第二十九話 決戦・中編

第二十九話 決戦・中編

 燃える大樹の魔王ザンディールの巨大な暗黒相あんこくそうと、眠り人と二人の使徒しとの戦いが展開している中、その足元では地味な逃走と追跡が続いていた。何らかの呪文を唱えつつ魔法で強化された逃げ足で走り回るウラヴ王と、追いかけるシェア、ラヴナ、ミュール。

「アグラーヤ、んでしまいな!」

 かなり威圧的な声で銀製の鞭に声をかけ、ふるうラヴナ。鞭の槍のような穂先ほさきの部分は蛇のようにその眼と口を開け、獲物を捕らえるように素早く伸びてはウラヴ王のかかとのあたりをかすり、わずかに傷をつけた。

「ぐうっ!」

 短い声を上げつつも、走り続けるウラヴ王。

「よし! あの毒は少しずつ効いてくるはずよ! しびれてくるはずだわ!」

「なるほど、毒ですね!」

 シェアが何かを思い出したように言う。

 ウラヴ王は一瞬立ち止まると踵の血を指でぬぐい、その手を地面に押し当てた。

「くそっ、出でよ土中のしかばねどもよ! 生者をむさぼり喰らい、尽きぬ飢えをいやすがいい!」

 刈りはらわれて灌木かんぼくや木々の枯れ始めた小枝の散るこけむした地面が、ごみだらけの沼のように一瞬うねった。何かが生えてくるように地面が盛り上がり始める。

死霊術しりょうじゅつか! なら、ここはあたしが食い止めてやるぞ! あたしの清められた銀の大剣ならこいつらに良く効くからな!」

 ミュールが背中の大剣を抜いた。自分の敵の存在を感知したように淡い光が剣身にうねる。一方、人の形をした苔と黒い湿った腐葉土ふようどかたまりは頭の部分に土塗つちまみれの頭蓋骨があり、それは斜めや逆さといったでたらめなおさまり方をしている。肋骨や腕など所々に骨が見える黒い土の部分は強くかびた匂いを発していた。

「こんな大昔の死者まで引っ張り出すなんて! 本当に……本当に頭に来ました!」

 シェアは逃げるウラヴ王を追うのを一旦やめて立ち止まった。

「シェアさん?」

「本当に本当に、吐き気がします」

(まずい……!)

 ラヴナは知っている。『本当に』を繰り返す時のシェアは、心から慈悲が滑り落ちた恐ろしい暴れぶりを見せる事を。以前にも二度ほどこのような事があった。

「大丈夫ですラヴナさん、殺さないで捕らえるだけですから」

 シェアは腰のポーチから二枚の呪符じゅふを取り出した。素早く何かを唱えると、淡い光で輪郭りんかくがぼんやりと光りはじめた呪符を両足のブーツに貼る。さらに、別のポーチから銀製の小さな筒を二つ取り出した。短い注射針のついているそれを右腿と左肩に素早く挿すと、眼を閉じて深呼吸をした。『退魔教会たいまきょうかい』の戦闘用の人体強化薬を使ったとラヴナは目星を付ける

「あの、そういう事じゃなくて……」

 ラヴナが遠慮気味に声をかけようとした時、シェアは矢のように飛び出した。遠くのウラヴ王が異変に気付き、呪文でまた何かを呼び出し始める。

「くそっ、契約により来い! 地獄の猟犬どもよ! あの女どもを噛み、焼き殺してしまえ! 女の丸焼きだ!」

「馬鹿な男。美学びがくも何も無いのね……」

 止めようのないシェアに、止めようのない馬鹿な男。ラヴナは自分にできる事は既にそう多くないと確信し、シェアの後を追う。ウラヴ王を中心にして王冠のように炎の波が広がると、それらは燃える黒い猟犬の群れに変わり、シェアの姿をみとめて襲い掛かった。大きな頭に耳まで裂けた口の猟犬たちは、この世の犬とは異なる凶悪さと悪意に満ちている。

