第五話 異変と陰謀と・前編

第五話 異変と陰謀と・前編

 物語は半月ほど前、ウロンダリアに『二つの世界樹の都』が現れた頃にさかのぼる。

 古王国、黒き国オーンに隣接する山間の小国シハルの小さな村、クレテ。

 大きな山の山腹の段地に存在するその村の、山道からややはずれた小さな一軒家。ゆがみのある古いガラスの窓を開けたのは、くすんだ金髪にだいぶ白いものが混じった、いかめしい初老の男だった。

 髪に白いものが多い初老の男は遥か下方まで続く夏の高原を見下ろしていた。その後、涼し気な空に浮かぶ太陽を見て、何かの決心を固めたように口を固く結んだ。その決意に合わせるかのように背後の素朴な扉が開き、若い男の施療士せりょうしに続いて女の看護師も現れる。

 二人ともゼドと同じような表情をしていた。

「ゼドさん、その……」

 若い施療士が言いずらそうに口を開いたが、ゼドと呼ばれた初老の男は意外にも悟ったような笑みを浮かべた。

「イレン先生、……やっぱりもたないか、うちの奴は」

「はい。いろいろと調べさせていただきましたが、マシアさんの言うとおり、母なる森に還る時が近づいているようです」

 若い旅の施療士イレンはこのような場に慣れているのか、余計な感情は乗せずに患者の状態を説明した。

「わかった。なら、あとはうちの夫婦の問題だな……」

 施療士と看護師は深々と頭を下げた。ゼドと呼ばれた初老の男はベルトにぶら下げていた財布から金貨を一枚と大きな銀貨を三枚取り出すと、施療士に差し出す。

「いや、ゼドさん多すぎます。霊薬れいやくや情報の代金としたって多すぎですよ」

「あんたらは良くしてくれたし、こんな村まで来てくれる先生は貴重だ。『けものもがり』についても詳しく教えてもらえたしな。取っといてくれ」

「では、良い治療器具や施療術せりょうじゅつの書物にてさせてもらい、より良い施療士を心がけますよ」

「そうしてくれ。ありがとう」

 若い施療士と看護師は丁寧に礼を言ってゼドの家を立ち去った。高原の淡い草花と小さな蝶の飛び交う中を歩き去っていく二人の様子に、何かを懐かしむように目を細めたゼドは、ある張り裂けそうな気持ちを遠い思い出で甘くぼかすような心持ちをし、奥の部屋に向かう。

「マシア」

 様々な薬草の匂い漂う寝室。そのベッドには上半身を起こして微笑むゼドの妻、マシアがいた。オーンの狼人おおかみびとである彼女のかつては闇のように青黒かった髪はだいぶ白くなり、その特徴たるもう一つの耳、頭にある愛らしさと気高さのあった狼の耳も所々が白い。顔や体は若い女に見えるが、老化の兆候が肉体には出がたい獣人たちは体毛にその老化が現れる特徴があった。

──ゼドの妻、オーン出身の狼人、マシア。

 夫の心中がよく分かるマシアは柔和にほほ笑んだ。

「あまり悲痛な顔をしないで、あなた。こんなものは一時的な別れよ。あなたがそんなに私の事を思ってくれるなら、きっとまた会えるわ」

「そうだな。……『けものもがり』か。ここからならお前の出身地、『黒き国』オーンの『黒き神獣の森』が一番だろうな」

「ええ。そこで最後の時を静かに過ごして……束の間の別れね」

 人とは異なる起源を持つ『獣の民』たちの葬送そうそうは、しばしば『けものもがり』と呼ばれる儀式になる事がある。これは自分たちの祖霊が祝福を与えた聖地で死を迎え、その場所で肉体を自然に帰し、魂は祖霊それいの元に、情念たるはく(ダイア)は大地に還して祝福とする安らかなものだ。

「すぐにでも準備をして発つか。お前の身体が動くうちが良いものな」

「そうしましょう。私も霊薬が効くうちは動けますから」

 素朴だが仲睦なかむつまじく連れ添ってきた二人は、獣の民が死期を悟った時にしばしば行う葬送の儀式『獣の殯』を成就させるために、隣国『黒き国』オーンの聖地、『黒き神獣の森』を目指して旅立つこととなった。

 若い施療士が見立てた死期は一ヶ月から三か月。十分な期間のはずだった。

──『獣の民』と呼ばれる、獣と人の特徴を併せ持つ獣人たちは、それぞれが自分の祖霊たる存在を知覚しており、死が近づくと祖霊それい聖域せいいきで生涯を終え、その魂を祖霊の領域に旅立たせることがある。この儀式は『獣人じゅうじんもがり』または『けものもがり』と呼ばれる。

