蒼城三十柱の始まりについてはこちら。
『喜びと遊興』シルニスまたはシルニーズ:Sylnees
またの名は『ラーンファースのシルニス』。失われたラーンファースという世界の出身で、『廻る力』という意味になるラーンファースは星の海さえも風と水で満ちた素晴らしい世界だったとされるが、美しき割譲の頃にはとうに滅びている。
シルニスは遊興を非常に大事な概念ととらえており、生きる事において究極的には物質界で魂を遊ばせる事が何より貴い事だと考えているが、残念ながらこの理念は正確には伝わらず、遊興に全身全霊で打ち込む事のすばらしさを正しく理解できるものは稀有だとされている。また、勝利はとても大事だが、それに囚われてしまう事もまた良くない事であるとも。
そんな彼女の理想とは、争いを代表者同士がゲームによって決定して平和的に解決させるというもの。しかし、前述の理念と同じくそれは叶わず、無限世界は多くの戦火に苛まれ続ける事になり、遂には『終焉の黒き鳥』と噂されるダークスレイヤーが出現し、とても胸を痛めていた。
『美しき割譲』の時、ダークスレイヤーを討ち取ろうとして不意打ちに等しい攻撃を仕掛けたマリーシアを除いては、彼女が最も早く彼に声をかけて理解に努めた事になり、この勇気と献身によって他の女神たちからも尊敬されるようになった。しかし見方を変えると、ダークスレイヤーからの信頼も他の女神たちよりも結果的に強くなり、この辺は流石ゲームの神らしい度胸と判断でもある。
彼女の理念は遊び心のように見えて本質は優しさにあり、言動をよく見ると常に周囲の者たちへの気遣いが強く見られる。第四章での再会も、おそらくずいぶん前から彼の近くにいて見守っていたようで、ある種の責任を感じているのかもしれない(表向きはとても怒っていたが)。
普段は猫の耳と尻尾のある姿をしているが、これは人目に触れる時のいわゆる『俗世の相』であり、その姿の時は言う事に冗談や笑いが必ず差し込まれるが、真面目な話をしたい時は猫の特徴を消して隙の無い美しい姿になる。
この姿を取っている時のシルニスの言葉は示唆に富んでいたり真面目なもので、遊戯の彼方にある成長の真理や、遠大な武略の神髄を話してくれることがある。
女神としての位も非常に高いようだが、そんな彼女がいた世界がなぜとうの昔に滅び、彼女が『美しき割譲』に加えられたのか、そして世界がなぜ戦火に満ちているのか、いつか明らかになる日は来るだろうか?
『運命の仕立師』バゼリナ:Bazelina
かつて『蒼い城』に集められてダークスレイヤーに引き渡されたという秘神の一柱。通常は三柱で司る事の多い運命の糸を紡ぎ、辿り、切るという権能を一柱で司り、かつ機織りと糸紡ぎの権能を持つ位の高い女神。現在は運命を操る権能は『正しく失われている』と語っているが、その意味は?
現在、作中では複雑に編んだ黒髪に虹色の瞳、薄桃色の祭服という姿で現れるが、これは『俗世の相』という人目に触れる時の姿であり、他に混沌の女神『鋏のバゼリガリ』の姿や異端審問官バゼルという人の姿と、様々な姿を取っており、得体の知れなさがあるがルインは全く気にしたり咎めたりする様子はない。女神たちの複雑性をよく理解しているからと思われる。そんな彼女が獰猛な狩猟の女神、モーンの前に現れた時の姿は『美しき織女の相』という、とても女性美溢れたもの。
また、第三章で彼女が機を織っていた美しい領域は、『ファティスの星の海』という名であり、そのまま解釈するなら『界央の地』を取り巻く十の至聖下の地の一つ、美の領域の星の海を意味している事になる。
物腰は大変に上品で言葉遣いも奥ゆかしいが、獰猛なモーン相手に全くひかずに奥深く皮肉めいた事を言って閉口させてしまったり、『運命の皮肉そのもの』と言われるあたり、性格と権能に何か繋がりがあるのかもしれない。
彼女がしばしば名乗る『綾織り』とは、機織りの時に斜めに入る線が浮かぶ織り方で、機で運命そのものを織る彼女は稀有で複雑性に満ちた運命を織りあげられる存在であることを意味している。
『炎赤の守護者』ヴァルミス:Valmis
