第四十四話 思わぬ来訪者たち

第四十四話 思わぬ来訪者たち

 不帰かえらずの地の丘。

 ロザリエが示す空の一点には、明らかにこちらに向かってくるダギドラゴンの姿があった。そのダギは大きな声で吠える。

アー・ヌ・イム・ナー我は敵ではない!」

「敵ではない、と言っているわ」

 ルインの腕を取ったまま、ラヴナが説明する。

「わかるのか?」

「ダギの言葉よ。理解できるし、ある程度なら使えるわ。気性の荒い子ではないわね。誰か乗っているのかもしれないわ」

 同じくして、炊事で忙しくなり始めた野営地側からクロウディアが駆けつける。

「ルイン、シェアさんがどこにもいないのよ! って、あれは何? ダギ⁉」

 黒いダギはゆっくりと旋回して、やや離れた場所に草を散らして着地する。すぐに身を伏せる動作を取り、ラヴナがそれについて説明した。

「人や荷物を乗せて運ぶことに慣れているダギの動きだわ。あれは、一人はシェアさんじゃないの? 寝台に固定されているわ」

 白いフード付きのローブに銀の仮面で顔を覆った人物と、小柄な濃い灰色のローブとフード姿に、やはり無表情な銀の仮面をつけた、二人の人物が降りてくる。

「『人形の仮面』だわ……」

 ラヴナは小声でつぶやき、ルインのそばに寄って話を続ける。

「ルイン様、あの二人はウロンダリアの最大の悪趣味の犠牲者、『真珠のエルフ』の装束を纏っているわ。ジノたちが支援している『黒い花』の子たちかもしれない。慎重に話した方がいいわ」

「分かった」

 白装束の銀仮面は少女のような素朴な声で挨拶をした。

「仮面装束なので正式な挨拶は控えさせてもらうわ。キルシェイドの眠り人ルイン。あなたの仲間、教導女きょうどうじょシェアが一人で取り残され、卑劣な罠に掛けられたところを救い出してきたの。怪我はもう治療したけど、心の古傷をえぐられたようなので、夢鎮ゆめしずめの歌と香で深い眠りに落ちているわ。三日もすれば目覚めるから、それまではうなされたらしばしば手を握ってあげる事ね。あの子の世界にはしっかりした男がいないから、心が迷子になりやすいのよ」

「ありがとう。しかし、なぜそれが出来た?」

「精霊は多くの事を知り、教えてくれるわ。あの教導女は精霊に好かれやすい性分のようね。これ以上・・・・ひどい目に遭うべきではない子だと思うから助けたのよ。それに……あなたに貸しを作りたかったからね」

 仮面の女の声を聞いていると、ルインには白く冷たい砂漠のようなものが思い浮かぶ気がしていた。何かがルインの心を動かして言葉になる。

「そうか。……それにしても君の声はどこか乾いているな。哀しみの乾きだ」

 仮面の女の手は口元に運ばれ、おかしそうな動作をした。

「それは私の心そのものだわ。もう少しつやのあるしゃべり方でもすればよかったかしらね?」

「いや、そういう意味ではない。悪い気はしないが少し気になるだけだ」

「……そう。いずれにせよ、近いうちにまた話す事になると思うわ。今のあなたは魔城エデンガルの所有者。あの城の所有者は私と、私が導く者たちを保護しなくてはならない。力のない私たちはあなたの元に身を寄せることになるでしょうから」

 この言葉にラヴナが反応した。

「あなた、ネイ・イズニースね?」

「そうだけど、それが何か? 私を捕まえて古王国連合にでも引き渡すつもり? 大金は貰えるでしょうけれどね。彼らは私を『人類の敵』とまで言っているから」

 仮面の女はあざけるような空気で応じた。

「舐めないで。そんな野暮をする理由がないわ」

 ラヴナはルインに向いた。

「ルイン様、行く当てのない闇の古き民の一派、放浪神イズニースの使徒とその信徒は、魔王様がルイン様に渡すエデンガル城の城主がその安全を保障するという古の約定があるのよ。魔王様はその言葉を口にした時点で契約が成り立つことになるから、既にルイン様は魔城の主。つまりルイン様は彼女たちを保護する立場にあるわ。だからこの子たちはシェアさんを救い、ここに現れたのよ」

