第四十話 剣士と戦士、決着
異なる世界『豊穣なる雨の地』ウル・インテス。『二つの世界樹の都』テア・ユグラ・リーア
ウル・インテスの至高の武器となる絶剣『月光』を手にした月の民の伝説的な英雄オーランドと、ウロンダリアの眠り人ルインの戦いは熾烈を極めていた。
碧銀に輝く斬撃の光波を放つオーランドに対し、黒い魔戦斧ラヴレスで応じるルイン。その戦いは例えるなら神殺しの武器でやり合う伝説の戦いに等しく、誰もが固唾をのんで見守っていた。
空中の足場からの光波の斬撃を放ったオーランドに対し、その斬撃を鎖でつないだ戦斧で粉砕したルインは、枯れたように衰えた船と航海の女神ミゼステの傍に降り立ち、オーランドに問う。
「おれを量るような戦い方をしている場合か? このままでは彼女は闇に堕ち、世界に災い成す存在と化してしまうぞ? 例えばおれが、それを止める意味で彼女を斬ろうとしたらどうする?」
ルインは黒い魔戦斧ラヴレスの槍状の穂先でミゼステを指した。オーランドを見るミゼステの眼は一瞬大きく大きく見開かれたが、すぐにその眼は悲し気な決意を帯びたものとなった。
「何を……」
オーランドは絶句したが、ミゼステが気丈にその話を継いだ。
「オーランドは私を憎からず思っており、私に手を下すのを嫌がっています。私もまた、彼にそこまでさせる事はどうしてもできず、ここまで恥をさらして永らえてしまいました。どうか、私がこれ以上の恥をさらして地上に害をなす前に……」
ミゼステのこの言葉に、ルインが一瞬かなり驚いた顔をした。
「待て、そういう話はしていない。そして気高いのは実に結構だが、先ほどより心が苦しくないだろう?」
「はい。言われてみれば……」
ミゼステはルインの指摘に驚いた。
「月光の剣士オーランド、君は人に近い。ゆえに闇に囚われたとしてもなおそれを制御し、飼いならして力にする事さえできるはずだ。それが出来れば彼女を救う事も難しくはない。そして、それが敵わなければ……」
ルインは戦斧の刃をミゼステの頭上に移した。
「彼女の言う通り、彼女の神命を絶たねばならない」
その重い言葉を発した時のルインの姿は、人型をしたゆらめく闇のようで、全員が息を呑んだ。
(ルイン様がいつもと違って見えるわ。でも、そうよね……)
気さくさと甘さはあっても、やはり伝説的な戦いを経てきた峻厳さと非情さは別格だった。ラヴナは思いつつ月光の剣士オーランドに目をやる。
(え?)
意外なことにオーランドは悲壮ではなく歓喜に近い感情を抱いているのが伝わり、それがラヴナを驚かせた。オーランドは構えを解いてわずかに進み出る。
「私が希望を失わなかったのは……私自身は既に闇を飼い慣らすすべを得ていたからに他ならない。しかし、汚れなき魂の存在である彼女は闇を抱えれば神ではないものになってしまう。それを止めるすべは見つからなかった。……しかし」
オーランドは再び『月光』を構える。
「力を示す事で彼女が救われるというなら、闇の力さえ使いこなして見せよう! ……黒衣の戦士ダークスレイヤーよ、先ほどの約定は事実なのだな?」
ルインは斧をオーランド側に向け直した。
「ああ。男に二言はない。そして、絶対者を騙る者どもの様な欺瞞もない。約束しよう」
この言葉の直後に、ミゼステの傍に女神バゼリナが一瞬で現れ、黄金そのものの小さな布を振った。ミゼステもまた青い力場の外に転移させられる。
「あの方はできない約束はしない方です。戦いの邪魔にならない場所で見守りましょうか」
微笑みかけるバゼリナの大変な位の高さに気づいたミゼステは、恐縮しつつも同意した。その間にも、ルインとオーランドは戦いの前の適切な距離を取り始めている。
(オーランド……)
ミゼステの祈り。
距離を取った、と思しきルインとオーランドは、その位置が一瞬で入れ替わり、遅れて武器のぶつかり合う音が響いた。全員に驚愕と衝撃が走る。
「今、何が?」
ギュルスが絶句する。
