第十六話 武器庫と戦乙女

第十六話 武器庫と戦乙女いくさおとめ

 不帰かえらずの地ヴァンセン、大魔城エデンガルの鞘城さやしろの城壁。

 上位魔族ニルティスの複雑な歴史や、シルドネーたち『女王たる蜘蛛くも』の種族ハマーグの歴史について興味深い話を聞かせてもらっていたルインは、頭上の星空がいつしか青みがかって薄くなり始めた事に気付いた。

「空が白みかけている。興味深い話の数々に対して、少し時間が足りなかったか」

「既にだいぶ遅い時間でしたものね。でも、今夜以降は同じお城にいますから、好きなだけお話もできるというものですよ」

「そう。話す事は大事だわ。……あら?」

 ティアーリアの話に蜘蛛の姫シルドネーが相槌を打つ。シルドネーは何かを感じたのかルインの背後の壁に視線を移した。ルインもつられるように振り向く。ほぼ同時に武骨な壁が滑るように後退して、城壁と後退した壁の間に石畳いしだたみの広場と高いアーチ型の開口部と、その両翼りょうよくに展開した傾斜通路けいしゃつうろが現れていた。

随分ずいぶん武骨ぶこつなお城を選ばれたとは思いますが、このような趣向しゅこうも嫌いではないですね。さてと、あそこが入口であれば……」

 シルドネーが言っているそばから、アーチ形の開口部の上の壁に大きな蜘蛛の彫刻のされた石板が現れた。発達したはさみのような足の一部はどのような仕掛けか溶岩のように赤い光に燃えており、その複数の眼は金属のようになめらかな銀色の玉がはめ込まれているように見えている。

「ルイン様、あれが『ヴァトムの刻印こくいん』ですよ。おじじったらまだ眠っているようですね。おそらく戦いになるでしょうから、技師たちが引きあげたら声をかけてみましょうか。少し荒事あらごとになる準備はできていますか?」

「ああ、いつでも構わない。少し体を動かしたら寝ようかと」

「おっ、ルインの旦那さすがの余裕だな! でもよ、お嬢が言ってたけどヴァトム爺さんって魔王スラングロードの頃の最初の『八大魔将』の一人だぜ? シルドネー姫たち蜘蛛の一族は女がすんげぇ強いから大したことないように聞こえるだろうけどよ」

 テーブルの上で虫を使っていないお菓子をより分けていたデニスがつぶやく。

「それは初耳だな」

 デニスの向こう、シルドネーは何事もないかのように微笑んでいる。

「シルドネー、ヴァトム老はかなり強いらしいが……」

「それほどでもありませんよ。でも、もしもヴァトムおじじが戦う事を望んだら、少し相手をしてくださったら嬉しいです。音に聞こえつつあるあなたの武力を見たいのですよ」

 シルドネーは微笑んで目を細めた。

「つまり戦いぶりを見たいと?」

 言いつつ、気配を感じたルインは城のアーチ門に気配を感じて見やった。浮揚する絨毯じゅうたんに乗ったフード姿の魔の国の技師たちが次々に場外に出てくる。そのうち何人かはルインに気付いて手を振り、『拡声かくせい』の術式に乗せて呼びかけてきた。

「ルイン殿、大魔城の基本的な区画の配置は終わりましたぞ!」

「ありがとう! 詳しく聞かせてもらおう」

 うっすら明るくなってきた空に夜警やけいの終わりを決めたルインは、ティアーリアとシルドネーと共に席を立ち、ルインは城壁から鎖の足場を出現させて降りるやり方で、シルドネーは蜘蛛の糸で、ティアーリアは幻影の翼で、それぞれ正門前の広場に降り立った。デニスはホッパーの背に乗って三者についてくる。

「昼夜問わずの作業、深甚しんじんの至りだ」

 ルインが丁寧に礼を言う。灰色の生地に紫の柄が特徴的な衣装を着た魔の国の技師たちは、その代表が人の背丈を五割ほど増した有翼の大男で、鋭い目と大きな鷲鼻わしばなが特徴的な人相をしている。しかし、この男は意外にも達成感の漂う笑みを浮かべて説明を始めた。

「これはこれは! 言葉にも力が感じられますな。ここしばらく平和に過ぎたウロンダリアでは、我ら空間構築の技師の仕事はそう多くなく閑職かんしょくでして、勘が鈍ってやらかしがないかと恐々としておりますよ。何しろこのスラングロード上魔王の城エデンガルは、目録に拠れば六万五千五百三十五もの部屋または空間があったとかで、まだその全容は解明されておりませぬゆえ」

