第二十話 陰謀の尾、秘密の依頼
初夏の月光と魔術の光の下、かぐろい闇色のワンピースを緩やかな夜風に遊ばせたラヴナのたたずまいは、その圧倒的な力とあいまって大変な余裕と威厳漂う頼もしいものだった。
「やっぱりキルシェイドの上位魔族の姫様の力は別格ですね……」
絶句するメルト。
「いやいやいや、魔導竜ですって? つまりあれは人工精霊と同じような作られた命で動く魔導の工芸品……いえ、あの規模だともはや建造物ね? なんて力なの……」
魔法や魔術に詳しい、魔女らしい見解を述べるファリス。
(上位黒曜石で造られた人工生命の竜か……相変わらず危険な女だよ……。これで魔力が少しも減ってないとはね……)
無言だが、バゼルはわずかに目を細めた。現在のラヴナは赤髪の可憐な女の姿をしているが、かつての混沌戦争の時代よりもさらに洗練された気配が漂っており、今この瞬間でさえ、おかしな動きをしたら何をされるかわからない気がしていた。
「みんなびっくりし過ぎ。あたしの力はこんなものじゃないわ。平和に慣れ過ぎじゃないかしらね? ふふ!」
周囲の反応がまんざらでもないラヴナは上機嫌で微笑む。
「しかし、まだ敵の気配は残っています。 ……猫の戦士たちよ、我らの鋭敏な髭にかけて見えざる残敵を討つんだ!」
ジノが魔力の付与の働く細身の剣を掲げ、カルツ族の剣士たちに号令をかける。
「私も協力できます。古き巨人の力で見えざる敵が指し示せないか、今なら詠唱できますから!」
メルトは重い杖を掲げて目を閉じ、独特な重厚な言語でなにがしかの存在に語り掛けた。
「……異界の百眼の巨人の神、『監視する者』バーガントよ! その百眼を霊鳥の飾りにされたくなくば、とく答えられたし! 矢の如く射貫く眼光に拠りて、我らの見えざる敵を示したまえ!」
月の照らしていた空に、暗く巨大な影がぬうと立ち上がった。その頭部は身体に対してはかなり大きく、その頭部と体に暗青色の切れ目がいくつも走り、それらは一斉に開くと眼の形となる。その眼からは同じ色の光の線が伸びて、砦の周囲の何もない場所を何箇所も照らし始めた。
「応えてくれた! おそらく、この光の指している場所がピスリ・カ・グの場所を示しています!」
示された光は確かに、何もないのに揺れる葦と共に移動していた
「よし、これより残党狩りに移行する!」
ルインの号令と共に、勢いづいた一行は巨人の光で照らされた部位を手当たり次第に攻撃し、銃撃が及ぶとあの独特な叫びと共に水銀の光が舞い散った。この戦いでは俊敏で目ざとい猫の戦士たちの活躍が目を見張るもので、彼らは小さな気配も見逃さず、それこそ猫の俊敏さで走っては鋭い突きで見えざる敵を倒していく。
やがて百眼の巨人バーガントの指す光は一か所も無くなり、本当に静かな夜の気配が戻ってきた。
「精霊たちにも聞いてみるわ!」
クームが目を閉じ、歌とも詩ともつかない幽かで美しい何かをつぶやく。一陣の清浄な風が一行を巻き込むように撫でて通り過ぎて行った。
「うん、大丈夫。穢れし異界の者たちは消えたと言っているわ」
月の魔物たちの気配は消え、緩い夜風に独特な生臭い匂いが漂っていたが、弱くなる水銀の光と共にその悪臭も急速に薄れつつあった。
「あのでっけえやつの中に入ってた人を助けなきゃだよ!」
いち早く奥に進むゴシュと骨付き肉。
「影を借りるわ!」
クロウディアの姿がゴシュと骨付き肉の影に消える。
「ゴシュ、そのまま真っ直ぐに走って構わないわ。邪魔なものは全て切り払うから!」
「わかったぜ! だってさ、骨付き肉!」
──おうっ!
ゴシュと骨付き肉は疾風のように駆けだした。砦を出てすぐに葦原は深くなり、ビスリ・カ・グたちのなぎ倒した場所はうねうねとした道になっていたが、クロウディアの影の見えざる刃がほぼ土中から葦を切り払い、倒れて邪魔になりそうなものも四分五裂に切り裂かれ、ゴシュたちは舞い飛ぶ葦の切れ端の中を進む。
──ゴシュ、あれ! あっちにも!
