第二十八話 決戦・前編
作戦会議からさらに十日ほどが経過した。
バルドスタ戦教国のダスラの王宮の下に広がる『屍の森』に、ルインと眠り女たち、ハイデとアーシェラ王女が集結していた。城壁の上には投石器や大砲、攻城弓などが隙間なく設置され、さらに王宮以外の三方向の空には、衝角の長いヘルセス級の飛空戦艦が三隻、舷側と砲を向けて滞空している。
「うわぁ、流石は軍事大国だわ。危なかったぁ……」
工人の娘アゼリアはそんな事を言いながらも様々な兵器が気になって仕方がない。彼女は今、ダスラの王宮の『屍の森』を囲む城壁の上で、父が派遣した工人の助っ人たちと共に台座付きの大型の狙撃銃の銃座を組み上げ終えたばかりだった。そなにアゼリアに隣の無セレッサが声をかける。
「まあでも、ルイン殿が動いて問題のもとだったバルドスタの厄介ごとに対処していますから、もう大丈夫かと思いますよ? ベネリスさんのあの暗い眼を明るくするとか、ルイン殿は全く隅に置けませんね。あの荊に蕾を芽吹かせるなんて大したものですよ」
微笑みつつ言いながら、セレッサは真珠めいた銀色に輝く大弓、『白銀の攻城弓』を背中から取り外すと、見た目より遥かに軽く接合部が全く見当たらない美しい大弓を眺めた。強力な銃と弓での狙撃を担当している二人は、切り開かれて整地された『屍の森』を見やる。
「皆、準備はいいか?」
『追放召喚状』の巻物を手にしたルインが、『拡声』の魔術を施された声をかける。
「こちらはいつでも良いぞ、眠り人どの!」
ダスラの王宮の展望台から声をかけるのは、フソウ国の黒いサムライの甲冑に身を包んだ大戦父アレイオン。その手には『軍配』と呼ばれるらしい、フソウ国の指揮棒が握られている。バルドスタの勢力の総指揮はこの老武人が執る事になっており、この返事は城壁の上の兵士たちや飛空戦艦の準備が整った事を意味していた。
「ルインさん、こちらも大丈夫だそうです!」
絵画聖堂から出て来つつ声をかけたのは巨人族の女魔術師メルト。ある程度浄化された絵画聖堂の中では、運び込まれたベッドにケープをかぶせて横たえられた『白い女』セルフィナと、結界術の達人聖猫シルニィが待機している。
「眠り人、私も大丈夫だ」
覚悟の決まった重い返事を返すのは、武神ハルダーの使徒にして大太刀『大安宅磐濤』を携えたバルドスタのサムライ、ハイデ。
「わたしも準備は整っていますわ。共に戦わせていただきます」
さらに戦女神ヘルセスの使徒の姿を取っているアーシェラ王女も応じる。その傍には、バルドスタの宮廷魔術師タイバスがやはり大柄なバルドスタ兵に背負われており、さらに弟子の魔術師マリアンヌと豹人の女戦士クロスが待機している。
「クロス、今日は炎の双剣ではないのか?」
気になって声をかけたルイン。
「ああ、今日は氷の力を持つ二つの小ぶりな戦鎚で行かせてもらうよ」
気さくに笑うクロス。しかし、その表情を見てマリアンヌがまた余計な事を言った。
「あら可愛い笑顔!」
「だから、私を可愛いとか言うな!」
「はいはい」
「くそっ! 今日も何としても活躍するからな!」
怒ったクロスの黒い豹の耳が小刻みに動いており、それが何とも可愛らしいのだが、皆それは言わない。
「ルイン、私たちも大丈夫よ」
影人の暗黒騎士の甲冑姿に黒髪の流れるクロウディアが声をかけた。ここで戦いに参加しているのは、ほかにシェア、ラヴナ、クーム、ミュールとなる。
「よし……始めるぞ!」
ルインの言葉とともに、空にうっすらと白い半球状の力場が現れ、広大なそれはすぐに透明になった。
「『女神の聖域の護り』発動したそうです!」
絵画聖堂の入り口から、メルトが声をかけた。