「今なんと? 六万⁉」

「六万五千五百三十五です。スラングロード王は領域や空間の制御に造詣ぞうけいが深い方でしたからな。部屋数も大変なものになっております。今回はごく少ない部屋と空間を美しく合理的に配置したに過ぎませぬが。そして、大王はのちの時代にそのような作業をより容易く行えるようにしていたのです。少しご一緒に説明しても?」

「お願いしよう」

「ではこちらへ」

「ルインの旦那、おれも行っていいか? というかついてくぜ!」

 ルインの返事を待たずにデニスはその肩に飛び乗った。

 技師の男は手にしていた薄い銀の図板を開いた。現在ルインたちのいる外観の城、つまり鞘城の立体図が立ち上がる。

「緑の立体図はルイン殿が選ばれたこの城ですが、このアーチ門の向こうから内部はこのようにエデンガル城のものとなっております」

 鞘城さやしろの外観は淡い緑の立体的な線画となって透け、その内部に赤い線画の塊が現れた。それは次第に拡大されると曲線の多い多段構造の巨大な建物の縮図となり、その入り口と鞘城の入り口が重なっている。

「で、この城の内部にはある程度『西のやぐら』に近い間取りでより広大に、部屋や空間のさらなる配置が可能な状態で、必要な部屋や区画を配置しております。それらは全てエデンガル城のものであり、空間を結んでおるのですな」

 鞘城の立体図の内部には確かに西の櫓と似た配置の通路や居室が見て取れ、それらは重なっているエデンガル城の立体図の各部屋と線で結ばれている。

「その線が空間の結着を意味しています。簡単に言いますと、見た目はこの城で、中身はエデンガル城、その間取りをある程度自在に変えられるという仕掛けになっておりますな。そしてもうひとつ特徴的なのは……」

 アーチ門の奥は門と同じ見上げるような大きさの金枠の鏡で封じられている。

「これは?」

「この鏡こそが空間を結んでいるのですよ。ルイン殿は普通に通れまする。そして……」

 技師と共に大きな鏡を通り抜けたルインは、青白い魔導まどう灯火とうかで照らされた重厚じゅうこう装飾そうしょくの多い廊下に出た。上位黒曜石オブスタイトで組まれた通路や壁には、青白い魔力が闇夜に走る音のない稲妻のように表現されている。

 その廊下の壁にはドアのように金枠の鏡が一定の間隔ではめ込まれていた。

「この鏡こそがこの城ではドアの役割をいたしまする。何かと便利な仕組みなのでそれについてはおいおい。それにしてもルイン殿、本当にあのような部屋で良かったので?」

「あのような部屋?」

「ルイン殿には未使用の武器展示室などがいいとチェルシー姫が仰っていたので、そのように致しましたが」

 デニスが思い出したように話し始める。

「あっ、お嬢が言ってたんだ。ルインの旦那が気に入りそうな部屋を伝えておいたって。それも伝えとくように言われてたんだけど忘れちまってたよ。やっぱりこう、ウサギは駄目だな。頭が小さい分なんつうか容量みたいなもんが足りねぇ」

(そういうものか?)

 デニスの見解は都合が良すぎるものに感じられたが、ルインは特に何も言わなかった。自分の部屋についても何の要望もなく、言及もしていなかったことに気付いた。

「……見せてもらおうか」

「では最初にルイン殿の部屋へ」

 西のやぐらとよく似た経路で階段を上がり、似ているが遥かに広いバルコニーを横目に見つつ、やがて壁に掛けてある黒枠の鏡に至る。

「ここになりますな」

 ルインは促されて鏡を通り抜けた。

「これは……」

 最初にルインの目に入ったのは非常に高い正面の壁と、その両側の幅の広い開口部で、これが天井まで届いて明るい光を放っている。部屋は非常に広いがまるで扇子せんすのように開口部と壁に向かって狭まり、その壁には無数の武器の支持架しじかが並んでいた。

「ここはもともと、エデンガル城の『第八十一番武器鑑定・保管室』でした。奥に向かうにつれて狭くなる壁の裏側には、武器鑑定官がそのまま暮らせるような居室もありますからな。しかし、本来ここは所狭しと武器が並べられるような部屋で、周囲に女性の多い今後のルイン殿にはいささか……」

 しかし、技師はルインが目を輝かせて感動している事に気付いた。

「何だこの部屋……ここを全て武器で満たす……最高だ!」

ルインの声がわずかに震えている。

(……なぜ感動しておられるのだ? 女性より武器が好きな人であったか?)