「猟犬程度で!」

 シェアの神聖な力を持つリヴォルバーの銃弾が先頭の六頭の猟犬をたて続けに撃ち抜いた。さらに何かが猟犬たちの額に突き刺さる。投擲用とうてきようの短い刃だった。

「刺し殺した方が早い!」

 シェアはじれったそうに叫ぶと退魔教会の仕掛け剣を抜き、分離させて二刀持ちの状態にした。さらにブーツに貼った『俊足しゅんそく』の呪符じゅふにより疾風のように走ると、その一瞬でシェアを見失った猟犬たちは、顎の下や目から頭蓋まで貫くシェアの剣によって次々と霧散し始めた。常人の目には高速の残像と消えていく炎の猟犬しか見えていないような速度だった。『退魔教会』の魔獣狩り用の人体強化薬と呪符魔術じゅふまじゅつの合わせ技による高速の戦闘術で、さらにシェアの類まれな身体能力が合致して恐るべきものになっている。

「猟犬ども、何とかせんか! それでも地獄の犬か! 女一人に役立たずどもめ」

 予想外の展開にウラヴ王は地獄の猟犬たちに罵声ばせいをあびせた。

 小さな村ならごくわずかに時間に壊滅させて火の海に出来る地獄の猟犬たちは、獣らしい衰えぬ戦意で果敢にシェアに襲い掛かったが、噛もうとした一瞬にシェアが軽快な足さばきで下がり、顎を閉じた瞬間に合わせてその耳や眼、顎の下を貫かれて消えていく、という流れを繰り返していた。足を噛もうにもブーツの踵とつま先から出た刃が見事な足さばきで地獄の猟犬の耳の後ろや首などを的確に貫いていく。それは明らかに猟犬や狼の動きを知り尽くした戦い方だった。

「夜営の時にどれだけ狼を殺し、人々に配った事か! ならず者たちの猟犬も!」

 五十頭ほど呼び出された地獄の猟犬たちは、既に両手で数えられる程度に減っている。

「くそっ、何なのだこの女どもは一体!」

 ウラヴ王は再び何かを唱えようとしたが、右の二の腕に衝撃を感じて驚きの声を上げた。

「あーっ⁉」

 黒い、短剣のような柄の無い刃が右の二の腕を貫通する勢いで突き刺さっている。ここで地獄の猟犬の叫び声がし、最後の一頭が消滅したところだった。一瞬教導女きょうどうじょの動きが止まったかと思えば、また別の黒い刃が左胸に浅く刺さった。

「な、なんっ……⁉」

 ウラヴ王は口がうまく動かせず、唾が飛ぶ。そこに、一瞬で距離を詰めてきたシェアがウラヴ王の身体が浮かぶ勢いで股間を蹴り上げた。

「ふぐっ!」

(うわぁ)

 思わず目をそらすラヴナ。

 反射的にかがもうとした顔に、さらに強烈な膝当て付きの膝蹴りが見舞われ、ウラヴ王は歯を飛ばしながら転げた。

「自由が利きませんよね? ラヴナさんの毒もですが、私のそでの中に仕込んだ刃の麻痺毒まひどくは、大型の魔獣の動きさえ止める強力なものです。これは仕掛け武器でやいばを飛ばせますが、二本とも当たったようですね。終わりです」

 言いながら、既に別の刃が装填そうてんされた袖の中の仕掛け武器を見せるシェア。しかし、青ざめて脂汗を流すウラヴ王にはシェアの話を聞くゆとりはなかった。

「シェアさんの戦い方、相変わらず怖いわね」

 追いついたラヴナがため息交じりに言う。

「すいません、少し怒りに囚われてしまいました」

「大丈夫! その怒りは正しいわ。……アグラーヤ、こいつをふんじばりなさい!」

 ラヴナの銀製の鞭は蛇のように動いてウラヴ王を縛り上げ、さらにその口にも猿轡さるぐつわのように巻き付く。これで、身動きも取れず、呪文も唱えようがなくなった。ウラヴ王は完全に捕縛ほばくされてしまったが、股間へのすさまじい蹴りのせいか、白目をむいて泡を吹いていた。

(潰れてそう……)

 色々と複雑な気持ちになるラヴナ。

「……けだもの」

 まだ怒りが冷めないシェアの一言には、激しい嫌悪と怒りがこもっていた。

──退魔教会の機械技術、呪符魔術、薬品の研究は、古王国連合の上層部の者たちしか知らない。これらの技術を牽引していたのは、特級退魔教導士エドワードと、その一番弟子のシェア・イルレスである。

──ハロルド・フォラム著『退魔教会の異端審問記録』より。

 一方、魔王ザンディールとの死闘は激しいながらも膠着こうちゃくしつつあった。何度どれほどの損壊そんかいを与えても何事も無かったかのように復元してしまい、何かが正しくないと誰もが思い始めていた。