「つまり、保護される権利があるのに、気を遣ってシェアの事まで助けてくれたのか。こちらとしては感謝しかないし、保護もそれが決まりなら特に問題は無いと思うが」

 仮面の女はこの言葉に笑うかのように肩を震わせた。

「ふぅん、噂にたがわぬ鷹揚おうようさね。とはいえ、古い約定やくじょうだからと強引に多大な無理を迫る気はないのよ。私たちの事を良く調べて、その上でも保護に値すると思ったらこちらに返事を送って。私たちはだいぶ追い詰められているけど、返事を待って行動するわ。……ああそれと、嘘や罠はすぐに分かるからやめた方がいいわね」

 仮面の女、ネイは羊飛紙ようひしの手紙をルインに手渡した。しかし、ルインはそれを受け取ると意外な事を口にした。

「判断を急ぐなら眼だけでいい。見せてくれないか?」

 ネイは束の間逡巡しゅんじゅんしたが、答える。

「……いいわ。ただし、私にこれをさせるなら答えは急いで欲しいものね」

 仮面の女はフードを外し、わずかに虹を帯びた光沢のある真珠色の髪がさらさらとこぼれた。さらに仮面を外すと、明るい褐色の肌に尖った耳、猛禽もうきんのようにきらめく黄金の眼をした、繊細な魅力のある大変な美女の顔が現れた。

「『ウロンダリアの真珠』ネイ・イズニース。噂に聞いてはいたけれど、大した美貌ね」

 ロザリエが思わず感想をもらす。

「ふーん、なかなか魅力があるわね」

 余裕を保っているラヴナ。

「え? ネイ・イズニースってすごく怖い人って言われているけど、こんなに綺麗な人だったのね」

 この一昼夜で何度目か、クロウディアがまた目を丸くしている。その屈託のない感想にネイは微笑んだ。

「伝え聞く容姿から推測するなら、あなたは影の帝国インス・オムヴラのクロウディア皇女かしら? その言葉は嬉しいけれど、私たちは汚れし遊女であり暗殺者。あまり関わらない方が良くてよ?」

 自嘲気味じちょうぎみのこの遠慮に対して、クロウディアの言葉は意外なものだった。

「どこが汚れているのか全然わからないのだけれど? とても綺麗だし、品があるわ。普通なら手の届かないはずのこんな綺麗な子たちをかごの鳥のようにしてはずかしめるなんて、在ってはならない事よ」

「えっ?」

 クロウディアの意外な言葉に驚くネイだったが、そんな様子を気にも留めずに、クロウディアはルインに向き直って話を続けた。

「ルイン、当然助けるんでしょう? 『真珠のエルフ』の事は聞いていたけど、やっぱり不条理だわ」

「ああ、もちろん」

 あっさり応じるルイン。

(今なんて?)

 予想外の即答にネイは何かを聞き間違えたのかと思った。ルインはネイに向き直る。

「無理を言ってすまなかった。もう顔は隠しても問題ない。クロウディアの言う通りだし、シェアも助けてもらったんだ、それ以前に古の約定もあるし、ジノたちからもある程度事情を聞いている。もちろん保護させてもらおう」

 しかし、ネイの猛禽のような黄金の瞳に怒りの色が走った。

「軽く考えすぎでは無くて? 古王国連合を敵に回すという事よ? あなたにその覚悟が……!」

 ネイはそこで言い淀んだ。ルインの眼は楽し気に獰猛で、ネイは獲物を前にした大きな獣を思い浮かべた。

 ルインは楽し気に話す。

工人アーキタの都市にバルドスタ、そして今回の件と、どうも背後に古王国連合の話が出てくる。しかし、彼らは直接の軍事力は持たずに暗躍しているものが居るようだ。こうして君を保護することにより、彼らは明確に何かを言ってくるだろうが、声の大きい者やそんな人間を動かす者をつぶさに観測すれば何かが見えてくるだろう。おれは必要ならいくらでもやり合うつもりだが、陰で隠れてる奴らは果たしてその覚悟はあるかな?」

「私の災いを抱え込みながら、それを楽しむつもりなのね? 少し気に入らないけれど、保護してもらえる立場だからここは感謝すべきね。それなら早速お世話になるわ。私たち『黒い花』は、あの都の湖に『精霊の船』を泊めさせてもらうわ。蠅のような空賊どももこれで簡単には手出しができなくなるはずよ。皆を少し休ませてあげられるわね。……あとは、あなたの仲間を返して、後で正式に挨拶に来るわ」

──古き民が別の世界から持ち込んだとされる『精霊の船』は、ネイ・イズニースが『上位古代語イ・アルン・テラ』により見出して持ち主になったとされる特別な船で、この船は大地や森を海原のように進む力がある。