広くなぎ倒された葦原のほぼ中央に、両手は二の腕から、両足は膝上から、それぞれ欠損し、切断面からたくさんの紐のようなものが伸びた男女が二人、透明な粘液に塗れて倒れている。
「酷い状態だなこれ……」
思わず言葉が出るゴシュ。
「これは無くなった手足の神経と血管だわ。まるでここから先の肉と骨だけ溶けたみたいね。ただ、失われて時間がたちすぎているでしょうから、普通の祈願では難しいかもしれないわ。とても強力な回復の祈願や魔の都の病院なら治せるかもしれないわね」
影から姿を現したクロウディアが、伸ばした影で慎重に二人に触れつつ考えを述べる。ゴシュは骨付き肉から降りると、最初に女の方に、次に男の方に呼び掛けたが、二人とも死んだように反応が無かった。辛うじて、しばしばむせつつも胸が上下しており、呼吸をしている事だけはわかる。
「二人の様子はどうですか?」
走って追ってきたシェアが息を弾ませつつ聞く。
「意識は無いわ。神経と血管は残っているけど、どういうわけか骨も肉も途中からないし、治療は少し難しいことになりそうね」
「そうなんですね?」
シェアは男女それぞれの頬を軽くたたきつつ語り掛けたが、やはり反応はない。瞼を開け、その瞳を確認し、何かに気付く。
「おそらくですがこの二人、心が夢のようにどこかの領域に囚われています。おかしな失われ方をしている手足と心と、少し複雑な治療が必要かもしれませんね。祈願は……」
シェアは女の額に手を当てて目を閉じ、束の間何かを念じて祈りをささげた。
「……ああ、やはり。心を戻さないと祈願も通じませんね」
そこに、ルインたち一行も追いつく。
「酷いありさまだが……この二人、特に男の方は良く鍛えられた身体をしている。扱いの悪い環境にいてこのようにされた、という事ではなさそうだな」
ルインらしい推測だった。
「そうね。女の方も痩せてない。もしかしたら何か事情を知っているかもしれないわ」
ラヴナも同じ考えのようだ。さらに腕を組んでは首を傾げつつ続ける。
「これをしっかり治すとしたら、ファリスの知り合いの『傷縫いの魔女』アレッタか、大規模な儀式祈願、またはシェアさんなら使えそうな大祈願に、私たちの『巻き戻しの回復』、あとは……吸血鬼たちの再生医術ね。でも、心を取り戻す事を考えると、チェルシーの協力も必要だわ。とりあえず……」
ラヴナは二人に手のひらを向け、詠唱無しで魔術を行使した。裸の男女の肉体はわずかに宙に浮き、淡い緑に光る帯のような術式が包帯のように二人を包み、ゆっくりと回転する。
「『特別な救急の処置』よ。この二人の身体は三昼夜の間は清潔に保たれ、その重量は他者には羽根のように軽くなり、肉体に掛かる時の流れはほぼ止まるわ。かつての『混沌戦争』の時に発明された魔術よ。高度にしてとても便利なの。但し、大魔術の部類だけどね。使えるのは私たち上位魔族の一部の者たちと、あとは聖王国の『天の人』たちがほとんどよ」
「『天の人』?」
「ええ。人間の上位種族の中でも特に高位の存在ね。血の気の多い子もいるから、いずれルイン様なら出くわすと思うわ。ふふふ」
「誰か知っている人でも?」
「まあね」
思い当たる人物がいるらしいラヴナは、何かを期待するように笑った。
「ルインさん、この後はどうされます? 脅威が去ったようですし、私たちは交代で見張りを立てようと思っています。私たち猫の見張りはとても優秀ですよ」
ジノの提案にギュルスが続けた。
「おれらも不寝番は出すが、まずはここの砦の復旧と増強だな。大物はぶっ殺したからしばらくは安全だろうけどよ、今のままじゃあ砦としてはポンコツだ。工兵隊と共に交代制で砦の復旧はやった方がいいやな」
「ああ、それなんだけどさ、テント用の布だとか陣幕の素材、借りていいかい?」
バゼルが誰にともなく問う。
「あるけど、そんなもん何に使うんだ?」
「ヤイヴたちの遺体を運び出す前に儀式をやるけどさ、そこのお嬢ちゃんがすっぽんぽんになる必要があるから、見えないように高めの陣幕とかで囲う必要があるのさ」
自分の話だと気付いて、驚いてゴシュが振り向く。
「ええ⁉ あたい、すっぱだかになんのかよ! なんで?」
「あたしだって知らないさ。でもこれはそういう儀式なんだ。聞きたかったらオゴスに直接聞けばいいだろ。でも、上位のヤイヴってのが生まれたきっかけを知ってるのはオゴスだし、もともとあんたらは服を着る習慣なんてほとんど無かったはずさ。古式に則るって事はそういう事だ」