「ルイン様、これはどういう事でしょうか? 私たちの攻撃が効いていないと?」

 幻影のような大鷲おおわしの翼も神々しいアーシェラが、息を弾ませつつ聞く。

「いや、苛烈かれつな攻撃はだいぶ減っている。ただ、もしかするととどめを刺すには条件が必要な個体かもしれない。こいつらをこのような意匠と仕様で創り上げた奴ら・・・・・・・・・・・・・は、なかなかに悪趣味なのさ」

 ルインは何かを見下すような口調でつぶやいた。

「つまり、どうすればいいのだ?」

 何度目になるか分からない居合いあい剣閃けんせんとともに、ハイデもまたルインのそばの空中に降り立って問う。

「別に力でねじ伏せればよいのだが、それはかなり時間がかかる場合がある。おそらく、何か手順がある。時間帯やら倒し方やら。何か言い伝えや伝説は無いのか? この魔王に関しての……!」

 炎まとう剛腕の薙ぎ払いを三人の上位者じょういしゃは容易くかわし、再び空中に集う。

「ウラヴ王の伝説にしか、この魔王の名前は出てこなかったはずだ」

「そのはずですわ」

「……面倒な事になるな、ん?」

「あれは?」

「なんだっ?」

 上空に銀毛の馬と、その馬に乗る女騎士の姿があった。ルインは見覚えのあるその姿に思わず声を上げる。

「ジルデガーテ?」

「何ですって?」

 そこには青くたなびく軍旗ぐんきを携えては銀の聖騎士せいきしのように輝く狂乱の戦乙女いくさおとめ、ジルデガーテの姿があった。ジルデガーテは何も持たぬ右手を掲げる。

──清く猛きヴァドハルの戦弓ヘルフィグリーズ、忌まわしき下層地獄の魔王にばんの矢の裁きを!

 ジルデガーテの姿がきらりと光ると、一条の銀色の光線が無数に枝分かれし、万条ばんじょうの銀の光の矢となって魔王に襲い掛かった。ザンディールの全身に無数の穴が開き、流石の魔王も苦悶くもんの叫びをあげ、その動きを止めた。

「なんという力! ルイン様はあんなものと戦ったのですか?」

「ああ、まあ、あれの下っ端とだけどな」

 ジルデガーテは高度を下げ、ルインたちのごく近くまで降りてきた。一見、気高い銀ずくめの聖騎士せいきし聖女せいじょにしか見えないが、しかし決して油断できない相手であることは、どこに敵意や怒りの導火線どうかせんがあるか推測しがたい眼の光からも見て取れた。何か非常に危うい狂気が漂っていた。

「久しぶりだな眠り人」

「ああ、久しぶり。まさかここで再戦か?」

「それもいいが、上位魔族ニルティス戦乙女いくさおとめとしては、あのような下層地獄の下賤げせんな魔王が地上で真の姿をさらしている事は許しがたい。一方で、お前たちはあれの倒し方を知らない模様。戦乙女とは、時にあのような存在に打ち勝たんとする者に対し、勝利への道しるべを与えるものでもあるのだ」

 気高い演説めいたその言いまわしは、これから何を言うのかわからない不気味さが漂っている。

「ふむ、つまり?」

「ウロンダリアの隠された諸々に詳しい方が来るまで、時間を稼いでやったのだ。では、これにて」

「あっ、おい!」

「次は手加減しないぞ眠り人! あれで勝ったと思うなよ!」

 捨て台詞を残して、ジルデガーテは馬もろとも銀の光の矢となり、空の彼方に消えてしまった。

「……何といいますか、人の話を全く聞かない方なのですね」

「つまりどういう事なのだ?」

 困惑したハイデがルインに問う。

「おれに聞くな」

 呆気に取られていた三人に対し、地上のラヴナが声をかけた。

「ルイン様、ウラヴ王は捕まえたわ! シェアさんが股間を蹴り潰したのよ!」

 ラヴナを慌てて制止しようとするシェアと、縛られた男を運ぶ狼姿のミュールだった。しかし、ラヴナの目が丸く見開かれ、ルインはその視線の先、自分たちの背後やや上空を見た。