特別編『彼らが恐れるのは、あなただけ……』に登場したハーダルの地の戦女神であり、蒼い城に集められた女神の一柱でもある。無限世界において地水火風空の五大元素のうち炎と赤い色に関するものすべてに祝福を与える勇猛な美と戦いの女神であり、とても強く美しいものの、それでも聖魔の王の妻の一人にならなかったのは彼女が不和、闘争、炎による滅失と再生なども司って肯定していたのが界央の地にそぐわなかったのではと噂されている。
特別編において神血を失い過ぎて神の死を迎えかけ、さらにマスティマの将軍の大剣ヴェギシグを手にした事によって『罪の火』に焼かれたりと大変な目に遭うが、『白い女』の長女シルウェスティナの莫大な生命の力とダークスレイヤーの黒炎によって清められ、もともとの女神としての力の他に、マスティマの『罪の火』、白い女の『生命』、ダークスレイヤーの『永劫回帰獄の黒炎』という三概念の力を得て、無限世界でも屈指の複雑さと力を持つにいたった。
以前の彼女は炎のような赤い髪をしていたが、この出来事以降、彼女の髪は赤い火のようなきらめきをもつ黒髪に変わり、ドレスも神血に濡れたのちに黒く美しく焦げた特別なものとなった。また、この出来事以降の彼女の姿は大剣を手に炎の中に立ち、目を閉じて穏やかに微笑む姿を取る事が多くなり、彼女の神像も大抵はそのような意匠になっている。これは『不和や騒乱で全ては焼け落ちる事もあり、見るに堪えない事もあるが、それをなお肯定する姿』と解釈されている。
彼女の象徴は炎の力に満ちた大輪の火の花アグラシアであり、所有物は溶鉱炉の(こうさい)の槍ヒスカルド、火の花の大剣と罪の火の大剣ヴェギシグであるとされている。
また、その領域は『ハーダルの燻る森』といい、焼け落ちて灰の舞う森に赤い火の花の咲き乱れる恐ろしくも美しいものとされているが、解釈によっては黒炎に焼けた世界に可憐に咲く赤い花に、ダークスレイヤーとヴァルミスの関係を示唆しているという説もある。
『最強の幻像』マリーシア:Maricia
エピソード『陽炎の憂い』で彼女の過去が語られるが、本編でもしばしば『ウロンダリアで最強の戦女神』とされていたり、魔族の姫たちには『中身が人食い鬼のような戦闘狂』などと言われていたりする、無限世界でもウロンダリアでも知名度の高い武神で、無限世界で最強の女神ではないかと噂されている。
過去に『蒼城三十柱の女神』として蒼い城にてダークスレイヤーに引き渡されたが、彼女が一番最初にダークスレイヤーに会い、しかも不意打ちで彼を倒そうとしたが失敗し、彼女の長い生での大きな汚点になったらしい。また、この出来事で他の女神様たちからは少し距離を置かれるようになったり、古き狩猟の女神モーンとは熾烈な戦いを繰り広げて結局はダークスレイヤーが二人の戦いを預かる事になったりと、エピソードが多い。
しかしその本質は『真の敵は常に自分の中にしかおらず、敵対者とは心の作り出した幻影であり、これを理解した強き者こそがその幻影に等しく、ゆえに誰も倒せない』という強さと戦いの奥義に迫る奥深いもの。蜃気楼のような誰も倒せない強さが彼女の本質でもある。
彼女の神像は目を閉じて髪か耳に手を当てようとする姿勢の物が多い。これは目で見るものばかりが本質ではない事と、よく耳を澄ますような冷静さが大切であること、髪を気にするような装備や身だしなみにいつも気を使える確認とゆとりが大切であることと解釈されている。
彼女は銀色を好み、金髪に憧れながらも美しい銀髪をしていた月と陰謀の女神イシュクラダと髪の色を交換したという伝説がある。
無限世界及びウロンダリアで名高い古き狩猟の女神モーンとは大変に仲が悪く、『蒼い城』においては千日戦っても決着がつかず、この二柱の女神は結局のところダークスレイヤーに戦いを永遠に預かってもらう事になったとされている。また、この仲の悪さの為、ウロンダリアでもいつもどちらか片方しかいないと言い伝えられている。原因は戦いに関する理念の違いであるとも。
その戦い方は基本的に無手、つまり徒手空拳だが、左腕に巻いた美しい鎖索(※敵を捉える細い鎖)や、三頭の古い竜の力の込められた水晶の棍を用いる事がある。
また、紆余曲折を経て、永遠の地と呼ばれるウロンダリアではだいぶ姿が変わっている。詳しくはこちら。