「ええー、なんか怖えなぁ」
「人生は考えようによっては常に怖いものさ。楽しくなるように考えて生きるんだね」
バゼルが自然に口にした言葉に、ゴシュは少しだけ感じるものがあった。
「へぇ……変な所で神様っぽいことを言うんだな」
「変な所では余計だよ」
少しおかしみの漂うバゼルとゴシュのやり取りの後、ルインは皆に次の動きを提案した。
「当面の脅威は去ったと判断する。警戒は怠らず、砦の復旧と儀式の準備を進めよう。ヤイヴたちの遺体は魔王どののの判断を仰ぎ、儀式後に手厚く葬りたい。砦は……現時点ではヤイヴの通常の仕様なので、これはある程度大型のピスリ・カ・グもしのげる程度には守りを固めよう。そして……まずは勝鬨だ!」
「おうっ!」
見えざる月の魔物の大軍を駆逐した眠り人一行は、初夏の月の下で勝鬨をあげた。士気高いこの集団はその後、慌ただしく砦の復旧や儀式の準備に取り掛かった。
深夜。
上質な帷幕が広げられたほかに、工兵隊が展開した簡易的な転移門や、水晶玉に収納されていた丸木小屋の展開などで、ヤイヴの崩れかかった砦だったものは急速に探索の最前線の拠点へと変貌しつつあった。さいはての村ウーブロの工事に先が見えていた今、村の工事の人員もこの砦に移動しつつあり、魔導の仕掛けや魔術の灯火で照らされた中、濠の再掘削や防壁の立て直しと強化など、様々な工事が進行している。
ラヴナやギュルス、ジノと共に砦の各所を見回っていたルインは奇妙な事に気づいた。
「これは、魔術による効果なのか?」
工兵隊は大声で合図や号令をかけているが、少し離れると全くその声や槌音なども聞こえずほぼ無音に等しい。見た目の活気とは裏腹に全く音がしない。この様子にギュルスがニヤリと笑った。
「へっへ、眠り人の旦那、夜なので音の制御がかけてあるんだぜ。ついでに言うと少し離れるとこの砦自体が認識できなくされてんのさ! 夜中でもガンガン作業が進むし、朝になったら堅牢な砦の出来上がりってわけだ。ついでに当番で眠る奴はぐっすり眠れるしな」
「なるほど」
「あたしたち上位魔族の軍事用の魔術よ。『城塞の秘匿』『静かなる軍勢』の術式ね」
「さすがは魔の国の軍ですね。古来から『一夜で砦が建つ』と言い伝えられているのは、こんな理由があったのですね」
ジノは興味深げに砦の工事を眺めている。戦いの熱か、あるいはルインたちの何かに安心するものがあったのか、初対面の時の深い苦悩はその眼に見えず、好奇心で輝いている。
「ねえ、カルツ族の剣士ジノ」
「何ですか? ラヴナ姫」
「ルイン様の事は見極められたかしら? 『見極める灰色』ジノ・ヤトゥの名において」
ジノの空気が少しだけ張り詰めたものに変わった。
「それはつまり……」
「あなたがどう推測して答えるのも自由だし、当然、それに対してあたしがどう考えて行動するかも自由だわ」
ラヴナは屈託ない笑顔でそう言ったが、屈託のなさをやや強めた雰囲気が感じられていた。ジノに何か秘められた事情がある事を感知しての言葉だとルインは気づいた。
ジノの眼は猫そのもののように丸くなり、次に、深い呼吸を一往復する。
「お察しの通りです。私たちの事情のほかに、『黒い花』のお方から、眠り人ルイン様の人となりを見極めて伝えてほしいと言われています」
「おいおい穏やかじゃねえな、よりによって『黒い花』だと⁉ ルインの旦那は女難の相があるんじゃねえかぁ?」
言ってる傍からおかしくなったのか、ギュルスは呵々大笑している。
「話は分からないが要するにまた美女がらみか? しかも厄介そうな」
諦めたように言うルインに、ギュルスの笑い声がより大きくなった。
「大当たり。厄介な美女の率いる暗殺者集団よ。誰かが支援しているとは思ったけど、色々と腑に落ちたわ。カルツェリスは『黒い花』を支援しているのね。で、最近旗色芳しくないから、ルイン様と接触しようとしているのね」
「それも御明察の通りです、ラヴナ姫。『黒い花』の頭目、ネイ・イズニース様よりの依頼です」
「ネイ・イズニース?」