──エレセルシス・ルフライラ著『精霊の船』より。

 幾つかの細かい決め事を話し合ったのち、ネイ・イズニースはルインたちにシェアを引き渡すと、再び黒竜に乗っていずこかへと飛び去った。

「半分冗談とはいえ先ほどは剣を向けたし、彼女は私が運ぶわ。男の人は運び辛いでしょう?」

 ロザリエが馬のくらいばらを出現させ、シェアの眠る担架たんかを馬上に担ぎ上げて包む。

「すまない。若い女を男が担ぐのはあまり好ましいものではないからな。非常時なら別だが」

「なかなか紳士なのね? むしろ、そうでなければこの状況はうまく回らないわね」

 ロザリエは手綱を引きつつおかしそうに笑った。

「私の話が中途になってしまったのだけれど、つまりあなたはヴァラリスに何か頼みごとをされた、と。心当たりはある?」

「いや、ウロンダリアに戻れば分かると言っていたが、今のところ何も。しかし、何かわかったら連絡しよう」

「助かるわ。希少な眠り人同士、仲良くしたいところよ」

「最初にあんな鋭い剣閃を見せて仲良くか。良い刃筋ではあったが」

 ルインは脱力気味の笑顔で返した。

「余裕で受け止めると思っていたわ。だってあなた、カイルスでしょ? 『寡黙かもくなカイルス』。違うの?」

「あっ!」

「待って、『寡黙かもくなカイルス』ですって?」

 ラヴナとクロウディアも驚きの声を上げる。

「何だそれは? 全然思い当たらないが……」

 言いかけたルインは『寡黙かもくなカイルス』という言葉が初めて聞く言葉ではないような気がしていた。しかし、とりあえず思い当たることは無いと思い、断言する。

「いや、特にそのような記憶はないな。もともと不確かな記憶だが」

「ああ、そうだった。『眠り人』は基本的に記憶を失っているものね。でも、おそらくあなたは……ちょっとごめんなさい、動かないで」

「何を? ……おい!」

 ロザリエは手綱を離すと、ルインにしっかりと両腕を回して抱きしめた。

「これは何なの一体……さっきから何を見せられているのかしら」

 呆然として小声で漏らすラヴナ。その敬語の響きに剣呑けんのんなものを感じたクロウディアが焦る。

「あの、よく分からないんだけど何かまずい事になっていそうよ?」

「ああ、ごめんなさい。ラヴナ姫に悪かったわね」

 ロザリエはルインからそっと離れた。

「あなたはやっぱり、あの人のような気がするわ。『寡黙なカイルス』その人のような。声も、体つきも、触れた感じも」

 ロザリエは顎に長い指を当てて考え込んでいる。

「そもそも、『寡黙なカイルス』とは誰なんだ?」

 ルインは皆に聞いた。

「『寡黙なカイルス』は、八百年前の『混沌戦争カオス・バトル』の伝説の大英雄の一人よ。戦争の中盤に突如として現れた、黒い甲冑に身を包んだ英雄なの。角のある黒い馬を駆り、斧や剣と、大型の携行砲を良く用いていたわ。混沌に対しての耐性を持っていて、大英雄レオスリックとその恋人レイラを救い出したり……」

 ラヴナの説明をロザリエが継ぐ。

「かつて、あの混沌カオスの花の神ヴァラリスと刺し違えた時に、私の左手は奴に食われ、足元から少しずつ混沌の地平に沈んでいき、もう駄目かと思ったわ。そんな私を救い出してくれたのがあの人なの。あの人は正体を明かさないままいなくなってしまったわ」

「そうよねぇ。お礼の一言も言いたい気持ちはわかるわ。『寡黙なカイルス』は、最後の戦いのけりがついた直後にあなたを抱きかかえて現れ、皆に託していずこかへと立ち去り、それっきりだものね」

「そうなのよ。礼を欠いたまま八百年もの歳月が流れて、私は心苦しいまま。それにあの人、『混沌戦争カオス・バトル』の前からしばしばウロンダリアに現れていたはずよ。私、『二つの世界樹の都』の行く前にも、何度かあの人に助けられていた気がするもの」

「それは初耳だわ……」

 ロザリエの言葉には義理堅さだけではない強い想いを皆感じていたが、それは男女間のものに近いようで、誰も詳しくは聞かなかった。

「まあ、今更何かが分かるとは思っていないわ。眠り人ルイン、試すような事をしたり抱き着いたりしてごめんなさいね。挨拶の代わりに、これを受け取ってくれたら嬉しいわ」

 ロザリエは赤紫の宝石の板を銀枠で継いだ、小さな化粧箱をルインに手渡した。

「これは?」

 中にはいばらを模した精巧せいこうな鎖で繋がった、青と黒の宝石で薔薇ばらを模した銀製の留め金が収められていた。

「マントの留め金よ。私にとっては遠い昔だけど、確か昨夜のあなたは、留め金のないマントを付けていたと思うから。今もつけていないでしょう? なのでこれがいいと思ったのよ」