『月と陰謀』イシュクラダ:Ishukrada
なぜか屈指の悪女と呼ばれている女神。
物語全体の初出としては『月の悪女は解き放たれる』が最初となるが、氷の女王サーリャの物語にちらほらと出ていたり、ウロンダリアのレダの月にある神都イシュクラダルが『イシュクラダの』を意味するなど、陰謀を司るとされる通り物語の影で様々な動きや影響を感じさせている。
赤い衣装に流れるような金髪、宝冠と、まるで神々の女王のように威厳があり、本人は『真の王たる者の妻』と名乗っているが、彼女が誰かと婚姻を結んでいたという話は一切なく、無限世界の危険な女性存在を永遠に幽閉するとされる『嵐の虚海』という領域の、しかもほぼ永劫回帰獄よりの場所に幽閉されていたため、非常に都合が悪いか危険視されていた存在であろう事が窺い知れる。
彼女は月に関わる多くの秘密と女の陰謀を司っており、例えば傾国や傾城と謳われ、国家を傾けるような美女は彼女の加護を得ているとされ、それが危険視された原因の一つかもしれない。しかしその本質は『力で女性を抑え込む男性の否定』にあるらしく、それは女性を力で抑え込もうとする意志から解放する自由を意味しているとも解釈できる。
また、彼女に気に入られると世間的には悪女と誤解されがちな女性に好かれやすくなる加護が働くという噂がある。
その領域は大きな満月と暗月が浮かび、金銀の百合が光の粒子を漂わせる薄暗く美しい『イシュカの月の園』と呼ばれるもの。
威厳があり堂々としているが、言葉の端々に献身的な優しさが見え、確かに月を思わせる何かのある女神でもある。
『大海と涙』人魚姫オルセラ:Orsella
かつて無限世界においては様々な海の集約する地、アルシスリア(※無限世界の各世界で説明項有り)に拠点『海溟宮イース』を持ち、数多くの表層から深部までの海を守護するとても大きな人魚の神姫で、海のような包容力と慈愛に溢れていると伝わる。また難解にして美しい『人魚の美声』を持つ祝福と浄化の歌い手でもある。彼女のような神たる人魚も無限世界に数多いが、彼女たちの拠点は海宮であってオルセラのような海溟宮ではない。これはオルセラの心が他の人魚の神々たちよりも深く暗い海を理解していたからとされる。海の深部は原初の混沌と密接な領域であり、彼女はそれを理解していたからこそ多くの海の深い部分までの調和を保てたと同時に、海そのものの茫漠とした難解な心を持つとされている。
『原初の大征伐』の頃、各世界の海原での戦いにおいて彼女の歌は神々の軍勢を大いに助けたが、この戦いが終わる頃に彼女はアルシスリアの『海溟宮イース』に引きこもるようになり、彼女の歌声に魅了された多くの神々から婚姻の申し込みと共に膨大な量の贈り物が届けられたが、彼女はその全てを断ってしまい、やがて次第に忘れられていったとされる(※第三章後日譚『人魚姫オルセラは今日も泣いている』にて、鑑定士マスティガが膨大な量の宝物を鑑定しては目録にしたためる作業が百年以上続いてもまだまだである描写が為されている)。
やがて、彼女を忘れていった無限世界に『混沌』がはびこるようになり、彼女は長く暮らしていたアルシスリアを去る事となった(※『アルシス最後の夜』に収録)。
『蒼い城』には彼女がまだアルシスリアにいた頃に参加しており、何らかの理由でダークスレイヤーの元に行くことになった彼女は界央の地から『人の脚』を持った姿を拝領して人間の姿を取る事も出来るようになった。この姿を取る時のオルセラは瑞々しい若い女性の姿になるが、歩く事については感覚が分からずに大抵は転んでしまう。
彼女の歌は大海を循環させ、負の感情を波のように鎮め、混沌や穢れを抑え込み、その涙は真珠と化して哀しみを減らすと伝えられている。実際に、彼女がかつて何らかの理由で泣いて大きな真珠をこぼした海は哀しみがなくなり、『シャナリスの甘き海』と呼ばれる、無限世界でも屈指の海の理想郷となっている。
『森と狩猟』古き狩猟の女神モーン:Morn
無限世界及びウロンダリアで最も怖いとされている獰猛な古き狩猟の女神。彼女がいる文化圏においてはしばしば『モーンのような女』といった意味の形容詞があるが、多くの場合は魅力と怖さと有能さに溢れた、怒らせてはならないような女性の事を意味している。
