第五話 ゴシュと骨付き肉・前編

第五話 ゴシュと骨付き肉・前編

──ゴシュの語る回想。

 ゴシュの頭を、古い革鎧の匂いのする手が少し乱暴に撫でていた。

「よう娘っ子! 今日は縞狼しまおおかみを見つけてな。可哀想に母狼は人間に半矢はんや(※矢が刺さってもとどめに至らずとり逃してしまう事)を射られて力尽きちまったんだ。しかし縞狼は賢い! 残った乳を強い奴らにしっかりと分け与えてやがった。こいつらは良き友になるぜ!」

 ゴシュの父、『大食いのギャレド』はその名の通り大食いで大柄な上位のヤイヴの族長だった。母は物心ついた頃からいなかったが、妾であり女官でもある他の女ヤイヴたちに、唯一の娘でもあったゴシュは大切に育てられていた。

「見せて!」

 子犬のような不安げな鳴き声のする、灰色のずだ袋を覗いたゴシュは目を丸くした。

「わあ!」

 五頭の子狼が乳でも求めているのか、きゅうきゅうと可愛らしい鳴き声をあげている。

「五匹も⁉」

 目を輝かせて顔を上げたゴシュに、ギャレドは傷だらけの顔を破顔して首を横に振る。

「いや……見てな」

 ギャレドは五匹の子狼をゴシュの手に渡しつつ、一匹一匹数えた。それが五匹を超えたところで、ゴシュは袋の底にもう一頭いることに気付く。

「六匹だが、こいつは駄目だろうな。母狼はこいつを選ばなかった。自然は弱きものに厳しい。こいつの命は他の五匹に捧げられたようなもんだ。見ろよ、このガリガリに痩せて震えてる姿を。このままじゃ狼スープの骨付きの肉だが、まあ随分と痩せた『骨付き肉』だぜ!」

 ギャレドは愉快そうに笑った。縞狼しまおおかみはヤイヴ族の友であり乗騎じょうきにもなったが、しばしば生まれる未熟な個体は心身を勇猛にする『狼スープ』の材料にされることが多い。この『骨付き肉』と呼ばれた痩せた未熟な狼もおそらくそのような運命をたどると思われた。

「父ちゃん、あたいこいつがいい。こいつを育てる!」

「何だと? こいつはもたねぇぞ? 明日には死んじまわぁな」

「こいつがいいよ!」

「狼スープにしてぇところだったんだがな……」

 ここで、やり取りを聞いていたギャレドの妾の一人、女ヤイヴのネズが話に入った。

「親方様、あたしは縞狼を育てていたこともある。こういうのは大抵死んじまうが、たまーに命根性いのちこんじょうの汚い長生きする奴がいるんだ。あたしが見てやろうか?」

「面白れぇ、やってみな」

「ゴシュ、他の狼を戻してその子を持ってあたしに向けてみな?」

「うん」

 ゴシュは言われたとおりに『骨付き肉』を慎重に抱えて、ネズに向けた。

「どれどれ『骨付き肉』よ、うちの姫様がお前に頑張れって言ってるんだ。根性見せてみな」

 ネズは目の空いていない子狼の口を開き、そこに指を挟み込んだ。

「こうやって噛む力を見るんだ。これが弱い奴は駄目だ。どれどれ……ほら、怖くないから噛んでみな。ほら、怖くない……」

「『骨付き肉』、頑張って噛むんだ!」

 ゴシュは震える狼に真剣に語りかけた。と、『骨付き肉』は何かを察知したように震えるのを止めネズの手を意外に力強く噛んだ。

「あいたっ! こら、大丈夫だから放せよ! 怖くないっつってんだろ! いたたた!」

──グルル……。

 『骨付き肉』は小さいながらも牙をむいて唸った。

「『骨付き肉』、合格だぞ!」

 ゴシュがなだめて頭をなでると、『骨付き肉』はその口を開け、ネズが素早く手を引く。その指にはくっきりと小さな牙の跡が浮き出ていた。

「いたた。あー、この子は生きるよ。これだけ噛めたら立派なもんだ。うちの姫様の護り手にふさわしいさね。この野郎、立派に育つんだよ?」

 ネズが手をさすりつつも笑う。その様子を見てギャレドも笑った。

「へっへ、こいつはいい。いいか『骨付き肉』うちの娘を命に代えても護れよ?」

 ゴシュは痩せた狼を両手で高く掲げた。

「お前の名前は今日から『骨付き肉』だぞ! でっかくなれよ!」

 一人と一匹の深い絆は、この日から始まった。

──ウロンダリアの『縞狼しまおおかみ』は古代種の狼であるとともに、少し魔獣に近い部分がある。大きく強靭で賢く、ヤイヴ族は友としても、時に乗騎としても用いる、人間にとっての犬と馬の役割を果たす獣であり、また友でもある。

──ダナ・ハドラ著『魔獣、我らの友』より。

 それから五年後、『不帰かえらずの地』。

 すっかり大きくなったゴシュと縞狼しまおおかみの『骨付き肉』は、仲良く不帰かえらずの地の森の中を探索していた。言葉は通じなくても何となく分かり合える一人と一匹は、今や最高の友達同士でもあった。

「へっへー、だいぶ走りやすくなったよな!」

──ウォン!