「ああ、月光の剣士が仕掛けましたね。『月影の瞬足』に対して、黒い方の『瞬身』が交差しました。武器は二合していますね」
バゼリナが淡々と説明する。
「強い! しかし、ここから先は私も滅多に扱わぬ闇の力を使いこなして見せよう。……伝説の戦士、私の力を試すのは決して容易なことではないぞ!」
月光の剣士オーランドは一瞬で飛び退り、『月光』を垂直に構えた。
「月の光あらば、私はこの身を闇に染めても心を失わぬ! 暗黒の相さえなお、闇を屠るのに用いる!」
オーランドの全身から闇が爆発的に噴出する。その闇と対照的に碧銀の光を帯びる『月光』を、闇を纏ったオーランドが払うようにふるった。闇のもやは散り、うっすらと青い光を帯びた闇の装甲を纏う有翼の存在となり、その眼が青く光っている。
それは強力な魔物を模した獰猛な全身鎧のようでありながら、なお力に溢れた美しいものだった。
「オーランド、あなたはそこまで気高く在ろうとするのね。闇さえ己の力として……」
言葉を漏らすミゼステの眼から涙が零れ落ち、淡い光を放ったが、ミゼステは自分でそれに気づいていなかった。
「始まりますね、最後の戦いが……!」
バゼリナの言葉が終わるか終わらないかのうちに、全員がオーランドの姿を見失った。
刹那。
ルインのいた場所に無数の月光剣の幻影が襲い掛かった。しかし、そこにルインは既におらず、意思があるかのように碧銀に光る剣の幻影が何かを追っている。
──月光・幻影光剣。
「速いな」
『瞬身』を繰り返しつつ距離を取り、二丁のリヴォルバーでそれらを撃ち砕いたルインが、執拗に現れる幻影の剣を最後は散弾銃で散らした。そのルインを球状の大きな闇が場を包み、やや離れた場所に低い姿勢で月光を構えるオーランドが現れる。
──朔の牢・暗月の場。
「真なる闇には月の光さえ届かない。届くのは容赦なき斬撃のみ!」
──降魔夜浄・絶千影剣。
月光を抜き払うオーランドに呼応して、闇の球体の中を無数の碧銀の剣閃が舞った。
「ああ、おのれの闇の領域に無数の斬撃をとどめておき、一気に開放する技ですね」
冷静なバゼリナの説明と共に、金属質の異音が響き続ける。
赤熱して火の粉を纏う、刃のある鎖が闇の球体を斬り散らすように拡散した。その中心にうっすらと姿の見えてきたルインに向けて、オーランドはひときわ大きな碧銀の光波を縦横に交差させて放ち、さらに突進する。
「しかし、高密度の怨嗟の鎖鋸を放てるあの方には通じませんか。あれは言うなれば、世界崩壊の理の一つですから」
皆戦いに釘付けになり、バゼリナの解説は耳に入っていない。
交差した光波を戦斧で撃ち砕いたルインは、続く突進技の月光を左わきに挟んで止めた。ルインの振り下ろすラヴレスもまた、闇の噴出するオーランドの左手に阻まれる。
(これほどの闇を御し、月光をここまで扱っても一切攻撃が通らない。この男……)
オーランドは驚愕と高揚の中にあった。ルインもまた、この月光の剣士に思うところがあった。
(闇をこれほど飼いならし、なお研鑽を積むか。この男……)
──強い!
双方が相手の実力を認め合う。次の瞬間には嵐のような斬り合いとなった。オーランドは自分の身に掠るのも辞さずに無数の幻影の剣を呼び出し、少し距離が開けば闇の領域にとどめていた斬撃に、さらにおのれの斬撃を重ねる。
しかし、黒衣の男はそれらを全て見もせずに斬り払っている。
(なんと! 見もせずに全て圧するか! ……いや)
オーランドは、『見ようとせずに全て見る』という域に黒衣の男が至っていると気付いた。武器を交えることは容易でも、その身に届かせるとなるとはるかに遠い。そして、闇を御す心の奥底から、次第にふつふつと楽しみが湧いてきていた。オーランドは強者との戦いに喜びを感じ始めており、それが心に忍び込もうとする闇をさらに良く御し始めていた。
それでもなお加速する剣戟の中、オーランドの願いはただ一つだった。ミゼステを救う事。その為なら……。
(より速く、より強く!)