『原初の大征伐』においては、『界央の地』の無名の概念神『技巧』の手による名弓『月残しの大弓』を用いて、各所で神々の軍勢に加勢しては戦局を常に有利に導き、『人なる神の時代』の夜明けを導いた存在とされている。しかし、その後何らかの理由で彼女の功績は抹消され、『古き狩猟の女神』という呼称だけが残っていた。彼女の名前が再び無限世界の歴史に浮上するのは『美しき割譲』の事件からである。
モーンは『女神の複雑性』を体現しているような面が顕著で様々な姿を持つ。仮面で顔を隠して弓と銃を手に暗い狩り装束を着た『狩人にして射手の相』、各地の保護すべき動物の頭骨を被り、鹿の角を生やしたフード姿の『森の守護者の相』、翡翠蚕のドレスと黄金世界樹の工芸品を身に着け、肌と顔を見せる『森と狩猟の女神の相』そして、黒装束に身を包んで大柄な黒い猟犬たちを引き連れた『森の魔女の相』など。しかし基本的にはかなり顔や肌を出したがらない女神とされており、その素顔を見た男性存在は非常に少ないとされている。
また『魔女の相』を持つに至った女神たちは大抵、情念を肯定する魔女の相がある事を隠したがるが、モーンはそうしない例外的な女神の一柱でもあり、表裏の無い彼女の性格が出ている。
しばらくその存在を隠されていたとはいえ、その影響力は大きく、彼女の信徒となった射手や狩人などは死後、彼女の眷属になる事があり、その大軍勢は『荒野の狩り手』と呼ばれる。ウロンダリア編の第四章では『混沌』の侵入に気付いたモーンがいち早くこれを差し向けているシーンがある。
彼女の近くにはアトラとノトラという二頭の鹿の従者と、彼女の目となる鷹、『射貫く銀の目のサザラ―』などがおり、ウロンダリアの様子には常に目を光らせているらしい。
『蒼城三十柱の女神』のうちマリーシアとは大変に仲が悪く、いつもどちらか片方しか同じ世界にはいないとされる。そして『蒼い城』でかつて起きたこの二柱の女神の諍いはあのダークスレイヤーが永遠に預かっており、だからこの女神たちはどちらも失われずに済んでいるのだとされている。しかし、また異なる解釈もある模様。
各世界でとても怖がられている彼女だが、そんな彼女の気質や虫の居所の分かる位の高い女神たちとは友好的な関係であり、中には彼女を『いじれる』者もいる。月と陰謀の女神イシュクラダは特にそれが顕著で、しばしばモーンに悪戯を仕掛けてはモーンも笑っている事がある。
『灯火と希望』青白き不動の星ハルシャー:Harsha
ウロンダリアでは『南天の不動の星』、無限世界のあまたの彼女の光が届く世界では『青白き星』『不動の星』などと呼ばれる光を放つ、永遠の蒼い城リュデラーンの城主。
『原初の大征伐』の頃に起きていたのは何も進軍と征伐だけではない。未知の領域に探求に旅立ち、その認識の限りに世界を広げる旅をした神々もいた。男女で旅立った神々も多いが(※その多くは道行きの神として祀られている)、『母なる神』の資質を持ちながらも一人で最も寂しい虚無の領域に旅立って帰ってきた存在、それがハルシャーである。ひときわ賢いとされた彼女は、虚無の領域を渡るのに多くの場合は必要とされた男女の関係を良しとせず、一人でどこまでも旅をする事を選んだ。それは神と言えど男女の契りが次第に零落(※時の経過によって落ちぶれていく事)を呼ぶ可能性に気付いていたからだとも、彼女が真の孤独や希望を見出したかったからだとも伝わっている。
伝承によれば彼女は『虚実定かならぬ領域』まで至りその姿を失いかけたが、その彼方で失われたはずの『白金の世界樹』と邂逅し、不朽・不壊であるがゆえに永遠の虚無に陥っていた世界樹の精霊ユディヤと話して契約を交わし、その枝の一部を貰って持ち帰ると『界央の地』の十の至聖下の地を巡って、遂に白金樹の枝に智慧と理解の不朽の灯火を灯すことに成功した。これが彼女の『朽ちぬ白金枝の杖』であり、この青白い灯火とそれに照らされて磨かれたハルシャーの光は星のように多くの世界の夜空に輝き、不動のそれは旅人たちを導くようになったとされている。
