第十一話 動乱の始まり

第十一話 動乱の始まり

 バルドスタ戦教国せんきょうこくの王宮ダスラの大広間は、その南西面が見事なステンドグラスの窓になっており、何箇所かはバルコニーに出られるようになっている。

「ルイン、ラヴナさん、少し外の様子を探るわね」

 クロウディアはラヴナとルインに小声で言い、わずかに開いた窓の際に寄る。バルコニーにも魔導まどうの青白い灯火が灯ってステンドグラスを浮かび上がらせていたが、クロウディアの影から何かが飛び出し、柵の欄干(らんかん)の影に入り込んで消えた。

「これでいいわ」

「今のは何を?」

 ルインの率直な疑問にクロウディアが微笑む。

「私の使い魔、影のからすニーンとハースを放ったの。ニーンは闇も影も見通せるし、ハースはとても賢い子よ。周囲で何が起きているのか、きっと見つけて教えてくれるわ」

 バルコニーから人の眼には見えない二羽の鴉が飛び立つ。漆黒しっこく勝色かちいろの艶を持つ無口なからすニーンと、首に白い輪のある賢いハース。二羽は主の影人を脅かすものが無いか、ダスラの要石のふもとに広がる暗い森を旋回し、大城壁の上を超えた。と、大城壁の正門前広場に赤と黒の鎧上衣を着た騎士と兵士たちが少しずつ集結し始めている。

──ハース……!

 ニーンは首に白い輪のある相棒に声をかけた。

──捕り物と、威嚇いかく。だが我らが主にこの程度は無意味。主のそばにはあの強い男もいる。

──そうだな。

 クロウディアの使い魔の二羽の鴉は広場を対角に見渡せる位置に停まり、その危険度を正確に見極めようとしていた。

 再び、王宮ダスラの大広間。

「うそでしょ? 全然勝てないんだけど……」

 チェルシーは魔法のカードゲーム『セノット』で謎の貴婦人と対決していたが、信じられないことに三連敗を喫していた。魔の国では並ぶ者が居ないほどのセノットの名手であるチェルシーに対して、この黒ずくめの上品な貴婦人は『戦争』のルールで二敗、『冒険者』のルールで一敗を与えている。カードはどれも聖王国の公式なもので、しかしチェルシーが見た事もない組み合わせで変化をさせていた。

「あの……」

 チェルシーがある提案を持ちかけようとした時、レースで隠されている貴婦人の口元が優しく笑い、まるでそれを待っていたかのように答えた。

「わかるわ。『決闘』のルールをご所望ね?」

「ええ、まあ」

 『決闘』のルールは、場の親カードを魔法によって自分で顕現しなくてはならない。この場合の親カードはウロンダリアに組まれた特殊な術式を経て現出する、いわば自分の写し身であり、また真の姿でもあった。

「いいわ、やりましょう」

「ありがとうございます!」

 チェルシーは自分のカードを出した。『魔の国キルシェイドの夢魔の姫、チェルシー』が現れる。

(で、あなたは何を出すの?)

 貴婦人は『身分を隠す大賢者』のカードを出した。

「えっ、これ!」

「ふふ、そういう事よ? 楽しみましょう?」

 このルールで『大賢者』が出せる。それは紛れもなく相手が本物の大賢者であるから出来る事だった。しかしチェルシーの知る限り大賢者は神々と同じく、滅多に人前に姿を見せない。そのような存在が貴婦人の姿を取りこの場にいることは、何かとても大きな意味があるのだとチェルシーは気づいた。

(バルドスタと言えば大賢者インスミラとインスミルだけど、あの二人はリンス族(※ウロンダリアの賢い小人種族)……いわば小人よね? この人は人間に等しい体だわ……)

 チェルシーは記憶をたどった。バルドスタの王宮ダスラにある『インスミラの月の塔』は、リンス族という賢い小人種族の賢者のお気に入りの場所として有名だった。しかし、目の前の黒装束の貴婦人は明らかに人間だし、美しい体つきをした女であり、そこに偽装は無い気がしていた。さらに賢者たちは姿を変えることをあまり好まないとも言われている。

(アンサールは神獣族だし、アルヴェリオーネは龍人ダギアで立派な角があるはず。オルモッサは威厳があって顔と立派な胸を隠さないというし、うーん……)