やがて、無数の技の応酬の中で、オーランドの無想の技の連続が、その心をより高みに至らせた。
(静かだ……)
今のオーランドには一撃一撃がどのように受け止められるのかが読めていた。今のままではこの男に傷一つつけられないのも理解できた。では、どうすればよいのか? 斬ろうとする事、勝とうとする事、ミゼステを救おうとする事。それらは全ておのれの心の熱であり、それが武技にこもっていた。熱を帯びた無数の技、そのこと如くがこの戦士には通じず、黒衣の戦士は澄んだ闇のように静かで冷めていた。
(これが私と彼の差か……)
心の熱は情念。それが人を縛り、眼を曇らせる。それが神なら、囚われれば闇に堕ちてしまう事もあるとオーランドは考えていた。今、自分の姿と技にはそれがある。これ以上逸る剣はやがて自分をも闇にとらえてしまうと思われた。
(濁りし闇に囚われずに、あるがままに放たれる剣。それが全てを断つことができるのではないか……)
オーランドは自らの運命が月と密接に結びついている事に思い至った。人々は月に様々なものを思いはせる。しかし、月はあるがままにあり、人の意思がそれに形を与えているのではないか?
形ある剣はこの男には通じない気がしていた。では、無形の剣なら?
そしてなお強いミゼステを救いたい気持ち。ふと、オーランドは自分がなぜミゼステを慕い彼女を失ってはならないかを思い出した。あれはいつの事だったか、ミゼステの言葉が思い出される。
──人は月の光を時に月影と呼ぶそうです。闇の者たちさえ優しく照らす月の光は、確かに影と言えるのかもしれませんね。オーランド、気高いあなたなら闇に触れても大丈夫かもしれません。月影の如くに。
(そうだ、私はその言葉で、闇に囚われなかったのだ!)
オーランドは激しい斬り合いの応酬から無意識に距離を取り、ルインではなく『闇に囚われる心』のみを斬るべく構えを取る。周囲が薄暗くなり、冴えた殺気が冷気を纏う。さらに、下段から上段への碧銀の弧を描く斬撃を放った。
──無想・月影。
無形の斬撃がルインの胴を左肩に抜けるように切り上げる。欠けた月を思わせるそれはルインの構えていた斧の柄の防御より早く、ルインは一言だけ呟いた。
「……見事!」
かなりの深手に見えたが、その傷に黒い炎が巡ると、ルインの傷は一瞬で消えてしまった。
「ウル・インテスの月光の英雄オーランド、その気高い心、確かに見極めさせてもらった!」
一瞬の静寂ののち、大きな歓声が上がる。『二つの世界樹の都』の戦いは、ここでやっと終結した。
「届いたのか? 私の剣が……!」
オーランド自身がこの結果に気づかなかった。高揚する戦いが終わった事にわずかに惹かれる思いを残しつつも、オーランドは月光を鞘に収める。
一方、ルインは斧を下げて黒炎に包んで消し、鷹揚な笑みを浮かべていた。
「約束通り、彼女の囚われた闇と怨嗟はおれが全て持って行こう。月光の剣士オーランド、これより闇を祓う。声をかけてやるといい」
バゼリナの傍に座るミゼステを見とめたルインは、戦いの終わった身体をほぐすような動作をしつつ二柱の女神の傍に歩み寄った。
「来い、ネザーメア」
ルインの呼びかけに応じて、その足元に広がった小さな闇から、火の粉と共に黒い剣が鎖で巻き上げられる。
「気高い女神の囚われた闇はむしろ、永劫回帰獄では優しき雨となるだろう」
魔剣ネザーメアを右手で逆手に掴んだルインは、『永劫回帰獄碑文』を詠唱しつつ左手をミゼステに向けた。平たい闇がミゼステの上下に展開し、『七芒星と天地に向かう剣』の印章が赤い熾火に燃えて現れる。
ミゼステの全身は束の間、炭のように黒くなり、風が吹き込んだ時のように火の粉を散らしながら赤熱し始めた。
「ううっ……!」
苦悶の声を上げるミゼステ。やがて、大量の火の粉と闇が煙のように上下の印章に吸われ始め、ミゼステの姿は暗い赤熱から次第に白熱を帯び、やがて周囲がまばゆい光に包まれた。
「ミゼステ!」
オーランドの呼びかけと共に、爆散するように暖かな光が満ちる。その光の中に、船と導きの女神ミゼステが本来の姿を取り戻して立っていた。
「ああ!」
三種族からも驚きの声が上がった。温かくまばゆい光の中、その神々しい姿を取り戻したミゼステは、海の様な変容する寒色の眼を開けて気高く優しい声で語りかける。