白金樹もまたこの光によって孤独から解放され、ハルシャーの光を通して現在の無限世界の人と木々のかかわりを眺め祝福を届けるようになった。その最たるものが木片を燃やして明かりを取る松明の光であるとされ、この出来事以降、無限世界の人々の持つ松明はとても明るくなったとされている。
この偉大な行いは多くの称賛を受け、ハルシャーは概念たる無名神になる事も可能とされたが、彼女はかつての旅の時に豊かでないながらも多くの人々が祝福を与えてくれた六つの世界の加護を申し出た。光、中立、闇の二世界ずつのそれらは連なり、『連環帰結』を意味するア・シェの六連世界と呼ばれるようになり、『界央の地』は技巧神の傑作とされる『空の青さの始まりの城』永遠の蒼い城リュデラーンを彼女に与えたとされている。こうして、ハルシャーを事実上の主神としたア・シェの地は豊かに栄える事となった。
しかしやがて『界央の地』は闇の千世界を全て滅ぼしてしまい、彼女の守護していた闇の二世界もこの例にもれず失われてしまう。この時に何かを感じ取った彼女は、界央の地の道化パロガの意味深な忠告から多くを感じ取り、残り四世界の安寧と引き換えに、城と自分をダークスレイヤーに捧げる判断をした(エピソード『蒼い城と導きの灯火』より)。
その後の詳細は不明だが、ウロンダリアにも『南天の不動の星』ハルシャーは存在しており、また噂によれば『蒼城三十柱の女神』たちはダークスレイヤーの事を『黒い方』と呼ぶが、最初にこの呼び方をすると決めたのは彼女であるとも伝わっている。
エピソード
『黄金の戦歌姫』水晶の声のナーリーン:Naline
『船の民』がウロンダリアではエルフなどと呼んでいる、無限世界で『光の側の古き民』と呼ばれる旧世界及び妖精界、そして世界樹に関わりの深い種族。その中でも特に古く由緒ある系統の女性。女神と言っても現在の『人なる神の時代』からしたら妖精の女王の一人とでも言った方が近いかもしれない(しかし、彼女を妖精の女王と言うと『まだ王女ですよ』と返して来るのが定番のやり取りでもある)。
『ダークスレイヤーの帰還』の物語の時代には、『光の側の古き民』は往々にして人間より劣勢で、洗練されてはいるが活力も人間ほどではなく、男女ともに優美だが線が細いとされている。しかし、ナーリーンは古い時代、いわゆる『上代』と呼ばれる黄金時代の人であるため、背が高く人間や魔族の女性とあまり変わりのない体格をしている。
彼女の姓Aurezalacynin(アウレザラシーニーンと発音する)は『黄金の剪定刃を持つ者』という意味となり、特に大きな生活圏を作れる黄金の世界樹と対話して『剪定(※不要な枝葉を切り落として樹木の形を整える事)』を行う事が許された一族であり、これは『剪定』によって自分たちの生活にある程度有益な世界樹の育ち方を誘導できる立場であると同時に、世界樹を食い荒らさんとする邪悪な存在たちから世界樹を守護しなくてはならない立場でもあった。黄金の世界樹の精霊は雄大にして力に溢れ気難しく神そのものであり、そのような存在と対話でき、対等に付き合える事はそのまま『黄金の剪定者の一族』が皇帝に等しい一族であることも意味している。
この一族の女性の名前に付くline(リーン)は『翔ける女』を意味する尊称であり、竜を駆って天を翔ける竜騎士(※彼らはこれをダギ・レクサーと呼ぶ)の役割を生まれ持って定められている立場であるとも言える。それは多くの場合は『戦歌姫』という立場で、歌によって味方を鼓舞し、守り、精霊や世界樹の加護を得、戦局を把握して心に直接届く歌声で指揮するという、前線の司令官と司祭、楽隊を併せ持つとても責任重大なもの。彼女はそれを、現在では失われてしまった偉大な言葉で行っていた。いわる上位古代語とされる言語の一つである。
落ち着いたナーリーンの声は多くの戦場において、竜騎士たちの心にとても透き通った届き方をし、さらに本人の美声もあって『水晶の声のナーリーン』と呼ばれるようになった。
