第二十四話 怖い女

第二十四話 怖い女

 何らかの力が働いたのか、アーシェラは不思議な眠りに落ち、その夢の世界にいた。

「アーシェラ、あなたは隅に置けないわね。あの人を動かすなんてさすがは我が使徒しとね」

 顔を上げたアーシェラは、いつの間にかヘルセスの瀟洒しょうしゃな神殿の中に立っていた。ヘルセスは祭壇の手前の階段に座り何がしかの本を読んでいたようだが、その本を置きつつ今はアーシェラを見て微笑みを浮かべている。

「ヘルセス様?」

「あなたには休息が必要なので、少し眠りに落ちてもらったわ。で、そろそろ起きてみなさい。そうでないと格好がつかないわよ? ……本心も忘れずにね」

「ヘルセス様! ……えっ?」

 目覚めたアーシェラは、ミリシアのベッドに寄りかかったまま眠りに落ちていたのだと気付いた。外はいつの間にか雨が降っていたらしく、聞きなれた湿った雨音がわずかに聞こえてくる。しかし、ここで部屋の様子が変わっている事に気付いた。

(静かすぎる。熱気も感じられないわ)

 ミリシアもアルドスも静かな寝息を立てており、部屋には病人の出す熱気が感じられず、ひんやりとしていた。マイシェラ王妃も静かな寝息を立てており、アーシェラは素早く静かに、小さな王子と王女の額に手を当てた。

(熱が下がっている。いいえ、きっとこれは健康な状態だわ!)

 アーシェラはそっと部屋を出ると、部屋の両脇に立つ不寝番ふしんばん給仕きゅうじたちに声をかけた。

「皆の様子の確認と、一応ですが食事の用意をお願いいたします。私は王宮の様子を見てまいりますわ」

 セダフォル荘の不寝番たちは素早く動き始めた。アーシェラは着替えると、白い外出ドレスに深紅のマント、さらにフードを被っては『防雨ぼうう』の術式じゅつしきを発動させ、ダスラの王宮へと向かった。

──魔族や神族などは、時に『暗黒体』『光体』と呼ばれる純粋な真の姿を現すことがある。それらの姿は巨大かつ威厳または恐怖に満ちており、普通の人間では見ただけで精神が破壊されることもあり、絶大な存在なら塩の柱と化してしまう事もある。

──法王サドリクス著『エラフィ・ソマ(純粋体)の究明』より。

「雨か? まあいい」

 下層地獄かそうじごくに通じている穴から姿を現したルインは、暗い通路から湿った空気が流れている事に気付いた。構わず下層地獄に通じる穴に向き合うと、左手に黒い炎が燃え上がり、流れ落ちるように鎖が地面を透過とうかして落ちていくと、その点を中心にして赤熱した鎖の七芒星しちぼうせいの魔法陣が浮かび上がり、鎖が重い何かを引き上げ始めた。

──許されざる者の地、終わりなき永劫えいごう悔恨かいこんと苦悩、そして怨嗟えんさの炎舞う世界よ。全ての傲慢ごうまんなる者どもを喰らい殺し、永劫回帰えいごうかいきの罪と罰と怒りの世界よ、ふるわれるべき剣の形をした地獄よ、来い! わが剣よ!

 鎖が引き上げられ、暗黒から黒紫、黄土色おうどいろに虹色と、刻々とその色合いを変えて定まる事のない、暗い半透明の大剣が現れた。『永劫回帰獄ネザーメア』と呼ばれる地獄界の一種を剣の形に焼き固めたもの。罪のある魔族には扱えず、罪を無視する神にもまた扱えない。ダークスレイヤーのみが扱える、数々の力ある存在を葬ってきた恐るべき魔剣が姿を現した。

──魔剣、ネザーメア永劫回帰獄

 多くの者たちが『ダークスレイヤーの鎖の魔剣』と呼び恐れるその剣は、怨嗟の鎖の終点の一つであり、色を刻々と変え、剣身に現れる印章いんしょうや文字は炎のように次々と変化して定まる事がない。

「地獄の門を一つ、消すだけだ」

 ルインは無造作に魔剣ネザーメアを投げた。剣は切っ先を下に向けて穴の中央やや高めの位置に制止すると、突如として赤く燃える炎の目がいくつも魔剣の表面に現れ、炎の渦のように下層地獄の穴が吸い込まれた。地表は何もない岩の地面に戻り、魔剣は低いうなりを発して幻影のように消える。