──薔薇の眠り人ロザリエ・リキア著『獣の民』より。

 十数日後。小国シハルの、黒き国オーンとの国境が存在する街、ヴィルテ。

 マシアを荷車に乗せて旅してきたゼドは、普段と異なる街の空気に気づいた。黒き国オーンと人々が頻繁ひんぱんに行き交う国境たる峠のふもとに位置する街は、以前と違って殺伐さつばつとした雰囲気があり、ゼドとマシアのような人間と獣の民の夫婦や家族連れがとても多かったが、それらの人々の表情の多くは、死期近いがそれでも葬送に臨もうとする清々しさよりも怒りや苦悩、困惑が多いものだった。

「あなた」

 荷車から身を乗り出していたマシアが不安そうに呼ぶ。

「ああ、何か少し様子が……」

「変よ。死臭が漂っているの。遠いけど少なくないわ。どこか街のはずれ。行き交う人々からも少し匂ってくることがあるわ」

「……何か起きてるのか?」

 荒事あらごとにも備えようと、ゼドは自分の装備を確認する。手入れをした古い革鎧に、腰には戦闘用のこん棒にもなる松明と手斧、若い頃の冒険で得たわずかに魔力漂う長剣を装備している。

 同じく、オーンの様式の簡素な薄緑の普段着で荷車に座るマシアの横には、小中二つの強力ないしゆみが掛けてあった。

(多少の荒事は問題ないが……)

夫の目の動きでその心に気づいたマシアは、漂っている『匂い』を詳細に語る。

「怒りよりも哀しみの匂いが強いのよ。あっちのほうだわ」

 大きな水くみ場とベンチのある街の中央の広場はいびつな放射状に道が伸びており、輪切りにした丸太を敷き詰めて舗装された古い道の向こうに、宗派の感じられない古い石組みの祭祀場さいしじょうが見える。

 遠目からでもずいぶん人の多いのがわかり、また、ゼドとマシア夫婦のような荷車も多かった。何かよからぬ情報がもたらされるのでは? という嫌な予感がゼドの心中をよぎったが、それを察したのかマシアが微笑む。

「行ってみましょう? 子供の姿も見えるし、何が起きているのかわかるかもしれないわ」

 ゼドは少し急ぎ足で荷車を引いて祭祀場に向かう。おそらく共同墓地用の汎教型はんきょうがたと呼ばれる様式で、特定の宗教・神教に寄せないが重厚な石造りの祭祀場は、哀しく物々しい喧騒に満ちており、同時に死臭がゼドにも感じられるほどに強くなってきていた。

「何が起きている?」

 祭祀場前の広場の四角い沐浴場もくよくばや、死者の肉体を清める石組みの灌室かんしつを過ぎると、祭祀場の奥の墓地のほうに少なくない荷車と付き添いの人々がいるのが見えた。

「あなた、国境を越えられない人が沢山いるのかしら? もがりの儀式でそんな事をしてはならないはず。母なる黒狼の元に還る大事な儀式だというのに……」

「司祭か誰かがいるはずだ。聞いてみる」

 祭祀場の建物の周囲には、ゼドとマシアのような家族や夫婦がおり、ほとんどは荷車に死期の近づいた大事な家族を乗せていた。ゼドもその並びの一つにマシアの乗った荷車を横付けすると、弱々しく身を乗り出した狼人おおかみびとの男に会釈する。

「うちとは逆か。うちはかみさんが獣ではない人でなぁ」

 弱々しく笑う狼人の男に対して、ゼドは尋ねる。

「あんたも『獣の殯』か? いったい何が起きてる?」

「おれがここに来たのは十日くらい前の話しなんだがな、ひと月ほど前から、『古王国連合』の役人どもが来て、オーンへの国境を封鎖しやがったんだ。正確には、『獣の殯』の為に入ろうとしている狼人の入国が禁止されてる」

「何だって? なぜそんな事に⁉」

「嘘か本当かわからねぇが、奴らの言い分だと、おれや、あんたのかみさんが向かう『黒き神獣の森』から、人をおかしくする薬草が流通しているらしくて、『獣の殯』の葬送の旅人の中に違法な薬物を運んでる奴がいるんじゃねえかって話だった」

