第二十一話 始祖の勇士オゴスとの対話
深夜、かつてギャレドの氏族が建造した砦は急速に復旧を進めていたが、今はバゼルの指示のもとに全ての作業が中断されていた。腐敗したヤイヴ(※緑肌の小柄な亜人種)たちの死体が積まれた辺りは陣幕で囲われ、山と積まれた遺体の前には倒木を横にした祭壇が設けられ、シカやウサギの生の脚から、ヤイヴたちの好む少し見てくれの悪いキノコ類に、ごく最近の都市部でのヤイヴの料理までが並べられ、緑肌の小柄な亜人種ヤイヴたちの食文化の歴史をたどった形になっている。
さらに、その手前には布を巻いて作られた人間を模した簡素な人形が地べたに安置されていた。
「ほら、ヤイヴの嬢ちゃん、陣幕で覆ってあるから誰にも見えやしないよ。とっとと素っ裸になってこっちに来な」
骨付き肉と共にバゼルの儀式の準備を手伝い終えたゴシュは、緊張した面持ちで硬直していた。
「どうしたんだい?」
「いやーその……父なるオゴスは大食いで女好きって言われてるからさ、あたい……その、『西の櫓』で料理が出来なくなるような事になるのは困るっつうかさ……。ほら、あそこは『純潔の結界』で守られてっからさ」
バゼルは手にしていたワインを喇叭飲みすると、大雑把に口を拭ってため息をついた。
「なんだ、いっちょ前にそんな事を心配していたのかい? これは生々しい婚姻や結縁を伴う儀式じゃないよ。そもオゴスはねぇ、あんたみたいなちんちくりんの小便臭い小娘なんか眼中にないよ。あんたみたいなのの受けがいいのは、若いヤイヴとか、幼い娘が好きな人間の変態くらいだろうさ」
「あっ、なんかちょっと傷ついたぞあたい」
「ヤイヴのくせに繊細なんだね。服を脱ぐってのはね、この儀式がうまくいけば、オゴスはあんたの身体のどこかにおそらく魔法の印章を刻んでくれるからさ。それは見え難い場所の方がいいのさ。……ああ、見え難いって言っても変な場所じゃないよ? それに、裸の心で向き合うってのは大事な事だからね」
「うーん、わかった。あたいも族長の娘だ。ここは覚悟を決めて脱ぐぜ! みんなの仇も討ちたいしな」
「その意気さ」
ゴシュは意を決してすべて脱いで素っ裸になると、丁寧に畳んだ服を地面に置いてバゼルの隣に立った。
骨付き肉もその隣に並んではゴシュの脚に残っていた銃弾の傷跡に気付くと、主の身を守り切れなかった悔いが湧き上がり、それをゴシュに悟られぬようにしていた。
「さあ、始めるかね」
バゼルは白い骨の皿に乾燥した何かの塊とキノコを盛り、指先に小さな火を点けて点火した。緑がかった濃い煙が一筋立ち上り始める。
「それは?」
「人間の頭蓋骨の皿に、乾燥させた縞狼の糞と、ミドリカビタケを混ぜたものさ。これで異界にも見える狼煙を上げてオゴスを呼ぶんだ」
「あたい、こういうの全然知らなかったぜ」
「まあねぇ、魔術ってのは基本的に隠されてるもんだからね。ほら、おしゃべりはここまでだよ。そろそろ儀式の肝をこなさないとだ」
バゼルはどのような仕掛けか、胸の谷間から絶対に隠せなさそうな大きな銀製の壺を取り出した。
「さて、仕上げと行くかね」
「待って、どうやって出したんだよ今の?」
「女の谷間には色んなものが隠せるのさ。知らなかったのかい?」
「いやー……」
「まあ細かいことは気にしたら負けだ。ちなみにこれは人間の血な。オゴスを呼び出すには、この人形に人間の血をかけて……ほら、あんたの出番だよ。この人形を殺したい人間に見立てて滅多刺しにしな。そうしながらオゴスを呼ぶんだ。本物の人間の死体でやればいいんだけど、そうもいかないからな」
ゴシュは脱いだ服のベルトから短剣を取り出すと、過去に人間から受けた仕打ちを思い出しつつ、血にまみれた人形を滅多刺しにし始めた。骨付き肉も主の様子を見て人形に噛みつく。
「あっ、骨付き肉、引っ張るなよ!」
──グルル……!
