第十五話 変事の後始末

第十五話 変事の後始末

 バルドスタ戦教国、ダスラの王宮の大広間。

 奇妙にも実権を奪われていたはずの王女との握手に感激しつつ去っていく貴族たち。中には「追って沙汰さたを下す」とまで言われても歓喜の笑みを浮かべつつ立ち去る者もいた。やがて大広間には楽隊と給仕を除けば、ほぼ眠り女たちとルインのみの状態になっていた。

「楽隊よ、『イェルナの凱旋がいせん』を!」

 アーシェラ王女が勇ましく命じる。

 本来は元老院派の貴族たちの息のかかった楽隊も、既に状況の決した今、彼らは厳粛げんしゅくに王女のリクエストに応えた。悲壮な始まりから勇壮な盛り上がり、まるで大勝利のパレードを眼下に見下ろすような曲が終わると、アーシェラ王女はルインと眠り女たちに深々と頭を下げた。

「ルイン様、眠り女の皆様、この度は本当にありがとうございました! 古くからの王族派の密偵みっていと武人たちの血の結束により、これから何日かは国内で騒乱が続きますが、大勢は決しております。これで我が国も元に戻る事でしょう」

「殺し屋を所望のようだったが、まあせっかくの夜会なんだ、こんな趣向もありだろう?」

「そうですわね」

 ルインの軽口に対して、アーシェラは普段と違う柔和な微笑みを見せた。

「アーシェラ王女様、眠り人殿ォー!」

 聞き覚えのある声が大扉側から聞こえた。扉のそばには数人のバルドスタ兵が立ち、その前にちょび髭の司令官だった男、アポスが座している。

「何か用かな? アポス卿」

「ベティエル派のあなたが、今更私に何の御用かしら?」

「アーシェラ王女様には、一度この『鼻利はなききアポス』の商才を身を粉にして捧げたく! また、眠り人ルイン殿、私はバルドスタにおいて神の風に打たれ、伝説をこの目で見て以来、日に日に高まる何かが抑えられませぬ! 怒りや屈辱より、天の機と申しますか、進むべき道と申しますか、我が兵たちも酒や路銀を与えられたり、ローンサの教会で介護を受けたとの事。いかなる些事さじでも対応いたしまする、どうか何かご用命くだされ!」

 アポスは顔を真っ赤にして平伏した。恥知らずにも見える転身だが、そんな矜持きょうじなどはかなぐり捨てた、男の一世一代の賭けにも見えている。ルインはこの様子を少し好ましく感じていた。

「……覚えておこう。今はまだ何もないが、何か入用になる事はあるかもしれない」

「ありがたやぁー!」

 ルインの様子を見ていたアーシェラ王女も続けた。

「禁固や蟄居(ちっきょ)を言い渡すかもしれません。しかし、それを何らかの功績で換える、または、何らかの罰の後にあなたの名前を思い出すこともあるでしょう。折りしも商才は我がバルドスタに必要なものです。ルイン様の魔剣の風に打たれてなお、交渉をしようとする豪儀ごうぎさを才とみなし、あなたを覚えておくことに致しましょう」

「ははっ、有難き幸せ! このアポス、必ずや!」

 アポスは平伏したのち立ち上がり、自分の私兵らしき男たちとともに立ち去った。中には機関車で見た顔もあったが、皆何か未来に期待を抱いたような、静かな熱い眼をしていた。その様子を見送っていたアーシェラはルインに向き直る。

「ひとまず夜会はお開きに致しましょう。今夜からしばらく我が国内は混乱いたしますが、元老院に遠ざけられていた硬骨の忠臣たちを招集し、再びこのダスラの王宮から、我ら王族がこの国を睥睨(へいげい)する事に致しますわ。血の粛清もやり遂げねばなりません」

「そうだろうな。だが君は『眠り女』でもある。辛い時はうまく自分を切り替えて休ませ、無理はしない事だ」

「そういたしますわ」

 アーシェラの暗い瞳に少しだけ優し気な光がよぎった。こうして、後に『夜会の変』などと呼ばれる政変の最初の夜は、本来なら大広間を血で染め抜く覚悟だったアーシェラ王女の思惑とは少し異なる形で終わりを迎えた。

──かつてバルドスタの首都を陥落させたウラヴ王率いるウリス人たちは、人間でありながら悪魔のように残酷で、陥落した首都オルリスの惨状は言葉を失うほどであり、その死臭は数年以上消えることが無かったと言われている。

