの世界樹ユグラが並び立ち、人ならざる三つの種族が調和しつつ暮らしていたとされる、異界から流れ着いたとされる美しい都。ただ、世界樹の精霊は眠りに就き、『翼の民』『月の民』そして、『古き民』はどこかに旅立ったとされているわ」

「それが、この地に隠されていると言ったら胸が躍らないかい? もしかしたら大術式で巧妙に隠されている可能性があるんだよ」

「大変! 莫大な富をもたらす可能性があるわ……!」

 クロウディアが目を丸くしている。

「待ってください、異端審問会がそのようなものを追い求めるのはよくわかりません。月の魔物が出ている理由と噛み合いませんし」

 シェアは異端審問会の目的がそのような伝説ではなく、赤い月の魔物そのものにあると踏んでいた。バゼルはその疑問を予測していたようで、嬉しそうに微笑む。

「いい質問だ。異端審問会……いや、あんたの師匠エドワードとダクサスは、そんな物なんかどうでもいいのさ。あたしらが見つけた『古都ことの門』と呼ぶ転移門近くには、よく分からない古代の壁がある。その壁は簡単な手順で月の魔物をどこからか呼び出すのさ。それをおぞましい実験に役立てているんだよ。全く面白みの無い奴らだよなぁ」

「おぞましい実験?」

「姿の見えない脳を食う化け物……古文書の通りに発音するならピスリ・カ・グと呼ばれるあれは、他の生き物の知能や特徴を食って模倣し、やがて別の生き物そっくりに姿を変えるのさ。しばらく前にプロマキス帝国の冒険者たちがこの地域で行方不明になってるはずだがね……」

「まさか……!」

 シェアが何を考えているのか察したバゼルは、ことさら妖艶に脂のついた指を舐めつつ微笑んだ。

「そのまさかだよ。化け物は男と女をそれぞれ別の個体が取り込み、それを母体として得体の知れない化け物を増やし始めているのさ。やがて、人間そっくりな何かを生み出すまで進化し続けてね。……どうやら、古代にそのような事はしばしばあったらしいのさ」

 バゼルは最後の言葉をやや語気を強めて言いつつシェアに視線を向けたが、その意味ありげな視線に誰も気づかなかった。

「何というおぞましい行いを……」

「それで何をどうする気なのかが全く見えないな。君は何か知っているのか? バゼル」

「はは! あたしの知恵でも人の心の闇までは見通せないねぇ。人間は時にまともじゃない事を考える。これはそういう狂った類の何かさ。ただねぇ眠り人、そこの教導女きょうどうじょが勝手な事をしないように良く見守ってやるんだよ? その子は敵が多いからね」

「そうでしょうね……」

 目を伏せるシェアに対し、ルインは一瞬目を向けた。

「心配はいらないさ」

「……はい」

 その様子を見ていたバゼルはわずかに笑みを浮かべたが、ラヴナはそれを見逃さなかった。

(気に入らないわね。何か知ってるわ。あたしの知らない事を……)

 ラヴナから見て、バゼルがルインを見る眼は脅威など全く感じておらず、遠い何かを懐かしむ、或いは憧れを感じさせるものだった。バゼルはそれを、おそらくラヴナには感知できる程度に漂わせている。

 それは敵意が無い事を示すだけでは無かった。

(もしかしたら『蒼い城の女神』の一柱とか? 気をつけなくては駄目ね。確か……)

 ラヴナが何かを思い出そうとした時、バゼルが立ち上がった。

「さあ、腹も膨れたし、次は死霊と語らう時間かね。……眠り人、過去にヤイヴたちが作った砦の跡に向かうよ。増えたビスリ・カ・グ共への対処はそこの教導女が知っているはずさ。儀式は深夜に行うよ」

 昼間の騒乱からやや落ち着いたウーブロの村は、深夜の小さな遠征の準備に取り掛かる者、いったん休憩を取る者と、それぞれ慌ただしく動き始めた。

──ウロンダリアにはなかなかたどり着けない、または未だに見いだされていない伝説の都が幾つか存在すると囁かれており、中でも有名なものは『失われた七都』と呼ばれる七つの古代都市である。私も全てを見つける事は叶わぬかもしれない。