ルインは進み出て、警告文の出なくなった『追放召喚状』を巻物の芯棒が落ちるに任せて開き、その文言を読み上げる。
──『間の投錨の地』の管理者、我らアスギミリアの船の民の名において、偉大なる星船の鎖の領域の一つ、下層地獄界からの追放者の名をここに記す。
「『燃える大樹の魔王ザンディール』及び、『契約者、ウラヴ・ゼガリス』の下層地獄界よりの追放を宣言する! 疾く討たれたし!」
『追放召喚状』は熱くない白い炎で燃え上がり、消えた。空気が震えて二人の人間がやや離れた位置に現れる。一人は灰色の角の生えた癖のある同じ色の髪に長いひげを蓄え、暗い赤のローブを着た王のような威厳のある男、そしてもう一人はウラヴ王だった。
「ああくそっ、このような事が! しかし、やられはせん! このままやられはせんぞ!」
ウラヴ王は距離を取るように走り始める。もう一人の角のある男はしかし、冷静だった。
「何ということよ、このような日が来るとは。しかし、これは遠い昔から定められていた事だ。驚きはせぬ。ダークスレイヤーよ、我が暗黒の相を見事討ち破るがいい。さすれば余もまた、貴公の戦友となる事もあろう。……しかし、容易くはないぞ! 我は燃える大樹の魔王ザンディールなり!」
有角の威厳ある王の全身は炎と化した。
「皆、気を付けろ!」
ルインの声は途中から、爆発的に拡大する火球の音でかき消された。次にルインが見たものは、肉とも炎ともつかない質感を持つ、灼熱の大樹の幹と根のような何かだった。頭上から、全てを呑み込む炎のような恐ろしい声が空気を震わせる。
「我は燃える大樹の魔王ザンディールなり! 小さき者どもよ、わが真の姿に怯え、竦み、ひれ伏すがいい! そして絶望と永劫の苦痛と共に焼け死ぬのだ!」
心を防護しているとはいえ、それでも多くの者の心を激しい恐怖が襲っていた。神の威厳に等しい恐怖は、もはや神そのものへの畏怖に等しい。その恐怖とも畏怖ともつかない人々の感情が伝播してくるのをルインは感じ取った。
「……舐めるなよ?」
ルインは『瞬身』で距離を取り、その右手を開いて横に伸ばす。曇り始めた空から黒い稲妻が落ちて、嵐の魔剣ヴァルドラが顕現した。そこで、魔王の暗黒相の全容が見えた。
「なるほどな」
魔王ザンディールの真の姿『暗黒相』は、多数の根の末端が牙と化した、赤く脈動する血管の走る暗緑の大樹のようであり、その頂点には大枝のような四本の角の生えた、凶悪な山羊といった雰囲気の巨大な顔がついている。そのやや下と背後から二本ずつ、計四本の腕が映えており、どの手にも激しい炎が揺れていた。
「何という恐ろしい姿を……」
その狂気と悪意に満ちた姿に、戦女神の使徒となったアーシェラでさえ絶句していた。
「……は、ははは! 我が魔王がこれほどの姿とはな! まだ希望があるぞ……!」
火球を作り出そうとしていたウラヴ王だったが、その左足で何かがはじけた。銃弾がかすめた傷から血が流れている。
「このけだもの! あなたのような者は絶対に許しません!」
怒りの形相のシェアが銃弾を連発し、ウラヴ王は転がりつつも『矢弾の防御』を展開して逃げ出す。
「シェアは大したものだ。気おくれがない。……みんな大丈夫だ。必ず殺せる。……行くぞ!」
ルインはさらに左手に『覇州闇篝』を呼び出した。左手に黒い妖刀、右手に黒い嵐の魔剣を持つと、鎖の魔法陣を足元に現し、空中に飛びあがる。
「させぬ!」
風を送られた炭のように、ザンディールの胴体の暗緑の部分が赤熱し始めた。さらに、巨大な体の各所の眼のような箇所から燃える眼球がほとんど飛び出さんばかりに現れ、その眼から赤い火線が無数に放たれた。
「……やるな」
ルインは自分の身に射線の通った火線をヴァルドラで弾いた。
──アーシェラ、いけないわ! 結界を!