「ああ、本当にこのような事が! 愛すべきウル・インテスの民たちよ、導くことを忘れ、災い成す神としての振舞いを心から恥じています。許されるなら再びあなた方を導くことを約束しましょう。今の私には未来が見えます。あなた方が『永遠の地』へと旅立つ姿が」
ミゼステはオーランドに向かい、また違った笑顔を見せた。
「オーランド、本当にありがとう。あなたが私を変わりなく、気高く思っていてくれたから、私はまたこの姿に戻れました。もう二度と、自分を見失わないと約束します。ありがとう」
英雄オーランドの肩が震えていた。
「私はずっと君を信じていた。これからもそれは変わらない。私が闇に堕ちなかったのは、なお高みに至れたのは、やはり君の気高さゆえなのだ、ミゼステ」
抑えていても、微妙な涙声なのが誰にも明らかだった。
三種族の代表たちはくずおれて涙していた。特に、高齢の古き民の女性は滅多に感情をあらわにしないはずだというのに強く嗚咽している。
「何という事! この夜を超えて、ミゼステ様とオーランド様までお戻りになられた。神々を失った私たちが、また……! ……船の民の方々の話は本当でした。界央の勢力と戦い、見捨てられた多くの世界を旅する真の戦士がいると。このような日が来るなどと」
そこから先は声にならない泣き声で、三種族の誰もが涙を流していた。
(ああ、元の姿に戻れたのね)
ゆっくりと立ち上がったラヴナはルインの元に歩み寄りつつ、自分の領域から赤い革で装丁され、銀の鎖で封印された本を取り出した。
「お疲れ様、ルイン様!」
言いつつ当たり前のようにルインの左腕に細い腕を絡めて、ミゼステに声をかける。
「ウル・インテスの船の女神ミゼステ、なかなか楽しかったわ。今のあなたなら私が少し見えるでしょう? これからは情念と上手に付き合い、闇に堕ちずにせめて零落にとどめておくことね。もう今後はそんな心配はいらないでしょうけれど」
「零落ですか? ……あなたは!」
位の高い女神としての権能を取り戻したミゼステには、ラヴナの姿がうっすらと三重に見えていた。
紅玉のような赤い髪に、小柄ながらも矜持のある奔放な美しさを持つ魔族の女。その姿の向こうに、角と翼を持つ非常に豊満な背の高い女の姿がうっすらと見えており、さらにその向こうには、獅子を従者とするゆったりした衣装の、慈愛に満ちた古い女神の姿が見えていた。
何かを言わんとしたミゼステに対し、ラヴナはそうするなと言うように片目をつぶり、銀の鎖で封印された本を手渡した。
「これ、あげるわ」
「これはいかなる書物ですか?」
「誰もいない時に読むべきよ。さっさとしまった方がいいわ。位の高い存在の婚姻に関する書物よ。今の無限世界では禁書に近いわね」
怪訝そうなミゼステに対し、ラヴナはオーランドのほうを一瞬だけ見やりながら説明した。
「あっ、かしこまりました。貴重なものをありがとうございます」
何かを察したミゼステは、少しだけ恥ずかし気に本を隠す。
「ああそれと、あたしとバルセ……もう一人の獅子を連れた女の事だけど、受けた損害に対しては、まずバルセの分は何か適当に見繕ってもらうとして、あたしは肩に刺さった矢の分も含めてだけど、あの剣の製法を求めるわ」
ラヴナはオーランドの剣『月光』を指さした。
「かしこまりました。必ず伝えるようにいたします」
「じゃあ、しっかり頼むわね。あと、お幸せに!」
そのやり取りが終わらないうちに、三種族の誰かが声を上げた。
「空が明るくなってきた! 夜が明けるぞ!」
感動の空気の中、二つの世界樹の都の三種族たちは慌ただしくなり始めた。
「どうした?」
「船の民の方々のお話では、夜明けを迎えればほどなくして永遠の地の方々を元の世界に帰し、お礼をお渡しする大術式が発動するとの事です。しかし、皆様にしっかりと感謝の意をお伝えしたく」
ルインの問いに対して、古き民の女性はどこか希望の満ちた声で答えた。
「なんだって?」
頭上の月は空を埋め尽くすほどに大きかったものが次第に遠ざかり始めており、彼方の空が少しずつ明るくなり始めている。
「時間がない。みんな集まってくれ。戦いは終わりだ! もうじき大術式でウロンダリアに帰る事になるそうだ!」
戦いが終わった解放感も束の間、『二つの世界樹の都』テア・ユグラ・リーアからの帰還の時が迫っていた。
first draft:2022.01.15
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