「これで門も閉じたな」

 ルインはつぶやいては外に至る通路を出る。暗いながらも魔導まどうの灯火が二つ浮いており、死者の王マルコヴァスと小柄な人影に気付いた。

「ラヴナ?」

「あっ、ルイン様おかえり! 帰りが遅いと思ったらやっぱりこういう事してたのね!」

 黒いマントとフード姿に傘を持ったラヴナだった。

二休ふたやすみ(※ウロンダリアの時間の呼称で約一時間)ほど前だ。貴公が帰らないので見当をつけてここに来たとの事だ」

 マルコヴァスも傘のようなものを持っていたが、それは使い魔である大蝙蝠おおこうもりが姿を変えた魔法の生物であり、足を延ばして翼幕よくまくを丸く展開した状態で固まっていた。

「いつ見ても洒落た傘だな」

「余の蝙蝠傘こうもりがさの事か。我ながら良い感性だとは思っている。首尾も上々のようだし、そろそろ戻らせてもらおうか」

「ああ、お疲れさまだ、王」

「うむ」

 死者の王マルコヴァスは幻影のように消えた。

「あの人、昔は人間だったのね」

「何か話したとか?」

「少しだけ。ただ、自分とルイン様は似ている部分があるって」

「そうか。確かにな」

 ルインは通路の外に踏み出したが、ラヴナが素早くつややかな黒い傘を広げた。

「濡れてしまうわ! 傘は一つだけれど別にいいでしょう?」

 ラヴナはフードをめくりルインのそばに寄る。暗い夜でもルビーの様な髪は変わらずにうっすらと赤い燐光りんこうを帯びているようだった。

「傘はおれが持つよ」

「なら、あたしはルイン様の腕を持つわ」

 傘を持つルインの左腕にラヴナが細い腕を絡めた。

「気を使わせてしまったか。こんなところまで来させるとは。もう少し説明すればよかったかな?」

「ううん、急ぎでしょうし別にいいの。ただ、ルイン様、あたしはこの後やぐらに帰るけど、アーシェラ王女と会ったらもう少し触れてあげた方がいいわ。あの子の心は少し温もりが必要よ? 身を寄せてきたら肩を抱くくらいはしてあげるべきだわ」

 まるで見てきたようなラヴナの分析に、ルインは驚いた。

「まさか……」

「のぞき見とかしてないけど分かるわ。あの子、ルイン様でなければ救えなかったでしょうし、使徒にもなった今、もう他の人では駄目よ。しかもちょっと難しい子だから。そのはがねのような強い温もりを少しだけ分けてあげて? きっとそれで全てうまくいくから。ね?」

 ルインを見上げるラヴナの目は真面目だが謎めいていて、ルインにはその意図が図りかねていた。

「でないと……」

 赤い眼に悪戯っぽい光が躍る。

「本当は戦ってきたのを、内緒にしてあげないわ」

「何でもお見通しか、参ったな」

「でも怖がってないわ。そういうところ好きよ? あたしの分は後で少し触れながら眠らせてもらえればいいの。とてもいい戦いの熱だから楽しみだわ。ふふ……」

 ルインにはラヴナの考えが全く読めなかった。邪心が無く、独占的でありながら他の誰かとの関係を後押しするような事も言ってくる。

「前から気になっていたんだが、それはどんな恩恵をもたらすんだ?」

「気になるのね? とても嬉しいわ。あたしたちの心の世界はね、とても冷たく寂しい物なの。火の無い世界よ。そして、例えば情欲じょうよくの火では私たちは消費されるだけ、汚れていくだけでより冷えていくわ。……でも、強い理性を持つ戦士の心は違うの。いずれそれが何かを生み出すのよ。本当の温もりのような何かをね」

「そうなったら、どうなる?」

 ラヴナは足を止めて、不思議な、どこか遠い眼で言った。

「あたしとルイン様の間では、孤独が永遠に意味をなさなくなるわ」

「難しい話だな……」

「本当はとても簡単な事よ。でも見失っている人は多いの。見ないようにしている人もいるし、ね」

 ラヴナは自分の夢想ではなく、何か確信を持ってこの話をしているように感じられた。やがて王宮への長い階段の最後の踊り場にさしかかると、何かを察知したように絡めていた腕を離す。

