第四十一話 復讐の権利
『豊穣なる雨の地』ウル・インテス。『二つの世界樹の都』テア・ユグラ・リーア。
赤く禍々しかった月は清い光を取り戻して遠ざかり、今やうっすらと空が白みかけている。帰還に備えるというルインの呼びかけに対して、ウロンダリアの戦士たちは続々と集結し始めていたが、一通り全員がそろったあたりでバゼリナが待ったをかけた。
「皆さん揃いましたか。もう一つ、とても大事な戦いが残っているのです。この壮大な運命の朝に至る上で、この件のきっかけとなり巻き込まれたゴシュさんとその一族の方々、そして……彼らの殲滅も辞さずに『古都の門』の秘密を守ろうとした、『血塗れの錬金術師』ダクサスとの因縁の戦いが」
バゼリナが指さすと、ゴシュと骨付き肉、そしてウロンダリアの戦士が一塊に集まっているあたりに白く淡い光の柱が立った。その光の根元に、狼狽する中年の魔術師が立っている。
「何だ? どういう事だ?」
どこかわざとらしさのある狼狽を見せる魔術師に対し、バゼリナは穏やかな微笑を浮かべたまま話を続けた。
「あなたがここに来ることは遥か昔から決まっておりました。しらじらしい芝居はやめて、神秘を見続けたいという破廉恥な願いを吐露し、命乞いでもした方がいいと思いますよ? それとも、これを見ても白を切りますか?」
バゼリナは腰に結わえられた涙滴型の複雑な光を放つ宝石『混沌の涙』に触れた。一瞬でその姿は黒いイシリア風ドレスを着た妖艶な異端審問官バゼルの姿に変わる。
「お前はバゼル! なぜだ! どういう事だ!」
「驚いたかい? ……これについてまだ多くを語る時期ではありません。『永遠の地』ウロンダリアに対して壮大で恐ろしい陰謀が蠢いています。これはその裏をかく大切な行いの一つ。あなたはその中にあって、自分が生み出した因縁を受け止めなくてはならないのです」
「馬鹿な……こんな事が!」
狼狽するダクサス。
「よくわからんが総員、取り囲んで輪を作るべきじゃ」
「同感ですわ。……皆の者、場を取り囲め!」
何かを察した老べスタスが素早く指示を出し、アーシェラもそれに続いて号令をかけ、ダクサスは遠巻きに一人で取り囲まれた形になった。
一方、何が起きているのかわからないゴシュに対して、ラヴナが説明する。
「ゴシュ、要するにあの男があなたの一族の殲滅をしてでも『古都の門』の秘密を守るって判断をしたって事よ。一族の仇の最重要人物って事ね」
「えっ? あいつがみんなを?」
「直接対話してどうするか決めなさい。仇討をしたいなら、あたしは立会人の一人としてあなたの仇討の正当性を証明してあげるわ」
「わかった。あたい、行ってくる! ……行こうぜ、骨付き肉」
ゴシュは頑丈なフライパンを手に、骨付き肉と共にやや緊張を漂わせてダクサスに向かった。額に汗を浮かべて神妙な表情をしているダクサスだったが、どこかに笑いの漂っているような微妙な空気もあった。
ゴシュは痛いほどにフライパンの柄を握りしめたまま、努めて冷静に問うた。
「なあ、何でみんなを殺したんだよ。魔の国と人間の国は同盟だろ? みんなを殺す事なんて無かったじゃねえかよ! 何でなのか言ってみろよ!」
重い沈黙が漂うが、ダクサスは口を開かなかった。
「何か言えよ!」
ダクサスは深く息を吐いたのち、観念したのかようやく口を開いた。
「我々人間は、本来はあらゆる種族の首席であり、万物の霊長であるべきだ。だからあらゆる物を学び、研究し、他種族に遅れを取らぬように、他種族を凌ぐべく研鑽をしている。私たちの価値ある研究が、どうでも良い領地の領有権などでヤイヴなどに阻害されるのは何としても防ぎたかったのだ。特に魔の国は我々人をはるかに超える魔術などの深淵に満ちている。これ以上差がつくのは好ましい事ではないと考えていた」
「だからってみんなを殺していいって事になんのかよ! それで戦争になったら負けるのはお前らだろ?」
「そうだ。魔の国の力は強大だからこそ、我々人間が遅れを取り続けてはいけないと考えている。巨大な不平等を解消せんとしたまでだ。特に今回の神秘を見て確信した。眠り人まで魔の国キルシェイド側では、我々人間は遅れを取り続けるだけだとな!」
「何言ってるかわかんねぇ。だからってみんなを殺していい事にはなんねぇだろ!」