──冒険者王ルスタン著『果て無き地ウロンダリア』より。

 夜の更に遅い時間。

 仮の拠点となった『マルザの店』に今度はアゼリアの父ダルトンと、『ピステ古代工人組合こだいこうじんくみあい』の評議員の一人ロンドルが訪れていた。

「ルイン殿、娘は迷惑をおかけしておりませんかな?」

 単眼鏡をいじりつつ気づかわし気なダルトン。

「彼女はむしろとても協力的で、皆もおそらく同じ感想かと」

「それは何よりですな。うむ……何より」

 微笑むダルトンの表情はしかし何かが少しだけ物足りないようにもルインには見えていた。何かを感じたルインはあえて気にせずに少しせわしい空気を漂わせる。

「ルイン殿、シェア殿、そしてアゼリア、『水銀灯すいぎんとう』と各種『水銀弾すいぎんだん』を用意しました。ぜひ役立てていただきたい」

「みんななら絶対に間に合わせると思ってたよ!」

 嬉し気なアゼリア。

「ありがとうございます、ピステの方々」

 シェアが深々とお辞儀をした。

「なに、ピステはお陰様で活気づいておりますよ。ウロンダリアに新たな風が起きつつありますな」

 言いつつ、ロンドルは伴ってきた工人アーキタたちに持たせていた大きな箱を円卓に乗せ、重々しい音と共に開いた。

「これは! 見事な作りです!」

 シェアが声を上げる。

「我ら工人アーキタの腕のいい職人たちが、短い期間の仕事とはいえ、心から技量を凝らさせてもらいましたからな。水銀弾はガラスと薄い鉛で水銀を包んでおります。水銀灯は、燈心たる水銀の筒と火屋を別々にしつつ、空気が必要な訳ではありませんから、火屋ほやを厚いガラスの球にし、金属の支柱でしかと保持する形にしました。乱戦でも簡単には壊れませぬぞ」

 『水銀灯』は金属の台に楕円形だえんけいのガラス球が乗り、球面に沿った四本の支柱でしっかりと保持され、紫のメッキがなされている美しいものだった。普通のランプよりはだいぶ小さく、腰にぶら下げたまま戦う事もできる造りだった。

「この曲面は水銀の発光を拡散しやすく設計してあります」

「なるほど、面白い」

「どう? シェアさん」

 得意げに聞くアゼリア。

「とても見事なお仕事だと思います」

 ルインとシェアは興味深げに『水銀灯』を手にして確認した。

「これでより十全に対応できそうだな」

「はい。本当はゴシュさんの部族の方々を安らかな旅路に送りたいのですが、神も起源も違います。種族の考え方は優先されるべきですよね。安らがずに復讐を果たすというのなら、それも……」

「そうでいいのだろうよ。人も種族も考え方は違うものだ」

 ルインの言葉にシェアが微笑む。

「よし、ありがとう! お父さん、ロンドルさん。じゃあシェアさんとルインお兄さん、弾丸の振り分けをするわね。この辺りは私たちの技術で見せられないから、どこか別の場所を借りてやらせてもらうわ」

「ああ、それなら一階奥の貯蔵庫を使ったらいいよ。崖に掘った穴に続いてるからね。明かりはそちらで用意しておくれ」

 店主のマルザが相好を崩して好意的な申し出をした。

「ありがとう、マルザさん」

「なーに、こんなに景気が良くなれば多少は協力もしたくなるってもんだよ。息苦しい異端審問会の連中より、華やかでお客さんの多い眠り人さん一行の方があたしゃ嬉しいね!」

 大きい体を揺らしつつマルザが階段を下りていく。階下から威勢の良い声が聞こえた。

「貯蔵庫を案内するよ!」

「お借りしよう」

 アゼリアを含む工人アーキタの都市の面々は揃って一階へと降り、シェアとルインだけが残った。

「ルイン様、ひとつお聞きしたい事があるのですが」

「うん?」

「昼間の戦いの時、シェアリス様に祈願をけたのですが、ルイン様の魔剣の存在が私に語り掛け、祈願と同等の効果をもたらしてくれたのです。『遊興ゆうきょうの如く報いん』と。ルイン様のそばに女性がいるのがとても珍しい事のようで、それを喜んでおられたようなのです」