「おれ自身はいっそ家が無くてもいいくらいだが、武器は違う。大切に保管し、時には十分に手入れをしてやりたい。この環境はとても良いな」

「そういうものでありますか……?」

 技師の困惑に気付いてないルインに、デニスが呆れたように溜め息をつく。

「あのさぁルインの旦那、綺麗な魔族の姫のねぇちゃんが沢山いるのに、この殺風景というか殺気だらけになりそうな部屋はねえだろぉ! 女は落ち着かねぇよ! 雰囲気もくそもねぇ! こう、夜に営む時に武器屋の倉庫みたいな部屋はねぇだろう!」

 この言葉に珍しくルインは呆れたような表情を浮かべた。

「基本的に営む考えはないからな? それにしても……この部屋の良さが分からないのか」

 ため息交じりのその言葉は、何かを心底理解できない者への哀れみにも似た雰囲気が漂っていた。しかし、魔の国の技師とデニスはむしろそんなルインが理解できなかった。

「技師どのもそう思うだろう?」

 ルインは技師に同意を促す。しかし頭の回転が速い魔族の技師でも即応は無理だった。

「うむ……何と申しますか、その……私の価値観の狭さに打ちひしがれるべきところなのか、はたまたルイン殿がきわめて個性的な感性かは議論が分かれるかと思いますが、部屋自体は実に良きですな」

「だろう? 良いよなぁ、この部屋」

 ルインは都合の良い部分しか受け止めていない。

(やっぱりこの男もこういう部分があるんだな……)

 デニスはむしろ感心していた。強い男がしばしば持つ自分にとって負になる情報を全く耳にも入れていない姿勢。無神経にも見えるが決してそうではない部分が垣間見えている。

「全くこの部屋は……!」

 武器庫を眺めつつ歩くルインの後ろ姿には隠しようのない喜びが溢れている。しかし、そんなルインの背に出入り口である鏡から出てきたシルドネーが声をかけた。

「ルイン様、ジルデガーテが姿を現しましたよ。あなたがエデンガル城に入るのを見て慌ててやってきたみたいですね。試練を受けろと騒いでいます。お望みなら捩じ伏せて拘束しますが、どうします?」

 ルインの後ろ姿から喜びの気配が消え、珍しい事に少し不機嫌そうに振り向いた。

「せめてもう少し後なら良かったのに、この感動を抑えねばならない気持ちは少し残念だ。彼女の用事はそこまで慌てなくてはならないものか? こんな焚火たきびに水をかけるような……」

 ルインは言いつつも足早に場外に出る。エデンガル城の門を出て、更に鞘城さやしろの城門を抜けて湖上の大桟橋だいさんばしに出ると、旗持ちの猫背の銀騎士を伴い、銀の軍馬に騎乗した銀髪の戦乙女いくさおとめの姿があった。その旗は青地に銀で『剣を抱く髑髏どくろの戦乙女』が刺繍ししゅうされている。

──上位魔族ニルティスの姫の一人、『狂乱の戦乙女いくさおとめ』ジルデガーテ。

 立ち止まるルインの隣にティアーリアがふわりと着地する。ジルデガーテの勇ましい声が響いた。

「問おう眠り人、お前はエデンガル城の玉座の間の背後の壁、古のスラングロード上魔王様の刻んだ『約定やくじょうの壁』は確認したか?」

「いや、まだだ。自分の部屋になるであろう武器庫を眺めて感動に浸りたいところでの来訪、正直言って気分が悪い。以前の試練の話は聞いているが、そもそも戦う意味があるのか? 前回もただただ迷惑だったが」

 しばし沈黙が漂う。

「お前の立場ではそうだろうな」

 静かに同意したジルデガーテの目には以前見られた狂気がなく、ルインの目が少し細められた。

「私はお前たちのバルドスタでの戦いには己の正義で加勢し立ち去った。それ以降、お前に試練の続きを科したかったが、常に運命が邪魔をしてお前に会う事は叶わなかった。前回などはお前に会う直前でお前たちが姿を消してしまったしな。この運の力は、かつて滅んだヴァドハルの地において、神の御使いにして戦乙女バル・ファルタの首席であった私にさえ干渉している恐るべきものだ。今までこんな事は経験したことがない」

「どういう意味だ?」

「お前は別格に強く、また私の運命に大きく関わる力を持っているのだ。そしてもうじきお前が引き継ぐ『約定の壁』もそれを裏付けている。だからこそ、お前は私に全力で挑まねばならない」

 ジルデガーテは翼を広げた戦乙女をあしらった見事な剣を抜き、その切っ先をルインに向けた。

「だから何でそうなる?」

「話せば長い。だがもともと運命は常に偉大にして理不尽だ。しかしそれを試練ととらえる敬虔さは必要だ。お前も、私も、時に狂気にさえ見えるそれを避けては通れないのだ!」

(説明になっていないと思うんだけど……)

 ティアーリアは思わず心の中で指摘していた。闘志に溢れてもっともらしく聞こえるが、ジルデガーテの口上は全くルインの質問への答えになっていなかった。しかし、わずかの間を置いたルインの対応もティアーリアの予想外だった。

「……その通りだな。受けて立とう!」

 ルインの鷹揚さがジルデガーテの言い分を通った形にしてしまっている。

(どうしてそうなるの?)