「……うん、やっぱりいい子ね。じゃあルイン様、またあとで! ちょっと転移するわ」

「何の話だ?」

「すぐにわかるわ」

 ラヴナは微笑むと、赤い流星のような光と化して城壁の向こうへ消えてしまった。階段を上がり切ったルインは不寝番ふしんばんの兵士に挨拶して王宮内に入ると、広間を抜けて王宮の転移門に向かう。魔導まどうの仕掛けで許可のある者しか通れない幾つかの扉を経ると、転移門が隠されている部屋への短い廊下でアーシェラと会った。

(この事か)

 ラヴナはこれを予見していたらしいと気付く。

「ルイン様! 何かしてくださったのですか?」

「ああ、一生懸命あの穴をスコップで埋めてきた。今頃下層地獄界かそうじごくかいは土に埋もれているぞ」

 ルインは軽口を返す。しかしアーシェラは黙って近づいてくるとルインの顔や全身をくまなく見つめ、特に目を覗き込んだ。次第にその眼が大きくなる。

「……信じられません。ルイン様、何者かと戦ってきましたね? 強大な何かと。その上で呪いが及ばないようにしてきたとしか思えませんわ。下層地獄界に行って来たのですね?」

「……なぜそう思う?」

「私もバルドスタの女ですよ? 殿方とのがたの戦場帰りの雰囲気と目くらいわかりますわ。信じがたいですが、そうとしか思えませんもの。まとっている空気も出られる前とは違いますわ。どこか熱を帯びているような」

 ここまで言われて隠し通すのもどうかと考えたルインは観念した。

「参ったな……また勘のいい人が……」

「それに、ヘルセス様に起こされたのです。寝過ごしたら恥をかくと。単身戦いに出られた方をお出迎えもしないなんて、非礼に過ぎますものね」

「じゃあ、泣いたりしないと約束してくれるかな? もう泣く必要はないのだから」

「……はい」

「下層地獄への門は閉じた。ウラヴ王と魔王ザンディールは地獄の管理者に拘束され、その召喚状しょうかんじょうを預かった。あとはこちらで入念な準備をし、この二者をほうむり去れば契約で縛られたイェルナ女王の魂も解放でき、全てが終わる。もう呪いも影響を及ぼさない状態のはずだ」

 言いながら、ルインはコートから『追放召喚状ついほうしょうかんじょう』の巻物を出した。現世での扱いが禁忌きんきなのか、物々しく赤い警告文が浮かび上がる。

「あるのですか? ……こんな事が!」

 アーシェラはとても驚いて口を隠し、絶句してしまった。

「どうもおれは、女の涙はあまり見てはいけないようだ。自分の何か……おそらく罪のようなものを思い出し、そうなるとしばらく戦わないと落ち着かない。地獄の管理者から、あの二人は差し出すからあまり暴れてくれるなと釘を刺されたよ。やり過ぎたかな」

 荒唐無稽こうとうむけいに等しい話をしながらばつが悪そうに笑うルインに対して、アーシェラは言葉を失って硬直していた。

「とりあえず、強大な存在を呼び出せるこれは預かっておく。君もろくに寝てないだろうし、あとはゆっくり休んだらいい。その後相談しよう。おれも帰って寝るよ」

 ルインはアーシェラの横を通り過ぎて転移門から西のやぐらに帰るつもりでいたが、ルインのコートの袖をアーシェラが掴んだ。

「セダフォル荘に来てください。夜営やえいの時の身体を損なわない簡素な食事も用意していますし、何より、このままあなたを帰したら、我が王家も私も末代まで笑われますわ」

「食事はありがたいが、そんな気遣いは不要だよ」

 ルインは気やすくそう言って転移門に向かいかけたが、アーシェラは手を離さなかった。

「来てください。誰かに笑われる、笑われないの話ではなく、来てほしいのです。私が」

「……わかった」

──世界はどれだけの数、存在しているのか? 基軸となる世界はどうやら三千ほど存在しており、そこから無数の世界が枝分かれしているらしい。しかし、滅んだ世界は数多く、基軸三千の世界もその半分以上が既に滅んでいる。

──魔王シェーングロード著『無限世界の観測と対比』より。

 セダフォル荘での食事は夜営の身体にかかる負担をよく考えられたもので、崩れるほどに煮込まれた肉や、野菜の多い薄味の米の煮込みなどだった。ルインはそれらを腹六分目程度に平らげると、素早く全身を黒い火の輪にくぐらせて服も体も清め、清浄な状態にした。