──ランドール・カイロ著『バルドスタの伝承』より。

 十日ほどのち。魔の都の西のやぐら

「チェルシー、そういえばこの前の夜会の後、誰かを探し回ってなかったか?」

 魔の領域キルシェイドの地図を眺めていたルインは、掃除のひと段落したチェルシーに声をかけた。

「ああ、セノットのすごく強い人がいたんですけど、見失っちゃったんですよねぇ」

「あのカードゲームの相手か。遠目にもどこか謎めいた婦人だったな」

「でしょう? もう少しお話すればよかったなあって」

「まあ、また縁もあるだろうさ」

 そこに、セレッサが階段を上ってきた。

「ルイン殿、ベネリスさんもといアーシェラ王女が来ましたよ!」

 ルインは自室のある階から降りて、しばしば会合に使われる部屋に移った。既に何人かの眠り女が来ている。

「十日ぶりですか? 何だか皆さんがとても懐かしく感じますわね」

 腕の立つ別式べっしきの給仕、リスラとマーヤを伴ったベネリスは、以前よりも黒を増やした深紅の装束で、その笑顔も少し明るかった。

「少し明るくなったかな? で、次のすべき事を動かせる段階に入ったかな?」

「ええ。お陰様で、どうにか国内の状況も落ち着きつつありますわ。あとは忌まわしい『絵画聖堂かいがせいどう』の絵画を焼き払い、呪いと陰惨いんさんな習慣を私で最後にいたしたく考えております。ルイン様と眠り女の皆さま、また力を貸していただけますか?」

「もちろんだ。それはどんな感じに進める?」

「ダスラの王宮の下に広がる暗い森、あれは『(かばね)の森』と呼ばれる恐るべきみ地なのです。『絵画聖堂かいがせいどう』はそこにひっそりと建っていますが、しかし、千人ほどの兵士を動かして、どうにか聖堂までの灌木かんぼくや雑草を取り除きました。詳しくは我が王宮にて説明いたしますが、ヘルセス様のお話では、絵画を全て焼き払えば、うまくすればイェルナ女王から続く呪いを遮断できるかもしれない、との事でした。しかしまた、邪悪な知恵の働くウリス人たちも関わっているため何が起きるか分からないとも。皆様、謝礼もお支払いしますし、どうか十分な準備を! そして心の強い、覚悟のある方だけにした方が良いですわ。あれは、特に清らかな乙女が見るものでは決してありませんから!」

 そこに、ミュールが顔を出した。

「なあ、今ウリス人って言ったか? 通りがかったらそんな言葉が聞こえた気がしたんだけど」

「あら? 眠り女ではありませんわね? ルイン様、こちらの勇ましそうな獣人の方は?」

 ミュールは少し不機嫌そうに答えた。

「おい、あたしは獣人じゃないぞ? 狼の神獣だ。ウロンダリウス大王と共に邪悪なウリス人を滅ぼしまくったの伝説の銀狼ミュールを知らないのか?」

「銀狼ミュール! あなたが? 大きな銀色の狼だと思っていましたが……」

「ああ、もちろんそういう姿も取れるぞ! ここはほら、美人ばかりだし人間向けの建物で狭いからな。魅力あふれるあたしも女の姿を取っているのさ! それより、ウリス人がどうしたんだ? あいつらはあたしと大王がぎったんぎったんにしてやったぞ?」

 ミュールの言葉に部屋が少しざわついた。覇王ウロンダリウスは遥か古代にこの世界の多くの地を征服したとも、恐るべき虐殺者だったとも伝わっている。『白い女』セルフィナの『人に取って代わる生き物が大量に流れ着き、それを征伐した』という話をルインは思い出していた。

 やがて少し腕を組んで考えたのち、ルインは聞き直した。

「セルフィナが言っていた、『人に成りすます邪悪な者たち』とは、もしかしてウリス人とかいう奴らの事か?」

「おお、そうだぜ? 一応そんな名前もあったな。でもあいつらは正確には人間じゃないんだよ。人間をまねた悪魔と契約した邪悪な猿が本当の姿さ。遠い昔、大王が統べていた世界では、大王の遠征中にその故国があいつらに滅茶苦茶にされたらしいんだよ。それで大王は復讐を誓い、異界を大軍勢と共に巡ってウリス人を討伐して回っていたのさ。あたしらがいた世界もあいつらに滅茶苦茶にされてさ。復讐の旅の途中で出会った感じだな」