「お前たちがそう言ったところで、我々人間の真似事をしているだけではないのか? 上位種と言えど所詮ヤイヴ。実際ろくな文化さえ持たぬではないか」
「……だから皆殺しにしてもいいって考えたのか?」
「大した文化も学も無いのに、そうやって人語を解し人間の真似事をするお前たちが、私たちには気持ち悪くて仕方ないという事だ。強大な力をもって不死に等しい上位魔族、ダイオーンなどもな。我々人間が遅れを取り続けていいはずがないのだ!」
ゴシュはこの言葉に顔を伏せた。フライパンを握りしめる手は震え、血管が浮き出ていたが、やがてその震えは止まった。
「よくわかったよ。……錬金術師ダクサス、あたいは仇討ちを宣言する。あたいと勝負しろ!」
「仇討の決まりは、私が勝てば無罪放免という事だな。いいだろう、受けて立とう!」
この経過を見て、ラヴナが声高に宣言した。
「あたしはギャレドの氏族のヤイヴの娘、ゴシュの仇討の正当性を証明するぞ!」
バゼルも続いた。
「私も審問官の立場から全容を把握している。よって仇討の正当性を支持しよう!」
「バゼル……貴様!」
しかし、次の瞬間にはバゼルは身をひるがえして女神バゼリナの姿を取った。
「多くの世界の滅亡の原因となった人間の僭越な思い上がりは、ウロンダリアでは歓迎されない類のものです。それ以前に、因果は自らに返るものでしょう?」
バゼリナは世界樹の都の三種族やオーランド、ミゼステに向き直って話を続けた。
「『船の民』と私との間には約定があります。実のところ、帰還の大術式の発動は私が握っておりますので、もう少しこの仇討にお付き合いください。あのヤイヴの女の子がこの朝を導きましたが、そのきっかけとなった悲劇はあの子の一族が皆殺しにされるという惨たらしいものだったのです」
「そんな事が……」
絶句する古き民の女性。
「オーランド、私たちも見届けましょう」
真剣なミゼステに対して、オーランドもまた返した。
「もちろんだとも」
こうして、全ての始まりとなったゴシュの因縁の仇討が行われる事となった。
ウロンダリアの戦士たちと世界樹の都の三種族たちが見守る中、錬金術師ダクサスと対峙するゴシュと骨付き肉。既に夜明けは近く、月は遠ざかってうっすらと白くなりつつあった。
「では、朝日が姿を見せたら、仇討ちの始まりとする!」
右手を高く掲げたラヴナの勇ましい宣言が空気を震わせる。全員が激しい戦いの後だったが、それでも全ての鍵となった出来事の締めくくりであるせいか、疲労の空気は漂っていても弛緩した空気は漂っていなかった。
(これは、帰ったら倒れるように寝る者も多そうね……)
周囲を見回してそんな事を思ったラヴナの視線は、薄明るくなり始めた彼方の空に至る。折しも、清々しい朝の光が差し込み始めた。
「よし、仇討ちを開始とする! 慣例にのっとり、仇討ちの法令は魔の国のものを準拠する!」
凛としたラヴナの声が響く。
「行くぜ、骨付き肉! 自分でみんなの仇を討つんだ!」
フックのある肉切り包丁をくわえた骨付き肉は低く唸った。ゴシュは左手に盾代わりにフライパンを、右手に父のギャレドから渡された、魔力を帯びた小剣を手にする。
「むざむざとやられはせんぞ!」
ダクサスは腰袋から古く摩滅した銀製の壺を取り出した。ラヴナとバルセはそれが特別な工芸品であることに気づく。
「ちょっとラヴナ、あれ『マリスの血壺』じゃないの?」
小声で顔をしかめるバルセに対して、腕を組んだラヴナは難しい表情を見せた。
「これもまた因縁ね。チェルシーが言っていたのよ。アルカディアがこちらにマリスを戻すと」
「は? どういう事なのあの野良猫女!」
「分からないけど、まあ何かあるんでしょ、立会人だと助言してやれないのが歯がゆいわ」
ラヴナの言葉に気づいたバルセは、ゴシュに素早く声援を送った。
「何か召喚してくるかもしれないわ。気を付けて!」
「おう!」
ゴシュに対して声援が飛ぶ。対して、重い銀の壺の口を開けたダクサスはそれを振り回し、周囲に大量の血がばらまかれた。濃厚な血の匂いの漂う中、赤黒いそれは沸騰した湯のようにぼこぼこと泡を吹き始め、それらが異形の化け物の姿となる。
──妖力・血泡獣。
人型の物、蟷螂の化け物のようなもの、大トカゲのようなもの……その姿は様々だったが、三十体ほどの血で出来た化け物が現れた。人型の物は剣に槍や盾などの武器を、それ以外のものは身体のどこかに鋭く長い刃の生えた異形の者たちだった。