(ふう……)

 これはルインにしかできない事だが、清潔な状態で服を着替えたばかりのような感触と、べたつきの無くなった髪や肌、口の中の感触に落ち着いてため息をつき、あてがわれた部屋に戻った。外は雨が降っているためにまだ暗いが、本来ならもう夜が明け始める時間で、ルインは短い仮眠を取って帰ろうと考え、ベッドには入らずに寝椅子に腰かけて眼を閉じる。

 しかし、すぐにノックの音がした。返事をすると白いワンピースにショールを掛けたアーシェラが静かに入ってくる。

「もうお休みでしたか?」

「ああ、おかげで空腹も収まったし、術式で身も清めたから、仮眠して帰ろうかと」

「本当に何をするのも素早いですね。今は皆、静かに眠っています。ルイン様のお陰です」

「ああ、残像が出るような動きで地獄への穴も埋めて来たからな」

「またそんな事を仰って……」

 アーシェラは笑顔を浮かべたが、何か強い決意があるようで、ルインには心からは笑っていないように見えていた。

「何か用事が? ろくに寝てないのだろうし、少し休んではどうだ?」

 アーシェラは顔を伏せ、少し呼吸を整えると決意に満ちた顔を上げてルインに向き直った。

「ろくに寝てないのはルイン様もでしょう? ……身を清めてまいりました。わが国では、苛烈かれつな戦いをしてきた殿方とのがたに一番必要なのは、良き眠りを得るために、女の肌が一番だと昔から言われています。まして、私のために戦ってきて下さったようなものです。戦いで荒れた心をお静めしたく、参りました」

 ルインはこの申し出が何を意味するか理解したが、あえて遠回しに聞き返した。

「つまりそれは……」

「激しい戦いの後なのです。遊女のように扱ってくださって構いません。最悪の場合、私がどうなっていたかもご存知でしょう? ……ラヴナさんがおられますから、技量も魅力も遠く及ばないのは分かっています。まして経験もありませんし。しかし、このままお帰しするのはあまりに心苦しいのです」

──肩を抱くくらいはしてあげるべきだわ。

(肩どころか……)

 ラヴナの言葉が思い出されるが、それどころではない状態だった。迂闊うかつな対応と迷いは退路を断たれると思ったルインは、下層地獄界での戦いよりも素早く鋭く思考を巡らせる。王女が大変な決意で来ているのも分かるため、下手な対応はこの憔悴した王女をひどく傷つける事にもなりかねない。つまり、傷を付けずに断る方法を必死で考えていた。眠気は完全に消し飛んでいる。

「幾つか誤解があるようだ。少し本音で話そう」

 ルインはゆっくりと立ち上がり、つとめて冷静に話し始めた。

「まず、この程度の戦いは心が荒れるほどでも、女の肌が必要になるほどにも至っていない。あのウラヴという男、実際に家に行ってみれば掘立小屋ほったてごやに住むみすぼらしい男で、全く歯ごたえが無かった。おれの心に戦いに荒れた何かを見出したと言うなら、それは敵が大したことの無かった不満だ。それでこんな申し出を受けるのはむしろとても心苦しい」

 ルインは嘘を言っていないつもりだった。過去に見てきた強大な地獄の存在たちの居城からすれば、ウラヴ王の城など掘立小屋以下だったからだ。しかし、アーシェラは予想外の返事を返してきた。

「ああ……大変な武人とは思っていましたが、それほどまでに。それなら、いっそ私の醜い心の内も出しますね。私は、他人の記憶とはいえ、多くの凌辱りょうじょくの記憶を背負い、変事に必要な大金を得るために吸血鬼の姫、アルカディアに血を吸わせる際、いささかのはずかしめも受けています。『眠り女』をさせていただき、ヘルセス様の使徒にもなりましたが、どこかけがれている気持ちはぬぐえません。この際に、ルイン様ほどの方と結ばれれば、全て上書きされ、気が楽になるかもという浅ましい期待もしていました。ですから、そんな高潔な答えを返される資格などないのです……」

