第九話 バルドスタの夜会・前編

第九話 バルドスタの夜会・前編

 飛空戦艦『ヘルセスの剣』はバルドスタ戦教国せんきょうこくの首都オルリスを一周しつつ、迫る夕闇の中をゆっくりとその中心部に向かった。

「あの、高い城壁に囲まれた向こうに見える、そびえる巨大な影がダスラの王宮です。難攻不落の要塞であり、遠い昔に外つ世界から落ちて刺さったとされる、巨大に過ぎる一つの岩の上に建っているのですよ。あの岩は『要石(かなめいし)』と呼ばれています」

 顔の部分が暗い影になった、銀刺繍ぎんししゅうの黒マントと黒フード姿のベネリスが説明する。

「かつて、東の『雨の海』が広大な陸地に変わり、つ世界の獰猛な異民族が大量に攻め入ってきたことがありました。国土がほとんど敵の手に落ちても、このダスラの堅塞だけは陥落した事が無かったのです。国母こくぼイェルナ女王が建造した不落の王宮にして要塞ですわ」

「これは壮観だな……」

 ルインは感想を漏らす。灯火の灯りはじめたオルリスの市街地の中心部には、対照的に灯火らしきものがほとんど見当たらない広大な薄暗がりが広がっている。それは所々に入れ替えたらしき明るい色の岩がはめられた、間隔の広い胸壁きょうへきようした灰色の城壁に囲まれた区画で、遠目からでも所々に刃こぼれした鋸のように見える欠けのある胸壁に、この区画の相当な古さが感じられた。

 その城壁に囲まれた広大な区画の中心部には、大地から現れた巨人がそのまま途中で固まったかのような巨大な影があり、上部の灰色の武骨な巨城は、もしかしたら月がぶつかるのでは? と思うほどの高さにそびえていた。

「王宮ダスラの一番高い塔、『インスミラの月の塔』の頂上は、地面から17クード(約561メートル)もの高さにあるのですよ。本来なら、古い城壁から長い階段を歩いて王宮に入るのですけれどね」

 飛空戦艦は古い城壁の南側、石材の色を見ると後の時代に作られたらしい、城壁を増築した広場の上に着陸した。青い空の名残は既に西の彼方の空にわずかに残るのみで、王宮には多くの明かりが灯り、大階段にもかがり火がたかれている。

 『ヘルセスの剣』を降りたルインと眠り女の黒マントの集団は、そこから伸びる幅の広い長い階段を眺めた。王宮まで歩けば長い食事が二度できる程度の時間を要するだろう。しかし、今回は賓客ひんきゃくであるからだろうか、案内を促された先には部屋一つ分程度の大きさの若草色の光の円柱が立っており、ここを通って転移して王宮の正門に行けるらしかった。

「どうぞ! 王宮へ。眠り人と眠り女の方々」

 眠り人と眠り女の一行は、臨時の転移門をくぐる事にした。

──バルドスタ中興の国母とされるイェルナ女王は、東方からの侵略者によって王都が陥落し、夫も子供たちも全て虐殺されたのち、当時の侵略者の王ウラヴの妾にされた。その二十年後、彼女はウラヴ王と、自分の子も含めた子供たちを全員殺し、反旗を翻してバルドスタ復興の戦を始めた。

──アンダルス・カイバ著『イェルナ国母の苛烈なる戦い』より。

 バルドスタの王宮ダスラの大広間では、元老院派とベティエル派の貴族の娘たちが、それぞれ宴席について『眠り人』一行の到着を落ち着きなく待っていた。この、ほぼ癒着ゆちゃくも同然のつながりのあるバルドスタの政治的な二大派閥の貴族たちは、自慢の娘たちを『眠り女』の候補に出し、ことごとく落選した過去を持つ。

 それだけに、貴族もその娘たちも、今夜眠り人が連れてくるはずの『眠り女』がどれほどのものかとても興味があり、出来ればさげすんでやろうという邪な気持ちさえあった。

「魔の国キルシェイドより、『眠り人』ルイン様と、同伴の『眠り女』の方々が到着!」

 楽隊が音楽を鳴らし始め、王宮の広間の不錆ふせいの鉄(※錆びない鉄)の黒い扉が重々しく開く。その闇の中から敷かれた深紅の絨毯の上、明るい大広間に進み出て来たのは、黒服に黒い薄手のコートという眠り人ルインの姿だった。その後に、これもまた闇の一部のように、顔が影で隠れた、黒い銀刺繍のマントとフードに身を包んだ眠り女たちが続く。