長く戦場にいた彼女はしかし、この時代の世界樹の主な敵である混沌の蟲神バオウとの終わりなき戦いと、大きく成長しては次第に自身の生命力に吞まれて暴走し出す事の多い黄金の世界樹たちに疑問を感じ、ある時長く現世の食事を断ったうえに次第に鉱物に等しくなる霊薬を飲んで、一族の者たちに別れを告げては暴走した世界樹の心の世界にもぐりこんだ。彼女はその彼方で『世界にはびこる根源的な問題』に気付いて絶望しかけたが、ある啓示を得て妖精界の深部に引きこもり、長い時を待つように過ごすようになったという。
何らかの啓示を得たのか『美しき割譲』において蒼い城に来た彼女は、城主であるハルシャーとは異なる時代に生きるものとして大いに意見を交わして意気投合したとされている。また、この頃の彼女はかつて飲んだ霊薬による『晶化の病』によって足が動かせなくなっていたが、それはあまり問題にならなかったようだ。
なお、無限世界において『光の側の古き民』の間で伝説になっている戦歌姫『花なる歌のエレファリーン』は、彼女のすぐ下の妹であり、ナーリーンは長女であったとされている。
『舞踏の神髄』戦士を望むウルシュナトラ:Urshnathra
現在の物語の時代『人なる神の時代』の最初期に、『界央の地』に降臨した最初の世代の戦神と美の女神の間に生まれた存在と伝わっている。その由緒と神格はとても高く、戦士の心と美をよく理解していたウルシュナトラは『原初の大征伐』において、その素晴らしい舞踏で神々の軍勢を大いに鼓舞してはその遠征を幾度も助けたと伝わっている。時には名だたる戦神たちでさえ困難な戦いで泥にまみれ、闇の雨の中で力尽きようというまさにそのような時、彼女が駆け付けると戦場は光と勇壮な祝福に満ち、戦神たちの気炎は天をも焦がすほどだったと伝わっている。
しかし、やがて大征伐の終わるころ、最も困難な戦いの場で舞踏を求められたウルシュナトラは、主に男の戦神たちの心を鼓舞すべしと父と母からやや煽情的な舞踏を提案され、その提案には従って戦局も勝利へと決定づけられたものの、男神たちからの自分に対する誤解が耐え難いものとなり、やがて静かにその姿を隠してしまったとされている。大いに軍功を上げた神々の中には彼女との婚姻の資格を望むものも少なくなかったが、肝心のウルシュナトラの行方は誰も知る事が無かった。そんな彼女の名前が無限世界の歴史に再び登場するのは『美しき割譲』からとなる。
伝聞の奥ゆかしい物腰とその可憐な姿とは裏腹に、実際には大変に漢気溢れる姉御肌の女性であり、本当は舞踏で男神たちを鼓舞するよりも自分が剣を取って戦いたかった根っからの武人気質の女性でもある。しかし、可憐な生まれのその姿は重い武器を持つ事は叶わず、仕方なく親の言う事に従って舞踏を極めたが、戦いが終わって以降は舞踏を極めるとともにいかに戦士として身を立てるかの試行錯誤をしていたらしい。
行方不明になっていた期間に『界央の地』からはあまり良く思われていない夢魔の女王リリスを探しては弟子入りし、夢幻時の力を得て魅力と舞踏はより高められると同時に、彼女が本来なりたかった姿になる事も出来るようになった。すなわち、戦士として戦い舞踏もこなせる姿である。この時の彼女は夢幻時の色たる聴色の目と髪に変わり、その体格も戦士らしいものに変わる。
彼女は口も達者で女に対しては気難しい夢魔の女王リリスを大いに笑わせて気に入られたとされ、『蒼い城』においてはマリーシアとモーンの諍いを一喝して収め、ダークスレイヤーには積極的にあらゆる武器の扱いを教わっていたとされており、そのひたむきで研鑽を欠かさない美徳も相まって『蒼い城』のほぼすべての女神から学ぶべきところのある存在と思われていたらしい。
舞踏を極めた彼女は『女性の所作の美の真理』に行きついていたとされ、例えば本をめくる、花に触れる、水を汲む、などといった日常の動作さえもが非常に艶めかしく美しかったとされ、それは時に他の女神たちの学びにもなったと伝わっている。
また、彼女は幾つかの珍しい加護を司っており、中でも有名なのは『望まぬ天地の加護』だろう。これは、親などから全く望まない習い事や教養、試練を受けさせられた者に働く幸運で、好きでもない事を孝を尽くして積み上げた者に予想外にもたらされる果報だとされている(ここに彼女の心情が垣間見える)。
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