 チェルシーは大賢者だとされる女の何人かを思い浮かべたが、どうも目の前の貴婦人はその誰とも違う気がした。

「知られていない賢者もいるという事よ。私たちは知られることを望んではいないわ。賢いという事はしばしば、他者に影響を与えたがらない事を意味するわ」

 まるでチェルシーの心の中が読めているかのよう大賢者たる貴婦人が微笑む。

「なるほど……」

 チェルシーは自分の大魔法や武器、使い魔、能力や召喚などのカードを、夢の世界を軸にした盤面を組んで展開したが、今度は接戦が続いた。魔法と知識が主軸の大賢者も、変幻自在なチェルシーのカードに押され始める。

「今度は行けそうですね! ではこれでケリをつけます!」

 ここでチェルシーは『夢幻の時間』のカードを発動させた。カードの全ての能力が大きく上書きされ、反対に大賢者のデッキがほぼ無効になり、親カードだけが残る。

「やはり夢魔の姫と夢の力は強いわね。知恵だけでは対抗できないわ。でも……」

 貴婦人は『新たなる世界の秩序』という初見のカードを現出させた。親カードが無い状態の時に切れる、文字通り切り札らしい。

「えっ?」

「これは、相手の場の全てのカードを消し、相手の親カードの動きを止めてしまうわ。強制的に引き分けになるけれど、互いに一枚ずつのカードを交換できるの」

「私の知らない特殊なカードですね? では、私は『夢幻時イノラの知識』でどうですか?」

 チェルシーは分厚い本を読むリリムの少女の絵柄のカードを出した。

「いいわ。では、私はこれを」

 黒い貴婦人は、銃と剣を構えた黒いコートの男の後姿のカードを出してきた。『最後の眠り人』とある。

「えっ、もうあるんですか? こんなカード!」

「大きい声では言えないけれど、公式なものよ? 眠り女であるあなたには最強のカードになり得るから、少し訓練してみたらいいわ。……では、そろそろ他の方と対戦するわね? いいかしら?」

「わかりました、とても楽しかったです!」

「ふふ、私もよ」

 立ち上がるチェルシーから見える、黒い貴婦人の口元は微笑んでいた。漂う花の様な香りは嗅いだことの無いもので、チェルシーはこれをよく覚えておこうと思いつつ、席を立ち去る。

「で、ご主人様はと……あらら」

 ルインはフリネが左側に、レティスが右側について会場を歩いていた。

(まだ何も食べてないんじゃないのかな?)

 バルドスタの料理を楽しみにしていたチェルシーのご主人様は、どうやらまだテーブルにさえつけていないようだった。連れてきた婦人が十人もいる為に代わるがわるその手を取って会場を歩くだけでも時間がかかるのに、腕輪の姉妹はその声の美しさと不思議な見た目でどうしても人目を引くようで、今は全く歩けてさえいなかった。

(あらまぁ。でも、バルドスタ戦教国は舞踏が無い習わしだから、いずれ席にもつけるよね?)

 バルドスタは華美と退廃に過ぎるとして舞踏を取り入れておらず、さらに魔の領域からの婦人は他の国でも舞踏に加わらない習わしだった。姿を見せるだけにとどめるという古代から決まりになっていた。

 それからしばし後。二階のバルコニーからベランダに出たクロウディアは、欄干に停まったニーン、肩に停まったハースから、大城壁の外側について聞いていた。

──千人程度だ。檻車おりぐるまもある。あれは捕縛ほばくだ。

 口数は少ないが要点だけを答えるニーン。

──非礼で舐めた年寄りたちだな。夜会に呼んだ客人の婦人を捕えるのは不敬に過ぎるし、まして『ねむ』でもある。これは眠り人やわが主まで敵に回す悪手だぞ。

 相手方の弱点について分析するハース。

「そう、ありがとう! ニーン、ハース」

 二羽の使い魔の鴉たちはクロウディアの影の中に消えた。王宮ダスラの大城壁の外には、ベティエルと三元老の指示の下、千人程度の軍勢が檻車を用意して待機しているらしい。クロウディアはルインにこの状況を知らせることにした。

 ルインはようやくバルドスタの料理を食べるべくテーブルに着いたが、そこにクロウディアが現れ、隣の席に着く。

「ルイン、どうやらベネリスさんを夜会の終わりに捕らえる段取りらしいわよ? 檻車と千人程度の軍勢が待機し始めているらしいわ」

 フォークに伸ばしていたルインの手が止まり、その眼に一瞬だが獰猛な光が躍った。ルインは楽し気に言う。

「少し舐めてるな。しかし、もてなしとしてはそっちの方が美味そうか。うちのベネリス嬢もとい、アーシェラ王女様はどこだ?」

 見回すと、ベネリスは楽隊のそばの席に着き、一人でグラスを傾けている。

「少し話してくる。クロウディア、おれが手を挙げたら、返礼としておれからの音曲おんぎょくを返すむねの声明を発表してくれないか? 腕輪の姉妹たちにひと働きしてもらうつもりなんだ」