「皆様、これより侍従長じじゅうちょうがそれぞれのお方の名前を読み上げます。順次マントとフードを脱いでくださいませ」

 羽根付きの洒落た帽子と髭が特徴的な男が、ルインからうやうやしく上質紙の紙筒を受け取ると、ろうふうを解いて読み上げ始める。

「まず、詳細は語れぬものの、古代王朝の血を引くやんごとないお嬢様、ルシア様ー!」

「こ、今宵はよろしくお願いいたします!」

 マントとフードを外したルシアは、黄蘗(きはだ)色のレースの多い古代ウロンダリアのドレスに身を包んでおり、髪は何箇所かを細い三つ編みにして、銀の小さな飾りを取り付けている。古代ウロンダリアの淑女の装いだが、今でも人気のあるものだ。

 そんな姿のルシアはややぎこちなくお辞儀をした。その動作に目に見える高貴さはないが、初々しさの中に品があり、バルドスタの貴族の娘たちは、彼女が身分を隠したやんごとない名家の娘なのでは? と推論している。

──でも、そこまで魅力的、というわけではないわね。

──あれくらいなら私の方が。

──少し、田舎臭くないかしら?

 チェルシーやラヴナ、バルセには、貴族の娘たちの心の声がはっきりと聞こえてきている。

(これは面白くなってきましたね!)

 ほくそ笑むチェルシー。

「続きまして、これは……工人アーキタの都市ピステの大ギルドのご息女、アゼリア・ライカ様!」

「今宵はよろしくお願いいたします。八つの古王国の一つ、古く威厳ある国バルドスタ戦教国の夜会に招かれた事、光栄至極に存じます」

 アゼリアの姿は深緑と青のゆったりしたドレスで、上半身が立派になりやすい後期工人の女性のスタイルに合わせて、大きく広がるスカートと肩や胸元が開いたドレスだった。さらに、ドルギーが貸してくれた特殊な貴金属の装身具、深い青のベレンサ、赤いクリムソ、灰色にけぶるバーダル鍛銀たんぎん、さらに上位黒曜石オブスタイトなどをふんだんに使ったもの、が首や腕を綺麗に引き締めて飾っており、どこか深みのある魅力と威厳のある立ち姿になっている。

──あれ、工人アーキタの宝飾品ではないの?

──驚いたわ、見事な胸に美しい細工物! 工人の女って魅力があるのね。

──畜生、何なのあの立派な胸と装い!

(おやおや? 面白いですねぇ!)

 チェルシーは心の声を聴くのが楽しくなってきていた。

「続きまして、魔の国キルシェイドにおいて『眠り女』のまとめ役をしておられる、夢魔リリムのネア氏族の姫、チェルシー・ネア様!」

「今宵はよろしくお願いいたします。簡易的ではありますが、私の参加は眠り人ルイン様のみならず、魔の領域キルシェイドとしても変わらぬ友好を遠回しに示唆するものであります!」

 チェルシーはホルターネックに二の腕はレースで包んだ黒い夜会用のドレスで、今夜は髪をおろしている。腕輪は桃色の宝石のものだが、基本的には質素な装いだ。上位黒曜石オブスタイトのカチューシャに刻まれた花々が、人ではない小人の職人の超絶の技巧によって小さな虹の花園のように輝いている。

──リリムですって、初めて見たわ!

──可愛い! あの子見た事あるわ!

──あの子が審査役なのよね。覚えているわ。なかなか可愛いわね!

(くっくっく! もっと褒めて良いのですよ!)

 チェルシーは聞こえてくる心の声に機嫌を良くしていたが……。

──でも身体は子供っぽいわね。眠り人はああいうのが好きなのかしら?

(なんて⁉)

 チェルシーは心の声の主を探したが、同じ感想を持つ者が複数いるようで、見つけられなかった。

(見つけたら足踏んでやろっと……)

「続きまして、魔の領域キルシェイドの女の魔族メティアの、メナ氏族のバルセ・メナ様!」

「今宵はわが友ラヴナからの厚意もあり、急遽この夜会の末席を汚すことにさせていただきましたわ。絢爛けんらんたる大国の夜会に、ささやかな花を添えられればと思います。ご笑納くださいな」

 この時、明らかにどよめきが広がった。青いテールドレスとショールのごく簡素なドレス姿だというのに、バルセの気品と魅力が明らかに場を圧倒してしまった。本気を出した女の魔族メティアの他者の心に直撃する魅力の力が働いている。

「流石に、これほど上流の方々がおられる夜会では、私が正装をしても水を打ったように静かなのですね」

 控えめな事を言いつつ、上げ髪にしたバルセは優しく微笑み、人々からため息が漏れる。

(ぐぬぬ、女の魔族メティアの本気は悔しいけど勝てない!)