「神聖なる翼の護りを!」
勇ましい大鷲の巨大な青白い翼がアーシェラたちの集団を包むように現れ、消える。一瞬後に魔王の火線が何条か襲い掛かったが、それは澄んだ音を立てて弾かれた。しかし、要石や地面、積み上げられた丸太などは焼き切られ、溶けて黒い線を残し、鋼の鎧でも溶断するであろう威力がうかがい知れる。
「私の運命の障害がこれほどの存在だったと? しかし、討ち破って見せます!」
アーシェラは火線のふざけた威力に何か吹っ切れるものを感じて勇ましく叫ぶと、右手を高く掲げた。青白い光が収斂し、翼の意匠のある優美かつ勇ましい剣となって顕現する。
──『ヘルセスの聖剣フレス・アレサ(※古代バルド語で『羽ばたく戦意』を意味する)』
剣を手にしたアーシェラの心に、さらにヘルセスの声が響く。
──使いこなしなさい、私の上位者の力を!
伸ばしたアーシェラの左手に、鷲を象った意匠の見事な斧槍が顕現した。
──『ヘルセスの大鷲の斧槍』
──戦うのよ、あの人と共に!
「ええ! 行きますわ!」
アーシェラは二つの神聖な武器を雄大な型と共に両手で構えた。その視線の向こうにルインが戦っている。
集中する赤い火線を両手の剣と鎖の盾で防ぎつつ、少しずつ魔王ザンディールに肉迫するルインの背にアーシェラは自分を鼓舞した。ただ、守られる王女でいたくない。絵本の中の騎士に助けられる姫が嫌いだった。魔王もダギも悪人も自分で倒す。そのような王女にこそアーシェラはなりたかった。今こそ前に出る時! と、気高い王女の心は叫び、心の声は勇ましく外に出た。
「ここで、あなたに助けられるだけの女になんて、断じてなりません! ……皆の者、このような力に後れを取るな! 我がバルドスタはウロンダリアの東方の門を護る猛き武人の国! 我らの清らかなる武の猛りが全ての邪悪を打ち砕くのだ! ヘルセス様の翼と共に!」
この叫びに、バルドスタの戦士たちは心を奮い立たせて雄たけびを上げた。
「ああそうだ、ここまで来たんだ。徹底的にやるぞ!」
ルインは空中の鎖の魔法陣の上で構えた。
「断てよヴァルドラ、刃翼で切り裂け!」
黒い竜巻を横倒しにするように、魔剣ヴァルドラのまとった竜巻が巨大な魔王の右半身に叩きつけられ、血とも炎ともつかない赤いものが舞い上がり、魔王ザンディールは苦悶の恐ろしい叫びをあげた。ルインはすかさず号令をかける。
「今だ撃て!」
「撃てィ!」
ルインの声に大戦父アレイオンは勇ましく軍配を振る。城壁の上の兵士たちは掛け声を上げて攻城弓や大砲を撃ち始めた。さらに、二方向の飛空戦艦の砲口が光り、一瞬遅れて魔王の顔や腕に爆発が起き、大きな攻城弓の矢が幾つかの眼球を貫いた。
──おお……やりおるわ……。
しかし、心に直接響く魔王の声はまったく平静だった。
「ヘルセス様の、そして我らバルドスタの民の怒りの刃を喰らいなさい!」
『上位者の地平』により、空中を階段のように駆けあがってきたアーシェラは、青白く輝く半透明の大鷲の翼を展開して空中に飛びあがると、ヘルセスの聖剣フレス・アレサを大きく構えて大上段から振り下ろした。天からの一条の光の柱をまとったその剣閃は、青白い光となって伸びる斬撃に変わり、ザンディールの角の一つを斬り落とす。
「やるなぁ、戦う王女!」
空中の足場に着地したアーシェラに、ルインが賞賛を送る。
「護られるだけの女でいたくないですわ、ここまで連れてきて下さったのですから」
「でも無茶するなよ?」
「ルイン様も!」
二人は言いつつも一瞬で飛び退った。そこに、巨大な炎の腕が振り回される。
「私もだ、私も行くぞ! 全てを取り戻して見せる!」
ハイデもまた大太刀を携えて走り始めた。
──ゆこう、我が使徒よ。我らの武を大いに引き上げる時はまさに今!