 この言葉に、姿を消していたバゼリナが現れた。

「あら、良い趣味ですね。黒い方は機能のみで衣服にこだわりのない方ですが、今は周りに女性も多いですし、このような一点の華美はとても粋だと思います」

「ありがとう。いただいておこう」

 ルインは早速、ロザリエの渡した留め金を付けた。

「何だかいいわね。とても似合ってるわ、ルイン」

 クロウディアは屈託なく褒めている。

(細かい所に目の届くいい女っぷりは流石ね……)

 ラヴナも感心していたが、言葉には出さない。

「悪くないようで良かったわ。改めて、以降はよろしくね、眠り人ルイン」

 留め金を付けたルインを好ましい者でも見るように目を細めて微笑み、ロザリエは改めて挨拶をした。

「こちらこそ、よろしく」

「周りにこれだけ美女がいるというのに、あなたの眼は歴戦の戦士の静かなもの。なかなか良いわね。私がここに来た理由はもう一つあるのだけれど、対応してくれたら嬉しいわ。えーと……」

 ロザリエは野営地を見回し、狼の魔女ファリスを見つけて声をかけた。空の鍋を運んでいたファリスもロザリエに気づく。

「ファリス、先ほどさる筋から情報が入ったわ。古王国連合こおうこくれんごうは次の議会で魔女協会を観察対象にし、あなたを証人喚問しょうにんかんもんして、何か適当な理由を付けてオーンの『黒き神獣の森』に手を入れるつもりよ」

 ファリスの持っていた空の鍋が落ちて転がる。

「そんななりふり構わない恥知らずな事をするつもりなの? なぜ?」

「今回の件で、異端審問会いたんしんもんかいの痛い所が魔の国や聖王国に伝わってしまったわ。圧力がかかる前に素早く権益を守りたいのでしょう。誰が何の意図でやっているかはまだ分からないけれど、どうも拙速なクロムの民たちの性分を利用して、何者かが暗躍しているように見えるのよね」

「また古王国連合か……」

 ルインは工人アーキタの都市に始まり、バルドスタ戦教国を経て現在までの問題が全て古王国連合と関りがある事について考えを巡らせていた。しかし、問題の本質は古王国連合ではないとも感じていた。

 その背後にいる何者かの意図。

 ルインの口角がわずかに上がり、牙のように犬歯が覗いたが、誰もそれに気づかなかった。

 考えをまとめたルインは、皆にそれを語る。

「この地で異端審問会のした事を精査し、それを質に取って、まずこの地の領有と世界樹の都の発見、さらに魔女協会の後ろ盾になる事と、『真珠のエルフ』をいにしえ約定やくじょうに則って保護する約束を公言しよう。魔城はひとまずこの地に構えればいいだろう。これで古王国連合を多層に揺さぶり、向こうの出方や動きを見極めつつ、混乱がファリスに及ぶ手を遅らせる効果も期待できるな。まあ、渡したりしないが」

 この考えは普通なら荒唐無稽の狂人のものだったが、度々ルインの底の知れない戦いの技を目にしている誰もが、そうは思わなかった。長い平和で腐った古王国連合が、眠り人にその在り方を強く戒められる未来を皆が思い浮かべていた。

「さっきから気分の悪いあれこれを聞かされたり見せられたりしていたけど、今のですごく気が晴れたわ。そうよね。それがルイン様よ。古王国連合とやり合うつもりなのね!」

 踊る気持ちを抑えられないのか、楽し気にラヴナが問う。しかし、ルインの答えはそれ以上にラヴナを笑わせるものだった。

「いや、古王国連合は退屈で遊んでいるんだろう。だから少し、一緒に遊ぶだけだな。楽しく遊んでやらなきゃ失礼というものだ」

「あはは! 確かにそうね」

 眠り女たちの笑いが響く。

 こうして、ルイン率いる一行は、この日一日を休息と幾つかの声明の発表の準備に費やす事となり、密かに動き始めた。

──魔女たちの思想は明文化されいないが、一般的には情念を肯定しており、『おのれの心に耳を傾けよ』『汝の欲することを成せ』『清く然るべくあれ』の三項であるとされている。しかし、これは構造側の掲げる法の理念とは相いれないため、彼女たちは誤解されがちである。

──本の魔女ミシャル・アルン著『魔女とは何か』より。

first draft:2022.02.09

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