「わかったわ!」

 ルインは席を立ち、ベネリスからそう離れていない位置に座っているフリネとレティスに話しかけた。

「二人とも、少し頼まれて欲しいんだが」

「どうしました? 御屋形様おやかたさま

「珍しいわね?」

「もう少ししたら、信条の無い者がなびく程度で良いので、会場の人々が我々とアーシェラ王女の味方になる様な歌や音楽を披露して欲しい。頼めるかな?」

「つまり、信条の無い方々が喜んで命を差し出すくらいの強さで歌うか……」

ひざまづいて靴を舐める程度に音楽を奏でればよいのね?」

「そこまで強いものは求めていないが……」

「御屋形様は誤解をしていますわ。信条の無い方々というのは器が小さいものなのです。加減の意味などなく、等しく同じように愚かなものですよ」

 フリネは容赦のない言葉を包容力に溢れた微笑みで口にし、ルインは出かかったため息を呑み込んだ。

「……影響力を調整したりは出来ないのか?」

「できますけれど、ここの方たちはそれ以前の問題だという事です。財貨も名誉も、そして私たちの声も、本来は実体がありません。受け取る人の考え方の問題なのですよ?」

「そうねぇ、ここの人たちでは難しいわ。私たちの神なる声の影響をそのまま受けるでしょうね。周囲を見てみたら?」

 ルインは言われたように会場を見回した。老若男女問わず、腕輪の姉妹を見る眼は多く、しかも全てが好意的な憧れを強く映している。

「つまり手遅れか。なら任せる。これはこれで皆幸せなのだろうしな」

「ええ。信条無き人々の心をまずは神性の魅力で揺さぶり、成長と目覚めのきっかけを与えるべく音曲を奏でましょう」

「わかった。それで行こう」

「ふふ、これでやっと役に立てるわね」

 微笑む二人の席を立ち、次にルインは一人でワインを飲んでいるベネリスの隣に座った。

「あらあら、夜会なのに一人寂しくワインを飲む王女の隣に来て下さったんですか?」

「まあそんな所かな。生きざまもドレス姿も美しい王女の隣に座るのは、まこと光栄の至り、とでも言っておくよ」

 ルインはわざとらしくうやうやしい言い方をし、ベネリスは笑う。

「魔族の姫様たちがそばにいる方にそんな事を言われても、社交辞令にしか聞こえませんわよ?」

「おれのような男に社交辞令なんて概念はないものだ」

「ふふ、飾り気を消しつつ褒めるその言い回し、武人らしくて良いですわね」

「まあ、真面目な話も言っておくか。貴族の趣味程度ではないしっかりした武人の空気に、女の美しさを両立させようという気風が昇華しているな。ドレスも良く似合っているし、王族としての『礼』も漂っている。つまりとても気品があり、かつ魅力的だ」

 ベネリスはこの言葉に、少しだけ驚いた顔をした。

「意外と、隅に置けない方ですわね。飾り気のない鷹揚おうようにして恐るべき武人かと思ったら、そんな言葉も出てくるのね。……悪い気はしないものね」

 ベネリスが珍しく微笑む。

「そうかな? しかし、この後は実に武人らしい話をしなくてはならない。無粋な事に元老院とベティエルは君を捕えようと軍勢を集めているようだ」

 ベネリスは特段驚いた顔をしなかった。

「申し訳ございませんわ。我が国の非礼に次ぐ非礼で。想定はしておりましたが本当に夜会の日にこんな事をするとは。少し早まりましたが、こちらはこの後から予定通りに話を進めてもよろしいですか?」

「構わんよ。もう元老院もベティエルも理解した。好ましい所は特に無い。会場の信条無き人々には、この後味方になってもらう事にしたよ」

 ルインは言いながら、クロウディアに向かって手を上げる。クロウディアがお礼の言葉と共に音楽を披露する旨の話をはじめ、フリネとレティスがピアナと呼ばれる鍵盤ピアナ付きの大きな楽器に向かった。

「まあ! 手段は選ばないのですね?」

「相手の趣向に合わせただけさ」

「ふふふ! では、私も取り掛かりますわね」

 ベネリスは立ち上がると広間の奥へと進む。と、申し合わせていたらしく女の給仕たちが二人、付き添うようにその後ろに現れた。王族にのみ忠誠を誓っている、腕の立つ別式べっしきの給仕(※護衛などの荒事も対応できる給仕)たち。ここで、心を揺らす心地よい波のようなレティスの歌声が広がる。艶やかなピアナの音色に乗せて二人が歌うのは、財貨や名誉に惑わされず、真に誇り高い生き方に価値があり、この歴史ある大国の真なる生き方は、戦いに備える心と共にある、という趣旨しゅしの歌だった。