 話を聞いていたベネリスはまだ半信半疑のようだったが、慎重に訊ねた。

「ミュールさん、我がバルドスタがウラヴ王率いるウリス人たちに蹂躙じゅうりんされたのは、前混沌歴ぜんこんとんれきで千百年頃、つまり、今から千九百年ほど昔の事です。しかし、大王はそれより遥かに昔の方のはず。ウリス人とはつまり、異界からさまざまな世界を蹂躙して回る存在なのですか?」

「ああ、そうだぜ? あいつらの本拠地はとっくの昔に荒廃したはずだ。もしかしたら滅んでるかもしれない。でも、あいつらが暴れまわればあいつらに力を与えた存在は潤うだろ? だからやりたい放題させてるし、邪悪な知恵で異界に渡ったりもできるのさ。言ってみれば、たちの悪い疫病みたいなもんだよ。別の世界に渡って、汚染と暴虐の限りを尽くしてまた移動するんだからな。だから滅ぼさなくちゃならないのさ!」

「なるほど、異なる世界の同じ時間や同じ場所に流れ着くとは限らないものな」

 ルインがつぶやく。

「しかし面白くないな! 別の集団もいて、あたしらの時代の後に渡ってきて悪さをしてたのかよ。なあルイン、あとベネリスさんだっけ? あたしも連れてけよ。あいつらをぶっ殺しまくるのはあたしの生きる理由の一つだからな!」

 ミュールの目には楽し気にも獰猛な光が躍っている。

「それはとても心強いですわ! 何という事でしょう! 絵本で憧れていた銀狼ミュールが、我がバルドスタの為に戦ってくれるなんて」

「あたしは絵本になってるのかよ? 参っちゃうな! それなら活躍しないわけにはいかないな。決まりだな! あたしも準備するぜ! ……あっ!」

 ミュールは何かを思い出したように少し硬直した。

「どうした?」

「……あー、ルイン、言いにくいんだけどちょっとお金借りてもいいかな? 装備とか整えるからさ!」

「それくらい、私が用立てますわ!」

 微笑みつつ提案するベネリス。

「ごめん、きっちり働くからさ! あたしはいい仕事するぜ?」

 ベネリスはこの後、『絵画聖堂』にある七枚の大きな絵画が、全て相当な心の準備をしないと正視できないようなものである事を何度も繰り返し説明した上で、絵画の焼き払いを手伝ってくれる眠り女を募った。

 『西の(やぐら)』は戦いの準備をする眠り女たちによって慌ただしい雰囲気が漂い始める。そして、ルインはベネリスとリスラ、マーヤとともに、特別な場所でバルドスタの王族たちと会う事になり、一足先に西の櫓を出ることになった。

──腐臭まとわせ血肉をすすり、人の腸を鞭にして馬を駆る。骨の戦車に腰には髑髏。女人の胴を旗印に、忌まわしい乗り手どもが暴れまわる。奴らこそ最悪の、『ウラヴ王の六騎士』なり。

──武王ガイゼリックの口伝『滅ぶべき者どもの詩』より。

 午後。ルインはベネリスことアーシェラ王女とともに、バルドスタ北方の隠れ里、モルオン・サダにある王族の隠れ家に案内されていた。

「こんな場所があったのか。しかしおれをこんな場所に連れてきて良いのか? これは王族の秘中の秘だろう?」

「軽率とは思いませんわ。あなたがその気になれば全ては思うままなのでしょうが、そういう方ではありませんもの」

「ずいぶん信用されているな」

 アーシェラ王女は振り向いて首を傾けてほほ笑んだ。

「もしも万が一、野心がうずくような事にでもなったら、その時は仰ってくださいな。玉座と王女は一滴の血も流れないどころか、大きな歓迎と共に容易く手に入るでしょうね。夜会の顛末が我が国内では大変な噂になっており、私はどうも、苦難の末に眠り人を動かした王女、という事でかなり賞賛されておりますわ。実際には私腹を肥やした元老院派やベティエル派の者たちを、既に二百人ほど斬首しましたし、新王国にもずいぶん追放するのですけれどね」

 珍しいことにアーシェラ王女は冗談を交えている。しかしその本心は粛清しゅくせいを断行する虚しさの方が勝っているようにも見えていた。ルインは冗談の部分には応えず、遠回しなねぎらいの言葉をかける。

「王の道はしばしば血塗られた道だが、大多数の者に安寧をもたらすためには必要な事さ。誰かが戦い、血と涙を流して、ようやくささやかな何かが守れる。誰かのためにそれができる者は立派だよ」