「本当の名前ではないわ。ネイ・イズニースとは『イズニースにあらず』という意味なの。闇の古き民、つまり、人間たちがたまに闇のエルフとか呼ぶ種族には、何系統か害意の無い者たちがいるわ。理想郷を探し続ける放浪神イズニースを信奉する系統はその一つよ。そして、放浪神イズニースの意思を伝えられる使徒は『ネイ・イズニース』を名乗る事が許されているの。彼女の本当の名前はファル・アリスナレ。かつて『ウロンダリアの真珠』と呼ばれた、平和権(※ほぼ人権に等しい概念)の無い愛玩用の種族『真珠のエルフ』の中でも最高の美女ね。あたしほどではないけど」
ラヴナは片目をつぶって微笑み、ちらりと舌を出した。
「それがなぜ、おれに接触を?」
「あの子たちは沢山の人間の貴族を暗殺したわ。でも、それは人間たちが悪いの。古代の戦争の後に、眠り人レオニード・ファシルの技術を使って、一部の古き民たちを人間好みの体つきに変えているうちに、極端に性的な魅力の強い体つきの種族を作り出してしまったのよ。『真珠のエルフ族』と言ってね。人間の最悪の趣味と言っても差し支えないわ」
「でも、ある時彼女たちは脱走し、立ち上がり、種族本来の誇りを取り戻そうとした」
ジノがラヴナの言葉に続けた。
「そうね。それから悪趣味な貴族たちの暗殺が始まったわ。そして、人造の種族でありながら、仲間たちの危機をイズニースの神託で救ったファルは、ネイ・イズニースを名乗り、失われた古代の言葉、上位古代語で見つけた精霊の船で地上を移動していたのよ。森や草原でさえ風のように走る船に乗る彼女たちを、誰も捕まえる事が出来なかった。でも……」
「そこから先は知ってるぜ。空の賊どもにしばしば襲われるようになったんだろ?」
笑いのおさまったギュルスが続けた。
「そういう事よ。空の国々は新しい浮遊大陸が見つかって大賑わい。飛空艇を持つ羽振りの良いならず者たちも増えて来たわ。古王国連合は『黒い花』を悪として莫大な賞金を懸けたから、しばしば空から捕捉されるようになってしまったのよね。安全に身を隠せる場所がないのよ」
しばしの沈黙ののち、ルインが口を開いた。
「ジノ、つまりおれは、彼女たちを保護するに足る人間かどうか見極められていたと?」
「そうですね。美女ばかりなのに、『純潔の結界』が張られたままの西の櫓の話は有名ですし、何より……」
「あたしたちの魅力に囚われていないからでしょう?」
「仰る通りです。ファル様は大変な男嫌いですが、ラヴナ姫が気を許し、その魅力に囚われていないと知って、強く興味を持たれたようです。ルインさんが自分を毀損しない男性なのではないかと」
「ああ、それはあたしのお墨付きよ? たとえ『ウロンダリアの真珠』であろうとも、ルイン様の心は動かせないと思うわ。ただ、保護を求めるなら別の代価も必要って事よ? 『ウロンダリアの真珠』の身体や夜の技ではおそらく駄目という事。それは分かっているのかしら?」
「おそらくその部分は様々なものを提示できるかと思いますよ」
「ふぅん、あまり悪くない話ね。伝えておきなさい。ルイン様は胸や尻が大きくて腰が細い程度で転ぶような簡単な男じゃないと、このあたしが鼻で笑っていたとね。ふふふ」
「わかりました。こうなった以上、その言葉も伝えます。ルインさんは何か伝える事はありますか?」
「そうだな……」
ルインは束の間腕を組んで考えたのち、ため息交じりに続けた。
「美女が沢山で夢のようだ、などという夢想は、女に縁のない男の妄想でしかなく、それなりに大変だと」
「ぐふっ、ルインの旦那、こりゃ傑作だぜ! がっはっは!」
笑いかけて何とか言い終えたギュルスが再び爆笑する。
「ふっ、ちょっとルイン様、こんな夜中に面白すぎる事言わないで! あははは! 笑っちゃいけないけど大変よね! そこは本当にごめんなさい。……でも、真顔で言うんだもの! ……だめ、お腹痛い!」
可笑しくてたまらないといったていで、ラヴナは腹を押さえて笑っている。
(いやはや、しかしこの空気、正確に伝わるでしょうか?)
恐ろしいはずの上位魔族の姫、中でも特に音に聞こえたラヴナ姫が、可憐な女の姿を取り、一人の男のそばで屈託なく笑っている。その話の内容は美女に辟易しているという半ば冗談のような話であり、誇張でもあり得ないような状況だった。
しかし、だからこそ何かが大きく変わる気配をジノはより強く感じてもいた。
first draft:2021.04.30
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