途中から興奮した骨付き肉は人形を激しく振り回し始めた。
「こら、お前が主役じゃないだろ犬っころ! 儀式をおかしくするんじゃないよ!」
「落ち着けってば骨付き肉!」
しかし、骨付き肉の興奮状態は収まらない。
「だったら、犬っころに負けないでめった刺しにするんだよ!」
「ええ⁉ わかった……くそったれの審問官め!」
骨付き肉が振り回す人形に対して、やみくもに短剣を突き刺すゴシュ。
「ヤイヴの始祖の勇士オゴスよ、貪欲にして小賢しき者の王よ、その血を継ぐ子らが受けた理不尽な人間の仕打ちに、棍棒の仕返しを!」
バゼルの呼びかけは夜の大気に遠くまで響く力に溢れていた。
「我は混沌の眷属、鋏のバゼリガリなり。神なる名において呼ぶ。疾く聞かれ、疾く来られたし」
いつの間にか視界が極端に悪くなっており、しかも視界を遮っているものが不明瞭だった。周囲を囲っているはずの陣幕も、山と積まれたヤイヴたちの死体も見えなくなっていた。
「ほら小娘、来たよ!」
しかし、バゼルの押し殺した声が耳に入らないのか、ゴシュと骨付き肉は夢中で人形に対応している。
「このっ! このっ!」
──グルルルル!
「こら、来たって言ってんだろ!」
バゼルは二人の頭をひっぱたいた。
「あっ、ごめん!」
──キャン!
ヤイヴたちの死体が山と積まれていたあたりに、今は人間の骨の山が出来ており、枯れ木の玉座に大柄で腹の出たヤイヴが座している。その口には上下に向かう立派な牙が生えており、三重の宝石の首飾りを身に着け、左手には焼けた鹿のもも肉が握られていた。
「珍しいもんがオレを呼んだもんだぜ。いやさ、これもまた賢い方々の縫い合わせに拠るもんか? オレこそが上位のヤイヴ族の最初の男、勇士オゴスだ。異なる系統の女神さんよ、混沌の相をまとっちゃいるが、隠せねぇ品の良さってもんが漂ってやがるぜ。そんなお方に呼ばれちゃあ、出てこねぇわけにもいくまいよ。へっへ」
「……ふぅん、伊達に上位のヤイヴ族の神じゃないね、勇士オゴス。察しの鋭い良い男じゃあないか」
「そりゃあ光栄なこって。あんたもオレも、あの旦那にゃ世話になってるってところか」
「ふふ、あたしのは届かない思慕さ。まあそんな話はいい。それよりオゴス、あんたはあの男に大恩を感じてるだろ? この嬢ちゃんはあの男に眠り女として仕えてる、人間に一族を皆殺しにされた者さ。あんたとしちゃ、黙ってるわけにはいかないだろう?」
オゴスの眼が険しくなり、鹿のもも肉を乱暴に食いちぎった。
「おう、娘っ子と毛むくじゃら、もう少し前に来いや。そして名を名乗りなァ」
ゴシュは胸と下を隠しながらおずおずと前に出た。骨付き肉も従う。
「あ、あたいは『大食いのギャレド』の娘ゴシュ。こいつは縞狼の骨付き肉。すげぇいい奴なんだ。でも、あたいの部族はみんな殺されちまったんだ!」
「オレァな、ガキをバンバン生んで程よく下腹に肉のついた熟した女が好みだ。小娘ェ、おめぇの裸なんかじゃピクリともしねえよ。下はともかく、上は隠すな。見極めてぇ事がある」
「わ、わかったよ……」
ゴシュは小さな胸を隠していた腕を下した。オゴスは目を細めてその小さな体を見る。
「オレの種族も娘っ子はずいぶん人間好みに可愛くなったもんだが、しかし色々と難しいだろうなァ」
この言葉に、バゼルの眼が鋭くなった。
「うん? 何か考えていたのかい?」
「まぁな。恩返ししつつ、おれの子孫らの系統を出来ればより強くしてえと思ったんだが、血を取り込むのは難しいだろうなって話よ」
「ああ、気持ちはわかるが僭越が過ぎるってもんじゃないかい? この嬢ちゃんは可愛いけど、とびっきりの女神が身を差し出しても背中を向けて戦い続けるような男だよ? 信頼の維持にとどめておくんだね」
「そうさなぁ。まあ、可能性は残しつつも誠実に行くしかねぇやな。欲をかきすぎたら恩返しの意味が無くなっちまわぁ」
「そうだろうね」
(何の話をしてるんだ?)