「こんなの怖くなんかないぞ! あたいは絶対に負けない!」
ゴシュは父の形見の小剣を握って掌に傷をつけ、その手を左胸の印章にあてた。霊体のつむじ風が舞い、ゴシュの部族の軍勢が現れる。
「みんな、一緒に戦うぜ!」
ギャレドの氏族のヤイヴたちは無言で武器を掲げて血の化け物たちに襲い掛かる。すぐにこの世のものならざる存在たちの乱戦が始まった。
「私の手札はこればかりではないぞ!」
ダクサスはさらに、腰袋から三つのフラスコを取り出した。中には人間によく似た小さな生き物がいる。それらのフラスコの中に魔力の漂う水晶の様な結晶体を入れ、近くに投げた。フラスコの中に青黒い煙が渦巻き、破裂する。もくもくと青黒い煙が噴き出して、剣や槍、弓を持つ三人の戦士が現れたが、その顔はのっぺりとした無個性なものだった。
「人造人間!」
誰からともなく声が上がる。穴が開いただけの鼻と、黒いだけで白目部分のない目。錬金術により生み出された人造の生命体だ。通常は単純な命令しかこなせないものが多いが、この三体の動きに妙に手練れの空気が漂っている事に、いち早くギュルスが気付く。
「おいヤイヴの嬢ちゃん、そいつらはただのホムンクルスじゃねえぜ! 動きがなんかこなれてやがる!」
この声に、ダクサスは忌々し気に舌打ちをした。
「ヴァスモー風情が人間のような事を! 確かにこいつらは特別製だがな。借りを返せなかった奴らの魂をホムンクルスの肉体に移したものだ。なかなかの手練れだぞ!」
ダクサスはさらに、腰の黒い革袋からダギの牙を一つかみ取り出し、それも周囲にばらまいた。白い煙と共に武装した骸骨の戦士が十体ほど現れる。
「ああ、今度は竜牙兵まで! 私たちの輸送隊もしばしば襲撃されましたが、やっと裏が見えてきましたね」
ため息混じりに猫の剣士ジノがつぶやく。
「ゴシュさん、こんな奴らに絶対に負けちゃ駄目だし、あなたはきっと負けないはずだ。相手と武器を見て、よく走るんだ!」
ジノもまたゴシュに助言を送る。既にダクサスとゴシュの戦いは小さな戦争の様相を見せ始めていた。
血の塊の化け物、不気味な『血泡獣』に対して、霊体のヤイヴたちは果敢に攻撃を仕掛ける。血泡獣の鋭い剣や刃で何体かが薙ぎ払われ、斬られても、すぐに煙のように身体を再構成して襲い掛かり、少しずつ戦力を奪っていく。
しかし、戦士のように甲冑を纏ったホムンクルスたちが魔力の付与された淡く輝く矢を撃つと、それが命中したヤイヴたちも一度は消え、再出現に時間がかかっていた。そこを竜牙兵が押し返そうとしてくる。
ダクサス自身も隙を見て初歩的な魔術である火球を放ってきており、ゴシュはそれをフライパンで打ち払った。
「くそ、なかなか近づけねえ!」
──あるじ、おれ、大きい姿になる!
「駄目だ! あたい、お前にはもうあまり魔獣になって欲しくないんだ」
──わかった。
ダクサスは血泡獣と竜牙兵、さらにホムンクルスよって三重の防壁のように自分を取り囲ませている。霊体のヤイヴたちの働きによってじわじわと血泡獣たちの数が減っていたように見えていたが、ゴシュは血だまりから再び血泡獣が沸き上がるのを見て、この戦いに先が見えなくなってきていた。
「くそ、きりがねぇな……!」
舌打ちをしたゴシュの正面で、血泡獣がまた一体形を失って崩れたが、そのヤイヴたちの中に見慣れない大柄なヤイヴの後姿があった。思い出そうとした矢先に、時が止まったように周囲の全てが静止して薄暗くなる。
大柄なヤイヴは振り向いて、立派な牙のある口でにかりと笑った。賢きヤイヴの始祖の英雄、勇士オゴスの姿だった。一瞬遅れて隣に亡父ギャレドと、その側室だったネズが赤ん坊を抱えて現れる。
「えっ? なんだこれ? オゴス様⁉」
「おうよ! この野郎おぼこい戦い方しやがって。見てらんねえぜ! 黒い旦那がもう少しこう砕けた感じなら、何発か突っ込んでもらってこういう戦い方もしなくなったかもしんねぇな」
オゴスは腕を組んで大きな体を揺らして笑った。
「ごめんオゴス様。あたい、あまり戦い方とか指揮の仕方とか分かんねえんだ。でもさー、ルインさんってそんな事する人じゃねえし、そういう気分になったらあたいじゃなくて、綺麗な花みたいな人がいっぱいいるんだぜ! 流石にそれはねぇと思うぞ?」