 ルインの前を歩くベネリスの足が一瞬止まった。

「優しい事を言うのですね。でも、ここではあまり私に優しくしないでくださいね?」

「うん? ……わかった」

 何かが気に障ったのかとルインは思ったが、リスラとマーヤが二人とも振り向き、ルインに意味深な微笑みを見せた。

やがて、迷宮と化した庭園を抜けて、白く瀟洒しょうしゃな屋敷が見えて来ていた。

「ここが、我らバルドスタの王族の隠れ家、セダフォル荘ですわ」

「……瀟洒だが、これは要塞だな。良くできている」

「やはり、ルイン様にはわかるのですね?」

「何となくだが」

謙遜けんそんなさって。それと、すみませんがここから先はアーシェラとお呼びくださいね?」

「わかった」

 侍従じじゅうが青いわしの翼の装飾のある玄関のドアを開けると、少年と少女が階段を駆け下りてきたところだった。

「おかえりなさい、姉上! そちらの方は?」

「アーシェラお姉さま、おかえりなさい!」

「あの子たちは?」

「我がバルドスタの未来、アルドス王子とミリシア王女です。我が兄を除けば、王位の継承権を持つ二人です。私にとっては腹違いの弟と妹になりますわ」

 アーシェラはかがんで、挨拶を返しつつ二人を撫でながら、ルインについて説明した。

「眠り人ルイン様、お初にお目にかかります。僕はバルドスタの王子、アルドスと申します!」

「私はミリシアです!」

 元気に溢れる二人は、どこか高貴さの漂う利発さが感じられ、ルインは微笑んで挨拶を返した。

「これはこれは、バルドスタの王族の方々、おれは眠り人ルイン。寝坊し過ぎていたらアーシェラ王女様に起こしていただき、恩返しに少し手伝いをさせてもらっているところだよ」

「女性に何かしてもらったら、きっちり返すのが男子たる者の生き方ですもんね!」

 しっかりした返事を返すアルドス王子。

「そういう事だな」

「眠り人さんはお寝坊さんなのですか?」

 不思議そうに聞くミリシア。

「そうだな、よく居眠りをしているよ」

 笑って答えるルイン。

「ミリシアは朝もちゃんと起きるのです。王族のたしなみですから! お勉強をしていると眠くなりますが、それでも眠ったりはしません!」

「ああ、これはバルドスタの未来も明るいな、こんな立派な王女様がいるんだから」

「はい! ミリシアはアーシェラお姉さまのような立派な王女になるのです!」

「あらあら、ありがとうミリシア。ではルイン様、この小さな紳士淑女の母君に挨拶に参りましょうか」

 アーシェラに促されて階段を上り始めるルイン。そのルインに、アルドス王子が声をかけた。

「あの、眠り人ルイン様!」

「なんだろう?」

「僕がもう少し大きくなったら、僕に武技を教えてくださいませんか?」

「おれなんかの武技で良かったら、いつでもいいさ」

 ルインは笑顔で答えた。

「本当ですか? 約束ですよ! 男の約束です!」

「ああ、男の約束だ!」

「ありがとうございます! もっと研鑽を磨かねば!」

 アルドス王子は嬉しそうにどこかへと駆け出し、ミリシア王女もその後を追った。

「申し訳ありません。良いのですか?」

 気づかわし気なアーシェラ。

「あの子も王の道を行くのだろう? なら、早すぎるって事はないさ。力が無くて泣くことになるより、余程いい」

 一瞬、ルインの目には遠い昔の何かを感じさせるものが現れたが、それはすぐに消えてしまった。

「何か思い出した事でも?」

「……いや、何もないさ」

「そうですか」

 多くの悲しみを乗り越えてきたアーシェラには、この男が少し違う見え方をし始めていた。ルインが一瞬見せた遠い昔を思い出すような眼が、そんな想像をより強く確信させる。

(本当は、誰よりも深い悲しみを背負っている方ではなくて?)

 その鷹揚おうようさ、その力、他人への接し方が、もしも深い悲しみを起因にしていたとしたら、それがどれほどのものか、アーシェラには想像もつかなかった。この想像が事実だった場合、その悲しみは既に過去の事なのだろうか? とも考えた。もし過去のものでなかったら自分のしている事は? アーシェラはいつしか立ち止まりかけていた。

「どうした?」

「いえ、なんでもありませんわ」

 アーシェラは迷いをいったん、心の外に置くことにした。

──国母とされるイェルナ女王の出身は、実ははっきりしていない。奴隷であった、聖餐教会の教導女だったなどと噂はあるが、少なくとも記録に残る様な貴族階級の出身でないことは間違いなさそうだ。

──ランドール・カイロ著『バルドスタの伝承』より。

first draft:2020.06.06

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