 素直過ぎる心情の吐露に、ルインはごちゃごちゃと考えるのをやめた。

「王女にしては泣き虫だし、素直に過ぎるな。今までさぞ苦しかったろうと思うが、もうそんな日々は終わりだ。まずは自由を堪能たんのうしたらいい」

「ルイン様?」

「もう夜は明けるんだ。でも、とにかく冷静になれ。そういう事をするならもう少し互いを知ったり、時に楽しく理解してからでもいいだろう? 使徒は不死だというし、おれもどこかでたらめな存在なんだし、時間もたっぷりあるんだ」

「私に魅力が無いという事では……」

「有ろうが無かろうが、おれがこうする展開は変わらない。そして、はっきり言おう。君には魅力も少なからずある。寝るのも全然悪い気はしない。が、もう少し落ち着いて過ごせないかとも思う。夜会の時の姿を見せてもらいつつ酒を呑むのもいいし、どこかに出かけるのもいい。アルドス王子に武技を教える件もあるしな」

「私を、一人の女として、そのようにじっくりと共に過ごしたいと思ってくださっているという事ですか?」

「まあ、下層地獄に行ってこようと思えるくらいには尊敬に値する人物だし、とても魅力のある女性だな。だから申し出はありがたいが、もう少し大事な感じで付き合えればと思うのだが。それに、まだ大きな戦いも残っているし、な」

 やや長い沈黙の後、アーシェラはぽつりとつぶやいた。

「嬉しい」

 顔を上げたアーシェラの目から、暗さや悲しみが消えていた。

「とても嬉しいですわ。生きていて良かったと思えます。これで今後、ルイン様と逢引あいびきできる言質げんちもいただけましたしね」

「言質?」

 ルインが言葉の選択に違和感を覚えた刹那せつな、アーシェラはルインの胸に抱き着いてきた。しかし、その雰囲気には力強さがある。そして、顔を上げたアーシェラの目は再び暗い眼になっていたが、どこか恍惚こうこつとしていた。

「ふふ、本当はとても恐ろしい人でしょうに、私が全てをさらけ出せばそこまで優しくするのですね? でも、それは私の深い一面であり、本来ならどんな男にも表になど出さない部分なのです。なぜなら私は王女ですから。醜く、汚く、愚かな者どもは全て首をねて、変わる事の無い人々をいつまでもいつまでも制御し続ける愚かな役割、それが時に王族というものです。頭のおかしい部分が無ければやっていけないのです。ルイン様、あなたはそんな女の心の深いところにまで優しくしてしまいましたね? お抱きになれば、わずかな侮蔑ぶべつと大きな尊敬と共に、ここまで気を許すことも無かったのに、それさえかわして、完璧な答えを返してしまった」

「参ったな、そこまで本音を見せてよいのか?」

 ルインの笑顔には理解があった。

「嬉しそうですわ。とても可愛らしいでしょう? 純粋なだけの女より、よほど。自分がある程度は美しいのも理解しておりますしね。言われて嬉しかったのはあなただけでしたが」

 非常に高飛車な言葉に取られかねない言葉も、ルインは笑って返した。

「大した女傑じょけつだな。高い理想を抱えつつ苦しんでいたわけか。博徒ばくとの方が向いているぞ?」

「仰る通りかもしれません。でも勝ちました。それに、賭け事で負けた事はほぼ無いのですよ? そしてやはり、ルイン様は本性を巧妙に隠しておられますね。私か誰かがその本当の姿を受け止められるようになりたいものですわ」

「おれの心なんてもう何も無いも同然なんだけどな」

「そういう事にしておきましょうか。ルイン様、私の心をここまで取り戻してくれたことに感謝して、一糸まとわない心を見せると共に、いつかあなたの心に届くように、あなたの心を抱きしめさせていただきますわ。そして、本当にありがとうございます」

 ルインはそっとアーシェラの肩に手をまわした。

「今度手を回さなかったら、工人アーキタの都市国家をいつか攻めると言ってみるつもりでした。ふふふ」

「怖い冗談はやめてくれ」

 苦笑するルインの腕の中にいるアーシェラは、おそらく誰もが恐れるような女だが、ルインには可愛らしいとしか思えていなかった。そして、おそらくここまで見通して忠告したらしラヴナの言葉にも気づいた。一筋縄ではいかない眠り女たちだったが、それは好ましい事のように感じられていた。

──古来から、バルドスタの王族の女性の心は非常に複雑かつ、王や戦士の心の鼓舞にはとても長けており、故にバルドスタは真の意味では女系の王族と言われている。

──ランドール・カイロ著『バルドスタの伝承』より。

first draft:2020.07.09

コメント