「……へっ、冗談に決まってらぁな。それよか、フライパン出せや。そこの毛むくじゃらの包丁も。約束通り加護を与えてやるぜ」
ゴシュはフライパンを、骨付き肉はくわえていた包丁をオゴスに差し出した。オゴスは懐から小さな鏨を取り出すと、何事かを唱えながらフライパンと包丁に原始的な文字と図柄を刻む。
「おらよ。色々な加護を与えたぜ。このフライパンはな、投げても手元に戻ってくるし、食い物がこぼれるって事がなくなる。錬金野郎をぶっ殺すつもりで何度も投げろ! あと毛むくじゃら、こっちの包丁は魔力の大鋸になる。骸骨や血の化け物を薪みてぇに切り刻んじまえ! 料理の時は骨切りに使う事もできるけどな!」
笑っていたオゴスだったが、一瞬だけ真顔になった。
「オレぁこの後飯でも食いながらこのケジメを眺めさせてもらうぜ。ここまでしたんだ。飯がまずくなるような舐められた結果にすんなよ?」
「あたいぜってえ負けねえってば!」
「へっ……頑張れよ?」
鼻で笑いつつも、どこか優しい響きの言葉を残してオゴスは消えた。続いて、亡父ギャレドとネズも、微笑んで見つめつつ戦いに戻っていく。
「あっ! 今の⁉」
現実に引き戻されたゴシュはそれが一瞬の出来事だったことに驚いたが、その両手にはフライパンと肉切り包丁が握られており、さっきまでは見覚えのなかった原始的な刻印がなされている。
──錬金野郎をぶっ殺すつもりで何度も投げろ!
その言葉が強く思い出された。ゴシュは骨付き肉に包丁を渡すと、くわえられた途端に包丁の両端に剣の様な魔力の鋸が大きく展開した。
──これならいける!
骨付き肉がヤイヴを蹴散らした血泡獣の脇を疾風のように通り過ぎ、数体の血泡獣が斬られて破裂して血だまりに戻った。
「すげぇ! なら、あたいもだ!」
尽きる事のない怒りを思い出して、ゴシュの両腕に血管が浮く。
「くらえ!」
怒りと共に筋金のようになった筋肉で投げられたフライパンは、気付いて放たれたダクサスの火球を散らして、その顔にめり込む。遠目からでも歯が二本ほど飛び散り、ダクサスは派手に倒れた。フライパンはすぐさま風を切りつつゴシュの手に戻る。
「な、何が?」
狼狽しつつもよろよろと立ち上がったダクサスの顔に、またフライパンがひどい音を立ててめり込んだ。ダクサスは唸るように悶絶して昏倒してしまい、さらに歯が転がる。残されたのは茫然としているホムンクルスと自律して戦う竜牙兵、そして血泡獣だったが、ラヴナが進み出る。
「仇討の対象者の昏倒により、継戦、停戦の意思表示可能なものが居ない状態となり、仇討は決着とする。被召喚体は立会人が収拾するものとする!」
ラヴナはゴシュに向かった。
「統率する者のいなくなった状態だから、これら召喚体はいったん不活性の状態に戻して全て没収するわ。あなたの勝ちだけど、どうする? 殺す? それともしばらく拷問してから殺す? 別の人に処刑して欲しいなら、ルイン様は『処刑者の大剣』を預かっているから、ルイン様にお願いするのも有りよ?」
ラヴナは言いながら、竜牙兵たちをダギの牙に戻し、血泡獣たちは銀の小壺に、ホムンクルスたちはガラス製の瓢箪型の瓶を取り出してその中に吸い込むように収納した。束の間悩んでいたゴシュは困惑気味に考えを述べる。
「仇は仇なんだけど、なーんかすっきりしないんだ。こいつだけが仇じゃないっていうか……。それに、ここは別の世界で、うちらの都合で血を流して死体を置いていくのもちょっと悪いんだよな」
「つまり? いったん身柄を拘束してウロンダリアに連れて帰ると?」
「うん。ちょっと考えたいんだ」
ラヴナは一瞬だけ、深く優し気な目をした。
「いい考えだと思うわ。納得いくまで考えなさい。……アグラーヤ、こいつをふん縛ってしまいな!」
ラヴナは蛇にも見える銀製の鞭、アグラーヤを取り出した。気を失ったダクサスはぐるぐる巻きに拘束される。
「ここに、ギャレドの氏族のゴシュの仇討が成されたことを宣言する!」
ウロンダリアの戦士たちや三種族から大きな拍手が上がり、照れくさそうに鼻をすするゴシュの眼から一筋の涙がこぼれた。隣に座る骨付き肉の眼もまた潤んでいる。因縁に一つのけりがついた瞬間だった。
first draft:2022.01.24
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