「その通りだ!」
ハイデも上位者の能力で空中を駆けあがると、魔王の振り終えた腕にめがけて神速の居合を放ち、魔王の背後まで閃光のように一瞬で通り過ぎる。一瞬前にルインとアーシェラを狙って振られた炎の巨腕は、手のひらから肘のあたりまで横一文字に切り裂かれた。城壁の兵士たちから歓声が上がる。
「避けるぞ!」
「今だ、また撃てる!」
ハイデ、ルイン、そしてアーシェラは再び距離を取った。
「余勢を駆って撃てぃ!」
アレイオンが城壁の兵士と飛空戦艦に対して軍配を振る。再び、猛烈な投射兵器が嵐のように魔王の巨体を襲った。
「よーし、じゃあ、あたしたちはあのクソ男を叩きのめして縛るわ!」
ラヴナが走り回るウラヴ王を追い始める。
「同意です。あんなけだもの、絶対に許しません!」
巧妙にウラヴ王の進行方向を邪魔する射撃をしながら、剣を抜いたシェアも走り始めた。
「それならあたしがふん縛ってやるよ! 狼の脚は速いからな!」
ミュールも加わる。
「風の女王シルファニル、眷属の我が名において領域の加護を!」
クームは二つの水晶玉を両手で横に挟み、風の精霊の女王に呼び掛けていた。
──ああ、異界の嵐の神が! 何という姿でしょう。雄々しく美しく、しかしながら暴風は荒れ狂うもの。我が優しき風により、害なす全てのものに逆風を、正しき者には順風を!
肌ではなく、心で感じる温かさをもった大きな風の塊がクームの頭上に現れた。この場に清浄な風の力の加護を働かせ、戦いの優位を底上げする召喚を行っていた。
「お師匠様!」
短い金髪の魔術師マリアンヌは屈強な兵士に背負われた宮廷魔術師タイバスに呼び掛けた。
「うむ! ここは『氷の杭』でいくか!」
「それなら、私はその間、飛び火する攻撃を防ぐわね!」
「少し癪だが私も同じく!」
クロウディアとクロスはひとまず二人の魔術師の防御と援護に回る。
「ありがとうじゃ、クロス、影人の皇女殿!」
マリアンヌとタイバスは空中に杖の先を向け、二人で同じ呪文を唱え始めた。凍てつく白い魔法陣が展開すると、冷気をまとった鋭い氷の杭が攻城弓のように放たれる。それが、魔王の眼を幾つか刺し貫いた。
「まだまだ行くぞい!」
「はい!」
さらに、城壁の上からセレッサとアゼリアの正確な射撃が他の目玉も潰していく。
──これで喜ぶとは健気なものよ……。
しかし、魔王の声は全く余裕だった。
「なんですって?」
アーシェラが驚くが、それをルインが制した。
「まあだてに暗黒相持ちではないからな。しかし削り殺せば同じ事だ」
「ルイン様……!」
ルインの笑みは獰猛で楽し気で、アーシェラは理由の分からない戦慄が走った。
──下層地獄界の存在を皆殺しにし……。
アーシェラは女神ヘルセスの言葉を思い出していた。巨大な魔王の真の姿『暗黒相』は、悪夢か恐怖の具現のようなもので底知れない力に満ちている。しかし、ルインの言葉と笑みはそんな存在さえどうにかなるような何かを感じさせていた。
first draft:2020.07.24
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