 いつの間にかチェルシーも悔しがる側になっている。

「続きまして、『眠り女』であり、女の魔族メティアのザヴァ氏族の姫、ラヴナ・ザヴァ様」

「こんばんは。ルイン様の付き人としてお招きいただいた事に感謝するわ。私たち女の魔族メティアは眼福の存在、文字通り、見ただけでも心が癒されるとも言われているの。私たちの姿が日々の煩雑はんざつに荒れた心を癒してくれたら嬉しいわね」

 ラヴナは筒上仕上げ(チューブトップ)にした、黒革製のタイトドレス姿だった。腰には銀のベルトと、両手首には細めの銀の腕輪という、とても簡素な装いだ。髪は半上げ結びにしているが、この時も大広間に息を呑むような感情の波が流れる。身長に対しての衣服や体つきの黄金比を知っているせいか、見る者には完璧なたたずまいに見えてしまうらしい。

──うわ、可愛い! 体つきも素敵!

──噂に聞いていたけど女の魔族メティアってすごいわね。

──友達になりたい……。

 魅力の力が貴族の娘たちの心まで捉え始めていた。

(なんか納得いかない!)

 チェルシーは何かもやもやした気持ちを抱えた。

「えー、次は……なんと、古き光の民アールンのやんごとない身分の姫君、セレッサ・エステリアル様! この方も眠り女です」

「恐縮です。せっかくですから様々な種族が居た方が面白い、との事でしたので、チェルシー殿の勧めで参加いたしました。今日は男装にて失礼いたします」

 セレッサは男装をしていた。深緑のベストに白い上下の礼服と、白い羽をつけた緑のつば広帽子を目深にかぶっていた。その帽子を取って、凛々しくも深く一礼したのだが、いつものように片目が隠れており、髪を上げて結ってもその謎めいた雰囲気は変わらない。ここで、今までと違う感情の波が流れた。

──容姿の凛々しい方ね!

──姫君と言ったわよね? 演劇の男装の方みたい!

──お近づきになれるかしら?

(……セレッサさんもしかして狙ってやってます?)

 今やうるさいほどの黄色い心の声援がチェルシーの脳内を駆け巡って反響している。

「……えー、では続きまして、……なんと、影の帝国インス・オムヴラのクロウディア皇女様です!」

 広間に驚きの声が広がったが、その後さらに、クロウディアがマントとフードを外して二重に驚きの声が響く。侍従長の説明が続いた。

「本日身に着けておられる礼装はウロンダリアの伝説の六礼装の一つ、『影に舞う蒼い蝶のドレス』の実物だそうです!」

 今度は貴族の娘たちだけではなく、貴族たちも反応した。一目見ただけでも高貴な者と名乗れるような伝説的礼装だったからだ。ビスチェに片スリットのタイトスカート、といった形をした『影に舞う蒼い蝶のドレス』は、一目では黒曜石の輝きをした黒いドレスだが、身につけている者が動くと、その黒い生地の中をサファイアの透かし糸で編まれた青い蝶が舞い飛ぶ不思議な柄になっている。

「こんばんは。バルドスタとも友好的だった我が国ですが、ご存知の通り、混沌戦争カオス・バトル時代から最強とされた我が暗黒騎士団の団長、アレクシオス・ベイドスの造反により、我が故国は時を止めた状態にあります。今宵は私もまた『眠り女』を務める、ルイン様及び、私のともがらの眠り女たちの勧めもあり、この夜会に参加いたしました。なにとぞよろしくお願いいたします」

 お辞儀をして、勝色かちいろの艶を持つクロウディアの髪が流れる。

──眼福だ……。

──ドレスも本人も素敵。

──一度着てみたい……。

(まあ、そうですよねぇ。わかりますとも)