 ティアーリアは必要以上にこの二人について考えるより、感じる方が良いのだろうと考えた。

「来るがいい眠り人。我が試練の場へ!」

 ジルデガーテはルインに向けていた剣を背後の湖上に向けた。水面上に銀色に輝く術式による半透明の広い地平が現れる。

 ジルデガーテはさっと馬首を返すと空中を駆けてその場所に向かった。旗持ちの猫背の銀騎士も獣のような駆け方でその後を追う。ルインもまたその後を追って走った。

「ではルイン様、私とシルドネーがこの戦いに立ち会いましょう」

 幻影の黒い翼を広げてルインの横を飛ぶティアーリアが言いつつ笑う。

「ああ、宜しく頼む」

 ルインが『試練の場』の術式の地平にたどり着くと、ジルデガーテも適度な距離で馬首を返し、両者は向き合った。

「夜警の任の締めに、夜明けに戦乙女と戦う……悪くないな」

 ルインは嬉し気に微笑みつつ、首や拳をほぐすように回し鳴らした。対するジルデガーテも笑う。

「我が狂気と重責に……そして返したくない約定。もはや狂乱と共に在らねば正気を保てず幾星霜か。失われたヴァドハルの地は二度と戻らず、かつての我が主神はこの地においてはしばしば嘲笑される有様だ。はたして『試練』とは誰にとってのものであろうな? 行くぞ、キルシェイドの眠り人ルイン!」

 ジルデガーテの頭に銀のもやがかかり、翼飾りのついた見事な兜と、その顔は凛々しく微笑する戦乙女の仮面に隠された。

「全て受けて立つ!」

 ルインは黒炎のマントを出現させ、様々な武器に形を変えるオーレイルを長めの六角棍にして緩く構えた。

(あらあら、最初から相手をあまり傷つけない武器にするのは流石ね)

 ティアーリアはルインの考えを推し量って微笑む。

「ふん、私に優しくしても、私はお前に優しくなどしないぞ!」


 空中に駆けるジルデガーテの声が忌々しそうに響く。

「女はそれくらいでいいさ」

 ルインは不敵に笑って返した。

「減らず口を! 神の戦弓ヘルフィグリーズ、万の矢の裁きを!」

 ジルデガーテは左手に銀に輝く弓を掲げた。剣を持ったままの右手を添えずとも弓は勝手に引き絞られ、薄明るい空の天をめがけて銀の矢が放たれる。

「いきなり大技を!」

 ティアーリアの言葉が終わる前に空は銀の光に満ち、無数の銀の矢が降り注ぎ始めた。

「バルドスタでも見たな。だが雑兵向けの技などおれには効かんよ。……ティアーリア、耳を塞いでくれ」

「えっ? わかりました!」

 ティアーリアはルインの言葉に急いで聴覚を遮断した。

 ルインは六角棍ろっかくこんを何かの型の一部のように振り回して立てると、深く息を吸って声というよりは衝撃波に近い叫びをあげた。迫りくる無数の銀の矢は粉々になって霧散する。

──ダークスレイヤーの獣叫じゅうきょう

「魔術とはつまるところ言葉の力。戦士の根源を知る者の咆哮ほうこうは、時にこれらを小賢しいものとしてすべて打ち砕く!」

 しかし、ジルデガーテの佇まいに動揺の気配がない事にルインは気づいた。案の定、強気な言葉が返ってくる。

「これくらい返さねばきょうがれるというものだ。お前には期待できそうだな、眠り人ルイン!」

「ルイン様お気をつけて! 本気のジルは戦乙女にとどまらない力を使ってくるはずです」

「ああ、全て受けて立つ!」

 ティアーリアの忠告にルインは嬉しげに笑った。

──『原初げんしょ大征伐だいせいばつ』の頃、多くの戦乙女バル・ファルタを率いた軍神ヴォーダンの統べる地ヴァドハルはその武名を大いに轟かせていた。しかし、次第にその武名は戦乙女たちの堕落だらくにより陰り、やがてヴァドハルは歴史からその名を消してしまった。

──大賢者アンサール著『失われた世界』より。

first draft:2023.3.17

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