自分たちの祖神に当たる存在と、謎の女神が何かについて話しているが、ゴシュにはその話が良く見えてこない。ここで、ヤイヴの神オゴスはゴシュに向き直った。
「おい娘っ子、おめぇは本当は死ぬ運命だった。その毛むくじゃらもな」
「えっ⁉」
「しかしな、とてもでけぇ運命がおめぇと毛むくじゃらを拾い上げたんだ。それは、おめぇが仕えてる眠り人の旦那とその周りにいる綺麗な女たちと、蔓草と木みてぇに関係してる。よって、おめぇの自由と幸せは、救われた命のぶんの大恩と、オレらの血統が遠い昔に受けた大恩の二つを返した向こうにある」
「えーと……」
「おめぇは復讐を果たし、かつ、あの旦那や周りの女たちにとって有益な存在でいなくちゃならねぇ。今、それが出来ているから、おめぇとその毛むくじゃらは惨たらしい死を免れたんだ。本来なら……こうだぜ?」
「えっ?」
オゴスがゴシュに手を向けると、ゴシュの視界は額のあたりから真っ白になり、頭の内側から殴られるように、記憶に等しい別の運命での結末が流れ込んできた。
「はっ……!」
ゴシュはよろめいて跪き、思わず吐いた。冷や汗と涙がぽたぽたと落ちる。
「……あいつら、こんな……こんな……事をっ!」
「オゴス、この嬢ちゃんには荷が勝ち過ぎたんじゃないか?」
ゴシュの様子に、らしくない気遣いを見せて咎めるバゼル。しかし、険しい顔をしたオゴスは重々しく口を開いた。
「オレらはかつて、人間たちに根絶されていてもおかしくなかった。オレが見てきたもんはこんなもんじゃねぇ。あの旦那のお陰で、オレらの系統は知恵が高まり、こうして上位種族として居られるってもんだ。それでも、欲に流れやすく長い目で見る能力はまだまだ足りねぇ。魂に何かを刻むって事は大事な事だぜ。感謝の心ってやつだ。あんたも女神さまならわかんだろ?」
「ん、まあ殊勝な心掛けではあるね。嬢ちゃんがちょっとかわいそうな気がしただけさ」
バゼルは言いながら、胸の谷間から深い青ガラスの水差しを取り出した。
「ほら、きれいな水だ。口すすいで飲んで落ち着きな」
「あんたの胸って不思議だな。ありがとよ……」
「女の胸ってのは不思議なもんさ。覚えておくんだね。しかし、随分ひどいもんを見たようじゃないか。見たものの内容はともかく、運命ってのは大木みたいに枝分かれしてるもんだ。別の経過を見られるのは悪い経験じゃないよ」
「うん……わかる。人間ってやべぇな。あたいと骨付き肉にあんなことするんだな……」
ゴシュの呼吸はまだ荒かったが、その眼には以前より深い何かが宿っていた。
「現在ってのは常に、過去の選択の結果さ。まあ、たまに違う要素が入り込む事もあるが。現在の日々に感謝したい気持ちにでもなったかい?」
「うん」
ゴシュは立ち上がり、オゴスに向き直った。
「父なるオゴス、あたいはどうして生きられたんだ? 復讐は当然果たすけど、何をしたらいいんだ?」
オゴスは獰猛と言っても良い嬉し気な目をした。
「いいツラになったじゃねえか。いいか、オレやお前みたいな知恵あるヤイヴが迫害されずに生きられるこのウロンダリアで、その調和を崩そうとしてるイキッた人間どもが幅を利かせようとしてやがる。それがお前の氏族を皆殺しにした奴らだ。このウロンダリアは、『世界の終末』を経験した奴以外はお断りの特別な地だ。かつての英雄たちの気高い心でこの地に住まわせてもらってるのに、恩を忘れて我が物顔で生きる奴らは必要ねぇ! お前の仇はそんな話に結び付いてるんだ。よって……起きろや、テメェら!」
オゴスの最後の一言は、心に直接伝わるような声質だった。それが、この視界不良の空間を大きく震えさせる。
「娘っ子、後ろを見てみな」
振り向いたゴシュの眼が大きくなり、ついで、涙が溢れた。
「みんな……父ちゃん、ネズ!」
ゴシュの父ギャレドをはじめとして、殺された氏族のヤイヴたちが霊体となって並んでいる。誰も言葉は発さなかったが、穏やかに元気づけるようなその眼は、ゴシュのこれまでを見守り、また労い、褒めているような温かなものだった。
「娘っ子、おめえの氏族はこのオゴスが、我が領域『ヒカリゴケの昏き地』にて預かり、復讐の戦士とする。だからよ……」
オゴスが手をかざすと、ゴシュの左の乳房の上に、棘だらけの棍棒のようなオゴスの印章が刻まれた。
「うっ!」