 チェルシーには、クロウディアがそのように見られることがなぜか自分の事のように嬉しく感じられていた。

「続きまして、これは? 『腕輪の姉妹』フリネ様とレティス様との事です。詳しい情報はやんごとないお方の為に伏せられているとの事です」

「初めまして。詳しいお話は出来ませんが、私たちの声や音楽でも聴いて納得していただければと思います。クロウディア皇女の美しいドレスで皆様驚きのようですが……」

 レティスが続けた。

「今宵の驚きは、まだまだこれからですよ。皆様、どうぞよしなに。御屋形様に呼ばれた手前、極上の時間にすることを約束いたしますわ」

 フリネとレティスは、普段着ではない、自分たちの一部と言っても良いような、黒と白銀のタイトなドレスに身を包んでいる。容姿は妖しさが漂うのに、その声や雰囲気には神々しさが漂っているため、難解な強い魅力を振りまいている。

 今度は二人の声を聴いて場が静まり返った。もっと聴きたい! と強く思わせる魅力のある声の働きだった。

──何という美しい声!

──蛇の眼をしているのに、妖しいのか美しいのか分からない。

──何者なのだ? あの美しい二人は!

(うーん……今夜のこれ、年寄りの寿命は縮んじゃうんじゃないかなぁ?)

 チェルシーは少し心配になってきた。実際に、あまり変化のない日々を生きてきた人間が、悪魔的存在や神霊的存在を目にすると、熱を出して寝込んだりすることもあり得た。

「さて、最後のご婦人は……仮名・暗い瞳のベネリス様、との事ですが……」

 ここで、フードとマントを外したベネリスの姿を見て、ルインたち以外のほぼ全員が息を呑み、驚きの声を上げた。

「ごきげんよう、我がバルドスタの民たち」

 美しい金髪を上げ髪にし、ワンピース型の深紅のドレスに、唇に鮮やかな赤い紅を引いたベネリスだったが、貴族の何人かが彼女を違う名で呼んだ。

「アーシェラ王女!」

「アーシェラ王女だ! なぜ?」

 ベネリスはため息を吐いて答える。

「揃いもそろって、バルドスタの女のたしなみを忘れ、武を磨かず、身体を鍛えず、やっている事は夜会や下らぬ話ばかり。音に聞こえたバルドスタの女が、欲や財貨に目をくらませて全員『眠り女』の審査に落ちるとは何事です? 仕方なしに私自ら身分を隠して『眠り女』に志願し、通ったので眠り女をさせていただき、今夜は婦人として呼んでいただいて同伴いたした次第ですわ。我が国の名をこれ以上落とすわけにはまいりませぬもの。……言ってみればあなた方の尻ぬぐいですとも、ええ」

 浮かれた空気は一瞬で張り詰めたものに変わり、ざわつき始めた。

「侍従長」

 ルインは戸惑っている侍従長に話しかけた。

「はい?」

「おれの紹介がまだだが?」

「申し訳ございません。……これより、眠り人ルイン様の挨拶です! ご清聴願います!」

 ざわつきはその不穏な熱気を残しつつもひとまずの収まりを見せる。『武人の礼』をしつつ、ルインは挨拶の口上を述べ始めた。

「『眠り人』ルインだ。まず、今宵の歓待に心から感謝申し上げる! そして、自分はベネリスと呼んでいるが、どうやらこちらの王族らしいアーシェラ王女に関しては、様々な種族の志願者から選ばれた、心清らかな眠り女の一人であるという事実があるだけで、それ以上でもそれ以下でもない」

 ルインは一呼吸おいて続けた。

「……ただ、先日の工人の都市国家ピステでの件もあり、彼女が居なければ、今の自分は歓待の招待に応じたり、あなた方バルドスタの人々を好意的に見るのは難しかったであろう、というのが正直な感想だ。彼女は確かに、この古きバルドスタの国の格を下げない働きをしたと言えるだろう。その上で、あなた方及びバルドスタという国を信用し、今宵の夜会も大いに楽しませてもらい、友好を深めたく思っている」

 またもやルインの高度な皮肉とたしなめの込められた挨拶に、広間は静まり返った。双方にとって油断ならない夜会が始まろうとしていた。

──バルドスタの守護神、戦女神ヘルセスの加護を受けるにあたっては、彼女をかつてその身に降ろしたイェルナ女王の人生を辿る試練が必要だという。しかし、その試練は凄惨とされ、詳しくは内容が伝わっていない

──ランドール・カイロ著『バルドスタの伝承』より。

first draft:2020.05.15

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