 ゴシュと骨付き肉は、下刈りのされた明るい森の中を掘り出した野生の芋類の入ったずだ袋をそれぞれ背負い、かけっこをするように移動していた。夏の終わりの森はまだ蒸し暑く羽虫や蛇なども多かったが、これらの害をほとんど受けない耐性を持つゴシュと骨付き肉は無人の野原を走るように進んでいく。

「あん?」

 切り開かれた草原に出て部族の砦を見たゴシュは、いつもの活気あふれる様子ではない事に気付いた。ものものしい雰囲気の中、つた灌木かんぼくで組まれた即席の担架たんかが三組ほど門を通るところであり、担架からだらりと垂れた腕は、遠目でもそれが既に息絶えた仲間なのだと分かった。

「何があったんだ?」

 骨付き肉と共に砦内に駆け込んだゴシュは、息を呑んだ。二十名ほどの歴戦のヤイヴの勇士たちの死体が並べられていたが、その遺体はそれぞれが激しい損傷をしていた。

「ゴシュか、あまり見るなよ?」

 いつもの陽気な笑いの無いギャレドがそれでもまだ温かみのある声でたしなめたが、父親が自制心を最大限に発揮しているのがゴシュにはありありと伝わっていた。

「父ちゃん、何があったんだ?」

「ゴズロとガッデの隊だ。十人ずつのな。この地の奥の方に滝と湖、小高い丘などがあるんだが、そこに向かったまま連絡が丸一日途絶えたから捜索を向けてみたらこれよ。どうなってやがるんだ!」

 ゴズロとガッデは、このギャレドの氏族では年配の歴戦の戦士であり、五人隊を二つの十名ずつを率いて不帰の地の深部を探索していた腕利きたちだった。勝てない敵と見れば必ず誰かを連絡によこす慎重さがあり、この全滅は判断する時間さえ奪われていた事を意味する。

「こんな目に遭う奴らじゃねえ。どういうこった?」

 ギャレドが父親の顔ではない、数百名のヤイヴを率いる氏族の族長の顔をしてつぶやいた。

「ゴズロよう、てめぇはこんな死に方するタマじゃねぇだろうが……」

 やや細面の若いヤイヴが死体を検分しているのを見つつ、ギャレドは悲痛そうに語りかけた。ゴズロの遺体は頭部が下あごを残して損壊し、全身に何かで刺された傷跡のある惨たらしいもので、口数は少ないものの優し気なその眼差しを思い出し、ゴシュの視界もぼやけた。

「オヤジ、ゴズロ御大の左腕を見てくれ!」

「何だ?」

 頭部のないゴズロの遺体は右手に血の付いたナイフをしっかりと握っていたが、左腕に自分でつけたと思われる切り傷で文字が刻んであった。

──逃げろ。

「こいつぁ?」

 細面のヤイヴがギャレドの顔を見た時には、もうギャレドは何かを決意した後だった。

「護りを固めろ! 全部のキャンプに五人隊を派遣してここまで撤収だ。砦の連中は荷物をまとめろ! 足の速い腕の立つ奴らを十人まとめて『最果ての村』から魔王様に伝令だ。何かやべぇぞ、急げ!」

「おうっ!」

 ヤイヴたちは族長の命令に尋常ではない何かを感じ取り、急ぎ指示の通りにし始めた。

「ゴシュ、おめぇも荷物をまとめるんだ。魔王様に話して、おめぇは魔の都に戻す。ここは何かやべぇ。不帰の地は伊達じゃねぇぜ……」

「わかった!」

 ゴシュはギャレドと妾たちの暮らす大きめの丸木小屋に入り、草のむしろの敷いてある部屋に入ったが、必要なものはナイフや革製の手提げ袋に全て収まるようなもので、あとは特にすることはなかった。