「倒すべき敵と、迫る危機を感じたら、その印章を血で濡らし、手を当てて呼べ! 父なるオレとおめぇの氏族は、おめぇを見守り、おめぇの危機を守り、その復讐を果たす力を貸す! おめぇは今日から、無敵のヤイヴの軍勢を呼び出せる戦士だ! 娘っ子!」
「ほう、『霊体の軍勢』のヤイヴ版か。こりゃなかなかいいね。霊体は特殊な武器や魔法でないと傷つけられないが、領域で預かられた魂はすぐにその傷を癒す。悪くない力だね」
バゼルが満足げに説明する。
ギャレドをはじめとしたゴシュの氏族のヤイヴの霊体たちは、それぞれ武器や拳を掲げると、戦意溢れる表情を浮かべて消えていった。ネズは赤ん坊を掲げていたが、その赤ん坊も勇ましく拳を掲げている。
「へっ、ネズの子供らしいや」
鼻をすすりつつ、ゴシュは笑った。
「これでイキッた人間どもにやり返せるだろ。あと娘っ子、今は確か料理で眠り人の旦那に仕えてるんだよな?」
「ああ、修行してるけど結構おいしいって言われてんだぜ!」
「今な、西の工人の都市カ・シで、おれらヤイヴ用の調理道具を作ってる奴がいる。しかし、なかなか日の目を見ねえで食い詰めてるようだ。近々、オレぁそいつの夢に出て、西の櫓に向かうように伝えるつもりだ。夢魔の姫さんにも挨拶しとくから、そいつの道具を買い上げて使い、有名にしてやってくれや。フライパンと肉切り包丁だ。復讐に先が見えてきたら、どっちにも特別な力を付与してやっからよ」
「わかったぜ!」
「あとは、出来ればだがよ……」
「オゴス、それは無粋だし高望みってやつだ。少なくとも、今言うべき事じゃないよ?」
(何の話だ?)
言いよどんだオゴスに対し、バゼルがたしなめる。しかし、ゴシュにはこの会話の意味が分からなかった。
「そうだったな。……娘っ子、オレの話は終わりだ。そして、おめぇの氏族の死体はこの地に小山のような塚を作って埋めてやれ。オレ様の御嶽(※小規模な聖地のこと)のひとつとしてやるからよ! これも誰か墓づくりの得意な奴をこの地に来るようにさせるぜ」
「ほんとかよ! ありがとう、オゴス様!」
これは、ウロンダリア中の上位のヤイヴたちにとってオゴスに祈りをささげる際の巡礼の地が一つ増えた事を意味する。ゴシュの氏族たちは今後、オゴスに祈る巡礼者たちに祈りを捧げられるようになったことを意味してもいた。これはヤイヴの死者の扱いとしては最上級のものに等しかった。
「じゃあな娘っ子。この父なるオゴスはおめぇらを常に見守ってるぞ。眠り人の旦那や、周りにいるとんでもなくやんごとない方々にもよろしくな!」
「あたい、やりきるぜ!」
「その意気だぜ!」
ヒカリゴケのようなほの明るい温かな風が吹くと、視界は元に戻り、陣幕の中の儀式の場に戻っていた。心なしかヤイヴたちの死体から苦悶と悲壮さが感じられなくなっている気がして、ゴシュは微笑む。
「みんな、一緒に人間の奴らにやり返そうぜ!」
──ウォン!
ゴシュは拳を掲げて復讐を改めて誓った。
「さてと、これであたしの仕事の一つは終わりだね。ほら嬢ちゃん、もう服着ていいよ」
「おっと、そうだったな。……なー、あんたって悪い人って感じがしねぇけど、本当にあの『鋏のバゼリガリ』なのか?」
「そうさ。まあ、神の意思は人などには計れないものさ。ましてこんなのはとても小さな事だ。自分の価値観は大事だが、迂闊に他者に対して思い込みは持たない方がいいねぇ」
「この後、敵対するって事?」
「それは馬鹿な事になるからもう無いだろうね。あの男と敵対するのは、何も知らない馬鹿か、ものすごい力の持ち主だけだからな」
「そっか、ならちょっと安心だな」
「安心? なぜだい?」
「あんたって、うまく言えねぇけど、なんかちょっと寂しそうっていうか、優しいっていうか……」
ゴシュの言葉に、バゼルの眼が少しだけ見開かれ、わずかにその口角が上がる。
「ふぅん、あんたなかなかいい子じゃないか。少しだけオゴスの考える目もあるか」
「何の話?」
「大人の都合さ。まあ、とっとと片付けて今日はもう休みなよ」
「そうだな、そうするぜ!」
こうして深夜の儀式は終わり、上位のヤイヴの神オゴスによって、ゴシュには大きな力が与えられた。それは、この儀式に力を貸したバゼルこと、鋏のバゼリガリの運命もまた、彼女をこのような存在にした者の思惑とずれていく事を意味してもいた。
first draft:2021.05.03
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