「今度は何だ?」

 空のただなかのそこには、若草色のドレスに金とも銀ともつかない輝く上げ髪をショールで包んだ、いかにも高貴そうな女が佇んでいる。

「あれはサーリャ様! ルイン様、あの人は『氷の女王』サーリャ様よ!」

 ラヴナの驚いた声が響いた。

「何だって? どういう事だ?」

ドレスの女は姿勢を変えず、冷たい横目でルインたちを見る。

「下層地獄の下賤な匂いに耐えられず、その大元を探してみればこれですか。とても酔狂すいきょうなお祭りですこと。特別な倒し方の設定されているこのような存在に対し、何の知識も無しに挑むとは、豪儀ごうぎなのか愚かなのか……。いずれにせよ、髪に嫌な匂いがこもりますから、少し髪を整えさせてもらうわね」

 『氷の女王』サーリャはそんな事を言いつつ、ショールを取り髪に手をかけた。

「大変! みんな逃げてー!」

 ラヴナには珍しい必死の叫びに、ルインもハイデも、そしてアーシェラも、急ぎ距離を取る。サーリャは金髪とも銀髪ともつかない冷気の輝く髪から、赤い宝石のついた髪飾りを外した。

 刹那、雷のような轟音と共に視界の全てが真っ白になり、ルインは一瞬混乱した。

「なんだ⁉」

 ラヴナの大声が聞こえてくる。

「サーリャ様の『こおりととのえ』よ! ああやって髪にため込んだ莫大ばくだいな冷気を解放するの! 八百年前の混沌戦争カオス・バトルでも、あれで気まぐれに沢山の敵軍を凍らせて、何度も戦いの流れを変えたのよ!」

 白い視界は莫大な冷気によるものらしく、次第に晴れてはっきりとしてきた。そこには真っ白に凍った魔王ザンディールの姿があった。その様子を冷たい赤い眼で見下ろす、髪をおろしたサーリャの姿も。その美しい姿に誰もが言葉を失った。

「ヘルセス様も例えようもなく美しいけれど、あの人もなんて綺麗なのかしら……」

 アーシェラが嘆息する。

 女神ヘルセスの手の届かないような美しさとはまた違い、自分の中の情念じょうねんをどうにかして美しい結晶にして磨いた感じ、とでも言えばいいのだろうか? 決して肯定してはいけない何かを肯定こうていしても良いような気にさせられる、不思議な説得力のある美しさだった。炭がかけがえのないダイヤになるように、悪意や情念が長い年月を経て磨かれれば、このようになるだろうか? とアーシェラはここが戦場であることを忘れてしまうほどに感心していた。

「あらありがとう。あなたも美しいわ、バルドスタのアーシェラ王女」

 冷たく美しい声。しかし、ルインはこの声に懐かしさを感じた。

──そう、疲れたのね。ならしばらく眠るといいわ……。

 何かがよみがえり、ルインは思わず声をかける。

「申し訳ないが、以前どこかで会った事が?」

 意外な事に、氷の女王サーリャは笑った。

「この私に街の軽薄な優男やさおとこがするような言葉をかけるとは、美しい花々を集めてなお食指しょくしを伸ばすのは、いかに磨かれた武人と言えども感心しないわね。まして『氷の女王』たる私に、ふふふ……。いえ、蛮勇ばんゆうも嫌いではないのですが」

「ああ、失礼があったならすまない」

「いいえ。単刀直入に用件だけお話ししましょう。魔王ザンディールの真の姿は、『薄明の時間、雨の中、腕の立つ戦士が同時に四本の角を落とし、現れた口に聖なる剣を突き立てる』事によって撃破できます。雨は……眠り人、あなたのその剣ならどちらも雨を呼ぶわ。ただ、刀の方が良いでしょうね。真の力を解放すればいいのです。夜明け前に剣と語らうといいでしょう。氷はその頃に溶けるはずです。では!」

「何だって?」

 微かな冷気を残して、氷の女王サーリャは姿を消してしまった。こうして、魔王ザンディール戦はいったん仕切り直しとなった。

──『氷の女王』サーリャは最も謎に包まれている魔族の姫だろう。姫というよりは女王のようにふるまい、魔王を凌ぐほどの力さえ持っている。しかし、彼女が何者で、どこから来たかは、なぜか誰も知らない。

──コリン・プレンダル著『魔界淑女序列』より。

first draft:2020.08.07

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