「ゴシュ、親方様が引き上げの準備をしろってさ。何かまずいことが起きたんだろ? あたしゃ怖いよ。この土地は動物が少なくてなんか変だしさ」

 腹を大きくした身重のネズが不安そうに声をかけてきた。

「大丈夫だよネズ。明日か明後日にはここを出るみたいだし。あたいと骨付き肉も一緒だからさ!」

「そうだねぇ。ここは頑丈な砦だし、これだけの仲間がいりゃ流石に何も起きないだろ?」

 しかし、日が暮れて夜になるにつれ、ゴシュたちの砦の様子は緊迫していった。近くのキャンプの人員は戻ってきたが、広範囲に展開した遠くのキャンプは使いに出した者も一向に戻らなかった。さらに日が暮れてだいぶたってから、『最果ての村』に使いに出した十人の俊足のヤイヴたちのうち、二人がおびえた様子で帰ってきた。

「どうしたんだ? お前ら!」

 ギャレドの問いに対し、汗と泥と小さな切り傷に塗れた二人は、肩で息をしつつ、震えながら言葉を絞り出した。

「たどり着けねえんです。道は分かってるはずなのに、何度も何度も。いつの間にか一人ずつ仲間が減っちまって、半分になるかならないかでここに戻る事にしたんでさぁ。必死に走って来たんでやすが気が付いたら二人だけで……」

 若いヤイヴの言葉が終わらぬうちに、ギャレドはその胸倉を持ちあげた。何らかの嘘を許さないような意図が込められた、威圧的なものだった。

「だから何が起きたんだ!」

「わからねぇんですよ! 訳が分からねぇ!」

 ギャレドは若いヤイヴの眼の奥に、恐怖と疲労しか読めない事に大きな危機感を感じた。

「……わかった。少し休んで飯でも食え。それからだ」

 もう一人のヤイヴがひきつった顔で続ける。

「あれはきっと幻術の類でさぁ!」

「……何回上っても丘を越えられねえんです。幻術か何かかもしれねえってみんなで言ってたんでさ。でも意味が分からねぇんです。おれらなんかに幻術をかける意味が」

 弱々しく灰緑色のマントの胸元を直しつつ、若いヤイヴが吐き出す。ギャレドはそこに何か恐ろしい意図が隠されている可能性を感じ取り、新たに指示を出した。

「見張り台、異常はないか? 手の空いてる奴は砦の周りに何箇所か焚火をくべる準備をしろ! 油の出し惜しみはするんじゃねぇ!」

「親方!」

 見張り台のヤイヴが叫ぶ。

「今度は何だ?」

「ずっと向こう、何か起きてやす! こっちに向かっていた松明の並びが、戦ってるか逃げてるみてぇにばらばらに動き出しやした!」

「みんな動きを止めろ! 音を立てるな!」

 ギャレドの叫びに合わせて、統制の取れた氏族のヤイヴたちは動きを止め、息を殺した。夏の終わりのぬるい風に乗り、彼方から、この距離でもわかる、恐怖に満ちたヤイヴたちの叫びが聞こえてくる。

「くそっ、何が起きてる? 救援に向かうぞ! どこのどいつが悪さしてるか知らねぇが、魔王軍のギャレド氏族を舐めやがって! 皮をはいで干しウサギみてぇに吊るしてやる!」

 ギャレドは唾を吐くと、魔王に贈られた小型の魔具である斧を掲げた。

「百人隊を組む! 残りは砦を護れ! ネズミみてぇに隠れて悪さする奴らぁ、ぶっ殺して来る! 弓隊は火矢の準備しとけ!」

 慌ただしく準備を始めたギャレドたちに対し、ゴシュとネズは不安を訴えた。

「父ちゃん、みんなでここを固めてちゃダメか?」

「駄目だ。氏族の奴らを救わねぇで族長が務まるかよ!」

「あんた、遠くに行かないでおくれよ。腹の子に女の子がいたら、あんたは姫を二人生ませた大氏族長になるんだよ? あたし、まだまだ産めるからさ、一人にしないでおくれよ?」

 不安を隠さないネズ。

「へっ、おれぁこんなところでくたばるタマじゃねぇよ! ……おい骨付き肉、おめぇはゴシュをしっかり守るんだぜ?」

──ウォン!

 骨付き肉は了解したように短く吠えた。

「へっ! 頼んだぜ」

 ほどなくして、青銅の甲冑を身に着け、武装した古き狼を乗騎としたギャレドと、精鋭のヤイヴ兵たちが多めの戦闘用松明を手に砦を出て行った。

「ゴシュ、ギャレドは大丈夫だよね?」

 不安そうなネズを、ゴシュは屈託なく励ます。

「大丈夫に決まってるさぁ! 父ちゃんたちだぜ?」

「そうだよね」

 ネズは大事そうに大きくなった腹をさすった。

「湿っぽいのは腹の子にもよくねぇぞ? 干し芋や芋粉でも作ろうぜ? 肉食うのもいいな!」

「ゴシュ、あんたの明るさは時々すごく助かるよ。お腹の子に女の子がいたら、あんたみたいに育ってほしいもんだね」

 ネズは落ち着いた笑みを浮かべた。

「へへっ!」

 ゴシュは照れ臭そうに笑うと、やがてネズとともに、芋の加工などの作業で気を紛らわせる事にした。

──上位のヤイヴたちは原野や森林の動植物の特徴を口伝で伝えており、保存食を作るのが上手である。一部の野菜や肉などは保存の課程で高級な食材に変質するものもあり、しばしばヤイヴ族の大きな収入源になっている。