「見事なものだな……」

 会場のバルドスタ人たちは茫然としたのち老若男女皆涙を流してこの歌に感動し、まるで真の生き方に気付いた人々のような顔をしていたが、ルインはそれを複雑な気持ちで眺めていた。

(人生は素面になってからが本番だ。何かに酔ってるうちは生きてさえいないものだ)

 ルインは静かに笑みを浮かべたが、誰もそれに気づいたものはいない。

「我が国のここにいる連中は脆弱ぜいじゃく過ぎて話にならないかね?」

 精悍せいかんだが、冷ややかな目で感動する人々を眺めつつ、ハイデがルインの隣に座った。

「驚いたな、この歌の声の影響をあまり受けていない」

「確かに魅力的だが、おのれの道が見えている者には路傍ろぼうの草花程度のものだ。しかし感心しないな、我が国の人々の浅はかさを見せつけられるようで。君は少し人々を見下しているふしがあるな」

「そんなつもりはないが、そう見えたなら否定はしない。人がおれをどう解釈しようが自由だからな」

「……ほう。眠り人の武威ぶいについて、あれからわが国では議論が絶えない。元老院やベティエルは、結局のところは何かの間違いとアポス卿率いる兵士たちの弛緩しかん、という事で結論を出し、アポスに禁固を言い渡したが、私は彼が言っていた事が真実だと見ている」

「いや、あの時は全員が酔っていた。つまりみんな呑み過ぎだな」

 ルインは自分が思っていた事を掛けた軽口をたたく。しかしハイデはそれには乗らずに話を続けた。

「私は君の剣気けんき闘気とうきを読める程度にはおのれの武を磨いている。あまりぼやかすのは不遜ふそんではないか? 武技というものはどれほど高めようが、常に上がいるものだ。誰もが君を読めない、という事は決してないものだ」

 謙遜しつつもこれは皮肉であり、また警告でもあったろう。

「同感だ。そう思いたいものだな」

 ルインは意味深な言葉を返す。二人はここから何の言葉も発しなかった。ルインはバルドスタの料理を楽しみ、ハイデも同じく特産品の黒いワインをゆっくりと傾けている。しかし、もしもこの場にもう一人、この二人を見れる程の武人が居れば、この二人が既に対峙しているような張り詰めた空気を感じた事だろう。

「邪魔をした。失礼する」

 ハイデは隙の無い所作で立ち、一礼すると立ち去った。

(要注意だな、あの男は)

 ルインはどうも元老院派やベティエルとも、そして王族とも少し違う立ち位置に見えるハイデが、ベネリスと打ち合わせた件に予想外の危険をもたらす予感がしていた。しかしここで閉ざされていた大広間の扉が開かれ、三大老とベティエルが現れる。

「読み上げよ! 検察官」

モノクルを掛けた禿頭の三大老ジラドは、黒い鎧上衣を着て巻物を手にした男に鋭い眼で命令した。

「はっ! 恐れ多くも、第一王家王女アーシェラ・イェルナリス・レダ・フォヌ・バルドスタは、元老院大議会法令第百一条による決議『王権の神性の保護の為の条例』に違反し、国家の枠に囚われぬ『眠り人』をたぶらかし、神聖なる王城に眠り女として再び登城し、元老院の決議と名誉をおとしめた。よって我々はこれを国家に対する反逆とみなし、緊急事態として王女アーシェラを捕縛ほばくし、しかるべき手順によってその罪を問うものである!」

 しかしここで、元老たちの一つめの予想外が生じていた。

 この罪状と捕縛の読み上げに対し、夜会に参加していたバルドスタの貴族たちは誰一人関心を示さず、感涙しながらフリネとレティスの歌を聴いていた。

「ここまでくるとむしろ高度に洒落しゃれの効いた催しで面白くも見えるな。どれ……」

 元老とベティエルにとっての二つめの予想外が、ゆっくりと立ち上がった。

──バルドスタ戦教国は過去にも元老院や議会制が立ち上げられたことがあったが、大抵は百年程度で腐敗し、その度に王家によって血の粛清が成されている。この為、古くからのバルドスタの人々にとっては議会制や元老院制はうさん臭く見られがちである。

──ランドール・カイロ著『バルドスタの歴史』より。

first draft:2020.05.22

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