「そんな事が? ……いや、他に何か言ってなかったかな? 例えば容姿を褒められたりとか」

 シェアは少し頬を赤らめ、言いずらそうに話を続けた。

「あっ、はい、その……『女神と月の香り漂う』とか『匂い立つ美しき娘』と……言われました」

「……やはり」

「え? 何がですか?」

「あの魔剣に宿る黒き嵐の神ヴァルドラは清らかで豊かな体つきをした、しかも戦える女を好むと聞いたことがある。信心深ければなおいい。つまり……」

 ルインの言葉にシェアが目を丸くした。

「あっ、待ってください! 言わないでください! 何だか耐えられません。何かの間違いだと思います。私がそんな戦神に気に入られるような女だとは、とても……」

「容姿だけではなく、何か他にもあるのかもしれないが。いずれにせよ気に入られたのだとは思うが」

「いえ、きっと何かの聞き間違いです!」

「それは神の間違いを指摘する感じかな?」

「意地悪を言わないでください。困ります……」

 少し慌てているシェアに対して、ルインが少しばかり追い詰める軽口を言った。

「ふ。ヴァルドラは清らかにして奥ゆかしい美女を好んでいたと聞くが、流石に目が肥えているな。……少し外の様子を見てくるよ」

 ルインは言いながら階段を下りて行った。

「あっ、はい。……ええっ!」

 シェアはルインの言葉の意味に気付いた。とても遠回しにシェアをかなりの美女だと言っている。

(ああ、浴室で媚びたような事をしても、背中の傷を見せても、奪う事も嫌う事もせず、そんな事を言うのですね……)

 シェアはまた少しだけ、固くなっていた心がほぐれた気がしていた。同時に、いつか開いた心がやがて教導女としての自分と大きく反していくような危惧も感じ始めていた。

(嫌な女だわ、私。相手によってはこんなに心持ちが変わる女だったなんて)

 いつも男性に感じていた恐怖や嫌悪が、なぜかルインには感じられない。感じられないどころか……と考えを巡らせ、シェアはそれ以上考えるのをやめた。

──ウロンダリアの様々な宗教における『教導女きょうどうじょ』とは、女性の身で、神への信仰や祭礼の作法、教義、祈願の手順など、信徒をより高みへと導く立場の者を言い、司祭より上の立場である。神によっては戦闘技術の指南も含まれる。

──ウォーラング・バイゴサ著『ウロンダリアの宗教位階』より。

 夜がさらに更けて深夜。ウーブロの村は既に魔の国の簡易的な木造の砦と化しており、ヤイヴやヴァスモーから人間まで、様々な種族で構成された作業員が工兵隊の指示のもとでほりの掘削を始めている。

 鉄で棍棒のように補強された戦闘用松明や、金網で防護された光水晶ひかりすいしょうを取り付けた鉄の丸盾に、棍棒や斧などで武装したヴァスモー兵の百人隊が整列し、ルインと眠り女たちの指示を待っていた。

 ルインは簡易的に木箱を重ねて造られた台の上に立ち、バゼルと眠り女たち、ヴァスモーの百人隊と、ジノ率いるカルツェリスの猫の戦士たちに向かい、静かに語りかける。

「よし、これより、かつてギャレドの氏族がこの地域の探索の拠点としていた砦に遠征する。予想される敵は異端審問会が呼び出したとされる姿なき魔物、ピスリ・カ・グ。これは赤い月シンが起源とされる得体の知れない魔物だ。これらに対しては銀系統の金属と魔法の武器、そして水銀が特に有効らしい。殲滅を第一の目標に、行くぞみんな」

「応ッ!」

「任せなぁ! ぶっ殺しまくってやらぁ! やるぜてめえら!」

 ぼんやりと魔力の光漂う大斧を掲げて、ギュルスが気勢を上げる。

 続いて、ジノも抜いた細身の剣を胸に掲げて叫んだ。

「我が同輩、誇り高き猫の戦士たちよ! 眠り人ルイン殿は鷹揚おうようにして、我々を差別せぬ恐るべき武人! 共に戦い道を切り開き、再びウロンダリアに調和を取り戻すのだ!」

「ニャー!」

「ニャアアア!」

(……かわいい)

(待って、かわいいわ!)

(猫ね……)

(え? かわいい!)

 しかし、カルツ族の猫の戦士たちの叫びは猫の鳴き声そのもので、独特な可愛らしさが伴い、眠り女たちは思わず微笑んでいた。

「行こう。皆、決して無理はしないでくれ」

 こうして十分に準備を整えたルイン率いる集団は、見えない敵を撃滅しつつヤイヴの砦を確保する探索に出発した。赤き月の落とし子、見えない敵ピスリ・カ・グがどれほど増えているのか、未知数の中での出発だった。

──私たちは調和を重んじていたが、長い時と共に愛が種族の垣根を消していた。私たちはそれが進歩的な事と思っていたが、ある時それは神々の怒りに触れ、私たちは始祖の血統と知識を血の中からさえ失いつつあると知った。これを取り戻すのに膨大な時間がかかった。

──著者不明の古文書『テア・ユグラ・リーア(二つの世界樹の国)』より。

first draft:2021.02.17

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