──インガルト・ワイトガル『ウロンダリアの種族』より。

 深夜。

「ゴシュ姫、ネズお方様!起きて下せぇ!親方様が決死隊を組んであなた方を護って、最果ての村まで行けと仰せでさあ!」

「は?」

 がばと起きたゴシュの目の前に、突撃隊をこなす若手の獰猛どうもうなヤイヴの男がいた。

「父ちゃんは?」

「もうじき戻って来やすが、深手を負ってやす。あっしも少しやられちまいましたが、まだ役には立ちまさぁ」

 若いヤイヴ兵は笑ったが、外の松明の明かりを跳ね返す肌の汗は、既に相当な戦闘を経た事が容易に想像のつく量だった。

「何だ起きたんだ?」

 ゴシュは粗末なフード付きのマントや手提げ袋、ナイフなどを身に着ける。

「姿の見えねえ、でけぇ化け物が何匹もいやす。こっちの攻撃はほとんど通らねぇんでさ。ただ、火や魔法は少しは効くみたいでやす。あのクソったれの化け物ども、遠くのキャンプの奴らの脳味噌を食いまくって、今こっちに向かって来てるんでさ。時間がありやせん。早く!」

「ギャレドは、親方様は大丈夫なのかい⁉ 」

 ネズの悲痛な疑問が隣の部屋から聞こえてきた。

「もうじきここにたどり着きやす。深手は負っておられますが、まあおれらの親方様だ! 元気でさぁ!」

 ゴシュとネズは既に支度は済ませていたため、寝惚けた頭を覚ます事だけが残された準備だった。しかし、大きな丸木小屋の外に出ると、眠気は一瞬で吹っ飛んだ。腕の欠損した者や、あちこちに刺し傷のある、血と汗にまみれたヤイヴ兵たちが、苦痛の呻きを発しながら次々と砦に入ってきている。

「なんだよ、これ……」

 ゴシュの腕を掴むネズの手に力が入った。

「あっ、大丈夫だよ。父ちゃんも戻って来るだろうしさ」

 丸木小屋の前には、五十名ほどの装備の良いヤイヴ兵たちが既に待機している。

「親方様が戻られたぞ!」

「霊薬を出せ!」

 祈祷師のヤイヴが何名か、既に横たえられている多くの負傷者の治療に当たっていたが、この声で砦の門の方を見やった。数名のヤイヴが担ぐ担架の上に、左腕を失ったギャレドが苦悶の表情を浮かべて座したまま運ばれて来る。

「父ちゃん!」

「あんた!」

 ゴシュとネズはギャレドに駆け寄ったが、ギャレドは二人に気付くと、汗を浮かべつつもそれでも笑って見せた。

「へっ、しけたツラしてんじゃねぇ。あの化け物、魔王様からいただいた斧には悲鳴をあげやがった。気付くまでに腕の一本はいかれちまったが、あんな化け物は見た事も聞いたこともねぇ。正体を突き止めて部族の奴らの仇は討たねぇとよ。……ゴシュ、こいつを魔王様に届けろ」

 ギャレドは腰の小剣を鞘ごと外してゴシュに託すと、五十人の精鋭に勇ましく声をかけた。

「おめえら、ネズとゴシュを護って、必ず魔王様んとこにたどり着き、状況を報告しろ! こいつは何か陰謀の匂いがする。魔王様ならきっと何とかしてくださる。そして! もしおれがくたばったら部族の次の族長はゴシュとネズを最後まで護った奴に引き継がせる!いいな!」

「おうっ!」

 ギャレドのこの宣言に、五十名のヤイヴたちの眼にはぎらぎらとした闘志が宿った。ゴシュとネズは少しだけ困惑したが、それでも安堵もしていた。

「まあ、おれはくたばらねえし、今夜さらに手柄を上げるがよ! ……野郎ども、周りの野っ原に火を放て。見えねえ化け物どもをぶっ殺して、手柄にするぞ!」

 しかしそれが、生きた父親の最後の姿になるとは、ゴシュは想像だにしていなかった。

──ウロンダリアの多くの魔物は外の世界から来たものとされ、だいぶ分類も進んでいるが、月の魔物や混沌の魔物などは全く分類が進んでいない。

──ロザリエ・リキア著『ウロンダリアの魔物学』より。

first draft:2020.09.26

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