「そんな馬鹿な話があるか! あそこは『母なる黒狼』ルロが睨みを利かせている聖地だぞ? そんな事が出来るわけがない。ルロの怒りは恐ろしいぞ」

「おれだってそう思う。でも、とにかく封鎖してて通れない。待っている間に家族の寿命が尽きた者たちは、荷車を厳重に塞いでこの祭祀場の奥の広場で封鎖が終わるのを待っている。聖地で最期の時を迎えたかったろうにな」

「そんな……」

 話を聞いていたマシアが絶句した。その不安を打ち消すように、ゼドが話を続ける。

「どうしても駄目なら別の聖地もあるが、まず首長や司祭あたりに話を聞いて……」

「ゼドさん⁉」

 聞き慣れた声が祭祀場のホールから聞こえ、ゼドは声のした方に向く。

「あんたは、イレン先生!」

 予想もしない再会にゼドは驚いた。しばらく前にマシアの容態を確認した若い施療士がそこにいた。

「ゼドさんに謝礼を多めに頂いたので、貴重なオーンの薬草を買おうと思ってこの街に来たんですが、施療士たる私も国境を超えるのはまかりならぬ、との事で。この街の首長もシハルの王家も古王国連合にはあまり強い態度には出られないらしく、聖王国に連絡して霊薬を届けてもらい、延命の処置をしているのです」

「あんたがこの街に来てくれてよかった。しかしそうか、国も当てにならないか……」

「この、シハル程度の小国では古王国連合には何も言えないと思います。交易などの大きな利権が絡んでくるでしょうし」

「別の聖域を目指して旅するしかないか……」

 しかし、言いつつもゼドはそれがやや困難な旅になる事を知っていた。黒い狼の神獣の聖地はウロンダリア全土で数か所あるが、たどり着くのもそう難しくなく、かつ古式に則った『獣の殯』を受け入れている聖域は、黒き国オーンに存在する神獣ルロの『黒き神獣の森』と、魔の国の南方『サバルタの黒き森』にある『黒狼サバルの森』くらいで、あとは現実的には無理な厳しい旅になる場所だけだった。

 一瞬、険しい表情を浮かべるゼドの様子を察した施療士イレンは、ここしばらく行く先々で話題になっていた噂を思い出した。

「そういえば、葬送の儀式を行える方もいますよね。『狼の魔女』と呼ばれるファリス様。今は何かと話題の『キルシェイドの眠り人』のところで眠り女をされていたはず。不死の魔女ですがしばしば葬送もしてくださる方だと聞いたことがあります。この状況も相談できるかもしれませんし。……ん? あれは何です?」

「どうした?」

 イレンの視線がゼドの背後の街の広場の方に映る。つられるようにゼドも視線を移すと、白い光の柱が立ち上っては消えるところだった。

「あれは強力な『転移』の術式の光ですね。もしかしたら聖王国の方が誰か来てくれたのかもしれません」

「行ってみるか」

 ゼドとマシア、そしてイレンが向かうと、既に街の広場は人だかりができていた。最初に目に入ったのは、輝くような蒼い金属の大きな荷車だった。ドアの見当たらない小屋のようなそれは、くびきにあたる部分を二体の屈強そうな男を模した金属の人形が曳いている。

自動人形オートマータ? ゴーレムでしょうか? ……あの方は」

 声をひそめるイレンの視線の先には、白と紺のローブ姿の人物がいたが、フードを被ったその後姿は男のものではなかった。その人物は振り向きつつフードを剥ぐと、広場の雰囲気がぱっと明るくなるような不思議な空気が満ちた。

 蒼みを帯びた長い銀髪と、同じく蒼みを帯びた知的な灰色の目。輝くようなその女性は広場に集まった人々に微笑みかけたが、それだけで場の空気が安寧を帯びたものに変わる。

「驚かせてごめんなさい。私はアデニア。この街の状況を知るべく聖王国から来た詩人にして密使みっしです。こちらの自動人形オートマータは私の護衛であり、この馬車は大きな自動演奏の楽器です。あなた方の魂が迷わぬように、事が終わったら何か奏でさせていただこうかと」

──聖王国の密使にして詩人、アデニア。

 アデニアと名乗った女のローブの胸には、よく光を跳ね返す青銀の札が掛けられており、角を上下にした四角形を四頭のドラゴンが囲む紋章が刻印されている。

「『四龍旗しりゅうき』です。間違いなく聖王国の紋章です」

 小声でゼドに伝えるイレン。ゼドは似た紋章を探したが、確かに馬車の上にも同じ紋章の小さな旗が立ててあった。しかし何より、聖王国の密使は光を放つような異様な神聖さが漂っている。

「『天の人ダイヴァー』だ……」

「聞いたことがある。『天の人ダイヴァー』にして気さくな女性の詩人の方がおられると……」

 集まった人々は厳かな雰囲気を壊さないように、それでも情報を共有しようとする。『天の人ダイヴァー』とは、聖王国とその周辺に暮らす半神はんしんに近い不死人ふしびとで、気高く長命であり、魔の国キルシェイドの上位魔族と呼ばれる古き魔族ニルティス追われし魔族フォールンとは対極に位置する存在だとされている。

 アデニアはまず、皆に深々と頭を下げた。

「対応が遅れてごめんなさい。『けものもがり』に間に合わず、既にこの地で肉体が死を迎えた方々もいるとの事で、神聖乙女イス・ファルタも心を痛めております。この後、国境の封鎖を解除し、私が付き添いでオーンの『黒き神獣の森』を皆さんと目指しますが、由緒ある黒き国は現在、音信不通で、この件に対しても沈黙しています」

 集まった人々から不安そうなどよめきが漏れたが、アデニアは話を続けた。

「古来から『黒き国』オーンが何らかの不全を起こした場合、『狼の魔女』ファリスがその窓口となります。この件は私で収拾がつかないと判断したら、おそらく『狼の魔女ファリス』と、彼女が『眠り女』を務めたキルシェイドの眠り人に話が行くでしょう。きっと事態は収拾しますから、皆さん明るい気持ちを持ってくださいね?」

 アデニアは微笑みかけると、腰から素朴な銀の横笛を取り出し、優しい風が心を撫でるような曲を奏で始めた。

 それは古代から伝わる、旅の途中で命を落とした者の魂を慰撫いぶする葬送そうそうの曲で、たとえ志と道半ばで死しても風に乗って死者の旅は続く、という内容の曲だった。人々はその音色に聞き入り、様々な思いをはせ、涙する者もいた。殺伐としていた街の空気はたちまち厳かなものとなる。

「何て綺麗な音色。そうね、あまり落ち込んではいけないわね」

 気丈を装っていてたマシアが心から微笑み、元気づけられた様子を見て、ゼドは笛を奏でるアデニアに深々と頭を下げた。

「それにしても、あの大国が音信不通になるとはいったい何が?」

「なに、あの国の事だ。また『狼人おおかみびとの気まぐれ』でも起きたのだろう」

 疑問を呈するイレンに対して妻の心を曇らせたくなかったゼドは、オーンの狼人がしばしば起こす、気まぐれや無気力の連鎖について口にした。人のように連日職務に当たる事を苦手とする獣人たち、とくに由緒あるオーンの狼人おおかみびとたちはこの傾向が顕著で、大国を維持できているのはそれ自体が奇跡的な事だと言われている。

「確かに、大きな戦争や式典、祭りの後などにはしばらく機能不全を起こしたりする国ではありますが……」

 ゼドの気持ちを察したイレンはそれ以上余計なことを言わなかった。しかし、しばしば気質ゆえに機能不全を起こす大国は、その気質ゆえに大国であり続けたのもまた事実だった。

 『母なる大狼』ルロを始祖とする狼人たちの非常に強い結束。だからこそ同胞の『獣の殯』をないがしろにするような事は今まで一度もなかったはずで、今回の出来事は何か大きな異変を孕んでいるような気がして、施療士イレンは空を見上げた。

(何も無ければいいが……)

──キルシェイドの眠り人に話が行くでしょう。

 聖王国の密使アデニアの言葉に、イレンは最近の様々な噂を思い出していた。

 ここしばらく、工人の都市や東の大国バルドスタ戦教国での『キルシェイドの眠り人』の活躍は大いにウロンダリアを沸かせている。さらに最近は『二つの世界樹の都』がもたらされたと子供たちまでが噂にしている。

(また何か大きな事が起きる気がするが……)

 イレンは微笑みを交わすゼドとマシア夫婦を見やった。

(この人たちが無事に『獣の殯』を終えられることを祈ろう)

 しかし、若い施療士の願いもむなしく、この時にはすでにウロンダリアを揺るがす大きな事件が起きていることを、今はまだ誰も知らなかった。

──獣の民たちはいわゆる人族と違って規則的な労働は好まない。この為、人族のように規則や秩序だった動きを取ると、しばらく反動で好きなことをしたり無気力になったりする。オーンの狼人は特にこれが顕著で『狼人おおかみびとの気まぐれ』と呼ばれている。

──インガルト・ワイトガル『ウロンダリアの種族』より。

first draft:2022.11.27

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